一人残らず、シーシュポスなのだ。
アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』で、男は神から罰を受けて、永遠に岩を運び上げる運命にある。しかし、その境遇以外に自分は置かれ得ない、そのような状況にあるからこそ「自分」なのだと認識した時に、男は無限の喜びを感じるのである。
シーシュポスが置かれた状況は極端なものだが、それは一つの比喩に過ぎない。苦しくて、不条理な状況だから、それを受け入れることが跳躍になるのではない。どんなに恵まれて、幸せな立場でも、他のあらゆる可能性が封じられている点において、すべての人はシーシュポスと変わることがない。「あらゆる時間、すべての場所」という全称記号から「今、ここ」という存在記号への命がけの跳躍こそが、私たちの存在の本質である。
一人残らず、シーシュポスなのだ。
1月 10, 2011 at 08:26 午前 | Permalink
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