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2011/01/12

Facebookの謎

このところ、Facebookに対する注目が集まっている。米国内ではアクセス時間でGoogleを超えたのだという。「検索」から、人と人の結びつきを通して情報が流通する時代、という変化は概念としては理解できる。どうしても理解できないのが、なぜ人々がそんなに長い時間をFacebook上で過ごすのか、ということである。

日本のSNSとしては、mixiが先行した。私もかなり初期に登録したが、「マイミク」が500人を超えたところで、わけがわからなくなってやめてしまった。「あしあと」とか、そういうことに対応している時間が、もったいなくなってしまったのである。

mixiに比べて、Facebookは実名が基本であるなど、いろいろ違う点があるという。日本でFacebookが伸びない理由を、日本のウェブの匿名文化と結びつけて論じる人もいる。しかし、私には、それが本質だとは思えない。

Facebookのインターフェイスが、まず私にはよくわからない。一時期のウィンドウズに対して抱いていた違和感と同じように、「ごみごみした」「整理されてない」印象を受ける。「Facebookは、SNSにおけるマイクロソフトである」というのが、私にはしっくりくる表現で、SNSにおける「Apple」や「Steve Jobs」は未だ登場していない感じがする。

写真を共有することで、プライバシーの概念が変わっているとも言う。確かに、かなりプライベートな写真を載せている人が多い。しかし、個人的に、他人の生活をのぞき見するようなことに、時間を費やそうというモチベーションが湧いてこない。

何度もFacebookを好きになろうと時間を費やしてみたが、どうしても「好きのしきい値」を超えられない。SNS上で、さまざまなアプリが立ち上がって、付加価値ができるという概念はわかる。しかし、今そこにあるFacebookは、ただの「混乱」にしか思えない。

一言で表現すれば、「それを使っている時の体験の質」、experienceが、Facebookは良質なものとは思えない。なぜこれだけ多くのアメリカ人がFacebookを愛用するのか、私には、感覚的にどうしても理解できないのである。

Googleやtwitterやyoutubeに関してならば、いくらでも熱く論じることができる。Facebookについては、それができない。私にとって、Facebookは、一時期はやしたてられながら、最後までその意味がわからなかった、Second Lifeと似ていると言っても良い。

Facebookがもし未来ならば、私は何かを見落としているのだろう。あるいはまた、私にとっての未来は、まだここに来ていないのかもしれない。

どなたか、Facebookが未来である理由を教えてください。ぼくはいつでも改宗する準備はできています。

1月 12, 2011 at 07:57 午前 |