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2010/12/08

魔法瓶のガラスのように、何かが割れることはある。しかし、身体が大丈夫だったら、きっと何とかなる。

小学校5年生の時に、父と北海道に蝶の採集に行った。いろいろと計画を立てたが、一番いいのが6月だということで、しかし、その頃は学校があるから、あきらめた。

ところが、裏で父が学校の先生に話をつけてくれていたらしい。担任の小林忠盛先生も、「茂木くんが蝶をとりにいくんだったらいいですよ」と許してくれたようだ。ある朝早く、父が枕元に立って、「おい行くぞ」と言った。びっくりした。そのまま電車に乗って、青森に行った。市場で、エイを干したものを売っていた。青函連絡船に乗って、函館に渡った。

静内で蝶をとっていた時、追いかけるのに夢中になって、転んでしまった。その拍子に、肩に斜めにかけていた魔法瓶が衝撃を受けて、中の鏡が割れてしまった。振ると、カラカラと音がする。

「怒られる」と思った。父は、少し離れたところでやはり網を持っている。すっかり悄然として、蝶の様子も目に入らなくなった。

夕暮れになり、帰る時になった。父と合流するしかない。いっしょになってしばらく歩いてから、少し大げさに魔法瓶を振って、カラカラと音をさせて、「割れちゃった」と言った。

「転んだのか?」

「うん。」

「怪我はしなかったか?」

「だいじょうぶ。」

「そうか、気をつけろよ。」

それだけだった。魔法瓶を割って、怒られるかと思ったら、怪我をしなかったかどうかだけを聞かれた。うれしかった。そんな父の反応が、とても意外だったのだ。

いろいろ性格的な欠点もある父親だったが、少なくともあの時だけは素敵だった。

何かがあった時に、真っ先に聞くべきことは怪我はしなかったか、身体はだいじょうぶか、ということ。あの少年の日に改めて学んだように思う。

魔法瓶のガラスのように、何かが割れることはある。しかし、身体が大丈夫だったら、きっと何とかなる。

家族や友人が心配すべきことは、その一点に尽きると思う。

12月 8, 2010 at 07:08 午前 |