東スポも夕刊フジも、記者クラブには一応加盟しているけれども、そこから流れてくる情報だけでは紙面は作れないという。
昨日のニッポン放送「サンデー ズバリ ラジオ」でも言ったが、ぼくの東スポ、夕刊フジデビューは中学1年生の時である。新井勝くんの親戚の新井先生に、英語を習いに週一回通った。新井くんと、遠藤くんと、ボクと三人で教わった。この三年間が、ぼくがこれまでの生涯で通った、唯一の「学習塾」である。
英語の先生は電車で二駅くらい行ったところに住んでいらして、帰りの夜9時過ぎの上り列車はガラガラだった。座席のあちらこちらに新聞が落ちていて、ぼくは遠藤くんや新井くんに「ちょっと散歩してくるわ」と言って探し回った。
見つけて一番面白かったのが、「東京スポーツ」、「夕刊フジ」、そして「日刊ゲンダイ」だった。座席の上にあると、ほくほくした。そろそろ政治や社会のことに興味が出てきた頃だったから、大人たちの本音、みたいなものをのぞきこむのがわくわくした。
夕刊フジの中本裕己さん、東スポの平鍋幸治さんとスタジオでお話していて、あの頃から本質が変わらないという事に驚いた。東スポも夕刊フジも、記者クラブには一応加盟しているけれども、そこから流れてくる情報だけでは紙面は作れないという。確かに、どちらもキオスクでの「見出し」(前垂れ)が勝負。比較すると、大手紙には「既視感」がある。
夜、暗闇の中を走る電車。思い出すのはなぜか冬のこと。温かさが下から伝わってくる座席に座って、東スポや夕刊フジを読んでいた中学生の私と、少しでいいから会話してみたいな。
12月 13, 2010 at 09:43 午前 | Permalink
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