一人ひとりの人間は、弱々しく、欠点だらけで、だからこそ愛すべき存在なのに、なぜ「国」になったとたんにモンスターになるのか。
国家というものは、その名において人も殺すし、有無も言わさぬ強制力も持つ。国際法というのはあってもなきがごとき。強大な国家が、その意思で何かをしようとすれば、もう誰も止められない。そのことはみんな判っているが、そういうものだと思って暮らしている。
国家を構成する一人ひとりの人間は、弱々しく、欠点だらけで、だからこそ愛すべき存在なのに、なぜ「国」になったとたんにモンスターになるのか。どうしても間尺が合わない。そんな思いを、ずっと抱いている。
だからこそ、ウィキリークスの一連の事件は大変興味深い。アメリカやイギリス、スウェーデンといった「民主主義」の国でさえ、暴力的強制力を恣意的に使うことができるのだ、というう事実に、改めて目が向かう。アサンジ氏への共感の広がりは、このインターネットの時代に、国家というものは果たして何なのか、根本的な疑問が呈され始めていることを意味するのだろう。
「愛国心はならず者の最後の砦」だという。国家が必要悪だとしても、その臭い息に対して私たちはどのような香水を使えばいいのか。さわやかな西風の精を探しています。
12月 9, 2010 at 08:17 午前 | Permalink
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