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2010/12/05

アスリートになれ。市川海老蔵さんの『伊達の十役』。

 1月のある夕方、東京の新橋演舞場に出かけていった。市川海老蔵さんの舞台『伊達の十役』を観に行くためである。

 海老蔵さんの舞台には、何とも言えない華がある。そのことは、以前からわかっていたが、その「華」の理由を、改めて納得したような気がした。自分の心身を鍛え、ある一つの表現をする。その当否について、自らは一切語らないこと。そのような強靱な精神に裏付けられているからこそ、海老蔵さんの舞台には華があるのだと納得したのである。

 舞台から離れて、ひとりの人間として会う海老蔵さんは、自由闊達で気さくな若者である。細やかな心遣いをする。気をそらさない。みずみずしく、元気な生きもの。そのような海老蔵さんが、広く人気があることは肯ける。

 一方、舞台の上では、海老蔵さんは鬼になる。龍になる。気迫はすさまじく、その体力、気力も並大抵ではない。そのような目を見張るような変化の根本的な原因は、海老蔵さんがひとりの「アスリート」であることに求められる。

 ここでは、「アスリート」といういう言葉を広い意味で使っている。そして、海老蔵さんのアスリートとしての生き方は、広く社会のさまざまな分野で活動している人にも大いに参考になると思う。現代に特有の「病理」に陥らずに心身を「健康」に保つためには、海老蔵さんの「アスリート精神」のエッセンスを服用すると良い。

 「アスリート」とは、言うまでもなく狭義ではスポーツをする人のことである。100メートルを走ったり、野球のボールを打ったり、槍を投げたりする。このような競技者に共通するのは、自分の努力や、パフォーマンスの結果について余り多くを語らないということである。

 「結果が全て」。自分が努力したことがそのまま出てしまうし、逆に努力したからといって報われるとは限らない。言い訳は無用。頼りになるのは自分の肉体だけ。誰も助けてくれない。アスリートが無口になり、あれこれと言挙げすることを避けるようになるのは当然のことだろう。

 新橋演舞場の舞台で、海老蔵さんはひとりのアスリートだった。誰も助けてくれない。言い訳はできない。そのような孤独な戦いに立ち向かう海老蔵さんの姿が、「華」となり、人々を惹きつける。

 『伊達の十役』は、もともとは七代目團十郎が初演したもの。その後、長い間演じられなかったのを市川猿之助さんが復活上演して評判になった。私が大学生だった頃である。

 今回海老蔵さんは猿之助さんの演出で演じた。四十回以上にも及ぶ「早替わり」。十の異なる役。その中には、派手な立ち回りをする役もあれば、じっくりとせりふを聞かせる役もある。男性役も、女性役も、若い役も年老いた役もある。悪人もいれば善人もいる。長時間にわたる舞台は体力的にも気力的にもつらい。

 私は、孤軍奮闘する海老蔵さんを心から素敵だと思った。そして、一体世間というものは、そんな海老蔵さんの姿をどれくらい知っているのだろうと思った。

 メディアの中の海老蔵さんの報じられ方は、「希代のモテ男」というもの。最近になって、海老蔵さんは素敵なパートナーに出会った。その出会いを巡る報道のされ方も、どこか浮ついている。

 誰もが、自分の「現場」を持っているはずである。仕事や、生活のこと。自分の身を持って何かをすることの難しさくらい、心に染みついているはずだ。そのような地に足がついた生活実感と、マスコミの風潮は別物であるように感じられる。

 時代精神というものがあるのだろう。インターネットの発達によって、誰でも簡単に不特定多数に対して意見を表明できるようになった。そのことによって、「一億総評論家」と言われる傾向が加速している。文化や経済、政治にかかわる同時代の現象はもちろん、歴史上のことや、人物評。気楽に、大抵は匿名で書き込まれたコメントが流通する。そのような時代の気分の中で、メディアの傾向も作られていく。

 まるで自分が森羅万象についての評論家になったような気分を味わうのはそれなりに楽しいことなのだろう。一方で、自らの心身をもって何かをなすということの難しさは、どこかに置き去りにされてしまう。

 人間の脳は、自らの身体を使って行動しなければ、本当の意味では学習することができない。日本人が一億総評論家になってしまったかの感がある今日、日本の「国民総学習」のレベルもその実質において確実に低下している。

 海老蔵さんの舞台を見ながら、そのせりふの一つ、仕草の一つをもし自分がやらなければならないとしたら、どんなに難しいかと想像してみた。

 アスリートになれ。「自分だったら」と想像して見ることからしか、他者に対する尊敬も、深い自負も生まれない。

週刊ポスト 連載 「脳のトリセツ」 2010年1月掲載

12月 5, 2010 at 07:07 午前 |