ある存在がcontroversialである(議論を呼ぶ)ということは、それだけ新しい時代を切り開く重要な意味を持つということ
日本では、ウィキリークスを政治家が単なる「悪」と決めつたり、マスメディアがそのような言い方に同調する傾向があるが、そこにこの国の後進性が表れているのだろう。
政府が、その政策履行に伴う情報を、自らの都合によって開示したり、しなかったりする権利を持つということは断じてない。個人にはプライバシーがあるが、政府にはプライバシーはない。パブリックなプロセスは、できるだけ透明にしなければならない。
もちろん、安全保障上の問題や、政策履行の実際上の必要性からある時期秘密を維持する必要があることもある。その時期が過ぎれば、多くの国が外交機密を公開している。いつ、どの段階でオープンにするかは、いずれにせよ議論されるべき問題。政府が、一方的に「これは良い」「これは悪い」と決めつけてそれが通るのでは、中国や北朝鮮のような国になってしまう。
ウィキリークスのやり方が正しいかどうか、さまざまな議論があるだろう。しかし、ある存在がcontroversialである(議論を呼ぶ)ということは、それだけ新しい時代を切り開く重要な意味を持つということである。日本も、ウィキリークスのような存在をうまく受容できないと、いつまで経っても世界の文明の趨勢から取り残される。
12月 2, 2010 at 07:28 午前 | Permalink
最近のコメント