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2010/11/11

言論の自由とは、ニュアンスの自由である。

ぼくは、今回のビデオを流出させた人を支持するけれども、それは、「知る権利」という公共の利益においてであって、中国に強硬姿勢を取るという文脈においてではない。また、中国の現政府を正統性のないものと思うけれども、それは、あくまでも「システム」に対するものであって、中国の人々に対しては親近感を抱いている。

ビデオ流出を支持するかどうか。中国の政府を批判するかどうか。結論は同じでも、そこに至る道筋は人様々である。だからこそ、どんな言葉を使って議論するのか、その精度が問題になるのだと思う。

言葉があって良かった。そのおかげで、僕たちはニュアンスを表現し、追うことができる。言論の自由とは、ニュアンスの自由である。そうでなければ、世界は単なる白黒になってしまう。

11月 11, 2010 at 08:57 午前 |