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2010/11/30

スタジオがなくなって、ずいぶんやり方も変わりました。ぼくはねえ、月曜からずっと、編集室にこもって、ずっと編集しているんですよ。

午後11時頃、タクシーでNHKの西口に降り立った。運転手さんが「中に入りましょうか」というから、「いや、信号のところでいいです」と言った。

コンビニの横を抜けて、暗い細い道を行く。自分の身体の一部と言ってもいいくらい、よく知った道。

「S」に入って、パソコンを取りだし、タイプし始めようとしたら、店のガラス窓の外を有吉伸人さんが歩いてくるのが見えた。『プロフェッショナル 仕事の流儀』の放送対応を終えて、やってきた有吉さん。ぼくが座っているのを見ると、小走りに来た。別に走らなくてもいいのに、イノシシのように走る有吉さん。

「茂木さん、会うの久しぶりですね。いつからでしょう」と有吉さんが言う。「有吉さん、最近どうですか?」「いやあ、何かねえ、人生のイベントが全部もう済んでしまったような気がして、さびしい気持ちがありますよ。」「いや、まだまだこれから何があるかわからないですよ。」「そうかなあ」と言って、有吉さんはビールを飲んだ。

「番組、好調ですね! ツイッターのフォローワー数も多いし」「いや、茂木さんのお蔭で随分増えましたよ。」「ぼくだけじゃない。それだけ、番組に強いものがあるんでしょう。」


有吉さんに、最近の番組の様子を聞く。「スタジオがなくなって、ずいぶんやり方も変わりました。ぼくはねえ、月曜からずっと、編集室にこもって、ずっと編集しているんですよ。八〇〇メートルを走っているようなもので、無酸素で運動しているようなもの。一番変わったのはねえ、ゲストの方に会わなくなった、ということですね。」
「あっ、そうか、スタジオがないから、有吉さんがゲストに会うことがなくなちゃったんだ!」

「そうなんですよ。全く別の番組を立ち上げる、というような気持ちで、まあお祭り騒ぎで、ずっとみんなで走っているのですが、須藤なんかは、そんなのを脇で見ていて、自分がそこにいないのは、なんとなくさびしいな、なんて思うところもあるみたいです。でも、須藤が手伝っている小山の『ドラクロワ』も凄い。女性をわしづかみにする、ということを目指して、成功している。一度だけど、『プロフェッショナル』よりも視聴率が良かったことがあったんですよ。」

「えっ、本当ですか?」

「その時ねえ、西口で、須藤に合って、須藤くんもまあ大変だろうけども、がんばってくれよ、と言ったんですが、その上からの目線を神さまが見ていて、逆転したんでしょうね。はははは。」

「でも、番組好調で良かったですね!」

「いろいろ模索しながら、一生懸命やっています。茂木さんのツイッター見ているから、久しぶりという感じもしないけれども。でも、茂木さんのツイッターを見ていて思うのは、茂木さん随分自由に発言するようになったなあと思って。これまでは、随分重く、不自由な思いをさせていたのだろうと思って、申し訳ないと感じる部分もあります。」

「ははは。やっぱり、NHKの番組のキャスターをやっていると思うと、いろいろなことについての発言を、知らずしらずのうちに抑えていた側面はあるのかもしれません。でも、とっても楽しかったですよ!」

「あっという間の4年3ヶ月でしたねえ。」

あの頃、毎週火曜日に打ち合わせがあって、木曜日が収録。収録の後は、ゲストの方とお話しする。そんなリズムで、ずっと4年3ヶ月やっていた。

ちょうど、大学の学部を卒業するのと同じ時間だった、ということになる。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の時間は、今でも濃厚に流れている。


なつかしい、『プロフェッショナル 仕事の流儀』打ち合わせ室での有吉伸人さん。

11月 30, 2010 at 08:33 午前 |

2010/11/29

小説トレンスポッティングの表紙の写真のように、両腕を胸にぎゅっと巻き付けて歩く。

 東京では冬でもコートを着ない。室外にいる時と、室内にいる時で、室外にいるときの寒さを我慢することを選ぶ。部屋に入ったとき、コートを脱ぐのがめんどうくさい。マフラーを巻いただけで、急ぎ足に歩く。

 稚内ではさすがにそうはいかないだろうと、コートを持ってきた。しかし、ペチカに置いたまま、ちょっと外を歩きたくなってしまった。夜。雪が粉になって、下から舞い上がってくる。ウォッカを飲んで喉が渇いたからと、自動販売機を探した。しまった、温かいのはコーヒーしかない。それでも良いと買って、再び歩き始めた。
 
ぶるる。これは、まずい。命の危険を感じる。風が吹くと、うわあとなる。小説トレンスポッティングの表紙の写真のように、両腕を胸にぎゅっと巻き付けて歩く。早く早く! 稚内の資料館にたどり着いた時はほっとした。しかし、ドアは自働ではない。

ここは、遅くまでやっているな。稚内の上に、大きな長い棒が浮かんでいる。サハリンって、近いな。しかも、サハリンから大陸はさらに近い。稚内の横田耕一市長に、フェリーのことなどいろいろ聴いた。ビールが、100円で飲めるそうだ。一番北まで行こうとすると、三分の二は砂利道だと。

 「カチューシャ」のロシア語が聴けるかしら。サハリンの少数民族の人たちの写真に魅せられる。世界は深い。どんなに暗い夜の闇よりも深い。

11月 29, 2010 at 05:42 午前 |

2010/11/28

ワゴンタクシーの座席で、コンビニ袋に包まれた下着をまくらにして、コートをはおり、寝転がって星空を見ている。

京都。

相国寺の承天閣美術館で、伊藤若冲の『動植綵絵』中、「雪中金鶏」図の精巧なレプリカを前に、若冲について、有馬頼底館長について、そして京都についてお話する。

素敵な時間となりました。毎日放送の本郷義浩さん、ありがとうございました!

紅葉で、大変な人出。空いている道を選んで移動する。
京都駅の近くにある、PHP研究所京都本部。島泰幸さんが、浮かぬ顔をしている。

「実はですね、茂木さん」
「はい」
「北海道地方が、明日の朝にかけて、低気圧が通過して暴風になるかもしれない、そうすると、稚内への飛行機が飛ばないかもしれないのです。」
「はい」
「なので、今日、夜、千歳についたら、そのまま車で稚内まで移動することになりました。」
「!」
「すみません」
「飛行機は何時に着きますか?」
「夜の9時40分です。」
「稚内には、何時頃着きますか?」
「午前3時30分くらいには着くのではないかと思います。」
「ひええ!」

ブリザードになるかもしれない、そんな情報も入る。とにかく、稚内に行かねばならぬ。

島さんと二人で、「はるか」にて関西空港に移動する。暴風雪の中での移動になるかもしれぬ。なかば無意識のうちに身構え、準備をしようとしている自分がいる。

「トンカツ食べましょう!」

チェックインをした後、ブリザードに備えて腹ごしらえをしようと思った。生ビール。しばらく考えたが、ヒレではなくロースにした。冬眠前に、脂肪をたくわえる熊の気分である。島さんはヒレ。

千歳空港で寺田昭一氏が合流。これからワゴンタクシーに乗って、一路稚内を目指す。運転手さんも、ご苦労さま。
座席にすわって、コートを着て、下着の入ったコンビニの袋をまくらにして寝転がった。

はっと気付くと、車が停まった。道の駅。暗がりに白い線が見える。海の近くらしい。「おびら鰊番屋」という文字。トイレに行き、再び走り始める。時刻は午前0時過ぎ。

まだ嵐にはなっていない。人生、どんなことも、思ったよりはひどくならないものだな。

寝転がる。周囲は真っ暗。車は走る。ガラスの向こうに、奇蹟が広がっていた。きれいな星空。オリオンがくっきり見える。そうして、冴え冴えとした半月。宇宙と一体となる。

ワゴンタクシーの座席で、コンビニ袋に包まれた下着をまくらにして、コートをはおり、寝転がって星空を見ている。何万光年もかけて届いた星が、脳髄に刺激を与えて、私の一部になる。私は、稚内に向かっている。美しいものは、不意打ちで訪れる。ブリザードの中、さびしくみじめな思いで移動し続けることを想像していたけれども、そこにあったのは人生の浄化であった。

ホテルに着く。運転手さん、本当にお疲れさま! 握手をして、それからポケットの中にあったフリスクを差し上げる。部屋に上がる。午前2時30分。もうどこも開いていない。自販機を見つけ、サッポロクラシックを飲む。空を見上げたら、もう雲一杯の様子だった。あの星空は一期一会だったのだろう。夢の中で、もう一度。

11月 28, 2010 at 11:02 午前 |

2010/11/27

国会運営、ムダが多すぎる。仕分けをしてもらってはどうか?

問責決議のような無駄なことをしている時間があるということは、つまり国会議員は暇なのだろう。不思議な話である。国政の難問、課題は山積しているというのに。

立法府たる国会の責務を果たそうと思ったら、現状、政策についての調査、研究、議論、それこそいくら時間があっても足りないはずだ。センセイ方の時間の使い方にとやかくものを言う筋合いではないが、国会運営、ムダが多すぎる。仕分けをしてもらってはどうか?

日本の国会で以前から不思議なのは、単なる数合わせになっていることである。政党は大事だが、一方で議員はそれぞれその判断力を買われて当選したはずであり、個々の案件について、自らの経験、良心、判断に従って投票する、ということがなかれば単なる数合わせの駒になってしまう。

党議拘束はある程度は必要だが、それが数合わせになってしまうと、要するに議員はろくに勉強しなくても党の方針に従って投票するロボットとなる。それでは、判断力を培うon the job trainingができぬ。

繰り返しになってもうしわけないのだが、政治部の若手記者よ、政局報道を断固拒否せよ。そんなくだらないことについて記事を書くために新聞記者になったんじゃないんでしょう。日本の将来を左右する政策課題について、自らも考え、誰が考えて、よい情報を持っているのか、そういうことを書いてください。そうじゃないと、ジャーナリストとしての腕は、一向に上がりません。

「小沢氏招致見送り 攻撃材料いっぱい、野党がカード温存」

「進退は総理がお決めになる」仙谷氏、揺れる自負心」

現在のasahi.comの見出しだけれども、こんな政界総会屋みたいない記事、書いていて楽しいのか? もうしわけないけど、こういうのは、速攻でディスります。TEDみたいになってください。

11月 27, 2010 at 09:02 午前 |

2010/11/26

海で荒波にもまれている漁師が、数日間陸に上がる、そのような狭間

歌舞伎役者というものが、いかに過酷な稼業であるか、なかなか想像できるものではない。

公演が始まれば、ほぼ一ヶ月、休みなしで演ずる。一番大変なのは、昼夜通し公演で、朝から晩まで、休みなしに台詞を吐き、舞台を飛び回り、見得を切らなくては行けない。

声を整え、体調を維持する。その努力は大変なものである。だから、本公演中は、市川海老蔵さんは文字通り劇場と家、あるいは宿舎を往復するだけで、お酒を呑んだりといったことは基本的にしない、そのように聞いている。

歌舞伎役者のオフは短い。公演が終わって、次の公演まで数日間。その間に稽古をつけ、台詞を覚え、初日はもう完璧にこなさなければならない。

それは、人間だから、気晴らしは必要だろう。その息抜きを、公演の狭間のわずか数日でやらなければならない。連日飲み歩いているのではない。海で荒波にもまれている漁師が、数日間陸に上がる、そのような狭間でのことなのである。

海老蔵さんが『伊達の十役』をやった時、当たり前のように見事に台詞を言い、立ち回りをして演じているのに感動した(http://bit.ly/el40iM )。舞台に立てば、もう言い訳はできぬ。海老蔵さんの演技を楽しみに、やってくるたくさんのお客さん。そこでの見事な役者ぶりを見たら、オフの日くらい少しは息抜きして欲しいとおもう。そうじゃないと、体力的にはもちろん、精神的に持たない。

もともと、「かぶく」ということはどういうことか、日本人はもう一度考えてみたらどうか。日常を超えた人間のスケールを自らの肉体描くために、役者がどれだけのことを耐えなければならぬか。そこには凄まじき修羅場がある。たまには朝まで呑んだって、いいと思う。

記者会見に身体的、精神的に耐えられなかったというのはおそらくは本当で、それだけ生真面目だということである。その前日に飲むということを、学級委員はけしからんというのだろうけれども、歌舞伎役者としての以上のような過酷な生理に寄り添って考えれば、よくわかる話である。

結局、悪いのは殴った方。ぼくは何があろうと市川海老蔵さんを支持する。一日も早い回復をお祈りしています。

11月 26, 2010 at 07:39 午前 |

2010/11/25

おお、世界がステレオで聞こえている!

アメリカに行く飛行機の中で、右耳がおかしくなった。気圧で一時的に変調するのはいつものことだけれども、地上に降りても変わらなかった。風邪を引いていたということもあるのだろう。そのことをツイッターで呟いたら、どうやら航空性中耳炎などというものらしいことがわかった。

さて、困った。もともと携帯電話は左耳に当てる。左耳優位のはずなのだが、右耳でも聞こえないとなかなか認識しにくいらしい。ホテルの自分の部屋で留守電を再生してみると、右耳は左耳の3分の1くらいの聞こえ具合らしかった。しかも、周波数のバンドが偏っているような気がする。

サンディエゴの街に出て、ノイズがある環境になると、ますます右耳が聞こえにくかった。ずっと、何かが詰まっているような気がする。仕方がないので、レストランなどに座る時は、必ずみんなが左側に来るような席にした。それでも聞きにくかったが、なんとか誤魔化していた。

滞在3日目くらいに、小指を外耳道に入れて、少しひずみをかけると、一瞬左耳が通ったような感覚になることを発見した。じゅわん、と耳の奥の方で何かが動くような気がして、そのあとすっと爽やかになる。音も、その時はよく聞こえる。でも、2、3秒でしゅーっと元に戻ってしまう。そのコントラストがある意味では面白くて、歩きながら小指を入れて、じゅわん、しゅーを繰り返していた。そうしたら、外耳道が少しヒリヒリし始めた。

みんな医者に行けという。しかし、会議中にて、いく暇がない。帰りの飛行機の中でまた気圧差ができたら治るかな、と期待した。ロサンジェルスから乗る時、どきどきした。成田に到着する2時間くらい前に、右耳が「ばりばりん」と紙を破るような音がして、通ったような気がした。気圧差に反応したのだろう。治った! と喜んだが、地上に降りてしばらくすると、また右耳が詰まっているような気がする。

医者に行くとしたら、帰国の翌日の土曜日だったが、結局あれこれと取り紛れて、行くことができず。そのまま、日曜、月曜、火曜と日が過ぎて、右耳は相変わらずふさがった感じのままだった。脳というのは不思議なもので、次第にその状態に慣れてくる。携帯で117にかけて実験して見ると、左に比べての右の聞こえ具合が、最初は3分の1程度、次は半分、やがて7割くらいになって、それ以上は改善しなかった。困ったな、と思ったが仕方がない。

みんな、耳は怖いと脅かす。しかし何しろスケジュールが詰まっているので、医者に行く暇がない。それでも、少しずつ良くはなっていたのだろう。

昨日、夜に外を歩いていたら、突然、耳がすーっと通ったような気がした。鼻に指を突っ込んで、ふーんと息を詰めてみると、右耳が「ポコペン」と言う。その瞬間、すべての音が、「ステレオ」で聞こえ始めた。

「おお、世界がステレオで聞こえている!」

もともと、そんな風に聞こえていたのが、耳が詰まっている間、モノラルになっていたのだろう。自分の声も、「ああ、こんな感じだったか」と戻る。

今までにないくらいに、右耳が通っている。ずっと、ステレオで聞こえている! コンビニの前を通るとき、一瞬詰まった感じになったが、ふーんとやるとポコペンと戻る。詰まっても、ロウを入れた感じではなく、シャボン玉がぽわんと壊れるように元に戻る。

今朝は、ずっとステレオで聞こえている。どうやら治ったらしい。13日の飛行機以来、ほぼ11日かかった。この間、ずっと辛かったけれども、何とか切り抜けた。世界がステレオで聞こえるだけで、何という恵みだろう。健康はありがたい。耳さん、ありがとう。

11月 25, 2010 at 07:25 午前 |

2010/11/24

東アジアの現状に鑑みて、どのように「ソフトランディング」できるのか。

 北朝鮮が韓国の島を砲撃したというニュースは、携帯メールで知った。朝日新聞のニュース速報に登録してあるのである。

 通常のニュース速報とは深刻度の違う由々しき事態であり、移動しながらも、ニュースを刻々とチェックした。日本の政治も、国会審議の取り引きなどという愚なことをやっている場合じゃないだろう。

 日本が位置する東アジアの情勢を冷静に考えれば、緊張感を持って未来に向き合うしかない。朝鮮半島は南北に分断され、北はどのような国かと言えばご存じの通りである。一方、中国は経済発展を遂げ、一人ひとりは魅力に満ちて活気があるが、政治体制についてはご存じの通りである。「北朝鮮」と「中国」という、世界の民主化、自由化の趨勢から取り残されて「タイムカプセル」に入った化石のようなシステムが存在し、しかも大きなウェイトを占めている。そのような地域に、私たちの国日本はある。

 民主主義はさまざまな欠点を抱えつつも、それなりに「持続可能」なシステムである。「選良」と言うには顔を曇らせざるを得ない候補者も時々には見られるけれども、曲がりなりにも議員を選び、政権交代を実現することもできる。それが失望に終わっても、変化がないよりは良い。

 一方、北朝鮮や中国の体制は、そもそも「持続可能」ではない。持続しようとすれば、さまざまな軋轢、無理が生じるのは私たちが知る通りである。このような東アジアの現状に鑑みて、どのように「ソフトランディング」できるのか。考えるほどに難しい連立方程式であり、自らのプリンシプルが問われる現場である。日本国内で、小さなことにいちいち囚われている場合じゃない。

 韓国、台湾という、価値観や政治体制を共通する国との連携をさらに深めるとともに、東アジアの将来をどうするのか、真摯な検討を政治家たちには加えてほしい。政治家がヴィジョンを持たずに、誰が持つ? 日本のメディアも、下らない政局報道に時間を割かないでほしい。韓国であのような事態になったら、国会の審議をうんぬんというようなニュースは、一気になくなった。もともとなくても困らない些事だったということだろう。だったら、最初からエネルギーを使うな。

11月 24, 2010 at 07:38 午前 |

2010/11/23

山に来る度に、とらわれちゃいけないと反省する。

山に来ている。夕暮れに、雲海が見えてきれいだったな。早く眠ったから、その分早く起きてしまった。

スキー場のためのリフトを、夏に使うのは好きだ。ぐっと上がってしまい、それからだらだらと斜面を降りてくる。木立があったりすると、そこにミドリシジミ類がいることが多い。

キラキラと、まるで空気そのものが析出したような。

山をみるといつも凄いと思うのは、その中の方にある岩とか、土とか、そういうものがぎゅうぎゅう回りから押されて、動かなくなっているということで、動かないまま何千年、何万年も経つのだから気が遠くなる。地表でふらふらしている我々の分子は、地球全体から見たらごく少数派だよ。ほとんどの分子は、内部で、ぎゅうぎゅうづめになってなかなか動けないでいるよ。マントル対流や大陸移動で、やっと少し動くよ。時間というのは相対的なものだね。本当に凄い。

だから、とらわれちゃいけないんだろうね。山に来る度に、とらわれちゃいけないと反省する。

11月 23, 2010 at 04:44 午前 |

2010/11/22

お願いです政治報道と、政治報道に関わる方々を、尊敬させてください。木村秋則さんのりんごをありがたく頂く。

大臣が「失言」をした。その「問責決議」をすると、野党が息巻く。数日にわたって、この国の政治報道が、その問題で一色になる。これが壮大な無駄と感じるのは私だけだろうか。

たまたま目にすることが多いNHKのニュースが基準になっているけれども、日本の政治部の記者はなぜこんなに「政局」が好きなのか。政局が、新しい政策の醸成に役立ったという話は寡聞にして知らぬ。議員の責務は政策であり、立法である。大臣の責務は行政であり、総理大臣は、この国の将来についてのヴィジョンを示さなければならない。そして、ヴィジョンを示すことはどれだけ大変なことか、本当に判っているのかな。

TEDはとても良い模範になっている。Derek Siversのトークは、「社会運動をどう起こすか」(aka 裸踊り)以外にも二つあって、三つとも面白い。斬新な切り口で、三分以内でコンサイスに提示する。そのためには、どれくらいの叡智が濃縮されなければならないか、少し考えてみたら、大臣の失言で問責決議をするなどという茶番にバンドウィドスを割り振っているのがいかに無駄なことか、わかるはずだ。

新聞にしろ、テレビにしろ、記者の方々は本当は学問も見識もあるのだから、茶番を報道する以外の「魂の仕事」に奔走されたらどうかしら? 考えるべきことは、たくさんある。ベーシックインカムの問題とか、教育プロセスの構築、地方分権。少子化、グローバリズム。「愚鈍なふりをするコンテスト」を開催している場合ではなくて、世界のクリエイティヴ・クラスの坩堝に飛び込んで、切磋琢磨しないと人生がもったいない。

お願いです政治報道と、政治報道に関わる方々を、尊敬させてください。木村秋則さんのりんごをありがたく頂く。

11月 22, 2010 at 07:55 午前 |

2010/11/21

歴史が渦を巻いている。そんな中で、日本が、ろうそくの光となれば良い。

イリヤ・ファーバーがアメリカからシンガポールに帰る途中で東京に寄ったので、会った。

イリヤと、最近の日本と中国の話をした。

「日本にも、保守化とか、国家主義の傾向が見られたんだけど、中国とこういうことになったので、かえってよくなった。中国と比べて、日本の特徴は、民主主義や自由だと、多くの人が認識し始めたから」と言うと、イリヤは、「中国本国は、その歴史上、かつて、民主主義や自由を経験したことがないから」と言った。

ウィキリークスの話をして、「どう思う、イリヤ? ぼくは、自由という視点から、尖閣諸島のビデオが流出したことについて賛成したけれども、中国との対立を望む人たちも、ビデオ流出を歓迎している。異なる意見を持つ人が、同じ結論に達しているわけだけど」と言うと、イリヤは、「そうだね、世界の歴史を振り返ると、異なる意見の人たちが同じになることで、結果として変化が起こることが多い。そういうこともあるのではないか」と言った。

イリヤのホテルに送って行く途中、イリヤが、「9時から5時に働くという仕事は、持ったことがなかった」と言うから、「オレもそうだ」と答えた。しかし、イリヤの様子が少しヘンだ。良く聞くと、「今までは9時から5時に働くという仕事は持ったことがなかったけれども、今はそうなった」ということだった。

「へえ。嘘でしょ? 研究している人って、そういうスケジュールじゃやってられないでしょ」と言うと、イリヤは、「シンガポールでは、そうなんだ。タイムカードは別にないけれども、9時から5時までオフィスにいるのが当たり前だと思っていて、いないと、後でいろいろ言われるんだ」とさびしそうに言った。

歴史が渦を巻いている。そんな中で、日本が、ろうそくの光となれば良い。

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11月 21, 2010 at 10:28 午前 |

2010/11/20

鯉沼さんはそれで売って、岸尾さんは人生をジュウウソウすれば良い。

サンディエゴから、ロサンジェルス経由で帰国。成田空港から、車で都心へ。集英社がご用意下さった。まずは有楽町の東京フォーラムへ。Mitsubishi Chemical Junior Designer Awardの表彰式。日比野克彦さんの横に座った。私の審査員特別賞は、阿部晴果さんの『自閉症って?—我が家のこうちゃんー』。身近な家族のこと。とてもよく書けている。出版される予定があるということで、楽しみである。

21日までMitsubishi Chemical Junior Designer Award受賞者の展覧会が東京国際フォーラムで開かれ
ていますのでみなさん是非。

都築恭一さんがプロデュースしたスナックが新丸ビルの中にあって、何回か行ったことがある。「あそこはいいですね」と言うと、四谷荒木町に自分で経営する店があるのだという。「ぼくがカウンターの中に入って、氷を割ったりしています」というから、「えっ」と驚いた。都築さんいい感じ。飛ばしている。一緒にいた植田工も、「いい感じですね」と嘆息する。

開高健ノンフィクション賞の受賞パーティーの会場へ。吉田修一さんがいらしたのでお話する。今年の柴田錬三郎賞を受けられた。共通の知人である束芋さんのことなど。一作ごとに進化する吉田修一さんは本当に凄いと思う。

開高健ノンフィクション賞、今年の受賞者は角幡唯介さんの『空白の五マイル』。昨年の受賞作、中村安希さんの『インパラの朝』は大変売れた。『空白の五マイル』は17日発売で、好調とのこと。集英社の鯉沼広行さんいわく、「開高賞乗って来ました。」

集英社の岸尾昌子さんは、「重曹」に詳しくて、ときどきテレビにも出ている。顔を見て、「よっ、重曹博士!」と声をかけたら、本人が、「そんなのじゃないんです」と照れる。

岸尾さんには、日高敏隆先生と行ったコスタリカで御世話になった。「日高敏隆さんの奥様にいただいた形見のアロハシャツを着て、今度はブラジルに行きたいですね」と岸尾さんに言う。「ブラジルジュウソウ」したい。「ジュウソウ?」と鯉沼さん。「そう、ジュウソウ」。

「茂木さんのせいで、ぼくはゲイであり、著者を酷使する編集者であるという噂が立って困っているんですけど」と鯉沼さん。「そんなこと言ってないよ」と僕。「いっそ、それで売ればいいんじゃない」と岸尾さん。人それぞれの秋深まる。

11月 20, 2010 at 09:02 午前 |

2010/11/19

進化して形は変わるとしても、おもちゃは一生手放してはいけない。

帰りの飛行機の中で、『トイ・ストーリー3』を見た。行きで1時間くらいのところまで見て、そこで意識を失っていたのである。コントローラーで早回しして、確かこのあたり、というところから再生した。

本当は大人向けの映画も何本か見かけたのだけれども、どうも気乗りがしなかった。大人って、生きるエネルギーがもはやピュアじゃなくなっているから。

良い映画だったと思う。特に、おもちゃたちが戻ってきて、大学に行く男の子が箱に入れて女の子のところに持っていった後がよかった。

「これで遊んでね」

一つひとつのおもちゃを大切に愛おしみながら女の子に紹介し、別れを告げていく。

これまで自由に動き回っていたおもちゃたちが、ぐにゃっとなって表情を変えることもなくただなすがままになっている。このコントラストが卓越した効果をもたらしていた。おもちゃたちだって、大学に行く男の子との別れが哀しいはずなのに、無表情である。ここにぐっと来るのであろう。

実は、少し涙が出た。となりで大学のプレゼン資料を作っていた方は気付いたかしら。

アメリカ映画は子ども向きのがいいね。大人向けのは、精神的にちょっと油断しているところがある。世界で一番豊かな国だから。それに、そもそも、「おもちゃ」は人間にとって最良の道具である。大人になっても、すぐれた仕事の背後には、かならず「おもちゃ」がある。トイ・モデルというくらいだから。進化して形は変わるとしても、おもちゃは一生手放してはいけない。

11月 19, 2010 at 05:13 午後 |

偶有性に向き合うには、実はプリンシプルが要る。試されるんだね。

 サンディエゴからの飛行機が濃霧で飛ばなくなり、代替バスでロサンジェルスに来た。

 イギリスでも経験があるが、こういう時アングロサクソンは冷静である。最初からトラブルが起こることを前提にシステムを組み上げている。ロンドンからケンブリッジの列車は途中でよく停まったが、すぐにバスが来た。乗客たちも、慣れているのか、黙々と従っていた。

 移動しながら、携帯でツイートした。以下は、その顛末。

_____ツイート始まり

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、サンディエゴでおはおう! 荷物まとめてホテル出るなり。

ひええ! 霧で飛行機とばず。ロスまでバスで移動だって!!! 大丈夫か? 間に合うのかな?

すでにバスは走り出した! サンディエゴからロスは、二時間半だって! 成田便に間に合うんかい?

それで、バスの運転手がカーナビでロサンゼルス空港を検索してる!

バスの運転手が三分間! と言って、車を止めた。ガソリンスタンドで給油完了!

バスの運転手、まだまだカーナビいじる。「都市を入れて下さい」「通りを入れて下さい」と女性の合成音声。大丈夫か?

せっかくだからサンディエゴからロサンゼルスの景色を楽しもうと思ったら、霧で見えない。なるほど、飛行機が飛ばないわけだよ。

そもそも、サンディエゴで、チェックインが異様に遅くて(今考えると運行状況を見てたんだね)、オレ自動チェックイン機で自分でやったんだよね。

だから、成田行きはまだ手続きしてない。それも心配。

ラジオで、空港にお出かけの際は運行状況を確認してくださいと言っている。遅いわい!

ハイウェイパトロールが抜いて行った。はいうえー!

標識見てるとまだサンディエゴ市内らしい。広いなあ。

濃霧で飛行機飛ばず代替バスで5号線をロサンゼルスに向かって北上中!

今カリフォルニアは朝の8時半。本当に濃い霧に包まれている。

いかんいつの間にか寝てた。

もうロスだ! 晴れてる!

LAX AIRPORTという標識! ヤシの並木!

余裕だ、と思ったのか、運転手が英語じゃない言葉で話し始めた。

チェックインできた!

今日本への航空機出発ターミナル内。ところが何もないところで、倉庫みたい。シーズしか売っていない。ぶらぶらもできないので、出発まで仕事!

それでね、代替バスの運転手がいよいよLAX が近づいて話始めたのは、スペイン語じゃなくて、アフリカのどこかの言葉らしい、しかし愛らしい響きでした。みんなうれしくてさ、ぼくも少しチップあげちゃった。ハヴ・ア・ナイス・デイ。うん、できるような気がする。

______ツイート終わり

 ふだんから、偶有性は脳にとっての栄養だ、それに適応することで学ぶ、と言っているんだから、こんなことくらいでつべこべ言ってはいられない。

 それにしても、英米の偶有性に対する強さは注目すべきで、だからこそ彼らは七つの海を制覇したのかもしれぬ。戦争にも負けないし。偶有性に向き合うには、実はプリンシプルが要る。試されるんだね。

 そういえば、まだ朝ご飯食べていないや。午前11時か。飛行機の中で何か食べて寝てしまおう。

11月 19, 2010 at 03:55 午前 |

2010/11/18

「神を失うと、人は、醜さに近づく。仕方がない。祈るだけさ。」

会議の合間、サンディエゴ動物園に行った。旭山で有名になった「行動展示」で知られているところだそうである。

近づくと、タクシーの運転手が、「おい、知っているかい、この先はゲイ・エリアだぜ」と言う。「そうなんだ。でも、合法なんでしょ」「見ろよ、そこが、この国の問題点さ。自由過ぎるんだよ。」「なるほど。」

改めて横をちらっと見る。おそらく、アフリカから来たと思われる運転手さん。

「帰りはここにタクシーが停まっているから」

と親切に教えてくれた。

動物って不思議だな。いろいろな形をしている。縞があるやつとか、鼻がぐにゅんと突き出しているやつとか。檻から檻へと巡っているうちに、不思議な気持ちになってきた。グレゴリー・コルベールと話したとき、彼は都会を「種のゲットー」と言っていたけれども、確かに普段人間ばかり見ている。

オレの身体も、毛があんな風に生えて、ぶるぶると肉がついていたら、どんな感じだろう。人間に尻尾があったら、何に使うだろう。受験生はもっと勉強しろ、と自分をむち打つかも知れぬ。

シロクマが二人で水の中でじゃれていた。スローモーションで踊っているようで。星闇のようなスケール。もう、それだけで満足。サンディエゴ動物園、ありがとう。

帰りのタクシーの運転手は、髭を生やしていた。「ここから先はゲイ・エリアなんだって?」「わかるだろ、祈るだけさ。」「祈る?」「この国は自由になり過ぎた。仕方がないよ。神を失っちゃったんだから。」「そうか。」「神を失うと、人は、醜さに近づく。仕方がない。祈るだけさ。」「どこから来ましたか?」「エチオピア。7年前に来た。」「エチオピアは、今は平和になったでしょう。」「うん、そうだ。昔はひどかった。今は復興している。日本もだいぶ投資しているよ。」

二人の子どもがいて、アメリカは教育費が高いから大変だという。「全額免除の奨学金に通るといいんだけど。」

橋を渡って、島に入る。車がホテルに近づいた。

「よく働け、それが神の言葉さ。」

握手して別れた。見上げると、雲の向こうに太陽が見える。その光の様子が、どうしても11月には思えない。

11月 18, 2010 at 02:35 午前 |

2010/11/17

思春期はいつもふわふわしていたナ。

Ilya Farberが、Chopstixというレストランに行こう、行こうというから、どんなところなのかと思っていた。

サンディエゴ生まれ、育ちのイリヤ。5番街を彼と歩きながら、全てが懐かしく見えているんだろうなと思った。ノスタルジアに包まれている人の隣りにいるのは、なぜか心地良い。こちらまで温泉に入っているよう。イリヤの表情もどこかやわらかい。

じゃあ、行くかというのでタクシーに乗ったら、どんどん行く。「ラッシュアワーなんだよ」調度5時30分過ぎ。残業があって9時10時普通というのは東京スタイル。ここは、東京から遠く離れて。どんどん走って、郊外の何の変哲もないモールに来た。

「ここさ」「ここか」。

入ると、日本のビールのポスターやカレンダーが貼ってある。ははあ。日本びいきのイリヤのこと。こういう店に連れてきたかったんだなあ。

懐かしい。まるで日本にいるみたい。御主人に聞いたら、サンディエゴは軍港だから、沖縄にいたことがある人が多いのだと。

それでも、麻婆ラーメンがある。田谷が麻婆カツ丼に挑戦した。

「もう一つ行こう!」Extraordinary Deserts。アメリカにしては、お洒落な店である。

サンディエゴに来て三週間という留学生の人にあった。

「この店に来ているカップルはね」とイリヤの解説。「ステディというよりは、最初のデートか、あるいはふわふわと他の相手を探しているような、そんな人たち」。

「アメリカのデザートはホイップクリーム」とイリヤ。彼のパフェを指で舐めてみた。ふわふわと甘い気持ちがした。懐かしいよ。思春期はいつもふわふわしていたナ。

11月 17, 2010 at 03:49 午前 |

2010/11/16

サンディエゴの朝は、白湯にて用いるべし。

高野さんのポスターのコアタイムは16時から17時まで。17時になったら、巨大な会場の明かりが消えて、「出なさい」とアナウンスが流れ始めた。SfNって、こんなに厳密に時間コントロールしてたっけ?

人数を確認し、ソッコーでブルーポイントに電話をして、予約した。何しろ3万5千人の巨大学会なので、へたをすると夕食難民になる。皆、会場からわらわら通りを歩いていて、近いレストランから満員状態になるのだ。

思い出のブルーポイント。さまざまなマティーニが名物で、サンディエゴに来たら一度は行かないと気が済まない。テーブルに着き、マティーニを注文すると、いやあ、無事に生きていて、またここに来たねえ、とついニコニコしてしまう。

今回私が借りている部屋が広いので、レストランの後もそこで飲もうということになった。ぼくは早めに帰って部屋をチェック。しまった。へんな時間に「don’t disturb」をかけていたから、ベッドメイクをしてくれていない。ピンポンと音がしたので、youtubeで桑田佳祐さんがいろんな曲をカバーして歌っているのをかけた。(オーディオテープの写真のやつ)。

いつの間にか、床の上で寝ていた。田谷文彦が、youtubeをいじってシンフォニーをかけている。「これ9番だっけ?」「いや、5番でしょう」。9番でも5番でもいいけど、いい曲だね。

人間、眠り始めると眠れるもので、10年振りの12時間に続いて、昨日も9時間眠ってしまった。外はもうすっかり明るい。飲み残しの赤ワインを捨てて、グラスをゆすぎ、それからコーヒーを飲もうとして豆がないことに気付いた。昨日部屋掃除がなかったから、豆もないのだ。

仕方がないので白湯を飲んだ。ゴボゴボ音がしても、あのいい香りは漂って来ない。サンディエゴの朝は、白湯にて用いるべし。

11月 16, 2010 at 01:33 午前 |

2010/11/15

この「おおそうか!」は、過去1年間において、もっとも力強いものであったと断言して良い。

 学生たちと、夕刻のサンディエゴを歩き始めた。Society for Neuroscienceは、何しろ3万5千人が来る大学会なので、レストランに人があふれて「夕食難民」になることが多い。それで、できるだけ学会会場から離れる方向に歩いていこうね、という作戦に出た。

 ラッキーなことに、1分も歩かないうちに、比較的空いている店があった。しかし、微妙なことにブラジル料理である。

 「おい、ブラジルだってさ。どうする?」

 うーん。しかし、中を見るとなかなかに魅力的なサラダバーがある。

 「よし、ここだ。入るぞ!」

 入って、とりあえずビールを注文して、さて料理、と思ったら、ウェイターのビルが、「まずはサラダを食べろ!」と言う。「それから、これをひっくり返せ!」という。

 「これは何であるか?」

 「肉を食べるというサインである。上が赤だったら、今は要らない。上が緑だったら、肉が欲しいと
いうサインである。十六種類の肉を持ってくるであろう。好きなだけ食べればいいであろう。」

 「おおそうか!」

 この「おおそうか!」は、過去1年間において、もっとも力強いものであったと断言して良い。

 おおそうか! 何も考えなくても、サラダ食べて、あとはひっくり返してぼんやり待っていれば、肉が来るのか!

 ブラジル料理に入って、案外ラッキーだったかもしれない。オレたちって、ついているかもしれない! 

 込み上げる喜びに、思わず「ふはははは、ふはははは」と笑う。

 ゴホゴホ。

 「茂木さん、風邪だいじょうぶですか?」

 「だいじょうぶだあ。そして、食うぞ。まずサラダ行くぞ!」

 やがて串刺しの肉がやってきた。少しずつ切ってくれる。「これで手伝え」と言われて、小さなトングで肉をつまんでしゅりしゅりとはがす。この世界観はいい。今まで逃げ回っていたブラジル料理が、一気に好きになった。シュラスコとか言うんだっけ?

11月 15, 2010 at 03:42 午前 |

2010/11/14

アメリカ人の島国根性の方が、わかりにくいだけに質が悪い。

 サン・フランシスコで乗り換えて、サン・ディエゴ行きのユナイティドの機内は、もうアメリカ国内の雰囲気。

 隣には、大柄のアメリカ人。こんな時、思春期は、日本語の本を読むのを何となく気後れしたものだが、今では平気になってしまった。内田百閒の「阿房列車」を読む。しかし、すぐに眠ってしまった。

 目を覚ますと、テレビモニターに見慣れた黒人の男が映っている。この人、だれだっけ? と考えていて思いだした。僕が大好きな、「30 Rock」というコメディ。飛行機の中でやっているのしか見たことないけど、NBCを舞台にした制作のドタバタのようなもので、きっとNBCで流しているのではないかと思う。

 しばらくうとうとして、また意識が戻ると、こんどは細長い顔の人が映っていた。そうそう、この人、ブラックアダーなどのイギリスのコメディに欠かせない役柄だったヒュー・ロウリー。その後、アメリカで「ハウス」というドラマに出ていると聴いたときにはびっくりした。あんなにブリティッシュで、発音もブリティッシュな人が、アメリカなまりの英語を喋るところを、想像できなかったからだ。

 だけど、ヒューはそれを非常に巧くやっているらしい。ユナイティドの機内は、音声がなかったからその声を確認できなかったけれども、「ハウス」らしいドラマの中に映るヒューは、すっかりアメリカっぽくなっていた。

 すごいな、ヒュー。今、アメリカのテレビ・ドラマ界で、最もギャラの高い役者らしい。大成功と言えるだろう。でも・・・再び意識を失いながら、考えた。「ブラックアダー」での、あの、間抜けで大げさ、しかし真っ直ぐな青年将校役と、どっちが後世において、優れた業績として評価されるんだろう。「ブラックアダー」の時のギャラは、「ハウス」の10分の1とか100分の1、あるいはそれ以下だったのだろうけれども。

 サンディエゴに着く。大柄のアメリカ人を追うように飛行機を降りながら、突然笑いだした。なんだあ、島国根性なのは、日本人もアメリカ人も同じじゃないか。きっと、アメリカ人は、みんなが「ハウス」や「30 Rock」を見ていると思っているんだろう。自分たちの喋っている言葉は標準語で、「炊事遠足」は日本中でやっていると信じている北海道の人たちと同じだ。
 
 アメリカ人の島国根性の方が、わかりにくいだけに質が悪い。
 
 サンディエゴの陽光は、明るかった。11月とはとても思えないくらい。ホテルに向かう車から、空母ミッドウェーが見えた。あの上から発進して、着陸するんだから、凄いなあ。

11月 14, 2010 at 09:10 午前 |

2010/11/13

昼間からごろごろしているという生活は夢のまた夢

今週は、風邪で苦しかった。ダライ・ラマ法王とお話したときは、とにかくベストのコンディションでと思ったし、湯浅誠さんとラジオで話したときは、途中で咳き込んで大変だった。でも、なんとか、一週間が終わった。ほっとする。

子どもの頃は、風邪を引くとよろこんで寝転がっていた。プリンとか、ヨーグルトとか、自分の好きなものを食べて、ラジオを聴いて、本を読んで、それなりにパラダイスだった。学校一日も休まない人もいるけど、ぼくは平気で休んでいたな。ラッキー、と思っていた側面がなかったわけではない。


最近は、とにかく何百人という方が聞きに来たり、収録だったり、対談の相手がいたりして、休めないことが多い。だから、風邪で昼間からごろごろしているという生活は夢のまた夢になってしまった。人生、何が楽しいのか、何が得なのかわからない。あそこからここ、ここからむこうへと疾走しながら、ごほごほ、くしゅんをなんとか誤魔化しているよ。誤魔化しているうちに、一週間が経った。しんどかった日々も、ようやく終わり。

今日アメリカに行く。アメリカに入ると、何故か元気になる。何ものかから解放されるのだろう。でも、最近はアメリカのイミグレーションが何かヘンだ。圧迫面接みたいなことをやることがある。一昔前のイスラエルの入管みたい。ぼくはいいけど、いじめられて泣きそうになっている人を見たことがある。オバマの国なんだから、もっとやさしくしてください。

入ってしまえば、昔から変わらない、大らかな人たちの国、アメリカ。

11月 13, 2010 at 08:32 午前 |

2010/11/12

人魚の嘆き

神保町の「人魚の嘆き」が8周年でパーティーがあって、学士会館に行った。すぐに失礼しようと思ったら、なかなか帰れなかった。だって、読売新聞の鵜飼哲夫さんがいらっしゃるんだもの。

鵜飼さんは本当に愛されている。ぼくは愛している。女性のような華奢な身体で、気配りがあって、ブンガクについてはまっすぐに譲らない。そんな鵜飼さんが、サイコさんの右腕としてしきっているんだから。

重松清さんが、「茂木は人と会えば会うほどピュアになる。そこがいいと思っているんだよ。人と交わらないでピュアになる人はたくさんいるけれども。連続ツイート読んでいるよ。今度、涙についてツイートしてよ。」とおっしゃったので、ぼくは今朝そうしました。

綿矢りささんとクオリアの話をした。

鯉沼広行さんが、締め切りのことで、「著者校はとらないといけません」などといろいろ言うので、ぼくはまだ原稿を書いていないし、鯉沼さんはきっとあれはぼくへのプレッシャーとして言ったんだろうし、早めに帰ろうと思ったのだが、なにしろサイコさんが繰り出す演し物が面白くて仕方がない。
御自身の「横綱土俵入り」はすばらしかったし、アコーディオンによるレトロ歌謡も心を動かされたが、何といってもサイレント映画の活弁が良かった。高田馬場の仇討ち。音がないときの身体表現、表情のつくりかたは違うんだね。エイゼンシュタインに通じるカブキの技法。声に頼り過ぎてはいけないね。不自由がかえって生命の泉となる。そして、大好きな小津安二郎映画のパロディー。これは笑ったな。中村伸郎のマネがうまくて、ツボにはまって、幸せで死ぬかと思った。ああ、秋刀魚の味。ぼくの小津安二郎に対する愛は、海のように深い。

お腹が空いたからラーメン食べて、つい鵜飼さんの笑顔が見たくてまた二次会も行っちゃったよ。サイコママはあんなに人が来て、幸せだったろう。愛されているなあ、人魚の嘆き。

でも、無理していたんだね。鏡を見たら、目が真っ赤で目ヤニがたくさん出ていたので、びっくりした。街灯の回りに虹の環みたいなのが見えた。へえ、こんな光学現象が生じるんだね。ヤニ・コート。風邪引いているのに、引っ張っていてはやはりいけない。くるくる回るコマも、時には倒れるよ。また起き上がればいいんだったら。

11月 12, 2010 at 08:44 午前 |

2010/11/11

言論の自由とは、ニュアンスの自由である。

ぼくは、今回のビデオを流出させた人を支持するけれども、それは、「知る権利」という公共の利益においてであって、中国に強硬姿勢を取るという文脈においてではない。また、中国の現政府を正統性のないものと思うけれども、それは、あくまでも「システム」に対するものであって、中国の人々に対しては親近感を抱いている。

ビデオ流出を支持するかどうか。中国の政府を批判するかどうか。結論は同じでも、そこに至る道筋は人様々である。だからこそ、どんな言葉を使って議論するのか、その精度が問題になるのだと思う。

言葉があって良かった。そのおかげで、僕たちはニュアンスを表現し、追うことができる。言論の自由とは、ニュアンスの自由である。そうでなければ、世界は単なる白黒になってしまう。

11月 11, 2010 at 08:57 午前 |

2010/11/10

ダライ・ラマ法王にお目にかかる

ダライ・ラマ法王と対談しないか。この話を持って来たのは、白洲信哉である。
いかにも彼らしく、特別なことは言っていないという素振りで、しかし、事の重要性は十分に把握しているというふうだった。
「もちろん」と私は答えた。光栄なことだし、そんなにある機会ではない。

ダライ・ラマ法王がラサにお戻りになるという話を、私は2006年に発表した小説『プロセス・アイ』の中で書いたことがある。

猊下に会いに、新居浜に来た。聞くに、猊下もまた風邪だという。
出来る限り万全なコンディションでお会いしようと、飛行機の中でも、移動の車の中でもひたすら目を閉じて、眠った。
会場のホテルに着く。何かがすでに違っている。何かを待つかのように、ロビーのあちらこちらに立っている人たちがいる。

日本事務所のラクバ代表や、ダライ・ラマに随行する医師バリー・カーズィン博士、それに今回のイベントを企画された斎藤友巌住職らと昼食をとる。

トイレに行って着替えてくる。白洲信哉が、「あれっ、茂木さんも、ネクタイ着けようと思えばできるんですね。」と笑った。

時間になった。ロビーに降りて、待っている。向こうからダライ・ラマ法王がやっていらっしゃるのが見えた。両側に人がたち、支えるように歩いてくる。体調がすぐれないのだろうか、と心配になったが、そうではなかった。
お目にかかり、ご挨拶する。温かい大きな手。ダライ・ラマ法王は、そのまま、私の手を握って、一緒に歩き始めた。手を握って歩く。だからこそ、両側に人がいたのだ。
初対面で、あれほどの方なのに、一緒に手を握って歩く、というだけで、まるで自分のお爺ちゃんのような、そんな温かい気持ちになってくる。
ラクバ代表のはからいで、猊下と同じ車で運転した。斎藤住職が運転手を務めているのを見て、いきなり、「ホーリー・ドライバー!」と指さされ、猊下は笑われた。
会場に着く。たくさんの人々が待っていて、猊下の姿を見ると、手を合わせる。何だかそのまわりだけ特別な温かさと光があるような。猊下の右側に立ち、私の左手で猊下の右手を握って、私は歩く。

開始の時が来た。猊下が入って行くと、人々が立ち上がって拍手した。お座りになるときに、たっぷりと時間をとって、あちら、こちらと手を合わせて拝むような動作をされた。
それからの二時間に及ぶセッションは、非常に深い、心動かされるものだった。
ダライ・ラマ法王は、これまで多くの科学者と対談されて来たのだという。宗教と科学は対立すると思われがちである。それは、宗教を、盲従して信仰するものと考えるからである。そうではなく、宗教もまた、私たちが住むこの宇宙の「リアリティ」とは何かということを追究する営みなのだと、猊下は強調された。私たちはいかににしてここにいるのか、生きるということはどういうことか? この、「リアリティ」にまつわる探求こそが、宗教の本来の本質なのだという。リアリティを追究する上では、目上のものだからといって無批判になったり、経験的事実を無視してはいけない。ダライ・ラマ法王のお話をうかがっていると、瞑想などの手法こそ違っていたとしても、貫いている精神は科学と全く同じなのだということが肌で感じられた。
私にとっての一つの頂点は、「意識を生み出すのは一つひとつのニューロンではなく、それらの間の関係性である」という命題について、仏教哲学との関係を猊下にお尋ねした瞬間だったろう。ダライ・ラマ法王が追究されているリアリティの感触と、意識の科学の最先端が非常に深いところで結びついているということが、確信されたその感動を、今でも忘れることはできない。

ダライ・ラマ法王は、気配りの人である。私が喉を気にしていると、のど飴をくださった。会場に向かっての通訳の方にも、水をしきりに進める。周囲のさまざまに気を使われる、やさしいその心のありよう。いきいきとしたその神経の動きは、まるで5歳児のよう。それでいて、どっしりとした大地の成熟がある。

対談を終えると、ダライ・ラマ法王は、「これが習慣ですから」と、白い布のようなものを持たせて、私にかけてくださった。ありがたく受ける。もうすっかり、子どものように。

後にラクバ代表にうかがうと、チベット語で、これを持つものは幸せになると書かれているとのこと。

再び、車でホテルへ。「またどこかでお会いしましょう。」しっかりと手を握る。猊下は、おやすみになるということで、ゆったりとホテルの部屋に向って歩いて行かれた。名残を惜しむように、見送る人々の列がある。

バリー博士が、「うまく行ったね! とてもいい雰囲気だった」と言って下さった。「猊下は、私たち科学者の仲間でした」と答えると、バリー博士は笑った。何かが始まったような気がした。

11月 10, 2010 at 06:55 午前 |

2010/11/09

世界が自分に対して陰謀を図っているかのように感じられた夜

風邪だったし、喉も痛かったし、それでも、人の前で話さなくてはならない仕事が続き、一期一会だからと、精一杯声を張り上げていたら、夜には随分ひどくなった。

こういう時は慣れ親しんだ「笑い」に限る。Fawlty Towersで、BasilとManuelがこっけいな音楽を奏でるのを聞きながら、眠りについた。午前2時過ぎとか、変な時間に目が覚めて、ヤクルトを飲んだ。直前には、きっと、「オセロ」で白と黒がぐるぐるする夢を見ていたのではなかったかな。

体調が悪いところに幾つかの知らせが加わって、まるで世界が自分に対して陰謀を図っているかのように感じられた夜。明けたら、大したことはない。太陽が輝いている。世界が崩壊する予感というのは、たいてい裏切られる。命の回復力だね。

先日、講演会の時だったか、お医者さんが「ぴんぴんころりが理想です」と言っていた、その表情が、笑いながらもどこかさびしそうだった。ぴんぴんころりだって、哀しいには決まっている。

11月 9, 2010 at 08:24 午前 |

2010/11/06

日月山水図屏風の頃の日本がどうだったか

ずっとアメリカは遠かったけれども、この数年、やっと近づいてきたかな。

今回の茶会運動でもわかるように、国家の前にまずは個人の自由があり、幸福追求権がある。一切学校に行かずに家庭で教えるホーム・スクールが隆盛しているのも、いかにもアメリカらしい。

日本は、戦国時代はアメリカの感覚に近かったのではないか。自らの基盤は自分でつくり、支える。大名が戦功で領土をもらってがっかりしたという。お茶の名器をもらえると思っていたのだ。そのあたりの美に対する必死なリスペクトも、戦国ならではだ。だとすると、アメリカにもそんな美術があってもいいはずだが。ウォーホルあたりが、後にそんな風に見えてくるのだろうか。

畏友白洲信哉がやっている「白洲正子展」のパンフを見たら、日月山水図屏風が装丁に使われていた。この屏風はいいな。こんな美術が生まれた時代は、日本の誇り。今は、よくも悪くも当代風だ。地上波テレビが好きそうな「美術」を見ると、そこには現代日本人の精神風景が、よく表れている。日月山水図屏風の頃の日本がどうだったかを見るには、現代でも、ある種のアメリカ人の方がかえって参考になるかもしれぬ。


11月 6, 2010 at 09:22 午前 |

2010/11/05

表現の自由

桑原茂一さんのやさしい笑顔が、心からありがたかった。すべては、茂一さんの大きな愛のおかげ。深謝。

「表現の自由」。プロジェクターで、文字を投影する。心を込めた会場つくり。にこにこしながら待っていると、堀江貴文さんが来た。茂一さんに、「スネークマンショーのCD全部持っています」と。

堀江さんは、勇気のある人だと思う。ぶちこわそうとしてくれる。ぼくも、そういうところはあるのだけれども、この半年くらいで、役割は太陽なのだと悟った気がする。

東京大学は日本人しか受けない、あの入試制度が悪い、ガラパゴス化していると批判していた頃、教授をしている親友の池上高志が何となくツライようにしているのを見て、ああ、もうやめようと思った。

地上波テレビも同じこと。もっとネットの自由に学ぶべきだと思うが、現場で身体を張って作っている人がいるから、潰せなんて言えなくなる。

結局、ぼくは人々は自主的に選択しているのだと信じたいのだと思う。アンチからオルタナティヴへ。本当に素晴らしい、良質の別の選択肢を用意したら、人々はもしそちらが優れていると感じたら自ら進んで移動してくるだろう。

移動しなかったら、それは、その人たちが自ら選択してそうしているのだから、仕方がない。ぼくは、どこかでそう信じているのではないか。

ぼくは、堀江貴文さんは素晴らしい人だと思うし、もし上告が棄却されて塀の中で過ごすことになったら、必ず差し入れに行くから、ぼくが何を持っていけばいいか考えておいてください。もちろん、塀の外にずっといることになったら、それは素晴らしいしそう望んでいます。そして、僕の理想は、実は塀がなくなることです。

何があっても、堀江さんのことは大切に思います。

昨日も言いましたが、自然法に反するものをのぞき、脱犯罪化、刑罰化が文明国の趨勢だと思う。一例を挙げれば、個人の薬物所持、使用は脳の依存症を含む公衆衛生上の問題であって、刑事罰の問題ではない。その点、日本はまだまだ後進国です。

アンチからオルタナティヴへ。時にはつらいけれども、変えようとは思わないよ。

11月 5, 2010 at 08:34 午前 |

2010/11/04

『斉唱』

兵庫県立美術館で見た小磯良平の『斉唱』 のことを思い出している。


不思議な絵で、フォーマルの黒い部分の質感がマットで、女の子たちの表情、顔立ちがみな同じである。そうして、瞳が底光りしている。

戦争中の緊張感を背景にして、しかし離れた静謐に至っているという点においては、小林秀雄の『無常といふ事』と同じだ。

小林秀雄が、文章というものは意味がすぐにはわからないように書かなければならない、とどこかで記していると思うが、これは伝えることがコミュニケーション打ち切りであることと関係しているのだろう。

『ゲーテ自然科学の集い』で、久しぶりに布施英利さんとご一緒した。言葉の使い方が、相変わらず面白かったな。力があり、印象深い表現には、必ず断絶の側面がある。言葉も、絵も同じである。

11月 4, 2010 at 07:44 午前 |

2010/11/03

表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。

風花のドアを開けたら、中森明夫さんの姿がまずは見えて、カウンターに近づいたら、すぐ横に東浩紀さんのグループが座っていた。それで、東さんと久しぶりにいろいろ話した。

元気で、言葉に力がある。ブンガク的な言い切りのセンスというのはなかなか世にはないものだから、東さんさすがだな、と思って聞いているうちに、ああ、そうかと気付きが訪れた。

表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。

そうだったのだ。表現するということは、つまり、相手とのコミュニケーション打ち切りの宣言でもあり、だからこそ、表現者は言い訳をしてはいけないんだ。

なぜか、湾岸スタジオでの松本人志さんの表情がうかんだ。松本さんの顔の表情、しぐさ、声のトーン、リズム、調子。それは純粋芸術としての動く彫刻のようであり、それ自体が笑いの神の実体化のようでもある。間近で見ていて、それを私は確かに感じた。

表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。

帰りながら、私はそうツイッターでさえずった。

朝、ぼんやりと考えていたら、岡本太郎さんがパーティーで乾杯を頼まれて言い放ったという言葉が思い出された。

「この酒を呑んだら、死んでしまうと思って飲め、乾杯!」

強い表現というのは、必ずコミュニケーション打ち切りの契機をはらんでいる。久しぶりに、ジョン・バエズを聴いてみようと思った。

11月 3, 2010 at 09:11 午前 |

2010/11/02

「かぶく」ためには勇気を持たねばならぬ

日本橋に三井ホールが落成して、その記念シンポジウムがあった。安藤忠雄さんが基調講演し、その後、私がコーディネーターになって、小林武史さん、野口健さん、それに安藤忠雄さんでパネル・ディスカッションした。

小林さん、野口さん、安藤さんに共通なのは、やたらと元気なことである。小林さんが、その秘密は「ロックンロール」にあると言っていたが、まさに「かぶく」に通じるだろう。

夜、渋谷で「かぶく」ことについてのトークセッションをした。市川海老蔵さんとの対談の本の出版記念である。「かぶく」ためには、自分を捨てなければならぬ。また、世間の通念との予定調和ではいけない。つまりは「かぶく」ためには勇気を持たねばならぬ。踏み切れずに躊躇している人が多いのだろう。

堀江貴文さんが近くで対談を収録していたらしく、いらした。iPhonenの日本語入力の速いやり方を教えていただいた。フリック入力を使う。その時の写真は、鈴木芳雄さんのブログに掲載されている。

新宿に行ったら、渋谷慶一郎や島田雅彦がいた。島田に、「芥川賞、いい作品を選べよ」と言った。心から尊敬する平松洋子さんもいらした。読売新聞の鵜飼哲夫さんがうれしそうだった。

11月 2, 2010 at 08:36 午前 |

2010/11/01

原生林が戻ってきた。

野幌の原生林の入り口に、開拓百年記念塔がある。ずいぶんと大きい。階段を上ろうとしたが、中から声が響いてきたので、自然に森に足が向かった。

どんどん歩いていく。ふと見ると、携帯の電波が消えていたので、もう呼び出せないなと思った。

このまま奥に進んでいってしまおうとも思ったが、17時までには戻れと言われている。どこまで行けばいいのか、景色から自然にわかるはずだ。

かさかさと音がする。気配に包まれる。前方に、ぼんやりと明るくなったところが現れる。白樺が立っている。何となく開けて、気持ちがいい。ああ、今日はここまで来ることになっていたのだなと思って、くるりと踵を返した。

大学の講堂に行くと、学生たちがわんさかいる。いろいろ話して面白かったな。

終わって、講堂の外に出ると、ひんやりとした空気に包まれる。どうやらさっきの原生林が戻ってきた。このまま、しばらくは、都会へも運べそうだ。

11月 1, 2010 at 09:33 午前 |