時折噴火する人は、ふだんの静かな佇まいこそが
ぼくには、トイレを「おしっこやさん」というくせがある。お店では買うのだから、本当は反対なのだけれども、ついそう言ってしまうのだ。
朝ご飯をたべて、露天にいった。「おしっこやさんあるかな」と言ったら、とみお君が「あるでしょう」と言った。入って出たら、今度はとみお君が入っていった。「おしこやさん?」って聞いたら、とみお君は「ううん、うんこやさん」と言った。
なんだ、言葉の使い方、わからないふりして、ちゃんとわかっているじゃないか。
着替えようとしたら、何だかぼくも行きたくなった。そうしたら、とみお君が洋式の方に入っている。くやしかったが、仕方がないから、水が通るパイプをつかんで座った。
出て、脱いで、風呂場に入ってくると、突然とみお君が「もぎさん、もぎさん!」と声を上げて騒ぐ。
ぼくがトイレに戻ったのは、とみお君は入っていたのから知らないはずだが、さては気付いたかな、と思ったら、「噴火した、噴火した」という。
急いで露天に出た。桜島から、もくもくと煙が上がっている。雲とは明らかに違う、くろずんだ色。
ついに噴火した!
今まで鹿児島には十回くらい来ているけれども、桜島は穏やかだった。それが、目の前で噴煙を上げている。ついに、その様子を見ることができたのだ。
「瞬間をみたの?」とたずねると、とみお君は、「風呂にはいって、わきを見ていて、はっと振り向いたら、もう噴いていた」と言う。
脱衣場に戻ってiPhoneをとってこようかとも思ったが、刻一刻変わるので、そのまま湯につかって観察した。だから、生まれて初めて見た噴火の写真はない。
始まればずっとやっているのかと思ったが、こっちに来て調べたがそうではない。何時何分にぱっと噴いて、短く終わる。だから、その瞬間を逃してはいけないのだ。
それにしても、トイレに戻らなければ、噴火の瞬間を見ることができたかもしれない。自分のうかつさを呪い、恥じる。おなか、がまんすれば良かったな。
噴煙は風に流れされて、どんどん大きく高くなり、やがて尻尾が現れた。そうなると、桜島からは切り離される。生きもののようにかたちを変えながら、やがて、桜島とは独立した存在へと変わっていく。
後に残る桜島の偉容。何も変わらず、動かず。それでいて堂々としている。
そうか、時折噴火する人は、ふだんの静かな佇まいこそが大事なのだと、気付く。自分自身の人生を振り返ってみる。
10月 10, 2010 at 10:41 午前 | Permalink
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