連続ツイート ツイッター
『プラネットアース』などの自然史番組を制作してきた伊藤弥寿彦さん、養老孟司さんと。新潮社の足立真穂さんがお誘いくださった食事会にて。 http://bit.ly/9HLBvk
ツイ(1)ツイッターは、140文字だが、その中でさまざまな文章表現を工夫することができる。ツイッターの表現方法について再び考えてみたい。
ツイ(2)ツイッターは、文化的遺伝子(ミーム)の自由市場である。言葉に力があれば、リツイートされたり、返事をもらったりして拡散していく。サンゴが卵を産むような、そんな気持ちで送り出すとよい。
ツイ(3)著名人のbotのアカウントがある。その人がいかにも言いそうなことを書く。たとえばリリー・フランキーさんなど。「自分自身のbot」的に書いてみるというのも、ツイッター表現の一つの趣向かもしれない。
ツイ(4)「自分自身のbot」のように書くとはどのような意味か? 場所や時間の限定を超えている。つい引用したくなるような普遍性、定型性がある。「自分自身のbot」ツイートを時にはためして欲しい。
ツイ(5)ツイッターは、140文字であるため、少々尖った、過激なことを書いてもそれほど「書きすぎ」にならない。このため、従来の日本語表現にありがちだったぬるま湯的予定調和を打ち破るチャンスがある。試してみたい。
ツイ(6)「ツイート」の原義は、鳥のさえずりのように、小さなかすかな声でうたうこと。140字の文字列は、押しつけがましくないかたちで、しかしもし力があれば世界を変える潜在性を持ち、ネットを飛び回る。
ツイ(7)「声の大きい人が勝つ」「しつこい人が目立つ」の対極にあるのが、ツイッターの表現世界である。かぼそい声で良い。もしそこに実質があるのならば、世界は必ず耳を傾けるだろう。
ツイ(8)そこにあるのは、究極の離自性でなければならない。心を動かし、何某かの感慨を与える文字列を、自分から離れて「設計」できるか。
ツイ(9)ツイッターは、高い倫理性を持つ人にとっては強靱な学習の場であり、なれ合いや自己満足に陥らない道を開いたという点で何か新しい事態をもたらしている。
以上、ツイッター上の表現についての連続ツイートでした。
(2010年10月13日、http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)
10月 26, 2010 at 07:10 午前 | Permalink
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