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2010/10/03

連続ツイート 「書く」

書く(1)『脳をやる気にさせるたった1つの習慣』(ビジネス社)は、「書く」ことの効用を巡る本である。先日取材を受けて、書くことの意味について話していて、いろいろなことを思い出した。

書く(2)書くというと、すでに脳の中にある情報が出てくるだけだと思いがちだが、そうではない。「書く」という文脈を設定することで、その場で情報が生成される。出てきたものが、自分にとっても驚きということはしばしばある。

書く(3)何を書いてわからないから書かない、というのが一番もったいない。書いてみれば、自分が何を書きたかったかがわかるはず。とにかく、手を動かすことが大切なのである。

書く(4)私が生涯の研究テーマである「クオリア」に出会ったのも、「書く」ことと関係していた。理化学研究所からの帰り、ノートにものすごい勢いでアイデアを書いているうちに、突然、電車の「がたんごとん」という音が質感として聞こえた。その日は、30分くらいの間に10頁書いた。

書く(5)書くことで、脳からの生成が促され、脳へのフィードバックも完成する。書いた結果よりも、「書く」という運動が大切なのである。他人のために書くのではない。自分の脳がある高みに達するために、猛烈に書字運動をするのである。

書く(6)エッセイを書くとき、私は、テーマについてある内的感覚をつかむことをまずは心がける。そうして、机に座り、無意識からどのような文字列が出てくるか、その流れをできるだけ邪魔しないように指を動かす。『生きて死ぬ私』や『脳と仮想』、『生命と偶有性』はそのようにして書かれた。

書く(7)書いたあと、読み返してみて、どのような「読み味」がそこにあるかを探る。いわば、文章の「クオリア」を自分で確認する。論理的なつながりも、実は「クオリア」の中に含まれている。

書く(8)書くことは、リアルタイムで見れば一つの「音楽」でもある。自分の書字運動が、音楽としてどうか。書かれた文章の読み味が、音楽としてどう響くか。そのような見地から、自分の文章を検証し、向上を図る。

書く(9)日本語の書字における二大要素とは、すなわち、音楽的無意識の書字運動と、文章の読み味。英語で「書く」という行為も、上達するに従って、次第にこの二つの基準へと収束していうようだ。まだまだ先は長いが。

以上、「書く」ことについての連続ツイートでした。

(2010年9月30日、http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

10月 3, 2010 at 08:28 午前 |