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2010/09/20

脱・就活―朝日新聞社説について

2010年9月19日付の朝日新聞社説で、新卒一括採用の問題が取り上げられました。(ツイッター上で、私に教えて下さった方、ありがとう)。

日本の新聞社のwebは、いつ記事が消えるかわからないので、ここにまずは全文引用します。

引用元:http://bit.ly/aKT7XO 

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脱・就活―「新卒一括」を変えよう
 若者の悲鳴が、毎週のように投書欄に載る。「就職が決まらない。この言葉が明けても暮れても心の中に住みついて離れない」「内定が取れないと、学内でも負け組扱い。就職するために大学に入ったんじゃない」
 大学生の就職活動は、3年生の秋が来る前から本格化している。既にいくつかのインターンシップを終え、これから企業のセミナーや説明会シーズンだ。冬はエントリーシートをせっせと埋め、春をまたいで面接を繰り返す。
 就活という長距離レースに、大学教育は大きく侵食されている。
 企業は採用を絞り込み、勝ち組争いは激烈になる一方だ。今春の大卒者のうち、進学も就職もしなかった人は8万7千人、前年の28%増だ。卒業時の就職の機会を逃すと、正社員へのハードルはぐんと高くなる。プレッシャーがまた、学生をあおり立てる。
 数が勝負と応募を続け、人物や即戦力といったあいまいな基準で落とされる。何十通もの断りのメールは自己否定を繰り返されるに等しい。
 過剰な選び合いのなか、若さという希少資源がすりつぶされてゆく。
 菅政権は先月、「新卒者雇用・特命チーム」を立ち上げた。大卒後3年以内の若者を企業が採用すれば奨励金を出し、未就職者へのセーフティーネットも拡充する、という。
 仕事に就けない若者の支援に取り組み始めたことは歓迎したい。だが対策は、なお「痛み止め」にとどまる。問題は、ゆがんだ就活市場をどう抜本的に作りかえてゆくか、である。
 まず、企業は新卒者を一括で採用する方式へのこだわりを捨てるべきだ。
 右肩上がりの時代に、終身雇用や年功序列とともに定着したのが、新卒一括採用だった。だが、そのモデルは崩れつつある。
 柔軟な採用・雇用が多くの企業に根づき、既卒市場が活性化すれば、優秀で、幅広い人材の活用につながる。それは企業にもプラスになる。政府はより強力な誘導策をとれないか。
 大学も変わらねばならない。
 約4割の学生が、将来の職業に関連し「授業経験は役だっていない」と答えた調査がある。学びを通じて視野や能力を獲得し、携わりたい仕事への考えを深め、社会に出る準備をする。そうした場に大学はなっているか。意識を持てないままの若者を、就活という圧力鍋に放り込んではいないか。
 教養の伝統に加え、単なる就職対策講座でないキャリア教育を大学の中でどう位置づけるか、考えよう。
 今の就活は、安全ネットもなしに、若者に空中ブランコを飛び移らせているように見える。それを改め、学校教育から職業社会へと、きちんと橋渡しできるようにする。大学人と経済人が話し合い、知恵を絞ってほしい。
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 中立的な立場を擬制しつつ、漸進的なことを書く、という社説の縛りからすれば、「脱・就活」というテーマでここまで書いたことは、まずは評価すべきだと思います。
 コメントを二つ書かせていただきます。
 「大卒後3年以内の若者を企業が採用すれば奨励金を出し、未就職者へのセーフティーネットも拡充する」という菅政権の政策は、社説が書くように「痛み止め」に過ぎないでしょう。そもそも、根本的な問題として、企業が、採用の際に「○○年卒業見込みの者」、あるいは、上の修正案によれば「○○年以降に卒業した者」という制約を加えることが、公正と言えるのかということです。
 もし私が政策立案者だったら、そもそも、採用時に年齢、学歴、性別などの「資格制限」をもうけることを、原則禁止する立法を提案するでしょう。採用試験で応募者の資質を検証するプロセスにおいて、要素の一つとして学歴(新卒か、既卒かなど)を考慮することは構わない。しかし、学歴について、新卒、ないしは卒業後3年以内であることを、形式的要件として求めることは「違法」であると、明確に規定すべきと考えます。
 また、社説には、「教養の伝統に加え、単なる就職対策講座でないキャリア教育」とありますが、まずは重視されるべきは「教養の伝統」(リベラル・アーツ)でしょう。今の日本の大学は、日本の企業にしか就職できない「ガラパゴス大学」になりつつある。そうではなくて、グローバルなjob marketに打って出ることができるような人材を育成するために、単なる就活対策のような浅薄なキャリア教育ではなく、猛烈なる勉学を積み重ねて、世界の一流の人々と渡り合うことができることを目指すべきだと思う。
 ぼくは、今の制度の下、すくすくと大学を出て企業に入っていく人がいても、全く構わないと思う。問題は、そのような「レール」から外れてしまった人たちのこと。坂本龍馬の「海援隊」の入隊資格は、「脱藩者であること」、「世界を志向していること」だった。そのような外れ者こそが、日本の未来を開くと信じる。そいつらが元気になるような施策を講じたいと思う。やるやつは勝手にやるという考えもあるが、少なくとも政府や企業が邪魔をすべきじゃないだろう。
 かつて、中卒ないしは高卒のみ、大学生の場合は卒業の意志がないものを対象に人材募集したドワンゴは、ブラボーである。

9月 20, 2010 at 03:32 午後 |