連続ツィート 大乗
大乗(1)どんな分野であれ、長くやっていると詳しくなってくる。学者なんかが典型。そういう人から見れば、素人がばかに見える。こんなこともわからないのかとおごり高ぶる。傲慢な人は大学にごろごろ。そこに、人間として避けねばならぬ罠がある。
大乗(2)Isn't that what you're paid for? プロで、金もらってやってるなら、詳しくて当然。それでおごり高ぶっちゃダメだ。何も知らない人に、いかに本質を説くか。その心遣いに、人間としての無限の奥行き、愉しみがある。
大乗(3)「お坊さん、私は死んだら極楽に行けますかね?」とおばあちゃんに聞かれる。そんな時、「そもそも仏教では無記と言って」などとごたくを並べてはいけない。「そりゃあそうだよ、苦労したお婆ちゃんが行けなくて、誰が行けるの?」そう言い切る南直哉さんの見識とやさしさ。大乗。
大乗(4)仏像というのは、よく出来ている。難しい理屈などわからない衆生に、ただ、そのたたずまい、表情でありがたい何かを伝える。昔は文字を読めない人も多かった。教典など遠い。仏像は、そこにあるだけで衆生を救う。ありがたい。
大乗(5)興福寺にある国宝の無着、世親像。(http://bit.ly/aOsUNC)何も難しい理屈は言わない。ただ、そのあり方で、慈悲というもの、苦しみ、哀しみを引き受けるということ、自分を捨てるということを伝えている。ありがたい。
大乗(6)時間の流れが、大乗の本質にある。本当の理屈はこうだと言っても、そんなもん勉強している暇は、ないんだよ。生命の時間は過ぎてしまう。今、ここで、いかに本質を伝えるか。そのことがわかっている人は、思い切って飛んじまう。うだうだしている暇なんて、あるか。
大乗(7)テレビは自称学者にバカにされがちだけど、そいつらは大乗が判っているのか? 画面から一瞬で伝わることもあるかもしれぬ。ありがたい仏像のようにね。そのことを理想として抱いているテレビ関係者はどこかにいるかもしれないよ。
大乗(8)ペレルマンが、5年間キノコ採りながらポアンカレ予想について考える。それは彼の人生の素晴らしい恵み。極論すれば、その詳細をすべて追えと押しつけるのが専門バカ。ポアンカレ予想の本質を表す仏像を彫ろうというのが、表現者。表現者は言い訳をしない。
大乗(9)台風一過のさわやかな朝、大乗について考える。自分の大切なことについて、掘り下げる。積み上げる。一方で、通り過ぎる人の歩みを思わずとめる、一体の仏像を彫ることを志す。言い訳しない表現、投げだした人生はたのしい。カンラカンラと笑って過ごそうじゃないか、諸君!
以上、「大乗」についての連続ツイートでした。
(2010年9月26日、http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)
9月 30, 2010 at 07:53 午前 | Permalink
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