連続ツイート 坊っちゃん
坊(1)夏目漱石の『坊っちゃん』を子どもの時最初に読んだとき、坊っちゃんが悪いやつらをやっつける痛快な小説だと思った。そのうち、この小説の背後に流れる、痛切な哀しさ、社会の不条理に気付く。
坊(2)坊っちゃんと山嵐が、赤シャツと野だいこをなぐって、懲らしめる。痛快なようだが、結局職を失うのは二人である。赤シャツと野だいこはそのまま学校にいて、マドンナも赤シャツのものになってしまう。
坊(3)そもそも、坊っちゃんの生い立ちはさびしい。父親は顔を見る度にお前などロクなものにならないという。台所でふざけて叱られ、親戚の家にいる夜に母親が死ぬ。死んだのはお前のせいだと言われて兄につっかかり、またもや叱られる。
坊(4)肉親が皆坊っちゃんを疎外する中、唯一親切にしてくれたのが、きよ。きよだけが、坊っちゃんの心がまっすぐで良いと褒めてくれる。そのきよの愛を、坊っちゃんはなかなか素直に受け入れることができない。
坊(5)坊っちゃんが赴任する松山は、小説中でいろいろ悪しざまに書かれている。人々は陰湿で、お互いに相手の視線ばかり気にし、不効率で、形式主義で、集団に埋没して自分で考えない。
坊(6)『坊っちゃん』の中に描かれる松山は、実は「日本」のことである。風土病とでもいうべき、日本の悪弊の数々。それが「松山」という田舎のことだと思うから、読者は安心して笑っているが、実は漱石によって書かれた自分たち自身の映し絵なのである。
坊(7)漱石の批評精神は、自分自身にも及ぶ。『坊っちゃん』の登場人物の中で、漱石自身がいるとしたらどれか? 子どもの頃読んだ時には、江戸っ子で、正義の味方である「坊っちゃん」こそが当然漱石の分身なのだろうと考えていた。
坊(8)実は赤シャツこそが漱石なのだと気付いた時、その自己批評の厳しさに涙した。学士様で、気取っている。何よりも、友人の女を奪ってしまう。『こころ』でも繰り返された、漱石のトラウマのようなテーマ。この烈しさがあったからこそ、漱石は偉大な作家となった。
坊(9)『坊っちゃん』の中で、きよやうらなり君は、抜け目なく世間を渡ることなく、ただ人が良いだけで、どんどんと没落していく。しかし、そのような人たちにこそ人間としての「誠」があるということを、漱石は痛烈な筆致で書く。
坊(10)『坊っちゃん』では、新聞がデタラメを書くということが痛烈に批判されている。坊っちゃんと山嵐が学生たちの騒動を止めに入ると、新聞には二人が扇動したと書かれる。しかも、訂正記事がなかなか出ないのだ。
坊(11)『坊っちゃん』は、子どもの頃読めば、痛快な青春小説として楽しむことができる。大人になって物事がわかってくると、漱石が、社会の不条理、日本の病理、生きることの難しさ、人として大切なことについて、いかに多くの激烈なる「時限爆弾」を隠しているかということに気付き始める。
坊(12)漱石は、『坊っちゃん』を書いた当時、一高と東京帝大で教えていた。授業や試験の採点などで忙しい中、一二週間ほどで一気に書き上げたとされる。漱石自身にとっても、『坊っちゃん』を書くことは一つの「解放」だったのである。
坊(13)『坊っちゃん』を書いた翌年、漱石は東京帝大を辞し、当時の「ベンチャー企業」であった朝日新聞に入社する。今とは比べものにならぬくらい大学教官に権威があった当時の風潮からすると、常識では考えられぬ烈しい反骨精神であった。
坊(14)最後に、坊っちゃんはずっと自分のことを無条件に愛してくれていたきよと一緒に住む。「清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。」
坊(15)『坊っちゃん』の最後「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」結局、最後に残ったのは純粋でまっすぐな愛であった。
坊(16)日本が激動の時を迎え、個人を抑圧するさまざまな日本の「風土病」とでもいうべき社会の不条理が解体の時を迎えようとしている時、人として大切なものを見つめ直し、生きる勇気を得るためにも『坊っちゃん』を読み返したい
以上、夏目漱石の『坊っちゃん』についての連続ツイートでした。
(2010年9月9日、http://twitter.com/kenichiromogi
にてツイート)
9月 10, 2010 at 11:14 午前 | Permalink
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