« 人生の悲劇、あるいはベルトを買うこと。 | トップページ | 連続ツイート 自己変容 »

2010/09/17

連続ツイート 軽蔑

軽蔑(1)アイルランド生まれで、イギリスで活躍した作家、オスカー・ワイルドは、学生の頃から有名だった。何で有名だったかというと、有名であることで有名だったのである。その派手な生活と独特の美意識で、人々の耳目を集めていた。

軽蔑(2)生意気で目立つ若者だったオスカー・ワイルド。アメリカに旅行した時には、税関で、「私は自分の天才以外に申告するものを持たない」と言い放った。

軽蔑(3)やがて、オスカー・ワイルドは、『ドリアン・グレイの肖像』、『サロメ』、『真面目が肝心』などの数々の傑作を発表し、単に「有名であることで有名」であるだけでなく、実質において天才であることを示す。

軽蔑(4)『ウィンダミア婦人の扇』の中で、オスカー・ワイルドは登場人物にこのように語らせている。「私たちは皆ゴミための中にいる。しかし、私たちのうちの何人かは、空の星を見上げている。」

軽蔑(5)作家としての名声をほしいままにし、社交界の寵児だったオスカー・ワイルド。ゲイであったワイルドは、ある貴族の美しい息子と恋仲になる。これが、ワイルドの転落の理由となった。

軽蔑(6)オスカー・ワイルドは、恋人の美男子の父に、告発され、逮捕される。当時イギリスでは同性愛は罪だった。ワイルドは逮捕され、投獄される。社交界の寵児だった天才は、人々に軽蔑される存在に転落する。

軽蔑(7)オスカー・ワイルドは、獄中で自分自身を振り返り、恋人に宛てた手紙の形で、『獄中記』(原題De Profundis、「深淵から」)を記す。結局、これがワイルドの最後の作品となった。

軽蔑(8)人々から褒めそやされる存在だった自分が、軽蔑される「最低の人間」になる。そのような境遇になって初めて、オスカー・ワイルドは、キリストの本質を理解するに至る。『獄中記』は、自己省察の本であると同時に、キリストについてのすぐれた洞察の書である。

軽蔑(9)イエス・キリストの出現を、イザヤ書は「彼は人々から軽蔑され、拒絶されるだろう。悲しみの人」と予言する。人々を救済するこの上ない人が、同時に、軽蔑され、拒絶される存在であること。ここに、キリスト教の叡智があることを、オスカー・ワイルドは投獄されて初めて理解するのである

軽蔑(10)『獄中記』で、オスカー・ワイルドは記す。「銀行家になりたい人は、銀行家になる。弁護士になりたい人は、弁護士になる。自分以外の何ものかになりたい人は、それになって終わる。一方、自分自身になりたい人は、どこに行くかわからない。どこに流れ着くか、自身でも知らないのだ。」

軽蔑(11)すぐれた芸術作品は、人の心を傷つける。オスカー・ワイルドの『獄中記』を読んだとき、私は、「やられた」と思った。社会から軽蔑され、拒絶された人にこそある「真実」。天才は人生の深層をつかむ。それは恐ろしく、また美しい。

以上、オスカー・ワイルドについての連続ツイート(「軽蔑」)でした。

(2010年9月14日、http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

9月 17, 2010 at 06:45 午後 |