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2010/09/14

連続ツイート 福澤諭吉

福澤(1)福澤諭吉は、14歳になっても、当時の基本的な素養だった「漢文」を読むことができなかった。周囲が読めるのに自分が読めないということに気付いて、一念発起して、それから勉学を始めた。

福澤(2)学問を始めるのが遅いと、劣等感もあったはずである。しかし、福澤諭吉には、「自分にはできる」という根拠のない自信があった。また、それを裏付ける猛烈な努力をして、またたくまに頭角を現していった。

福澤(3)長崎に遊学していた諭吉は、中津に戻るように言われる。しかし、学問を続けたかったので、帰るふりをして、大阪の緒方洪庵の適塾へと向かう。

福澤(4)適塾で、諭吉は猛勉強を続ける。あるとき、病気になって寝ようとしたが、枕が見つからない。その時になって初めて、諭吉は、適塾に来て以来、猛勉強して疲れては仮眠し、目が覚めては勉強するというありさまだったので、枕を使って眠ったことがなかったと気付く。

福澤(5)長崎と適塾で蘭学を修めた諭吉は、横浜に外国人居留地が出来たと聞きつけてでかける。身につけたオランダ語の知識を試してみようと思ったのである。ところが、看板の言葉などが全くわからない。道行く人に聞くと、どうやらそれは「英語」という言葉らしい。

福澤(6)時代が変わり、必死になって身につけたオランダ語がもはや役に立たない。落ち込む諭吉。しかし、立ち直りが早い。次の日には、もう、「やっぱりこれからは英語の時代」と頭を切り換えて、江戸に英語の先生を探しに行く。

福澤(7)諭吉は、やがて、咸臨丸で米国に渡る。米国に着いてまっさきにアメリカ人に聞いたことは、「初代大統領ワシントンの子孫はどこで何をしているのか」ということだった。ところが、誰も知らないし、興味もない。

福澤(8)諭吉は、日本と米国が全く異なる国であることに気付く。日本では、徳川家康の子孫がどこで何をしているか、誰でも知っている。江戸で将軍をやっている。一方、初代大統領の子孫がどこで何をしているか、アメリカ人は誰も知らないし興味もない。諭吉の中に、「情熱」が生まれた。

福澤(9)諭吉の父は、下級藩士に生まれたため、学問への志は高くても取りたてられることはなかった。「門閥制度は親の敵で御座る」という諭吉の言葉の背後には、激烈なる憤怒がある。親の地位で子どもの地位が決まる日本の在りように対して、諭吉は根源的疑問を持つ。

福澤(10)日本に帰国した諭吉は、猛然たる啓蒙活動を始める。慶應義塾を創設。『学問のすすめ』、『西洋事情』、『文明論之概略』など多くの著作を通して、日本人に蒙を啓くように訴える。このような諭吉の「情熱」の背後には、二つの「受難」があった。

福澤(11)自ら、学問を始めるのが遅かったという「受難」。そして、父が封建制度ゆえに機会を得られなかったという「受難」。この二つの「受難」を、「情熱」に変えて、諭吉は明治における輝く超新星となった。

福澤(12)「受難」も「情熱」も、英語ではpassion。キリストが十字架を背負うという「受難」(passion)と、ポジティヴに生きる、高みを目指すという「情熱」(passion)は、同じところに由来するという叡智がここにある。

福澤(13)諭吉は、「独立自尊」を説いた。自分の外にあるさまざまなものに、自らが自らであるということを依拠させないこと。その理想は、百年の時を経た今でも、日本では実現されているとは言い難い。

福澤(14)今の日本には、封建制度があるわけではない。学問する機会はあふれている。しかるに、「枕を使って寝るのを忘れていた」と後になって気付くような激烈なる学問への没入を、どうして今の日本人は持ち得ないのか?

福澤(15)諭吉は、決して過去の人ではない。むしろ、諭吉がその生き方を通して示した課題は、今の日本人にとってのテーマでもある。諭吉の「受難」と「情熱」に震撼し、感染せよ。そして、今日から全力で走り出せ。

福澤(16)諭吉は、自らの体験に基づいて、子ども時代に必要なことはのびのびと思いきり遊ぶことであると言っている。「お受験」や、「お稽古事」でいきいきとした生命力を失っている今の子どもたち。親たちは諭吉の主張に耳を傾けるべきだろう。

以上、福澤諭吉についての連続ツイートでした。

(2010年9月13日、http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

9月 14, 2010 at 07:05 午後 |