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2010/09/09

連続ツイート プラグマティズム

プラ(1)先日、シンガポールでイリヤ・ファーバーと喋った時に、プラグマティズムの話になった。ジェームズ、デューイ、パース。イリヤは特にパースが好きなのだという。それで、アメリカの文明力の基礎となっているエートスのことについて考えてみる気になった。

プラ(2)どんな概念も、それが実際の私たちの生き方、社会のあり方の中で有効に機能するのでなければ意味がない。このようなプラグマティズムの思想は、アメリカの社会の中に深く根付いており、インターネット文明の生みの母にさえなっているのではないかと思う。

プラ(3)たとえば、「平等」や「自由」、「平和」といった概念も、それが机上の空論、絵に描いた餅では意味がなく、必ず具体的な生のあり方によって担保されなければならない。このような思想は、社会問題について、ソリューションを見いだしたり、ハックしたりするという積極的態度に結びつく。

プラ(4)ソフトウェアをリリースする時、バグなしヴァージョンを完成させることを目指すのではなく(多くの場合それは不可能だから)、とりあえずリリースして、バグが見つかったら順次修正していく。これが、プラグマティズムの発想である。

プラ(5)あるシステムにセキュリティ上の脆弱性が見つかった時に、やたらと騒ぎ立てるのではなく、その脆弱性を公表すること自体のリスク(新たな攻撃を誘発するかもしれない)を勘案するのが、プラグマティズムの発想である。

プラ(6)世界中から入学者を集めるにはどうすれば良いか? ハーバードやプリンストンが採用したプラグマティックな方法は、卒業生に面接をさせることだった。その結果、合否判定にある程度の不確実性が生じても、世界にネットワークができる実際上の利点の方が高いと考える。

プラ(7)一方、東京大学の入試は徹頭徹尾机上の「公正」を追求している。志願者を一会場に集め、試験を課し、点数順に上から入れていく。「概念上」は公正であるが、プラグマティックな視点からすれば、大学のガラパゴス化を招く愚行である。

プラ(8)新聞、テレビなどの日本のメディアが陥っている「風土病」は、アメリカのプラグマティズムとの対極にある。「政治とカネ」、「感染症の予防」など、何かの社会問題が生じた時に、実際的にどのような処置が効果的なのかというよりも、「絵に描いた餅」の理念をヒステリックに騒ぎ立てる。

プラ(9)大学研究者による科研費の執行についての、異常な書類主義も日本の風土病である。どのようなシステムにしたら、プラグマティックな意味で公正、効率的なのかと考えずに、机上の空論を押しつける。その結果、「見積もり、納品、請求各二部ずつ」などという、カフカ的諧謔世界を現出する。

プラ(10)日本の霞ヶ関全体が、プラグマティズムの思想からすれば、滑稽な形式主義、理念主義に陥っている。目の前の現実を見つめて実際的なソリューションを模索するのではなく、理念的なスローガンを並べるだけで満足するのである。

プラ(11)教科書検定、学習指導要領に表れる文科省のマインドセットも、プラグマティズムの精神から程遠い。実際的な意味で効果的な教育をするにはどうすれば良いかではなく、机上の理念を追い求めるから、大学では必ず15時限授業をしろなどという幼児的コントロールを強要して平気でいる。

プラ(12)インターネットを生み出したアメリカの文明力の核に、プラグマティズムの思想がある。日本の関係者たちは、自分たちの風土病を理解するためにも、プラグマティズムを勉強した方が良い。特にマスコミ関係者、官僚たち。

プラ(13)常に、実際的であれ。理念を考える時には、それが、具体的な生の現場において、どのような作用をするのかしっかりと見きわめよ。机上の空論を振りかざす輩に力を持たせるな。生の疾走、舞踏を支える、具体的な技術をこそ磨け。

以上、「プラグマティズム」についての連続ツイートでした。

(2010年9月8日、http://twitter.com/kenichiromogi
にてツイート)

9月 9, 2010 at 08:25 午前 |