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2010/09/21

連続ツイート 寄席

寄席(1)祖父が寄席好きで、子どもの頃から浅草演芸ホール、上野の鈴本、新宿末広亭に連れていかれて「英才教育」を受けた。今考えれば、子どもが聞くにはどうか、というネタもあったと思うが、何の疑問もなしに笑っていた。

寄席(2)林家ペーさんが一人で漫談をしていた頃は、面白かった。浅草演芸ホールで、「ねえ、ここの客席を見ると、マルクスレーニン主義というか、プロレタリアートというか、あっ、今笑った方は大学出てますよ」というくすぐりでいつも客席を爆笑させていた。

寄席(3)やなぎ女楽という曲芸の人が好きだった。肌のつやつやした、いかにも昔道楽をしたというようなおじいさん。コマを回したり、棒の上でバランスをとったりする芸を披露した後、「最後に、コマをしまうところをお見せします」と言って下がるのが常だった。何とも言えぬ色気があった。

寄席(4)今の林家正楽さんが小正楽だった頃から好きだった。紙切りをやりながら、「どうしてこうやって身体を動かすかというと、じっと切ると暗くなります。でも、すっかり癖がついてしまって、朝新聞を読む時も・・・」と言って身体を動かすと、客席が爆笑するのである。

寄席(5)曲芸で何といっても好きなのはボンボンブラザーズである。鼻の上にコヨリを立てて、バランスをとる。それが、倒れそうになって、手をペンギンのように広げて追いかける。コヨリがずっと傾いて、それを追いかけているうちに客席に降りてしまう。何度見ても、お腹が痛くなるほど笑った

寄席(6)林家彦六師匠を寄席で生で見ていた経験は、今となっては宝もの。若い噺家が今でもマネをする。楽屋でアーモンドチョコをもらった彦六師匠、口をもぐもぐさせたあげく、アーモンドを取り出して、「なんだい、このチョコは・・・種があるじゃないかあ」。愛すべき明治のおじいちゃんだった。

寄席(7)川柳川柳さんは、爆笑王である。「勝っているうちは明るかったけれども、負けたら暗くなった」と大声で軍歌を歌いあげ、終戦でラジオから流れるジャズ、すっかりかぶれたドラ息子が指を鳴らしている間、田舎の父親は脱穀機で「ガーコン、ガーコン」。同じ格好になる。代表作『ガーコン』。

寄席(8)親の世話が大変だと『中沢家の人々』で爆笑を呼ぶのは円歌師匠。親がよろよろしながら道路をわたる。車がきて、おっ、しめた! と思っていると停まる。運転手が「気をつけろ!」と叫ぶと、親は、「車が人をひく? ふざけんな。むかしは、人が車をひいていたんだあ。」

寄席(9)寄席の好きな芸人のことを書いているとキリがない。最近は時間がなかなかないけれども、できれば座って、あの時間の流れを楽しみたい。浅草、上野、新宿、それに池袋、それぞれの個性がある。池袋は小さいから一度入ると途中で逃げにくい。

寄席(10)もちろん、古典落語をじっくり聞くのもよい。友人といくと、ぼくは、マクラのところでネタがわかってしまって、出演表にその名前を書いてみせる。ちょっとした自慢。しかし、親友のでぶの哲学者、塩谷賢と行くと、塩谷がほぼ同時か先にわかってしまう。くやしい。

寄席(11)寄席で、笑いをとっている芸人さんが、いかに「自分」というものを捨て、投げだしているか。その様子を客席から見るのが、人生にとって最高のレッスンだった。それこそ小学校に上がる前から寄席にかよって、本当に良かったと思う。

みなさん、寄席に行きましょう。以上、寄席についての連続ツイートでした。

(2010年9月18日、http://twitter.com/kenichiromogiにてツイート)

9月 21, 2010 at 07:36 午前 |