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2010/08/22

プラグマティズム

 シンガポール国立大学とのプロジェクトに関する会議のため、この地を訪れている。

 一人あたりのGDPで、すでに日本を抜いたというシンガポール。ITの使い方や、合理的な移民政策、意思決定の速さ、英語の浸透ぶりなど、もはや視点によっては日本よりも「先進国」であり、何かを教えてもらいたいという気分になる。

 夜、プロジェクトにかかわるエイドリアン(Adrian Cheok)、稲蔭正彦さん、それに新しいラボを立ち上げつつあるイリヤ・ファーバーと飲んだ。日本から、佐々木厚さんと関根崇泰くんも参加。ぼくのツイッターを見て、稲富寛明さんと藤井大子さんも飛び入りで加わった。

 クラーク・キーを渡る夜風が気持ちいい。イリヤのいう「正真正銘のメキシコ料理」を味わいながら、科学のこと、世界のこと、人生のことをたっぷり話した。

 イリヤが、途中で、「プラグマティズム」の話をした。その時のことを記しておこうと思う。

ぼくは、その時、グーグルの会議に行った時の感触を話していた。

「もはや、一つの分野を掘り下げて新しい知見を見いだしてくるというだけでは、足りないのではないか。ドットとドットを結ぶということがないとダメなのではないか。
 グーグルの会議で、オープンな大学のあり方とか、メディア2.0の話などをしている中で、あるセッションで、認知科学の三人の代表的研究者が、それぞれがずっとやってきた研究の話をするのを聞いたとき、ああ、この人たちは古いんだ、と強く感じてしまった。
 学会の中ではボスだし、学術雑誌への掲載や、研究費の配分などはコントロールできるかもしれないけれども、もはやそれだけでは輝かない。やはり、ドットとドットを結ぶ人が必要なんじゃないかな。」

ぼくがそういうと、イリヤは肯いて、それからこういった。

「そうだね。ただ、このようにも思うんだ。ドットとドットを結ぶ人は、どの時代にも少数派だったし、これからも少数派でいいのではないかと。Society for Neuroscienceの会場に行くだろ。圧倒されるよね。何万人もの人たちが、それぞれの分野の研究をしている。一つのタンパク質の働きをずっと追いかける人もいる。
 そのような人たちが圧倒的多数でいて、それで、少数の人たちがドットとドットを結ぶ。そんな感じでいいのではないか。99%の人たちが、一斉にドットとドットを結ぶことに従事するという世界は考えられない。」

それからしばらくして、私たちは現代における「素養」の話をしていた。すべてが学際的になっていく中で、学生時代に何の勉強をしたら良いか。

「ぼくは、どんな分野をやるにせよ、論理的な思考能力と、数理的な能力は不可欠だと思うけれども。」

すると、イリアは言った。「君が、論理的な思考能力(logical thiking)と言うと、賛成しつつちょっとぎょっとする。」

「形式的論理(forma logic)のことかい?」

「そうそう、そのような世界に入って、沈んでいった人たちを沢山見ているからね。」

「わかるよ、ははは」

「ぼくは、むしろ、批判的思考(critical thiking)という言葉を使いたい。」

「形式的言語で何かを証明する、とうことが、実際のダイナミックなプロセスに比べると、静的であり過ぎるということもあるからね。」

「そう。たとえば、確実性を証明しようとしても、それが意味がないことがある。実際には、たたき台を用意して、それを少しずつ修正して行かなければならない。最初から確実性を得ようとすると、全てがとまってしまう。」

「それが、昨今の日本の姿だ!」

イリヤの隣りに座っていた稲蔭正彦さんが笑った。

イリヤが続ける。
「確実性の証明を最初から求めないということ、それこそが、プラグマティズムの哲学なんだよ。」

「それだ! デューイだね。」

「そう、パース、ジェームズ、そしてデューイと続く系列。ぼくは、パースを一番熱心に読んだけれども」

パース、ジェームズ、デューイから、インターネットの革新へと向かう道。何か大きな鉱脈に、かちりと当たったような気がした。


クラーク・キー


カフェ・イグアナ


Ilya Farber と稲蔭正彦


関根崇泰、稲富寛明、Adrian Cheok, Ilya Farberと。クラーク・キーのカフェ・イグアナにて。

8月 22, 2010 at 11:14 午前 |