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2010/08/18

研究費「流用」ヨミウリ・ウィークリー記事

ぼくは、今は残念ながら休刊となってしまったヨミウリ・ウィークリーで、連載を持っていました。

そのご縁のきっかけとなったのが、当時ヨミウリ・ウィークリー編集部にいらした二居隆司さんとの出会いでした。

二居さんは、ぼくが研究費の「流用」について当時のブログに書いたコメントを読んで下さって、連絡してくださいました。そして、丁寧に取材し、記事にしてくださったのです。

あの時の二居さんの勇気と熱意は、忘れることができません。

その後、二居さんとは深い魂の交流がありました。連載も、ずっと二居さんに担当していただきました。

ある時、ぼくは「大切なお話があります」と言われて、二居さんと東京駅で会いました。次の仕事場の銀座まで歩きながら、二居さんが「実はヨミウリ・ウィークリーが休刊することになりまして」と切り出されました。

別れ際になって、ふと気付くと、二居さんの両眼から、涙がぽろぽろとあふれているではないですか。

野球が好きで、スポーツマンらしい体格の二居さんが、男泣きしている。あの熱さは忘れられません。

二居さんは、今も読売新聞でご活躍中ですが、あの時、研究費「流用」の問題を記事にして下さった勇気に感謝して、当時のファイルからその記事の全文を下に掲載いたします。


二居隆司さんと。ヨミウリ・ウィークリーに連載させていただいた頃。

科研費に関するインタビュー記事
(2003年7月頃、ヨミウリ・ウィークリーに掲載)

(前文)
 大学研究者らによる、国からの研究費補助金流用が相次いで明らかになっている。本来定められた使い道以外に、税金を使うなど、もってのほかだが、そうした「流用」をせざるをおえない事情も。堅く口を閉ざした当事者の声を代弁する形で、新進気鋭の脳科学者、茂木健一郎氏が現行制度の不備を糾弾する。

(本文)
 現役の国立大学の先生方は、立場上、率直な意見を述べることはないでしょう。だが、誰がちゃんと実態を話しておく必要があると思うのです。
「科研費流用」と報じられると、一部の例外的な研究者が、あたかも研究費で私服を肥やしたかのような印象を与えますが、そうではありません。すべては研究のため。実際多くの事例は、研究室で日常的に行われていること、一種の伝統芸能のようなものなのです。
なぜかというと、そうでもしないと研究費を有効に使うことができないからです。

 <皇太子妃雅子さまの主治医だった堤治・東京大学医学部教授による科研費流用が発覚したのが今年1月。さらに7月、同大の産学共同研究所センター教授が、同様の疑いで内部調査を受けていることが明らかになった。
いずれも、大学院生に払うべきアルバイト代を個人や研究室の口座にプールし、別用途に使うという手口だった。だが、その背景には、そうせざるをえない事情があるのだと茂木氏は指摘する。>

臨機応変に対応できない現制度

 研究者は、本来研究のことしか頭にありません。ただ、現状は科研費を有効に使える状況にはない。柔軟に対応して、なんとか有効に使えないかというのが、こうした「流用」の動機なのです。
 研究というものは水もので、1年間でどれだけ新しいアイデアが生まれるか、わかりません。ところが現在のシステムでは、いざ新しいアイデアが生まれ、それを具体化するうえでこういった装置、実験道具が欲しいといった時に、即現金で買えるような仕組みになっていないのです。
<追加>
 たとえば、1000-2000円程度の必要な電子パーツを買おうとすると、秋葉原の電気街に行けばすぐ買えるものが、出入りの業者に見積もりを出してもらい、発注して納品してもらうという正規の手続きをとって購入すると手に入るまで1か月以上かかることもあります。民間の研究所だと、その種の物品や書籍購入は領収書で落とせるのにそうではない。そのあたりの使い勝手の悪さが、研究をスムーズに進める際の大きな支障になっているのです。
」」
 では、どうするかというと名目上、大学院生に研究補助という形で仕事をさせ、その謝礼金をプールしておき、いざ現金が必要な時に使うのです。

ほとんどの研究室で「流用」が

 それがたびたび、「流用」という表現で問題視されているわけですが、私の知る限りでは、こうしたやり方は広く、一般的に行われている慣例であって、珍しくはありません。
厳密に数字を出すことは不可能ですが、研究室の9割ぐらいで、こういった慣例が行われているのではないでしょうか。
数年前から、ことあるごとに「流用疑惑」が報じられています。確かに形式的には違反はあったかもしれないが、その目的は決して悪意のあるものではない。むしろ、純粋に研究費を有効に使いたいという動機がほとんどだと思います。
ただ、現状が研究費を有効に使える制度になっていない。そこの不整合が、こうした「流用疑惑」になって、現れているだけなのです。
文部科学省などの役人の方は、国民の税金が不正に使われないように、その使い方に厳格な決まりを設けていると、好意的に考えることもできます。
しかし、現在の制度では、税金を国の科学技術振興のために有効に使うという、本来の精神そのものを損ないかねない。
そういう意味では、私が一時留学したイギリスでは、研究費の運用はかなり実際的で、柔軟性が高い。研究費をいかに有効に使うかという、本来の精神を生かすことが第一で、ほとんどの場合、領収書で経費を落とせます。日本の場合、形式さえ満たしていれば、中身は二の次といった感じがしてなりません。

増額研究費の有効な使い道は?

<独創的な研究に資金的援助を与える国の競争的研究資金は、科研費を筆頭に7省で、26制度あり、2003年度は総額3490億円にのぼる。科学技術振興という国策の下、緊縮財政にもかかわらず増額が計画されており、05年度には6000億円と、00年度の2倍に達する見込みだ。
だが、そうした増額も、有効な使い方がされてこそ意味がある。文部科学省では、これまで単年度での運用だったのを繰越可能にするなど、より有効な使い道を模索しているのだが、果たしてその効果は。>

日本の場合、物にはお金を出しても、人には投資しないのです。たとえば、大学院生を国際学会に送りたい、ある研究室に2、3週間でも滞在させて勉強させたいと思っても、いまのシステムでは、非常に実現はむずかしい。1000万円単位の計測器などにはお金を出すのに、人には出せない。
研究費の増額はもちろん歓迎ですし、その運用の方法もリーズナブルな方向に向かっているという実感はあります。ただ、次世代の研究者を育てるといった、人材育成の視点から見ると、どれだけ有効かというと疑問を感じざるをえません。
 国際的な学会に出席してみればわかることですが、次世代を担うべき日本の大学院生は、英語で自分を表現したり、議論を戦わせることで、他国の大学院生より、やや見劣りします。英語が母国語でないというハンディ以上に、国のバックアップ不足があると思います。
欧米の先進諸国では、院生に給料を出すのが当たり前なのに、わが国では自分で学費を払って、たとえば外国の学会に出席するにも自費で行かざるをえないといのが現状です。
科学技術の全体的な底上げには、研究者の資質を上げることが肝心。研究者に投資できるような制度改革を現場の研究者は強く願っています。

(絵解き)
①茂木氏
②堤教授の科研費流用問題の記者会見で、頭を下げる似田貝香門・東大副学長(左から2人目)ら。ただ、こうした「流用」は研究室の慣例でもある(6月3日、東京大学で。松本剛 撮影)

8月 18, 2010 at 09:43 午前 |