鄧小平以前の中国
近年の日本の経済、文化、文明の低迷の原因は、非常に深いところにある可能性が高い。対症療法の付け焼き刃では、この「不調」を脱することはできないだろう。
一つの社会の「オペレーティング・システム」が、ある時代には適応的であり、すぐれたパフォーマンスを発揮することに資しても、「ゲームのルール」が変わった新時代においては、うまく機能しないということはあり得る。インターネットが地球上を覆い、「偶有性のダイナミクス」が避けることのできない「現実」となってしまった現在、日本人のマインドセットが知らず知らずのうちに私たちの自由を縛り、窒息させているのかもしれない。
社会の「オペレーティング・システム」の問題点は、まさにそのまっただ中にいる自分たちには気付きにくいことが多い。「外部」から見れば、議論の余地がないほどに明かなことなのに、本人たちは、社会がさまざまな障害、障壁を作ってしまっていることに自覚的になれないのである。
経済が年率10%程度の成長を続け、今年中にはGDPが日本のそれを抜くことが確実とされるお隣の国、中国。今や、「アジアで一番重要な国」の地位を、すっかり奪ってしまった感のある中国だが、いつもこのように「絶好調」だったというわけではなかった。
現在の中国の快進撃が始まるきっかけになったのは、鄧小平氏(1904年〜1997年)の「改革開放」路線。共産主義の下での行きすぎた「平等」を廃し、市場経済のメカニズムを中国に取り入れた。その結果、たとえ貧富の格差が生じたとしても、「可能な者から先に裕福になれ。そして落伍した者を助けよ。」という「先富論」に基づいて、最終的には社会全体に富が行き渡るものと考えた。広東省や福建省などに外国資本を受け入れる「経済特区」を設けた。このような改革の結果、中国社会の持っていた潜在的な成長能力が引き出された。
中国の近年の絶好調は慶賀すべきものとして、それ以前の長い「低迷の時代」も忘れてはいけない。鄧小平の「改革開放」路線以前の中国は、その長い歴史とすぐれた文化的伝統にもかかわらず、外から見て「成長しない」国であることは明かであった。社会の中に自由がない。経済活動において、個人の創意工夫を活かす余地がない。そんな状況では、経済成長など、とても覚束ないということは当然のことのように思われた。
今の日本は、恐ろしいことに、世界の発展のルールと不整合を起こしているという点において、鄧小平の「改革開放」路線以前の中国と同じような状態にあるのかもしれない。日本の社会の中に、インターネットが地球を覆う偶有性の時代に成長することを妨げる、さまざまな社会制度、マインドセットがある。そのために、今日の世界の中で、日本社会が成長できないということは、いわば「自明の理」なのかもしれない。鄧小平の「改革開放」路線くらいの、日本の社会構造自体を変える思い切った手を打たなければ、成長することは望めないのかもしれないのである。
日本が変わったのではない。経済や文化の発展を巡る、「ゲームのルール」が変わってしまったのだ。インターネット以前のルールの下では有効だった日本社会の「オペレーティング・システム」が、「オープン」で「ダイナミック」な発展を旨とする偶有性の時代には、適応的ではなくなってしまった。
歴史とは、時に残酷なものである。ある時代の寵児が、別の時代には不調を託つということは、過去に何度も繰り返されてきた。近代という時代の「寵児」だった日本だが、これまで比較的幸運だったからといって、このまま座して待つだけで、不幸な運命を逃れられると思ってはいけない。
もちろん、お隣の中国も、いつまでも絶好調が続くとは限らない。「世界の工場」としての発展の段階を超えて、いよいよ世界に張り巡らされた情報ネットワークの中での「ソフト」や「システム」の経済へとステップアップした時に、今の中国社会の「オペレーティング・システム」のままやっていけるかどうかはわからない。検索エンジンの使用を制限したり、言論の自由をうばっている状況では、アメリカのインターネット文化の爆発的発展に匹敵するような成長を遂げるのは困難である可能性が高いだろう。もって他山の石としなければならない。
鄧小平氏。
7月 23, 2010 at 08:07 午前 | Permalink
最近のコメント