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2010/07/19

地域の固有性を守るためにも、グローバル化に関与しなければならない。

 現在進んでいる「グローバリズム」のいわば「勝ち組」である英語を母国語とする人たち。その文化の中に、ローカルなものがないかと言えば、そんなことはない。英国にも、アメリカにも、それぞれの固有の「ローカル」な文化がある。

 たとえば、ヒース・ロビンソン。イギリス人に深く愛されているイラストレーターである。私は、ケンブリッジに留学中に、近くのイリーの街の骨董屋で見つけた。オリジナルということはないにせよ、複製なのだろうと思い込んでいたが、後で、ヒースロビンソンのイラスト集の本を一頁ずつばらばらにしたものだと分かった。

 滑車や、紐、椅子などを組み合わせた奇想天外な「機械」で有名なヒースロビンソン。やたらと凝っていて、実用的には役に立たないものを一般に「ヒースロビンソン」と言うくらいに、人口に膾炙している。しかし、イギリス国外では、あまり知られていない。

 あるいは、アメリカの田舎の夏を飾る「フェア」。私は、ミシガン州の農家に滞在している時に見た。大平原の中に、突然遊園地が出現する。メリーゴーランドや、ゴーカートなど。ふだん、娯楽らしい娯楽がない地元の子どもたちが、目を輝かせて走り回っている。ふと気付けば、地平線に大きく赤く沈んでいく夕陽。あの風情は忘れがたいが、きわめてローカルな文化であることも事実である。

 グローバル化時代の「リンガ・フランカ」である英語を母国語とする人たちは、他の言語を母国語とする人よりも、確かに自らの文化を浸透させる上で有利である。しかし、だからといって、英語圏の文化が、そっくりそのままグローバルに流通するわけではない。

 私たちは、「文化」と「文明」の区別をする必要がある。インターネットの時代に、世界共通の流通のインフラとして構築されつつある「文明」と、それぞれの地域に育まれ、いわば「温存」されていく「文化」と。インターネットを通して、世界の文明がいわば地球規模の「単連結」なものとして発展していくことは、それぞれの地域の文化が消えてしまうということ、あるいはそれが世界中へと流通していくことを必ずしも意味するのではない。

 むしろ、グローバリズムの下での文明と、各地域でのローカルな文化は共存していく。浅草の三社祭は、消えない。アメリカの田舎の夏のフェアが消えないように。インターネットの発達によって、これらのローカルな文化に関する情報がネット上に拡散していくということはあるだろう。しかし、それらはあくまでも「ロングテール」な領域に留まるだろう。ローカルはロングテールに返還される。グローバル化が進展したとしても、世界各地の文化が全て均一になってしまうわけではもちろんない。

 グローバルな文明は、ルールが変わりゆく世界においてはローカルな文化の破壊者ではなく、その存在条件に次第に変わっていく。グローバルな「文明」への参加は、各地域のローカルな「文化」を持続可能なものにするために、どうしても不可欠なことである。どれほどローカルな文化の大切さを説いても、グローバルな文明との関係を整備しなければ、そもそもの存続すらが危うくなるのだ。

 地域の固有性を守るためにも、グローバル化に関与しなければならない。この与件は、日本も、グローバル化の「勝ち組」であるイギリスもアメリカも全て変わることはない。


ヒース・ロビンソンのイラスト。

7月 19, 2010 at 07:03 午前 |