全力で振り切ること
子どもの頃、草野球をするのが好きだった。王貞治選手の真似をして、一本足打法をした。
ぼくたちのルールでは、公園にあるブランコを超えるとホームランだった。小学校5年生の夏、一番熱心に草野球をした。確か、「ホームラン」を50本くらいは打ったんじゃないかと思う。
そんなことをするうちに、バットを全力で振り切る喜びを覚えた。三振しようが何だろうが、とにかくバットを思い切り振る。空振りしようが何だろうが、全力で振り切ると、爽快だということを、子ども心に知った。
草野球が楽しかったのは、その世界が青天井だったからだろう。室内で、上にガラスの天井があると思っていたら、バットを全力で振り切ることなどできない。頬をなでる風も、ぼくを照らす太陽も、すべて、バットを振り切ることを応援してくれていた。
大人になっても、本質は変わらない。バットを全力で振り切ること。何よりも、そのような行為が出来る、青天井の環境を求めること。
「あそこを超えたらホームラン」と、どんなに些細な目標でも、とりあえずは決めて見ること。そうして、ブランコの姿を見きわめること。そのような態度が、大切だと思う。
あるいは、サッカーの試合で、45分ハーフの間、必死になってピッチの上を走り回ること。ボールを追いかけ、人との間を測り、状況を読み解くこと。息が切れ、足がふらついても、それでもなお走り続けること。そんな風に、日々を生きてみたい。
人生には、バットを振り切ったり、ピッチを走り回ったりすることを邪魔することがたくさんある。そのような障害に目を眩まされ、足をとられ、自分の生命を燃焼することを妨げられてしまっては、人生がもったいない。自らガラスの天井を作り、あるいは他人が全力で疾走することを邪魔し、干渉し、妨げるような社会は、次第に老いていく。
その構成員が、少年、少女の時に夢中になって遊んだあの日のように、ずっと生き続けることができたら、そのような社会は、活き活きと成長を続けることができるだろう。日本をそのような場にするには、どうすれば良いのか。
7月 22, 2010 at 06:05 午前 | Permalink
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