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2010/07/21

日本の危機

 日本は、今、未曾有の危機を迎えているように見える。少なくとも、あくまでも主観的かもしれないけれども、筆者の認識の中では、そのように見える。

 日本の近代史は、それなりに誇り高いものだった。明治維新で、アジアの他の国に先駆けて「近代化」を果たした。「坂の上の雲」をめがけて、一生懸命に駆け上がった。日露戦争に勝利して、世界を驚かせた。第二次大戦の荒廃から、奇跡の復興を遂げた。このような日本の近代の歴史には、その時々を懸命に生きてきた日本人の努力と精進がある。

 日本が最後に輝きを放ったのは、1980年代後半から1990年代初頭にかけてのいわゆる「バブル景気」の時だったかもしれない。株価が上昇し、人々は夜遅くまで遊興し、タクシーがなかなか捕まらなかった。日本の地価の総額がアメリカのそれを超え、「アメリカの象徴」ニューヨークのロックフェラーセンターが日本企業に買収されたことが大きく報道されもした。

 ところが、時代は、すっかり変わってしまった。バブルは弾け、日本は「失われた10年」、「失われた20年」に突入した。1995年以来、日本の名目GDPは伸びていない。同じ時期に、他の先進工業諸国、新興国は成長を続けた。

 かつて、日本の強すぎる輸出企業が、アメリカなどで「ジャパン・バッシング」(日本叩き)を呼んだ。それが、中国の経済成長で、重要な外交課題が推移し、「ジャパン・パッシング」(日本通過)となった。昨今では、そもそも日本については話題にも上らないという「ジャパン・ナッシング」(日本は存在しない)になりつつある。

 日本は今、劣化しつつある。明治維新以来、紆余曲折を続けながらも躍進し続けてきた「近代日本」の「賞味期限」が切れつつあるのかもしれない。そんな漠たる不安が社会に広がる。そんな中、私たちは、ただ手をこまねいて自らの愛する国が衰退し、没落し、ダメになって行くのを見ているだけで良いのだろうか。日本の危機の深さ、大きさに比べると、現在の日本の社会は表面上あまりにものんびりと構えているように見える。まるで、自分たちの危機の本質を、自身でつかめていないかのようだ。

 おそらくは、日本自身が変わったのではない。世界が変わったのである。そして、もし、世界の変質が日本の不調の原因だとすれば、日本の危機は深刻である。一つの社会が、ある「ゲームのルール」の下で好調に推移したとしても、別の「ゲームのルール」においても高いパフォーマンスを示すとは限らない。日本が1990年くらいまでそれなりに順調にやってきた理由となった日本社会の資質が、1990年以降の世界ではかえって足かせとなり、日本の成長を妨げているのかもしれない。もしそうだとすれば、日本が大きく自らを変えなければ、この不調からは脱出できない可能性が高い。

 平安時代を生きた空也上人の作と伝えられる「 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」。この歌にあるように、私たち日本人は、今現在の自身を一度は「捨て」なければならないのだろう。いつまでも、淀みの中にとらわれてしまっていてはいけない。どんなに不安でも、恐怖があっても、それを乗り越えて一度は流れの中に身を捨ててこそ、広い世界へ出ることができるかもしれないのである。


空也上人立像 (六波羅蜜寺)

7月 21, 2010 at 07:26 午前 |