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2010/07/30

これからの大学

 現在、私たち日本人が「脱藩」すべき最大の対象は、「明治」という改革によってもたらされた制度そのものであるのかもしれない。

 東京大学の起源は、江戸時代に設置されていた天文方、神田お玉ヶ池種痘所、それに昌平坂学問所にあるとされる。明治政府により、開成学校、医学校、昌平学校が設置され、さらにいくつかの改組を経て、1877年4月12日、東京大学が誕生した。

 東京大学では、最初は外国人によりヨーロッパの言語で教育が行われていた。それが、次第に日本人の教師による、日本語の教育へと変遷していった。1903年、パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の後任に夏目漱石が就任したのが、その一つの事例である。

 明治という時代の性格からしてやむを得ないことであるが、東京大学は、西洋の学問を翻訳し、日本人に伝える組織として出発した。「翻訳文化」こそ、その本質であった。ここにおける「翻訳」は、主に英語、ドイツ語、フランス語をはじめとするヨーロッパの言語の、日本語への翻訳のことであり、その逆方向の運動ではなかった。

 「翻訳」自体は、きわめて創造的で、知的な行為である。未だにコンピュータによる機械翻訳のよいプログラムが存在しないことでもわかるように、人間の脳の高度な知性が関与しなければ、翻訳は難しい。明治の日本人が、「哲学」、「権利」、「自由」、「科学」などの和製漢語を次々と生み出していったのは、見事な創造的精神の発露であった。そのような創造行為は、日本だけでなく、中国などの近隣諸国にも大いに資した。

 司馬遼太郎の言葉を借りれば、「文明の配電盤」として機能した東京大学をはじめとする日本の大学。これらの大学の存在が、日本の発展に大きな貢献をしたことは事実である。まさに、「坂の上の雲」を目指して駆け上がっていった日本の近代。他に例を見ないほどの急速な発展は、日本人の誇りである。東京大学をはじめとする日本の大学が、その発展において中心的な役割を果たしたことは疑いない。

 東京大学の「威光」は、西洋文化の「翻訳」という行為に本質的につながるものであった。東京大学の背後には、巨大な西洋文化があった。当時、西洋の文化程度と東洋の文化程度の間には、圧倒的な差異があった。その差異は、ある一つのものさしで測ったものに過ぎなかったかもしれないが、とにかく格差はあった。その格差を背景に、東京大学の権威には「後光」が差すことになった。「舶来」のものをありがたがる日本人にとって、東京大学は、「舶来」ものにおける「正統性」を担い、保証する装置となったのである。

 また、今日ではついつい忘れられがちなことであるが、明治時代の大学は、何よりも新しい分野の「開拓者」であった。「翻訳」とは、決して受け身の行為ではない。それは、様々な工夫をこらし、文脈を引き寄せなければ可能ではない、一つの「暗闇への跳躍」であった。東京大学をはじめとする明治時代に設立された大学の輝きは、西洋文明を吸収し、翻訳し、配電するというパイオニアの勇気から発するものだったのである。

 現在でも、「翻訳すること」の意義がゼロになってしまったわけではない。日本語という言語の宇宙を諸外国の影響を受けた形で充実させ、更新し、「ヴァージョン・アップ」していくことは、日本語を母国語とする私たちにとって大きな恵みとなる。そのような翻訳行為をするという大学の役割が消えてしまうわけでは決していない。

 一方、世界の「ゲームのルール」が変わってしまったことも事実である。インターネットの発達によって、世界の文化のダイナミクスがグローバル化し、多極的な結合と、相互作用の対象化が時代を特徴付けるに至った。世界中に張り巡らされたネットワークを通して、「モノ」だけでなく、「情報」もまた国境を越えて流通する。そのような時代における大学のあり方は、それ以前に比べて変質したものにならなくてはならない。

 インターネットの特徴は、「人の集まるところに価値が生まれる」ということである。ツイッターやフェイスブックといったネット上で注目されるサービスは、そこに人々を集め、関心を寄せ、注意や時間といったリソースをできるだけ使わせるというかたちで成立している。人が集まり、情報のトラフィックが生まれるということ自体が、価値を生み出し、その質を決定付ける。

 知を集積し、熟成させ、新しい価値を生み出すという大学の役割は、これからますます「インターネット」に似たかたちで発展していくことになるだろう。そのような時代に、大学のあり方が「輸入学問」であってはいけない。たとえ、翻訳という作業が創造的なものであるとしても、それだけでは足りない。インターネット時代における開拓者としてのオーラを放ち、尊敬を集めるには不十分なのである。

7月 30, 2010 at 08:05 午前 |