坂本龍馬が現代に生きていたら、スティーヴ・ジョブス氏のよき友人となったろう
グローバリズムの時代となり、インターネットをはじめとする情報ネットワークで世界中が結びつけられ、偶有性が避けられない時代。このような時代に日本が適応し、再び輝きを取り戻すためには、「脱藩」精神を持つことが避けられない。
日本人が「脱藩」精神を発揮する上で、阻害要因になっていることはいくつかある。実際、日本人の多くは、「脱藩」からほど遠い生活を送ってきたし、今も送っている。
やっかいなのは、それらのことの多くが、明示的なルールにも、言語にもできないということである。無意識のうちに日本人の多くが従っている暗黙のルールがある。 そして、そのことに、日本人である私たちは、なかなか気付かないのである。
意思決定のプロセスや、システムの在り方を議論する際に、しばしば「マインドセット」という言葉が使われる。ある組織やグループに属する人々がさまざまなことを評価したり、行動の選択をするにあたって暗黙のうちに援用し、従っているルール、価値観、行動の方法論などを「マインドセット」と呼ぶのである。
日本人には、暗黙のうちに従っている「マインドセット」がある。たとえば、マスコミで使われる「勝ち組」や「負け組」という言い方。人生を勝ち負けにおいてとらえること自体の是非は置くとして、日本のメディアでは、ある組織やグループに属すること自体が「勝ち」であり、属さないことが「負け」であるといった言い方がなされる。そのような際に、日本独特の「マインドセット」が機能している。報じるメディアの人たちもまたその中にあり、自分たちの言葉使いが特定の価値観を前提としていることに気付かない。
本来、人生における「成功」のあり方はさまざまなはずだ。アインシュタインは、創造性というものは個人にしか宿らないと言い切った。一人ひとりが、そのユニークな価値観、行動原理で自由に競争することこそが、「成功の方程式」でなければならない。アインシュタインの言うところの個人主義的な「成功の方程式」の中には、当然のことながら、大学を中退して起業し、成功したマイクロソフトのビル・ゲイツ氏やアップルのスティーヴ・ジョブス氏が含まれる。
一人のビル・ゲイツ氏、一人のスティーヴ・ジョブス氏が誕生するためには、組織に頼らずに、自らの才覚と工夫で人生を切り開こうとしている人々の群れが、何十万、何百万と存在しなければならない。純然たる統計の法則によって、そのような人々の中から成功者が現れる。これらの成功者が、社会を変えてくれる。
アメリカの社会が、マイクロソフトやアップルの登場によって、雇用や経済の側面でいかに助かっていることか。その背後には、個人の自由な創意工夫をこそ由とするマインドセットがある。国や時代の違いを超えて、坂本龍馬の同類を求めようとすれば、日本よりもビル・ゲイツ氏やスティーヴ・ジョブス氏を生み出したアメリカにこそ多く見いだすことができる。
スティーヴ・ジョブス氏は、スタンフォード大学の卒業式におけるスピーチで、「ハングリーであり続けよ。愚かであり続けよ。」(Stay hungry, stay foolish)と言った。坂本龍馬が現代に生きていたら、スティーヴ・ジョブス氏のよき友人となったろう。
スタンフォード大学の卒業式で講演するスティーヴ・ジョブス氏。
7月 6, 2010 at 07:04 午前 | Permalink
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