「脱藩」こそが、時を経て、私たちが生きる現代の日本においてかけがえのない精神となる。
坂本龍馬という名前は、むろん子どもの頃から知っていた。明治維新において大きな仕事をした人であるということもわかっていた。「船中八策」や、「海援隊」、「薩長同盟」、「大政奉還」といったキーワードも知っていた。
しかし、なかなか、龍馬という人が自分にとって大切な存在にはならなかった。何となく薄ぼんやりとした印象があって、その「霧」の中で、坂本龍馬という人がしっかりとした印象を結ばなかったのである。
それが、ある時高地を訪れて変わった。誘われて、高知市の郊外、静かな山里にある社に足を運んだ。
山路を少し登ったところにある簡素な社が、「和霊神社」。お堂の中から今上がってきた方向を見ると、森の暗がりの一部分がぱっと明るく感じられた。
上り道の入り口には、「和霊神社」の石碑があった。
「祭神 宇和島伊達藩家老 山家清兵衞公頼 幕末の志士坂本龍馬4代前の先祖坂本八郎兵衞直益が宝暦十二年宇和島の和霊神社を坂本家の屋敷神として勧請文久二年龍馬脱藩の際水杯で武運長久を祈願したと伝わる昭和六十年から事績を顕彰した龍馬脱藩祭を行っている」
満26歳の時に、坂本龍馬は土佐を脱藩する。その際に、水杯で武運長久を祈った場所が、この和霊神社。
大切なことは、たいてい不意打ちで訪れる。「脱藩」という言葉の持つ重大な意味。思い至り、戦慄する。何が起こるかわからない「偶有性」の暗闇。行く末は知れない。それでも、前に進むしかない。ひょっとすれば、命を落とすかもしれない。それでも、赴かなければならない。
当時の龍馬は、維新の最大のヒーローなどではない。胸に熱いものをたぎらせてはいるが、将来がどうなるかわからない、あくまでも「無名」の存在。その龍馬が、この山里の小さな祠で、水杯を交わし、そして脱藩していった。そう思うと、何とも言えない熱いものが、胸の奥底から込み上げてくるのを抑えられなかった。
「脱藩」こそが、時を経て、私たちが生きる現代の日本においてかけがえのない精神となる。「脱藩」する勇気と、それに伴うさまざまな企てこそが、私たちにとって何よりも必要なことである。そのような「心の景色」が、一瞬のうちにかいま見え、そうしてものすごい勢いで広がっていくように感じられたのである。
和霊神社入り口の碑
7月 3, 2010 at 06:43 午前 | Permalink
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