二進も三進もいかない
近年において、日本の力が衰退している理由を象徴する言葉が、「ガラパゴス化」である。
商品やサービスを始め、日本国内で生み出されたものが、日本以外のどこでも通用しないという事態。携帯電話が、日本市場に特化しすぎていて、海外で受けない、ということが「ガラパゴス化」ということが言われ始めたそもそもの最初である。
気付いてみると、「ガラパゴス化」を起こしているものは、たくさんある。たとえば、日本の大学。グローバル化が進み、国境を超えて人々が行き交うべき時代に、相変わらずほとんど日本人しか進学しない「閉じた」構造になっている。特に、学部学生の段階においては、言語の障壁や入試制度の問題もあって、閉ざされた状態になってしまっている。
あるいは、日本のメディア。テレビは、放送行政の壁もあって、もともと「国」ごとという性格が強
い。それにしても、日本で制作される番組の多くは、日本国内での日本人限定のコンテンツとなっている。新聞も、日本語で書かれた時点でほぼ読者が日本人に限られるため、ついつい視点が内向きになる。本来世界に向って開かれているはずのインターネットにおいても、日本発のサービスは、日本国内のマーケットで充足してしまっている事例が多い。
日本の組織、システム、商品やサービスが「ガラパゴス化」する理由の一つが、日本市場が十分に大きいことである。人口一億二千七百万人余りの、世界第二位の経済大国(2010年中に中国に抜かれて第三位に転落することがほぼ確実ではあるが)。日本の大学は、世界に目を向けなくても、日本人相手に「商売」していれば十分に成り立った。日本のテレビ局も、日本人相手の放送を考えていればそれで良かった。日本語の書籍も、それが翻訳されて海外に出ていくことを想定しなくても、十分にうるおった。生物の「用不用説」の考え方で言えば、日本以外のマーケットに進出する必要性がそれほど高くなかった。だからこそ、ガラパゴス化が進んだ。
日本の中で生きる上では、国内の状況に合わせるのが適応的である。そうすれば、日本の市場のサイズがある程度大きいこともあって、それなりに幸せな人生を送ることができる。しかし、それでは、世界の実際とどんどん乖離していってしまう。一方、世界市場に打って出ようとすれば、日本の常識を捨てなければならない。しかし、最初から、適応的になれるとは限らない。また、世界市場を目指す過程では、一時的にせよ、日本国内では適応的ではなくなるかもしれない。日本人は、小説『キャッチ22』で描かれたような、二進も三進もいかない状況に置かれているとも言えるのである。
7月 25, 2010 at 06:49 午前 | Permalink
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