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2010/07/30

これからの大学

 現在、私たち日本人が「脱藩」すべき最大の対象は、「明治」という改革によってもたらされた制度そのものであるのかもしれない。

 東京大学の起源は、江戸時代に設置されていた天文方、神田お玉ヶ池種痘所、それに昌平坂学問所にあるとされる。明治政府により、開成学校、医学校、昌平学校が設置され、さらにいくつかの改組を経て、1877年4月12日、東京大学が誕生した。

 東京大学では、最初は外国人によりヨーロッパの言語で教育が行われていた。それが、次第に日本人の教師による、日本語の教育へと変遷していった。1903年、パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の後任に夏目漱石が就任したのが、その一つの事例である。

 明治という時代の性格からしてやむを得ないことであるが、東京大学は、西洋の学問を翻訳し、日本人に伝える組織として出発した。「翻訳文化」こそ、その本質であった。ここにおける「翻訳」は、主に英語、ドイツ語、フランス語をはじめとするヨーロッパの言語の、日本語への翻訳のことであり、その逆方向の運動ではなかった。

 「翻訳」自体は、きわめて創造的で、知的な行為である。未だにコンピュータによる機械翻訳のよいプログラムが存在しないことでもわかるように、人間の脳の高度な知性が関与しなければ、翻訳は難しい。明治の日本人が、「哲学」、「権利」、「自由」、「科学」などの和製漢語を次々と生み出していったのは、見事な創造的精神の発露であった。そのような創造行為は、日本だけでなく、中国などの近隣諸国にも大いに資した。

 司馬遼太郎の言葉を借りれば、「文明の配電盤」として機能した東京大学をはじめとする日本の大学。これらの大学の存在が、日本の発展に大きな貢献をしたことは事実である。まさに、「坂の上の雲」を目指して駆け上がっていった日本の近代。他に例を見ないほどの急速な発展は、日本人の誇りである。東京大学をはじめとする日本の大学が、その発展において中心的な役割を果たしたことは疑いない。

 東京大学の「威光」は、西洋文化の「翻訳」という行為に本質的につながるものであった。東京大学の背後には、巨大な西洋文化があった。当時、西洋の文化程度と東洋の文化程度の間には、圧倒的な差異があった。その差異は、ある一つのものさしで測ったものに過ぎなかったかもしれないが、とにかく格差はあった。その格差を背景に、東京大学の権威には「後光」が差すことになった。「舶来」のものをありがたがる日本人にとって、東京大学は、「舶来」ものにおける「正統性」を担い、保証する装置となったのである。

 また、今日ではついつい忘れられがちなことであるが、明治時代の大学は、何よりも新しい分野の「開拓者」であった。「翻訳」とは、決して受け身の行為ではない。それは、様々な工夫をこらし、文脈を引き寄せなければ可能ではない、一つの「暗闇への跳躍」であった。東京大学をはじめとする明治時代に設立された大学の輝きは、西洋文明を吸収し、翻訳し、配電するというパイオニアの勇気から発するものだったのである。

 現在でも、「翻訳すること」の意義がゼロになってしまったわけではない。日本語という言語の宇宙を諸外国の影響を受けた形で充実させ、更新し、「ヴァージョン・アップ」していくことは、日本語を母国語とする私たちにとって大きな恵みとなる。そのような翻訳行為をするという大学の役割が消えてしまうわけでは決していない。

 一方、世界の「ゲームのルール」が変わってしまったことも事実である。インターネットの発達によって、世界の文化のダイナミクスがグローバル化し、多極的な結合と、相互作用の対象化が時代を特徴付けるに至った。世界中に張り巡らされたネットワークを通して、「モノ」だけでなく、「情報」もまた国境を越えて流通する。そのような時代における大学のあり方は、それ以前に比べて変質したものにならなくてはならない。

 インターネットの特徴は、「人の集まるところに価値が生まれる」ということである。ツイッターやフェイスブックといったネット上で注目されるサービスは、そこに人々を集め、関心を寄せ、注意や時間といったリソースをできるだけ使わせるというかたちで成立している。人が集まり、情報のトラフィックが生まれるということ自体が、価値を生み出し、その質を決定付ける。

 知を集積し、熟成させ、新しい価値を生み出すという大学の役割は、これからますます「インターネット」に似たかたちで発展していくことになるだろう。そのような時代に、大学のあり方が「輸入学問」であってはいけない。たとえ、翻訳という作業が創造的なものであるとしても、それだけでは足りない。インターネット時代における開拓者としてのオーラを放ち、尊敬を集めるには不十分なのである。

7月 30, 2010 at 08:05 午前 |

2010/07/29

必然化する偶有性

 日本という国が自らの過去の成功の残照の中で、将来への不安まどろんでいるうちに、世界は変わりつつある。

 変化した一番の理由は、世界のさまざまな国、地域の相互依存関係が強まったためである。グローバル化された世界においては、局所的な様子を見ているだけでは、自らの将来を「設計」することができない。遠く離れた場所での出来事が、回り回って自分自身の生活に重大な影響を与える。逆に言えば、そのような事態を前提として、自らの生き方、社会のシステム、組織のあり方を「設計」しなければならない。

 たとえば、直近では、ギリシャの財政危機に端を発した金融不安。ギリシャは、重要な文化の発祥の地であり、とりわけヨーロッパにとっては大きな歴史的意味を持つ国である。しかし、今日、ギリシャの人口は日本の約10分の1、経済規模は10分の1以下に過ぎない。本来ならば、ギリシャの財政危機が世界経済に影響を与えるとしても、限定されたものになるはずだった。

 ところが、ギリシャはユーロ圏に組み込まれてしまっている。そのため、ギリシャの危機が、世界の主要通貨の一つであるユーロの危機へとつながった。ユーロ危機が、ドル、ユーロ、円、元などの世界主要通貨の間の相互依存関係にも影響を与えて、世界全体が不確実性の中に投げ込まれる結果となった。

 今や、世界のさまざまな要素が、お互いに相互作用で結ばれてしまっている。それは、私たちに多くの恩恵をもたらした一方で、世界のダイナミクスを、本来的に偶有的なものへと変えてしまっている。

 自分の回りの「ローカル」な状況を自らコントロールしようとしても、そうはいかない。局所が、別の局所につながり、それがまた次の局所へとつながっていく。「ローカル」だけを見ていたのでは、二つ先、三つ先、四つ先のノードで何が起きているのか、把握できない。「遠く」で起こったことが、回り回って自分の生活に影響を与える。偶有性が必然的となっているのである。

 とりわけ、インターネットの発達は、物流の側面だけでなく、情報の面から見ても、世界各地の相互依存関係を強め、偶有性を増す結果となっている。大学などの教育機関は、もはやそれぞれの国や地域で孤立した存在であっては輝くことはできない。本や音楽、映画などの受容も、国境を越えて、予想もしないブームが起こったり、あるいは国の向こうから新しいトレンドが来たりなどという相互依存関係、偶有性が強まっている。

 グローバル化の世界では、グラフ構造から来る論理的必然として、偶有性が避けられない。今までの古いやり方を継続しようとしても、それでは持続可能ではないし、何よりも生命のあり方として不満足である。偶有性は、狭い世界で今までのやり方を継続しようとする人にとっては脅威であり、「黒船」であるが、それを抱きしめ、自らを投企しようとする人にとっては、大いなる成長の機会となり得る。 

 偶有性に向き合うことは、人間の脳の本来の働きに適う。もともと、脳の中の神経ネットワークの性質は、数個のシナプスを通してすべてのニューロンどうしが結び合う「スモール・ワールド・ネットワーク」性を持っていると考えられている。「スモール・ワールド・ネットワーク」においては、局所的な計算に加えて、遠くの回路どうしを結ぶ情報伝達も重要な意味を持つ。局所的な計算に比べて、遠くの回路で行われている計算は予測可能性が低い。

 脳は、もともと、容易には予想できない要素が本質的な役割を果たすという「偶有性」を前提にその動作が設計されている。そのことは、認識のメカニズムや、意識と無意識の関係、記憶の定着や想起などのプロセスに反映されている。偶有性に適応するからこそ、脳は創造的であり得る。グローバル化に伴う「偶有性」の増大に適応することは、脳本来の潜在的力を発揮することに、必ず資するはずなのである。

7月 29, 2010 at 07:52 午前 |

2010/07/28

脳のトリセツ 韓国の「足し算」文化

週刊ポスト 2010年8月6日号

脳のトリセツ 第51回 韓国の「足し算」文化

似通った部分への共感と異質さへのサプライズの混在に脳は惹きつけられる。国と国との関係も、恋愛も同じだ。

抜粋

 驚いたのは、寿司屋に入ってもポトラッチ状態だったということである。「正統日式」という表示があった。日本でもよく見られる店名の「金寿司」。韓国料理は確かにうまいが、毎食だとちょっと大変だからと、胃を休ませるつもりで入った。考えが甘かった。
 メニューから、「特選寿司」を選んだ。写真で見る限り、ごく普通の握り寿司。寿司が来る前にまずはいきなりキムチの小皿が三個運ばれてきて、びっくりした。しかしまあ、これくらいは予想の範囲内である。やはり、韓国では、にぎり寿司といってもキムチくらい付いてくるのだろう。
 自分で自分を納得させて、ビールを飲み、キムチをつまみながら寿司を待った。やがて運ばれてきた寿司は、なぜか白身ばかり。10カンあるうちの、9個が白身で、1個が茹でた海老である。日本でも、西の方では白身が好まれる傾向があるが、韓国の人はタイやヒラメが好きなのだろうか。とにかく、今までこってりとした肉を食べてきた身にとっては、淡泊な魚の味は有り難い。日韓友好ばんざいとばかり、箸を動かした。
 油断していた、と思い知らされたのはそれからである。まずは、店の人が小皿をさらに3つ持ってきた。これで、合計6皿。さすがは「ポトラッチ」文化の国。にぎり寿司しか注文していなかったのに、白菜キムチ、カクテキ、水キムチ、らっきょう、その他正体の分からない小皿が計6つも出てくるとは。
 すっかり圧倒された気分で小皿に手を伸ばしていると、さらに追い打ちがきた。大きな焼き魚がでんと出た。寿司を頼んだのに、焼き魚。日本でも、小ぶりのものをあぶったりはするが、これほど本格的なものは出てこない。魚身が20センチはある。口に運んでみると、あぶらがのっていておいしい。東京にいるのならば、ダイコン下ろしが欲しいところである。
 さあこれで終わり、寿司も食べ終わったし、そろそろ行くかと思っていると、最後にもう一つどんと着た。なんと、石焼きビビンパ。まさか、寿司を頼んで、締めにビビンパが出てくるとまでは、思わなかった。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100806jp/index.html


イラスト ふなびきかずこ

7月 28, 2010 at 10:15 午前 |

『文明の星時間』 茶の本

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第124回  茶の本

サンデー毎日 2010年8月8日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 先日、ある大学で授業をした時、将来は何をしたいかという話になった。とりわけ、国際社会の中でのプレゼンスが年々低下している日本の地位を上げるために、どんなことができるかということが話題になった。
 一人の学生が立ち上がって、「ぼくはお茶を習っているので、お茶の価値を世界に広めたい」と発言した。手を挙げてみんなの前で意見を表明した勇気は買うとしても、私はその考えは何となく甘いな、と思った。そうして、こう言った。
 「茶道は、もう、日本の文化の中でエスタブリッシュメントとして確立しているじゃないか。国際的にも、評価されている。価値が定まっているものを広めると言っても、そこには困難はないよね。君は、折角若いんだから、まだ評価が定まっていないもの、今は片隅に密かに隠れているものをこそ、表舞台に登場させるべく努力した方がいいのではないか。」
 気の毒だとは思ったが、私の本音の気持ちだった。すでに確立したものを褒めても仕方がない。敢えて言えば、少しずるい。若者が本当に志すべきものは、価値における下克上ではないか。そんな思いがあった。
 たとえば、ここ数十年の日本で起こった最大の「下克上」の一つと言えば、子どもが読むものだと見下されていた「マンガ」や「アニメ」の評価がすっかり変わり、大学での研究対象になったり、国際的にも日本を代表する「文化財」になったことだろう。すぐれた作品を送り出してきた関係者の努力には、頭が下がる。文化的な事件というものは、すべからく、このような価値の逆転を旨とするものでなければならない。
 「茶道」は、確かに素晴らしい芸術である。無限の奥行きがあり、真実の開示がある。しかし、その「茶道」も、その地位の確立の過程では「価値の逆転」があった。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。


イラスト 谷山彩子

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

など、盛りだくさんの内容です。

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7月 28, 2010 at 10:02 午前 |

モンスターの正体

 今、日本を脅かしているモンスターの正体。それは、「偶有性」である。生きる中で、将来がどうなるかわからないということ。自分たちが置かれている状況に、何らの必然性もないこと。このような「偶有性」という名のモンスターから、日本人は目を逸らそうとしている。

 「偶有性」は、近代以降の日本人にとって慣れ親しんだメタファーを使えば、まさに「外国」から来た「黒船」である。インターネットの登場によって、世界は「偶有性」のダイナミックスの中に疾走しようとしている。長い間固定されてきた秩序、システムが崩壊し、新しい、よりフレキシブルなものに取って代わられる。このような変化は、好むと好まざるとにかかわらず、一つの歴史的必然である。

 世界中の人が、「グローバリズム」という「偶有性の海」に飛び込み、大競争し、胆力を鍛える。そんな時代に、日本人は「偶有性」というモンスターに背を向け、惰眠をむさぼっている。本当は、不可避な変化がすぐそこまで迫ってきているとわかっているのに、恐くて、不安で仕方がない。だから、逃げ続け、安全な「小世界」の中で汲々としている。その「小世界」の持続可能性自体が危うくなっているというのに。

 小学校の時から、「受験勉強」に駆り立てる。それぞれの個性と関心に合わせた世界に没入し、ユニークな能力を伸ばすのではなく、驚くほど単調な「ペーパーテスト」という「モノカルチャー」の中で競い合う。最終的な目的は、「有名大学」というメンバー数が限られた「クラブ」への入会。一度入会してしまえば、学問の内容が真剣に問われ、深められていくこともない。大学三年から今度は「一流企業」という限られた「パイ」への就職競争が始まる。まるで、そこに所属しさえすれば、一生の幸せが保証されるとでも言うように。無反省なマスメディアが、そのようなステレオ・タイプ的認知をあおり立てる。

 受験、進学校、有名大学、一流企業。そのような敷かれたレールの上に人生の「幸せの方程式」があると思うこと。これが、現代日本の最大の宿痾である。現代文明を特徴付けている「偶有性」に背を向け続ける。これこそが、日本の「失われた10年」、「失われた20年」を特徴付ける神経症状だった。

 最も悲劇的だったのは、国の行く末を指導し、ヴィジョンを示すはずの「エリート」と呼ばれる人た
ちが、最も「偶有性」から遠い存在だったということである。日本において、「エリート」とは、すなわち、「こうすれば社会から認められ、成功する」というローカル・ルールに黙々と従う人のことであり、決して、偶有性の海の中で泳ぎ続ける人たちのことではなかった。受験勉強を重ね、有名大学に入り、官僚になったり、一流企業の社員になる。そのプロセスには、「競争」はあったかもしれないが、そもそもの競争のルールや、どちらの方向に行くべきかというヴィジョンに関する揺れ動きは一切ない。

 グローバリズムの時代になったとはいえ、人々が一人残らずその自体の中で闘うべきだとまでは言い切れない。坂本龍馬の座右の銘とされる「世に生を得るは事をなすにあり」の気概で世界と渡り合う人たちは、私たちのうち、ごく少数でもいいのかもしれない。

 しかし、エリートと呼ばれる人たちが、国のために「偶有性の海」に飛び込まずに、一体他の誰が飛び込もうというのだろうか。自分自身が「有名大学」に所属することばかりを考え、官僚になれば自分の省庁の既得権益を守ることばかりに熱心である。そのような「偶有性」から程遠い振るまい、考え方が、いわゆる「エリート」の間に蔓延している。それでいて、ちっぽけなプライドばかり高い。これでは、国が傾くのは当然のことである。

 何の保証もない「偶有性の海」に飛び込むこと。その勇気がなければ、この世で面白い展開などあるはずがない。日本人は、ずいぶんとつまらない生き方を自らに強いてきたのである。

7月 28, 2010 at 09:30 午前 |

2010/07/27

モンスターの正体

 日本を今覆っている不安な気分は、日本人が自分たちの置かれている状況を直視していないということに起因する。日本という国を衰退させているものの正体がよくわからないままに、今までの惰性で生きようとしている。だから、未来に希望を持ちようがない。

 このような時には、危機をもたらしているものから逃げるのではなく、むしろそれを正面から直視しなければならない。直視することで、乗り切る方法も見えてくる。むしろ、やりようがあるのではないかと希望もわきあがる。

 人間は、自分を脅かすものの正体がわからない時に、最も不安を感じる。ホラー映画の一場面。暗闇の中を歩いている時に、不気味な気配がする。恐怖感をあおるような音楽が流れて、引きつったような被害者の表情が大写しになる。映画を観る者の心の中でも、不安は最高潮に達する。

 ついには、モンスターが姿を現す。牙をむきだし、目が血走り、鋭い爪を持つ恐ろしいその姿。観客は、思わず悲鳴を上げる。

 しかし、ここで、実は興味深い現象が起こっている。心の中にある不安のレベルは、モンスターの姿かたちが見えることで、むしろ低下している。それがどんなに恐ろしい姿であっても、何かわからない状態よりは、ましである。自らの生命を脅かすモンスターがいかに暴虐な姿をしているとしても、具体的にそれが見えてしまえば、対処法を考えることもできる。逃げ方も浮かんでくる。モンスターは、その正体がわからない時に、最も恐ろしいのである。

 ホラー映画の文法は、私たちに貴重な教訓を与えてくれる。どんなに恐ろしくても、目を閉じてしまってはいけない。顔を覆っている手を外して、モンスターの姿を直視しなければならない。実際にその正体を見極めれば、モンスターが実はそれほど恐ろしいものではないということが明らかになるだろう。モンスターの正体さえわかってしまえば、それは、私たちを脅かすどころか、ちゃんと向き合って対応すれば私たちを成長させ、大いなる恵みをもたらしてくれるものだということが判るはずなのだ。

7月 27, 2010 at 07:19 午前 |

2010/07/26

北海道力。

 北海道の人は、すごいパワーを持っていて、北海道で行われていることが全国でも行われていると思っている。

 たとえば、「炊事遠足」。野外に出ていって、自分たちでご飯をつくって食べる。「炊事遠足って、北海道でしかやっていないんですよ」と言うと、「えっ、そうなんですか」と一様に驚く。

 自分たちのやっていることが、「スタンダード」であると信じることができる。これは、優れた資質ではないか。

 初めて北海道を訪れたのは小学校5年生の時だった。あの時、本州のことを「内地」と呼んでいるのでびっくりしたな。

 内地の人間としては、「北海道力」がますます伸びることを望むものである。

7月 26, 2010 at 07:16 午前 |

2010/07/25

二進も三進もいかない

 近年において、日本の力が衰退している理由を象徴する言葉が、「ガラパゴス化」である。

 商品やサービスを始め、日本国内で生み出されたものが、日本以外のどこでも通用しないという事態。携帯電話が、日本市場に特化しすぎていて、海外で受けない、ということが「ガラパゴス化」ということが言われ始めたそもそもの最初である。

 気付いてみると、「ガラパゴス化」を起こしているものは、たくさんある。たとえば、日本の大学。グローバル化が進み、国境を超えて人々が行き交うべき時代に、相変わらずほとんど日本人しか進学しない「閉じた」構造になっている。特に、学部学生の段階においては、言語の障壁や入試制度の問題もあって、閉ざされた状態になってしまっている。

 あるいは、日本のメディア。テレビは、放送行政の壁もあって、もともと「国」ごとという性格が強
い。それにしても、日本で制作される番組の多くは、日本国内での日本人限定のコンテンツとなっている。新聞も、日本語で書かれた時点でほぼ読者が日本人に限られるため、ついつい視点が内向きになる。本来世界に向って開かれているはずのインターネットにおいても、日本発のサービスは、日本国内のマーケットで充足してしまっている事例が多い。

 日本の組織、システム、商品やサービスが「ガラパゴス化」する理由の一つが、日本市場が十分に大きいことである。人口一億二千七百万人余りの、世界第二位の経済大国(2010年中に中国に抜かれて第三位に転落することがほぼ確実ではあるが)。日本の大学は、世界に目を向けなくても、日本人相手に「商売」していれば十分に成り立った。日本のテレビ局も、日本人相手の放送を考えていればそれで良かった。日本語の書籍も、それが翻訳されて海外に出ていくことを想定しなくても、十分にうるおった。生物の「用不用説」の考え方で言えば、日本以外のマーケットに進出する必要性がそれほど高くなかった。だからこそ、ガラパゴス化が進んだ。

 日本の中で生きる上では、国内の状況に合わせるのが適応的である。そうすれば、日本の市場のサイズがある程度大きいこともあって、それなりに幸せな人生を送ることができる。しかし、それでは、世界の実際とどんどん乖離していってしまう。一方、世界市場に打って出ようとすれば、日本の常識を捨てなければならない。しかし、最初から、適応的になれるとは限らない。また、世界市場を目指す過程では、一時的にせよ、日本国内では適応的ではなくなるかもしれない。日本人は、小説『キャッチ22』で描かれたような、二進も三進もいかない状況に置かれているとも言えるのである。

7月 25, 2010 at 06:49 午前 |

コメディアン魂。

地デジ化完了まであと一年ということで、帝国ホテルでイベントがあった。萩本欽一さん、高橋英樹さん、北島三郎さんといっしょに、原口総務大臣から委嘱状をいただき、「地デジ応援隊」としての仕事をした。他に、いらっしゃれなかったけれども、桂歌丸さん、王貞治さん。

会場で、萩本欽一さんとお話して、改めて凄い人だと思った。コメディアン魂。あんなに大御所なのに、野生動物の心を忘れない人。萩本さん、本当にありがとう。

7月 25, 2010 at 12:31 午前 |

2010/07/23

鄧小平以前の中国

 近年の日本の経済、文化、文明の低迷の原因は、非常に深いところにある可能性が高い。対症療法の付け焼き刃では、この「不調」を脱することはできないだろう。

 一つの社会の「オペレーティング・システム」が、ある時代には適応的であり、すぐれたパフォーマンスを発揮することに資しても、「ゲームのルール」が変わった新時代においては、うまく機能しないということはあり得る。インターネットが地球上を覆い、「偶有性のダイナミクス」が避けることのできない「現実」となってしまった現在、日本人のマインドセットが知らず知らずのうちに私たちの自由を縛り、窒息させているのかもしれない。

 社会の「オペレーティング・システム」の問題点は、まさにそのまっただ中にいる自分たちには気付きにくいことが多い。「外部」から見れば、議論の余地がないほどに明かなことなのに、本人たちは、社会がさまざまな障害、障壁を作ってしまっていることに自覚的になれないのである。

 経済が年率10%程度の成長を続け、今年中にはGDPが日本のそれを抜くことが確実とされるお隣の国、中国。今や、「アジアで一番重要な国」の地位を、すっかり奪ってしまった感のある中国だが、いつもこのように「絶好調」だったというわけではなかった。

 現在の中国の快進撃が始まるきっかけになったのは、鄧小平氏(1904年〜1997年)の「改革開放」路線。共産主義の下での行きすぎた「平等」を廃し、市場経済のメカニズムを中国に取り入れた。その結果、たとえ貧富の格差が生じたとしても、「可能な者から先に裕福になれ。そして落伍した者を助けよ。」という「先富論」に基づいて、最終的には社会全体に富が行き渡るものと考えた。広東省や福建省などに外国資本を受け入れる「経済特区」を設けた。このような改革の結果、中国社会の持っていた潜在的な成長能力が引き出された。

 中国の近年の絶好調は慶賀すべきものとして、それ以前の長い「低迷の時代」も忘れてはいけない。鄧小平の「改革開放」路線以前の中国は、その長い歴史とすぐれた文化的伝統にもかかわらず、外から見て「成長しない」国であることは明かであった。社会の中に自由がない。経済活動において、個人の創意工夫を活かす余地がない。そんな状況では、経済成長など、とても覚束ないということは当然のことのように思われた。

 今の日本は、恐ろしいことに、世界の発展のルールと不整合を起こしているという点において、鄧小平の「改革開放」路線以前の中国と同じような状態にあるのかもしれない。日本の社会の中に、インターネットが地球を覆う偶有性の時代に成長することを妨げる、さまざまな社会制度、マインドセットがある。そのために、今日の世界の中で、日本社会が成長できないということは、いわば「自明の理」なのかもしれない。鄧小平の「改革開放」路線くらいの、日本の社会構造自体を変える思い切った手を打たなければ、成長することは望めないのかもしれないのである。

 日本が変わったのではない。経済や文化の発展を巡る、「ゲームのルール」が変わってしまったのだ。インターネット以前のルールの下では有効だった日本社会の「オペレーティング・システム」が、「オープン」で「ダイナミック」な発展を旨とする偶有性の時代には、適応的ではなくなってしまった。

 歴史とは、時に残酷なものである。ある時代の寵児が、別の時代には不調を託つということは、過去に何度も繰り返されてきた。近代という時代の「寵児」だった日本だが、これまで比較的幸運だったからといって、このまま座して待つだけで、不幸な運命を逃れられると思ってはいけない。

 もちろん、お隣の中国も、いつまでも絶好調が続くとは限らない。「世界の工場」としての発展の段階を超えて、いよいよ世界に張り巡らされた情報ネットワークの中での「ソフト」や「システム」の経済へとステップアップした時に、今の中国社会の「オペレーティング・システム」のままやっていけるかどうかはわからない。検索エンジンの使用を制限したり、言論の自由をうばっている状況では、アメリカのインターネット文化の爆発的発展に匹敵するような成長を遂げるのは困難である可能性が高いだろう。もって他山の石としなければならない。


鄧小平氏。

7月 23, 2010 at 08:07 午前 |

2010/07/22

全力で振り切ること

 子どもの頃、草野球をするのが好きだった。王貞治選手の真似をして、一本足打法をした。

 ぼくたちのルールでは、公園にあるブランコを超えるとホームランだった。小学校5年生の夏、一番熱心に草野球をした。確か、「ホームラン」を50本くらいは打ったんじゃないかと思う。

 そんなことをするうちに、バットを全力で振り切る喜びを覚えた。三振しようが何だろうが、とにかくバットを思い切り振る。空振りしようが何だろうが、全力で振り切ると、爽快だということを、子ども心に知った。

 草野球が楽しかったのは、その世界が青天井だったからだろう。室内で、上にガラスの天井があると思っていたら、バットを全力で振り切ることなどできない。頬をなでる風も、ぼくを照らす太陽も、すべて、バットを振り切ることを応援してくれていた。

 大人になっても、本質は変わらない。バットを全力で振り切ること。何よりも、そのような行為が出来る、青天井の環境を求めること。

 「あそこを超えたらホームラン」と、どんなに些細な目標でも、とりあえずは決めて見ること。そうして、ブランコの姿を見きわめること。そのような態度が、大切だと思う。

 あるいは、サッカーの試合で、45分ハーフの間、必死になってピッチの上を走り回ること。ボールを追いかけ、人との間を測り、状況を読み解くこと。息が切れ、足がふらついても、それでもなお走り続けること。そんな風に、日々を生きてみたい。

 人生には、バットを振り切ったり、ピッチを走り回ったりすることを邪魔することがたくさんある。そのような障害に目を眩まされ、足をとられ、自分の生命を燃焼することを妨げられてしまっては、人生がもったいない。自らガラスの天井を作り、あるいは他人が全力で疾走することを邪魔し、干渉し、妨げるような社会は、次第に老いていく。

 その構成員が、少年、少女の時に夢中になって遊んだあの日のように、ずっと生き続けることができたら、そのような社会は、活き活きと成長を続けることができるだろう。日本をそのような場にするには、どうすれば良いのか。


7月 22, 2010 at 06:05 午前 |

2010/07/21

朝日カルチャーセンター 脳とこころを考える

朝日カルチャーセンター
脳とこころを考える
「脳と身体」

2010年7月23日、8月27日、9月24日(全3回)

第一回(7月23日)は、腸管免疫学者の上野川修一をお迎えして対談いたします。

詳細 

7月 21, 2010 at 07:34 午前 |

日本の危機

 日本は、今、未曾有の危機を迎えているように見える。少なくとも、あくまでも主観的かもしれないけれども、筆者の認識の中では、そのように見える。

 日本の近代史は、それなりに誇り高いものだった。明治維新で、アジアの他の国に先駆けて「近代化」を果たした。「坂の上の雲」をめがけて、一生懸命に駆け上がった。日露戦争に勝利して、世界を驚かせた。第二次大戦の荒廃から、奇跡の復興を遂げた。このような日本の近代の歴史には、その時々を懸命に生きてきた日本人の努力と精進がある。

 日本が最後に輝きを放ったのは、1980年代後半から1990年代初頭にかけてのいわゆる「バブル景気」の時だったかもしれない。株価が上昇し、人々は夜遅くまで遊興し、タクシーがなかなか捕まらなかった。日本の地価の総額がアメリカのそれを超え、「アメリカの象徴」ニューヨークのロックフェラーセンターが日本企業に買収されたことが大きく報道されもした。

 ところが、時代は、すっかり変わってしまった。バブルは弾け、日本は「失われた10年」、「失われた20年」に突入した。1995年以来、日本の名目GDPは伸びていない。同じ時期に、他の先進工業諸国、新興国は成長を続けた。

 かつて、日本の強すぎる輸出企業が、アメリカなどで「ジャパン・バッシング」(日本叩き)を呼んだ。それが、中国の経済成長で、重要な外交課題が推移し、「ジャパン・パッシング」(日本通過)となった。昨今では、そもそも日本については話題にも上らないという「ジャパン・ナッシング」(日本は存在しない)になりつつある。

 日本は今、劣化しつつある。明治維新以来、紆余曲折を続けながらも躍進し続けてきた「近代日本」の「賞味期限」が切れつつあるのかもしれない。そんな漠たる不安が社会に広がる。そんな中、私たちは、ただ手をこまねいて自らの愛する国が衰退し、没落し、ダメになって行くのを見ているだけで良いのだろうか。日本の危機の深さ、大きさに比べると、現在の日本の社会は表面上あまりにものんびりと構えているように見える。まるで、自分たちの危機の本質を、自身でつかめていないかのようだ。

 おそらくは、日本自身が変わったのではない。世界が変わったのである。そして、もし、世界の変質が日本の不調の原因だとすれば、日本の危機は深刻である。一つの社会が、ある「ゲームのルール」の下で好調に推移したとしても、別の「ゲームのルール」においても高いパフォーマンスを示すとは限らない。日本が1990年くらいまでそれなりに順調にやってきた理由となった日本社会の資質が、1990年以降の世界ではかえって足かせとなり、日本の成長を妨げているのかもしれない。もしそうだとすれば、日本が大きく自らを変えなければ、この不調からは脱出できない可能性が高い。

 平安時代を生きた空也上人の作と伝えられる「 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」。この歌にあるように、私たち日本人は、今現在の自身を一度は「捨て」なければならないのだろう。いつまでも、淀みの中にとらわれてしまっていてはいけない。どんなに不安でも、恐怖があっても、それを乗り越えて一度は流れの中に身を捨ててこそ、広い世界へ出ることができるかもしれないのである。


空也上人立像 (六波羅蜜寺)

7月 21, 2010 at 07:26 午前 |

2010/07/20

過干渉な日本社会。

 人間の脳の情動の回路には、「確実性」と「不確実性」のバランスをとる働きがある。「確実性」が存在するだけ、「不確実性」を積み増すことができる。いわば、「確実性」と「不確実性」を要素とする「ポルトフォリオ」を脳が組み、それを「運用」するのである。

 大人になれば、自分自身の経験や知識、文脈などが十分な「確実性」を提供してくれることになる。GHQによる占領という困難な時代に果敢に立ち向かった白洲次郎の事例で言えば、その生きる上での「プリンシプル」が、不確実性に向き合うための「確実性」となってくれたのである。 

 言い方を換えれば、「大人」とは、人生の不確実性に立ち向かうことができるだけの「確実性」を自らの中に蓄積している存在だということができる。

 一方、子どもの時には、知識も経験も不足しているし、自らのプリンシプルも足りないから、単独では不確実性に立ち向かうのが難しい。そこで、保護者が「安全基地」を提供して、子どもの「確実性」を補う。保護者が「安全基地」を提供してくれるからこそ、子どもは安心して不確実性に立ち向かい、学ぶことができる。

 ここで大切なのは、子どもが発達する上で欠かすことのできない「安全基地」は、あくまでも子どもの自主性、能動性を前提に、親がその「挑戦」を見守るというかたちで成立するということである。重要なのは、あくまでも子どもの「能動性」が基本となるということであって、それが奪われたかたちでの「安全基地」は、子どもの学習の質を損なう。

 たとえば、「過干渉」な保護者は、安全基地を提供しているとは言えない。子どもが何をやるべきか、「箸の上げ下ろし」まで指示し、干渉する。子どもを評価する文脈を、過剰に設定する。子どもが自主的に何かをしようとすると、「勝手にそんなことをしてはダメ」と怒る。そのような保護者は、子どもの自主性を伸ばしてあげることができない。

 過干渉な保護者の下で育った子どもは、その限りにおいて能力を発揮するに至る。保護者が設定した文脈の中で、「よい子」として力を発揮できる。その文脈は、それなりの社会性、利他性を持っているだろう。子どものことを思わない保護者はいない。保護者が理解した限りにおける世の中の仕組み、価値観を反映して、子どもの脳は育つ。しかし、その能力は、あくまでもある特定の文脈を前提にしたものに過ぎない。

 子どもの頃から「受験」に追い立てられ、「一流大学」から「一流企業」へと進む。そのような日本のシステムに乗った「良い子」は、結局、文脈限定の能力を身につけているに過ぎない。「組織」や「肩書き」を自らの存在意義とするということは、能動性を前提にした「安全基地」の思想からは最も遠いことである。「組織」や「肩書き」によって自らを支えるということは、すなわち、一生「過干渉」な保護者の下で過ごすようなものである。

 「組織」の一員として、自らの行動の自由、ダイナミック・レンジをあらかじめ縛ってしまう。「肩書き」に「ふさわしい」行動を取ろうとするあまり、自らの自由を縛ってしまう。「過干渉」な保護者の下で、子どもの自由がいわば「窒息」するのと同じように、文脈過多な日本の社会は、その構成員の能動性、自主性を奪う。

 子どもの頃から受験に追い立てられ、「履歴書に穴が開いてはいけない」とばかり「組織」という「過干渉」な鎖に縛り付けられる日本人は、一人で不確実性に向き合うために必要な「確実性」を自らの中に涵養する機会を奪われている。日本人は、自分の中に「安全基地」を培うことができていない。結論として、「大人」になることができていないのである。


過干渉な日本社会。

7月 20, 2010 at 07:39 午前 |

2010/07/19

地域の固有性を守るためにも、グローバル化に関与しなければならない。

 現在進んでいる「グローバリズム」のいわば「勝ち組」である英語を母国語とする人たち。その文化の中に、ローカルなものがないかと言えば、そんなことはない。英国にも、アメリカにも、それぞれの固有の「ローカル」な文化がある。

 たとえば、ヒース・ロビンソン。イギリス人に深く愛されているイラストレーターである。私は、ケンブリッジに留学中に、近くのイリーの街の骨董屋で見つけた。オリジナルということはないにせよ、複製なのだろうと思い込んでいたが、後で、ヒースロビンソンのイラスト集の本を一頁ずつばらばらにしたものだと分かった。

 滑車や、紐、椅子などを組み合わせた奇想天外な「機械」で有名なヒースロビンソン。やたらと凝っていて、実用的には役に立たないものを一般に「ヒースロビンソン」と言うくらいに、人口に膾炙している。しかし、イギリス国外では、あまり知られていない。

 あるいは、アメリカの田舎の夏を飾る「フェア」。私は、ミシガン州の農家に滞在している時に見た。大平原の中に、突然遊園地が出現する。メリーゴーランドや、ゴーカートなど。ふだん、娯楽らしい娯楽がない地元の子どもたちが、目を輝かせて走り回っている。ふと気付けば、地平線に大きく赤く沈んでいく夕陽。あの風情は忘れがたいが、きわめてローカルな文化であることも事実である。

 グローバル化時代の「リンガ・フランカ」である英語を母国語とする人たちは、他の言語を母国語とする人よりも、確かに自らの文化を浸透させる上で有利である。しかし、だからといって、英語圏の文化が、そっくりそのままグローバルに流通するわけではない。

 私たちは、「文化」と「文明」の区別をする必要がある。インターネットの時代に、世界共通の流通のインフラとして構築されつつある「文明」と、それぞれの地域に育まれ、いわば「温存」されていく「文化」と。インターネットを通して、世界の文明がいわば地球規模の「単連結」なものとして発展していくことは、それぞれの地域の文化が消えてしまうということ、あるいはそれが世界中へと流通していくことを必ずしも意味するのではない。

 むしろ、グローバリズムの下での文明と、各地域でのローカルな文化は共存していく。浅草の三社祭は、消えない。アメリカの田舎の夏のフェアが消えないように。インターネットの発達によって、これらのローカルな文化に関する情報がネット上に拡散していくということはあるだろう。しかし、それらはあくまでも「ロングテール」な領域に留まるだろう。ローカルはロングテールに返還される。グローバル化が進展したとしても、世界各地の文化が全て均一になってしまうわけではもちろんない。

 グローバルな文明は、ルールが変わりゆく世界においてはローカルな文化の破壊者ではなく、その存在条件に次第に変わっていく。グローバルな「文明」への参加は、各地域のローカルな「文化」を持続可能なものにするために、どうしても不可欠なことである。どれほどローカルな文化の大切さを説いても、グローバルな文明との関係を整備しなければ、そもそもの存続すらが危うくなるのだ。

 地域の固有性を守るためにも、グローバル化に関与しなければならない。この与件は、日本も、グローバル化の「勝ち組」であるイギリスもアメリカも全て変わることはない。


ヒース・ロビンソンのイラスト。

7月 19, 2010 at 07:03 午前 |

2010/07/18

東京大学は、「舶来」ものにおける「正統性」を担い、保証する装置となった。

 東京大学の起源は、江戸時代に設置されていた天文方、神田お玉ヶ池種痘所、それに昌平坂学問所にあるとされる。明治政府により、開成学校、医学校、昌平学校が設置され、さらにいくつかの改組を経て、1877年4月12日、東京大学が誕生した。

 東京大学では、最初は外国人によりヨーロッパの言語で教育が行われていた。それが、次第に日本人の教師による、日本語の教育へと変遷していった。1903年、パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の後任に夏目漱石が就任したのが、その一つの事例である。

 明治という時代の性格からしてやむを得ないことであるが、東京大学は、西洋の学問を翻訳し、日本人に伝える組織として出発した。「翻訳文化」こそ、その本質であった。ここにおける「翻訳」は、主に英語、ドイツ語、フランス語をはじめとするヨーロッパの言語の、日本語への翻訳のことであり、その逆方向の運動ではなかった。

 「翻訳」自体は、きわめて創造的で、知的な行為である。未だにコンピュータによる機械翻訳のよいプログラムが存在しないことでもわかるように、人間の脳の高度な知性が関与しなければ、翻訳は難しい。明治の日本人が、「哲学」、「権利」、「自由」、「科学」などの和製漢語を次々と生み出していったのは、見事な創造的精神の発露であった。

 司馬遼太郎の言葉を借りれば、「文明の配電盤」として機能した東京大学をはじめとする日本の大学は、日本の近代化に大きな貢献をした。まさに、「坂の上の雲」を目指して駆け上がっていった日本の近代。他に例を見ないほどの急速な発展は、日本人の誇りである。東京大学が、その発展において中心的な役割を果たしたことは疑いない。

 東京大学の「威光」は、西洋文化の「翻訳」という行為に本質的につながるものであった。東京大学の背後には、巨大な西洋文化がある。当時、西洋の文化程度と東洋の文化程度の間には、圧倒的な差異があった。その差異は、ある一つのものさしで測ったものに過ぎなかったかもしれないが、とにかく格差はあった。その格差を背景に、東京大学の権威には「後光」が差すことになった。「舶来」のものをありがたがる日本人にとって、東京大学は、「舶来」ものにおける「正統性」を担い、保証する装置となったのである。

7月 18, 2010 at 08:15 午前 |

2010/07/17

「明治」からの脱藩

 日本の中でも、ようやく、このままではいけない、新しい時代を切り開かなければならない。そのような機運が高まってきている。

 その一方で、今までの「エスタブリッシュメント」の考え方も、根強く残っている。特に、インターネットに象徴される情報ネットワーク上の情報のように、世界規模で自由に流通することができない「人」に関わる分野では、改革は遅々として進まないことが多い。

 ハーバード大学やイェール大学に進む日本人の数が少ない。この点についても、それが問題であるということは少しずつ認識されるようになってきた。もちろん、海外の「一流大学」に日本人が留学することで全てが解決するわけではない。むしろ、本来の課題は逆である。日本の中に、世界に開かれた高等学術機関を作る。そこを目指して、世界の学生や、研究者が集ってくる。そのような魅力のある「場」を作るのが、最終的な目的でなければならないだろう。優秀な頭脳がアメリカに流出することは、個人の資質の涵養、及びネットワーキングという意味においてはプラスかもしれないが、人的資源の囲い込みという意味においては、やはり、中長期的に日本の国益を損する。

 ハーバードやイェールに留学することを、国際的に磨き上げられた学問、素養を身につけるという視点から捉えるのであれば、問題はない。一方で、単に「そっちの方が偉いから」とか、「ハクを付ける」というような意味合いで目指すのならば、何のことはない。自分の頭で考えることなく、権威を盲信する「古い日本」に逆戻りである。

 問題は、日本の中に、世界に開かれた、真にすぐれた高等学術機関をつくる上で、日本人のマインドセットが邪魔になり、足かせになっていることだろう。

 ある時、私はテレビ番組を収録するスタジオで、隣りのある女優の方と話していた。たまたま、その収録においては、ハーバードやイェールに行く日本人の数が少ないということがテーマだった。私は、日本の「今、ここにある危機」について話した。日本の大学が、学部学生がほとんど日本人しかいないという意味において、「ガラパゴス化」している。わが愛する母校のことをこんな風に言うのは忍びないが、もはや、東京大学に入るために小学校から塾に行き、「お受験」を重ねても、仕方がないではないか。

 そんなことを話していたら、その女優の方がこう仰った。「いいなあ。私、子どもが東大に行く母親になりたいわあ。」

 私は、そのささやきのような声に、その人の魂の真実を聞いたように思った。

 また、こんなこともあった。私が、ブログで、「脱藩」について盛んに論じていた頃のことである。ツイッターで、ある人が、このような趣旨のことを私に向ってつぶやいてきた。「無名の東大生が、東大ブランドを利用しようと考えても、その考えを否定できるのか?」

 そのつぶやきの後、「東大ブランド」に市場価値があるとか、利用できるものは利用したらいいとか、そのような考え方を擁護する「つぶやき」が続いた。

 スタジオでご一緒した女優も、ツイッターでつぶやいた人も、特に突出した感性を持っていたとは思えない。日本の社会のいわば「一般常識」に従って、ごく素直に意見を表明しただけだとしか思えない。

 このような事例に接すると、私はすっかり考え込まされてしまう。「東大ブランド」に象徴される日本人のマインドセット、すなわち、学問というものを、一生にわたって不断に積み上げていくものとして考えるのではなく、ある限られた「クラブ」に属するための「資格試験」のようなものとして考える。かつての中国の「科挙」に通じるメンタリティ。私は、そんなものに、価値があると思ったことはない。

 私自身は、「東大ブランド」を利用しようとしたことなど、一度もなかった。むしろ、在学中から、ブランドとかそんなものはクソクラエだと思っていた。「基準」は、常に、アインシュタインや、ラッセル、ヴィトゲンシュタインなどの、知の巨人だけだった。彼らに比べて、今の自分が、あるいは「東京大学」というものが、どれほどの価値があるものか、そんなことをいつも考えていた。人類の知的資産として残ることを成し遂げる。「認識における革命」をやる。それ以外に意味のあることはない。そんなことばかり考え、友人と熱っぽく話している若者だった。そんな視点から見れば、東大の入試ごとき、とっとと済ませてしまうべき下らないものにしか思えなかった。今思えば、その下らない入試に18歳の春まで付き合わされたことが、まさに「プロクラステスのベッド」だったわけであるが。

 マインドセットというものの本質は、深く掘り下げないとわからないのかもしれない。「東京大学」が日本の大学の中で特別な位置を占めているのは、その受験の「偏差値」の高さや、出身者中のノーベル賞受賞者の数、あるいは日本の中での社会的評価などとも関係があるのだろう。しかし、それだけではない。決定的に重要なのは、「東京大学」が設立された経緯の背後にあるもの、すなわち「明治」という時代精神そのものである。

 「東京大学」のマインドセットを脱藩するということは、すなわち、同時に、「明治」に始まった日本人のマインドセットを脱藩するということを意味する。そのような必要性が高まっているからこそ、現代は、明治維新に続く日本の変革期なのである。

7月 17, 2010 at 07:11 午前 |

2010/07/16

C・W・ニコルさんと、アファンの森で

C・W・ニコルさんを、黒姫のアファンの森に訪ねた。

(photos by Tomio Takizawa)

7月 16, 2010 at 12:09 午後 |

2010/07/15

坂本龍馬は、26歳にして、もう一度この世に生まれ直したのである。

 もともと、私たちは一人の「脱藩者」としてこの世に生まれてきた。母親の胎内という居心地の良い環境から、私たちは一人ひとりこの世に産み落とされてきた。母胎から離れて独立した呼吸をする者としてこの世を経験し始めることで、私たちの中に一つの潜在能力が開花し始めるのである。

 生まれ落ちたばかりの子どもは、この世界について何も確実なことは知らない。知らないままに、探索を重ねていく。どんな環境に生まれたとしても、文句一つ言わず、自分を囲んでいるものに一生懸命適応しようとするのである。

 私たちにとって、親は「絶対的な」存在である。世の中にはいろいろな人がいる。その中には、随分と個性的な人もいる。自分の友人を思い浮かべても、「こいつが親になれるのか」とか、「こんなやつが子育てできるのか」と心配になるケースも多いだろう。そんなユニークな人にでも、子どもはできる。そうして、その子どもにとっては、たまたま生まれ落ちてきたその両親の組み合わせが、自分にとっての絶対的な条件となる。

 たまたま、ある個性を持った親の下に生まれてくる。これが、実に、私たちの出生に関する「真実」である。その親が、「保護者とはかくあるべし」という視点から見て、決して理想的なわけではない。また、一人の子どもがその親の下に生まれてこなければならなかった「必然性」があったわけでもない。

 それでも、その親の下に生まれてきてしまった。もうこうなってしまっては、その「偶然」を「必然」として受け止めるしかない。「どうなることもできたのに」という「偶然」から、「こうなるしかなかった」という「必然」への命がけの跳躍。ここに、私たちの生命の本質である「偶有性」が立ち現れる。

 脱藩者になるということの本質は、すなわち、「偶然」を「必然」として引き受ける「偶有性」の中にある。いざ脱藩してみても、「外の世界」がどのようなものか、予想はつかない。たとえ、そこが思いもしなかったような逆境であっても、文句を言うわけにはいかない。与えられた状況の下で、一生懸命力を尽くすしかない。そこは、もはや、自分が慣れ親しみ、自分を育んでくれた勝手知ったる環境ではないのだから。勝手知ったる環境を抜けてこその、脱藩である。

 脱藩者は、自分が投げ込まれる環境について、文句を言うわけにはいかない。世界は、個人的な資質や感傷で動くにはあまりにも巨大である。たとえ不本意な扱いを受けたとしても、脱藩者は、文句を言ってはいけない。逆境でも、それを恵みとするくらいの勢いで、生き切ってみる。坂本龍馬が成し遂げたことの本質は、そこにある。坂本龍馬は、26歳にして、もう一度この世に生まれ直したのである。

7月 15, 2010 at 06:38 午前 |

2010/07/14

自分自身からの脱藩

 世の中には、他人に対して、「お前はこうだから」と決めつける論がある。また、そのような決めつけを商売をしている人たちがいる。

 科学的な皆無である血液型人間学もそうである。あるいは、学歴で人を決めつけるという風潮もそうである。あるいは、日本人は日本の風土、日本の社会の中に生まれ、育って来たのだから、変わることなどできないという論もそうである。外国語や音楽の修得には、早期教育が不可欠であるという論もそうである。男女の脳差を強調し、固定化する風潮も然りである。

 人をカテゴリー分けして、安心する。それは、「現状」を追認し、安定させるには資する。しかし、人間の脳の可塑性、「変化し得る」能力に注目し、引き出す上では阻害要因となる。

 実際には、人間は、変わることができる。確かに、生きる上でさまざまな制約や、持って生まれた資
質はある。しかし、だからといって、人生がすべて決まってしまうわけではない。幼い時に外国語を学ばなかったからといって、その習得が不可能なわけではない。人間は、何歳になっても新しいことを始め、そして学ぶことができる。

 フランシス・コッポラ監督が『地獄の黙示録』として映画化した小説『闇の奥』を書いたポーランド生まれのジョセフ・コンラッドは、二十歳を過ぎて初めて英語という言語に接して、三十半ばから英語で小説を書き出し、英国の文学史上に残る大作家となった。丸木スマさんは、七十を超えて初めて絵筆をとり、素晴らしい絵画作品を次々と発表して「院友」にまでなった。

 人間は変わることなどできないという「運命論」を説くのはその人の勝手だが、経験的事実に反する。実際には、人間の脳は、何歳になっても新しいことを学ぶことができる。そして、そのような潜在的能力を引き出してくれるのは、新たな「文脈」である。

 「脱藩」することの最大の意義は、自分を取り巻く「文脈」が変化することである。これまでの自分を育んでくれた文脈に感謝しつつ、新たな文脈の中へと身を投じる。「偶有性の海」の中に飛び込む。そのことによって、自分でも考えていなかったような力が、内側から湧いてくる。できるとは思っていなかったことが、できるようになる。

 坂本龍馬は、脱藩前から坂本龍馬だったのではない。脱藩することによって、それまでの文脈から解き放たれ、偶有性の波にもまれることによって、一人の有為の若者の潜在能力が開花したのである。もし、坂本龍馬が土佐を脱藩していなければ、歴史上の人物として記憶されることもなかったろう。

 脱藩してこそ、潜在能力は発揮される。「創造性は勇気に比例する」という一般原理の一事例を、ここに見ることができるのである。

 変化とは、すなわち、古い自分が消えて、新しい自分が生まれること。それくらいの覚悟を持って、新しい文脈の中に飛び込んでいくことである。

 脱藩する精神は、これからの日本において、どうしても必要なことである。脱藩精神は、時代を問わずに、常に不可欠のことであった。日本が国や社会の「オペレーティング・システム」を書きかえる必要が増大するこれからの時代においては、「脱藩精神」こそが変化を導く。その脱藩すべき真の相手は、組織でも、国でも、ある一つの文化でもない。本当に脱藩すべきなのは、これまでの自分、古い自分である。

 自分自身から脱藩。今までのやり方を変え、自分を守ってくれた文脈から出ることは不安を覚えることだし、それなりの勇気がいることではある。しかし、自分自身から脱藩して初めて、人は偶有性のさわやかな風に身をさらすことができる。自分自身から脱藩してこそ初めて、私たちは潜在能力を遺憾なく発揮して成長することができるのである。

七十を過ぎてから絵筆をとった丸木スマさんの作品 『梅が咲く』
(丸木スマ 1952年 原爆の図丸木美術館蔵)。
原爆の図丸木美術館ホームページより。

7月 14, 2010 at 08:52 午前 |

2010/07/13

ほんの小さなことの中に

ほんの小さなことの中に

(『風の旅人』第24号掲載。茂木健一郎『今、ここから全ての場所へ』所収)

 英語圏に、「ハッピネス・イズ・・・」(幸福とは・・・)とそれぞれの定義を述べる遊びがある。

 「幸福とは、仕事を終えて最初に口にするビール」 
 「幸福とは、待ち合わせの場所で恋人の姿を見つけた瞬間」
 「幸福とは、家に帰って自分を迎えてくれる家族の笑顔」
 「幸福とは、仕事がうまくいって顧客から感謝されること」
 「幸福とは・・・」

 百人いれば、百通りの「幸せ」の定義がある。サンゴの海の中で、色とりどりの魚たちが波の間や、
窪み、暗がりや砂地の中にそれぞれの「居場所」を見いだすように、人間の幸せのあり方も、またそれぞれである。
 幸福とは何か。そのことについて一般的概念としてぼんやりと考えている間は、その実体が何とはなしにつかめているようにも思える。ところが、自分自身の一度しかない人生の中での「幸福」の姿を見極めようと目をこらしていくと、かえってその形がぼやけていってしまう。幸福の条件というものは、突きつめていくと何なのか、端的に答えを出すことが難しい、つまりは一つの「不良設定問題」に変貌していってしまうのである。
 文学的な修辞や、一種の人生訓として「幸福とは何ぞや」という哲学的議論を振り回しているのではない。世界をありのままに見つめること。人間がどのように行動し、感じ、選択しているか、その基準をリアルにとらえようとすること。そのような態度の下に人生の本質をとらえようとする時に、「幸福」が一つの大きな命題として浮上してくるのである。
 幸福というのは突きつめていくほど本当にその正体が茫洋として解けていってしまうものであるように思う。功成り名遂げた人が、昔の貧乏だった時代を思い起こして、あの頃の方が幸せだったと思う。そのようなことは逸話としてはしばしば聞くことであるが、手垢のついた話として通り過ぎてしまってはもったいない人間の心の機微が、そこには現れている。

 私たちは、日々、幸福というものの多様なあり方をその繊細なニュアンスにおいて体験し続けているのではないか。たとえば、旅行に出かけた時、そのプロセスにおける「幸せ」はどのように生まれ、消えていくのか。何も経験していない時の、わくわくするような期待の気持ち。現地に着いたばかりの時の、まだまだ始まったばかりで、これから様々なことが起こるという楽しみの思い。風景に心を動かされ、出会う人々の感触に揺るがされ、おいしい食事を取っている時の、充実している感覚。旅が終わりに近づき、満たされると同時に一抹の寂しさにとらわれる、その何とも形容のしようのない感覚。
 旅という時間的、空間的なアクションを構成している様々な現象学的な次元の中に分け入っていくと、そこには実に微妙なニュアンスがあり、豊かなダイナミクスがあり、そして未来と過去、現在の間の複雑な相互作用がある。
 人間の幸福のあり方は、まさに熱帯の密林のように入り組んだ構造をしている。「マタイの福音書」には、「人はパンのみにて生きるにあらず」とある。孔子は、「学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや。朋有り遠方より来る、亦楽しからずや」という言葉を残した。本居宣長の下に集った松阪の商人たちは、「今まで様々な道楽を尽くしてきましたが、学ぶということほど楽しいことはないですね」と感嘆した。世には、働くことが楽しくて仕方がない人たちがいる。梅田望夫さんによると、超一流のプログラマーは、飛行機に乗って水平飛行になるとプログラムをし、ホテルに着くとプログラムをし、食事を終えるとプログラムをし、ひたすらプログラムを続けるのだという。
 「幸福」のあり方は人それぞれであり、ジャングルの中に住む生物層のように多彩である。いわゆる享楽的なことばかりが、人間の「幸福」を構成しているのではない。人間の進化の歴史は、「幸福」という宇宙の拡大の過程でもあった。人間の「幸福」のあり方を、その多様な全体性において追究することは、「幸福」という命題の単純なる理解が人類社会と地球にもたらしてきた様々な深刻で見方によっては滑稽な害を乗り越えることにつながる。
 幸福の技術とは、つまりは掛け値なしの金剛石的な強靱さを秘めた知性のことである。人類は、従来の粗野なる幸福概念を捨て、より知的に洗練された幸福のイマージュに到達しなければならない。そのことは、人間にとっての幸福概念の内実を明らかにしようとしている「神経経済学」などの分野における大きな科学的課題であると同時に、一つの重大なる倫理問題でもある。
 人間の幸福のあり方を考える上で最も重要な点の一つは、それが関係性において規定されるものであるということである。人間は、自分自身の幸福の量を、孤立したパラメータとして最大化しようとするのではない。
 他人との関わり合いにおいて様々な複雑で豊かなやりとりを行い、その繊細な機微の中で、自分自身の、他人の、そして社会全体の「幸福」を育むべく心を砕く。そのような人間のあり方は、ともすれば孔子の描いた「聖人君子」の領域にのみ属することであり、現実の人間のあり方からかけ離れた理想論のようにも響く。しかし、関係性の上に展開する幸福の複雑なダイナミクスを直視し、その豊かな成長を図ることができることは、実際には「楕円関数」や「ブール代数」の計算を行うのと同じような意味で高度な知性の働きだということができるのである。

 先に引用した聖書の言葉の精神を引き継いで言祝げば、人は自分のためだけに生きるに非ず。脳の中の「幸福の通貨」であるドーパミン放出のダイナミクスなどを巡る神経経済学の研究は、人間の行動様式の根本に他人のために判断し、行為するという「利他性」があることを疑問の余地なく明らかにしている。
 むろん、利他性は純然たる善意として進化して来たのではない。チャールズ・ダーウィンの進化論は、それぞれの生物が時には他に犠牲を強いても自分たちの遺伝子の拡大を図るという冷酷きわまりないこの世の有り様を映し出す。同一種内においても同じこと。自分の遺伝子をできるだけ残そうという利己的な欲望が出発点となる。その利己性が他者との関係性において調整され、一見利他的に見える行動が生まれて来た。それが、進化生物学による道徳性の起源の説明である。
 現時点における科学的知見の教えることを信じれば、利他性自体は、利己性が関係性の中に投げ込まれた結果生まれてきた一つのあだ花のようなものなのかもしれない。そのあだ花の咲き乱れる草原にこそ、私たち人間の一筋縄では行かない幸福のあり方がある。利己性の暴走も、利他性の強制も、どちらも私たち人間が投げ込まれているこの世界のリアリティの全体を反映していないのである。
 「所有」、「拡大」、「贈与」、「受諾」、「交換」、「願望」、「至福」、「失望」・・・。
 他者との関係性を記述するために援用される様々な概念が、果たして本当に私たちの人間の息づく生活空間の微細なニュアンスを反映しているかどうか、常に振り返り、チェックしてみる必要がある。そうでなければ、私たち自身の生が、その可能性を十全に享受できない。

 人間の幸福の条件の複雑さをありのままに見つめること。そのような振り返りの作業が、「所有」と「利己性」に基づく資本主義という制度を硬直化させることなく、人間の内包している豊かな志向性さに見合ったものとして維持していく上で欠かせない。神話的なおもむきを漂わせてしまうほど固定化しているように感じられるものたちについて、その起源の現場にまで遡って生き生きと様々なことをよみがえらせてみるのが良い。起源に至り、流動性を探り当てることによって、血を通わせることができる。生命に息を吹き込むことができる。
 小学校に上がってしばらくした頃、見渡す限りの土地という土地が、どれも個人、ないしは会社や地方公共団体、国家など、いずれにせよその持ち主がはっきりしているという事実にふと気付いて驚愕した。
 日本は狭い島国だとは言っても、それなりに広大である。一つの国という世界は、子供心にはとりわけ気が遠くなるおど大きな場所のように思える。その場所の全てを、一つひとつどこが誰のものだときちんとブック・キーピングすることは、とても面倒なことのように思われる。
 それなのに、実際には、街を歩けば、家の敷地はもちろん、道路や、歩道や、電信柱の立っている小さな土地まで、どれも所有者がはっきりしている。それどころか、滅多に人が訪れないような山の方まで、持ち主がはっきりしている。犬や猫、鹿や鴨は、どこが誰の持ち物などということは気にせずに闊歩しているが、「万物の霊長」たる人間はそういうわけにはいかない。どこが誰の土地なのか、とにかく白黒をはっきりさせなければ気が済まない。そのような社会の仕組みを作り上げた人間の性というものの凄まじさに当てられ、幼い私は今でも忘れられない衝撃を受けた。 
 ある日電車に乗り、窓の外を流れる風景を眺めながら考えた。平均すると、皆それなりに土地を持っている計算になるはずだ。してみると、自分の親はその割合で言うと大した土地を持っていない。半ば落胆し、同時に妙にほっとしたような気持ちになった。

 「所有」するということの周囲には、なにやら禍々しい雰囲気が漂っている。人とのやりとりにおいてお互いに相手を思いやり、譲歩しあい、慈しみ合い、かばい合う。そのような現場に流れている生き生きとした「幸福」のダイナミズムは消え、苔むして、硬直化し、容易には動かし難い何ものかの気配が忍び寄ってくる。
 神経経済学が明らかにしつつあるような人間の幸福の水成論的な流動性。そのような幸福をめぐる生物学に見合う世界観を獲得するためには、何よりも「所有」のようなともすれば固定化し、物象化しがちな概念に再び生き血を注ぎ、生命体としての運動をありありとよみがえらせる必要がある。人間の精神を高貴なものとし、人類の知的達成を支える原動力となる一方で、生命の躍動から離れて行く原因ともなる「結晶化」の論理。「所有」という「概念」が持つ強烈な毒からいったんは離れて、それを取り巻く様々な認知過程を自然化しなければならない。
 むろん、強欲なのは人間だけというわけではない。少年の私が夢中になって追いかけていた蝶も、なわばりというものを意識して、同種のオスがテリトリーの中に入ってくると追い出そうとする性質を持っている。そこには自らの勢力を拡大し、遺伝子を増やそうと努めずにはいられない、そしてその過程で他者を犠牲にすることを厭わないという生命というものの「原罪」が現れている。
 だがしかし、土地を「所有権」という名の下に囲い込んでしまう人間に比べれば、蝶々のやっていることはまだ微笑ましい。何しろ、そうやって一生懸命領土を主張していたとしても、秋がくれば羽が破れて死んでしまう。そして、土へと還っていくのだ。人間と来たら、自分の肉体が朽ち果てて腐敗し、ウジやシデ虫の餌になり、やがて土へと還っていくのがいやだと、わざわざ棺桶に入れたり、火葬をしたりさえすると言うのに。

 所有することは、確かに人間の本能的な衝動に属している。おもちゃが誰のものか、大人からみれば他愛のない喧嘩でも子どもにとっては真剣そのものである。喧嘩して腹いせの余り「ぼくのだから壊していいんだ」とばかりおもちゃを投げつける子どももいる。民法二百六条は「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」と定める。所有するという人間の根源的情動の強さを否定するものではない。大切なのは、その周囲の様々を固定化せずに、人間の生の営みの豊かさに見合う形で流動化させることである。
 小学校に上がる前の頃、そうめんの中に何本か色が着いているものがあって、とても好きだった。味は変わらないはずなのに、それが欲しくてたまらなくて、2歳違いの妹とよく喧嘩をした。
 あの頃の私の脳裏に、くっきりと鮮やかな色がついたそうめんが一体どのように映っていたのか、今となってはわからない。水の中にたゆたって浮かぶそのたった二三本の赤や緑や青の線が、その時はこの世の何ものよりも望ましいもののように思えた。そして、その色つきのそうめんを私から奪おうとする妹が、にくたらしくてたまらなかった。

 所有の主体を個人から国家にスケールアップすれば、領土の問題になる。近代の国民国家に領土紛争というものは付きものである。どの国も、自分たちの事情は特別だと思っているが、インターネット上の無料の百科事典、ウィキペディアで調べてみればわかるように、実際にはアジア太平洋地域だけで数十の領土紛争がある。もともと、人工衛星から見れば地球の上に線など引かれていない。その上に人為的な境界をつくろうというんだから、土台無理が生じる。領土紛争は、いわば、「所有」という概念に基づいて構築された近代の国家という制度時代に内在する脆弱性に属することである。自分たちだけじゃないと気付けば、つり上がった目も少しはゆるむのではないか。
 所有ということを、静態においてではなく、動態においてとらえること。つかんで放す。吸って吐く。そのような変化の中にこそ、いかにも生物らしい「所有」の形態がある。国家どうしの境界における脆弱性は、近年までは紛争や戦争といった破壊のプロセスに帰結するのが常であったが、その流動性を、生命本来の慈しみ育み、いきいきと行き交うという領域に呼び戻してやるのが本当の知性というものである。
 人間の幸福を支える諸条件の複雑さ、その流動性を再認識し、社会の中の階層、差別、傲慢、怠惰を固定化している様々な制度を脱構築すること。そのためには、むしろ、「幸福とは何でないか」という命題を並べ立てることが有効であるかもしれない。

 「幸福とは単純なる強欲のことではない」
 「幸福とは所有のことではない」 
 「幸福とは、他者を犠牲にして自分の利益を図ることではない」
 「幸福とは、ある固定化した状態のことではない」
 「幸福とは・・・」

 近来の「脳ブーム」の中で、ともすれば単純に図式化した「ノウハウ」を振りまき、人間本来の複雑で豊かなありかたを忘れさせる機能を果たしてきた脳科学も、人間の幸福を成り立たせている多様で流動的な諸条件を明らかにすることができれば、知性の本懐に資することができるのではないか。私は、そこに賭けようと思う。
 世界は私たちが考えている以上に複雑で、だからこそ豊かなのである。

(http://twitter.com/terustar さん思い出させてくれてありがとう!)

7月 13, 2010 at 10:30 午前 |

「沈黙」(茂木健一郎『生きて死ぬ私』より)

 もし神が本当にいるのならば、神はどうして沈黙しているのか?

 これは、昔から、神学上の非常に深いテーマの一つだった。

 ビッグ・バンとともに、私たちの現在住んでいる宇宙ができあがったとしよう。その誕生の瞬間に、神が介在していた、すなわち、宇宙自体は神が創造したとして、その後の宇宙の発展は、自然法則に従っているように見える。

 科学者は、神の沈黙を前提に仕事を進めている。もし、神が気まぐれに時折宇宙の中の物事の進行に介入してきたら、自然法則など考えることができないからだ。

 もし、神が人間が善良であることを望むのならば、なぜ神は人間の営みに介入して、善行だけが行われるようにしないのか。なぜ、様々な社会的不正や、暴力、矛盾をそのままに放っておくのか? 神が万能だというのは、うそに違いない。なぜならば、神は、人間が悪を行うのを止めることができないのだから。

 これは、子どもでも思いつくような素朴な疑問だ。実は、神学の専門家の間では、このような素朴な質問は解決済みに違いない。専門家は、たいていの問いに複雑でそれなりに筋の通った解答を用意しているものだ。何しろ、現実とは離れた観念の世界で、ネジを巻くようにギリギリと観念と観念をこすりあわせるのが、神学の役目なのだから。

 いかに上のような素朴な問にうまく答えるかは神学者にまかせておこう。だが、神学の専門家ではない私にもわかることがある。それは、神の沈黙が、全ての宗教にとってとてつもなく大きな問題だと言うことだ。なぜ、神は沈黙しているのか?なぜ、神など存在しても存在しなくても同じだと言うように、宇宙は自然法則に従って勝手に時間発展していってしまうのか? この問題は、神の存在を信じるか信じないかに関わらず、宗教的なものに興味を持つ全ての人間にとって、とても大きな問いだ。

 異教徒に迫害される信仰深いものにとって、神の沈黙は自らの生死に関わる、とても大きな問題だったろう。

 遠藤周作の作品「沈黙」では、江戸時代に長崎で奉行に迫害され、踏み絵を迫られるキリスト教徒た
ちを描いている。

 なぜ、神は、宣教師たちが信仰ゆえに踏み絵を拒み、それゆえに死の苦しみを味わっているときに沈黙しているのか? なぜ、宣教師の処刑を命ずる奉行の上に雷を落とさないのか? なぜ、あたかも何事も特別なできごとはなかったかのように、雲は流れ、海は波打ち、鳥は鳴いているのか?

 このような疑問は、もちろん、神の存在を認めない立場からはナンセンスだ。神などは存在しないのだから、宇宙がかってに進行していくのは当たり前の話だ。自然法則自体を「神」と名付けるのならば別だが、あたかも自分の意志を持ち、その意志に基づいて行動するような「人格神」が存在するかのように考えるのは、間違っている。そのように考える人もいるだろう。

 だが、ここで重要なことは、立証も反証もできない以上、人格神の存在を信じるか信じないかは、その人その人の自由だということだ。かって、科学哲学者カール・ポッパーは、間違っていると反証できることが、科学が科学たるゆえんであると言った。その意味では、人格神がいるかどうかは、科学の対象ではない。人格神の存在を信じるか信じないかは、まさに、その人その人の自由なのである。電子の質量が陽子の質量よりも大きいと信じることは、明らかに事実に反しているのだからナンセンスだ。だが、人格神の存在を信じるのはナンセンスではなく、あり得る立場なのである。

 確かなことは、人格神を信じる人たちに、宇宙は今日も沈黙を守っているということだ。「神よ、なぜ私を見捨てるのですか」とキリストが十字架の上で叫んで以来、長い人類の歴史の中で、神はなぜか沈黙を守ってきた。おそらく、これからも神の沈黙は続くだろう。

 神が沈黙し続けても、なお信仰を続ける人間の強さは、いったいどこから来るのか? それは、単なる無知から来るのか、あるいは、かたくなさから来るのか。信仰の内部にいる人間の心の中には、信仰を続けていれば、いつか神が沈黙を破るだろうという思いがある。「祈り」という行為は、神の沈黙を破ろうとする動機に基づいている。信仰の内部にいる人間にとってはもちろん、私のように外部にいる人間にとっても、神が沈黙を破ることを望む気持ちが心の奥底にある。神の沈黙の問題は、神の存在、不存在にかかわるというよりは、人間という存在の持つ精神性と、そのようなものに無頓着に進行していく宇宙の成り立ちの間のずれにその本質があるように思う。 

茂木健一郎『生きて死ぬ私』より「沈黙」

7月 13, 2010 at 07:13 午前 |

坂本龍馬の人生の時々刻々を想像することで、ひんやりとした偶有性の風に自我をさらさなければならない。

 脱藩するということは、すなわち、これまで自分を守ってきてくれた有形無形の組織、システムから離れて、人生の偶有性に身をさらすということである。

 そこには、「成功」の保証など、どこにもない。最後は必ずハッピーエンドになるという必然もないのである。むしろ、あるのは、一寸先は暗闇であるという見通しの悪さ。そして、胸の中にうずく不安。今までいたぬくぬくと温かい場所から一転して、ひんやりとした風が直接自分に吹き付けるという環境の変化がある。

 もともと、私たちの人生に、絶対的な安全、確実など存在しない。「脱藩」することで、私たちは特別な冒険に出るのではない。むしろ、人生の最初から何も変わることがない、不変の条件に回帰するというだけのことなのである。

 坂本龍馬が満26歳で和霊神社に参拝し、水杯で武運長久を祈り、そして脱藩していった。「吉野の山に桜を見に行く」と言い残し、脱藩の道を歩いていった。脱藩を前にしての坂本龍馬は、誰でも知る維新の志士などではない。将来がどうなるかわからない、無名の若者である。根拠のない自信を持ち、生意気で、ちょっと不安げなまなざしをした青年。この時点での龍馬を見て、その後の大活躍を予想できた者がどれくらいいるだろうか?

 「坂本龍馬」の物語を味わい、感激し、自分の人生に活かそうとするのは良い。しかし、ただ単にそれを「消費」してしまうのではいけない。とりわけ、たとえば脱藩の物語を読むのに、その後の龍馬の大活躍をいわば「織り込んで」、すっかり安心しきって受け止めるのではいけない。

 本当は、リアルタイムの龍馬の人生を想像して読むのでなければならない。うまくいく保証など何もない、ひょっとしたら倒れてしまうし、へたをすれば死んでしまう、そんな偶有性に満ちた人生の時間を、自分もまた想像の中で生きて見るのでなければならない。

 「明日は今日と違った世界であり得る」、「今まで見たことがないようなものを、この世界にもたらすことができる」、「これまでの自分と異なる、新しい自分に変身することができる」。そのような「未来感覚」は、将来に対する不安と一体のものである。

 坂本龍馬のような偉人の物語を、「予定調和」で読んでしまってはいけない。それでは、文明の利器に囲まれてすっかり安心しきって生きている私たちの人生に、「異物」が持ちこまれることがない。私たちは、むしろ、坂本龍馬の人生の時々刻々を想像することで、ひんやりとした偶有性の風に自我をさらさなければならない。

 不確実な将来への不安を抱きしめてこそ、私たちは大いなる希望を抱く術を学びうるのである。

7月 13, 2010 at 07:01 午前 |

2010/07/12

大学から「脱藩」する

 日本においては、「大学」がブランド化している。また「偏差値輪切り」という根拠が薄弱な階層化によって、一方では怠惰を生み、一方では無気力を生んでいる。

 このような実体を見る時、大学という「組織」を「脱藩」するためのノウハウを積み重ねること、社会の中に、大学という「組織」に頼らなくても学問ができるようなシステムを構築することは、重要な課題であると言えるだろう。

 先に述べたように、今では、最先端の学術情報は、その多くが「無料」で手に入るようになってきている。以前ならば、大学の学科の図書館に行き、専門雑誌を参照しなければならなかった情報が、ネットで検索すればワンクリックで検索できるようになった。

 私が大学生の頃は、物理学の専門雑誌である「フィジカル・レビュー」や、「フィジカル・レビュー・レターズ」を読もうと思ったら、物理学科の図書館に行って、最新の号だったら雑誌のページをめくり、以前のものだったら製本されたバックナンバーから検索して、いちいち探さなければならなかった。何らかの形で大学にかかわらなければ、研究に不可欠な学術情報そのものが得られないという時代だったのである。

 今は違う。多くの論文が、インターネット上で無料で手に入るようになった。ネットに接続できるある分野について勉強しようと思ったら、材料には困らない。情報のアクセスという意味においては、学問をする上での障壁は、殆どゼロになりつつある。

 問題は、学術情報を補う、総合的な視点をどのように培うかということである。自分一人で勉強しようとしても、何から始めていいのか、なかなかわからない。先生に質問したり、議論したり、友人と話し合ったり情報交換したりするということがなければ、学問をする上で一番危険なことである「変なクセ」がついてしまう可能性がある。一つの学問分野における「暗黙知」のようなものをいかに構築するか。その点さえクリアすれば、大学という「組織」に所属しなくても、独学で学問を修めることは可能である。

 建築家の安藤忠雄さんは、独学で建築を学んだことで有名である。組織としての「学校」については、中学しか卒業していない安藤忠雄さんだが、彼の作品の素晴らしさを前にして、そのような本質的でないことを考える人はいない。

 ここで肝心なのは、安藤忠雄さんが、京都大学の建築学科に進んだ友人から、どのような教科書を読んでいるのかなど、カリキュラムについて教えてもらったということである。安藤さんは、京都大学という「組織」に所属しこそしなかったが、そこで教えられている学問の体系という「ソフトウェア」にはアクセスすることができた。その結果、「変なクセ」に陥ってしまうこともなく、建築学の「王道」を、自分のものにすることができた。

 安藤さんの勉強ぶりは、猛烈だった。一年間、眠っている間を除いて、一日十数時間勉強していたという。ボクシングで鍛えた体力と、その強靱な精神力を持って、建築という知の山の頂をすさまじい勢いで目指して行ったのである。

 安藤忠雄さんは、建築においてだけでなく、いかに「大学」という「組織」から脱藩して、一流の学問を身につけるかという方法論におけるパイオニアだったということができる。「大学」が、実質的な意味における学問の府であることを止めて、単なる「ブランド」や、いわれなき「優越感」や、意味のない「劣等感」を植え付ける場所であるならば、そんなものは「脱藩」してしまえば良い。インターネット上に無尽蔵にある学術情報をもとに、自分自身で独学してしまえば良い。そのためには、個々の断片としての学術情報だけでなく、どのように何を勉強すれば良いかという体系的な「カリキュラム情報」が提供されなければならない。

 現状でも、カリキュラム情報を収集することは可能であり、インターネット上で学問上の議論をする仲間を見いだすことはできる。若き日の安藤忠雄さんほどの情熱と実行力があれば、大学から「脱藩」して独学をすることは、より簡単になってきている。さらに進んで、カリキュラムを、たとえばウィキペディアのようなオープンな形式で皆で蓄積することができれば、独学者にとっての大きな支えとなることができる。ネット上では、技術的に可能なことはすべて起こる。大学からの脱藩者が学問をするためのリソースは、これからますますネット上に蓄積していくことになるだろう。

 その時、大学は、どのような「組織」として機能することになるのだろうか。変身を遂げることができるのだろうか? 大学の最大の資源は、「人」である。「人」の能力は、開かれたダイナミックなシステムの中においてしか開花しない。日本の大学が現状から脱しないのであれば、私の親友がかつて吐いた名言のごとく、「大学の唯一の意義は、もったいぶることである」ということになりかねない。

7月 12, 2010 at 08:49 午前 |

2010/07/11

脱藩後の生活

 組織や肩書きに頼らない「脱藩」生活を目指すとして、果たして、「脱藩後」はどのように自分の生活を支えていけば良いのだろうか?

 小学校の時から「受験戦争」に参加し、見事「一流大学」に合格し、大学の3年から就職活動をして、「正社員」として採用される。履歴書に「穴」を開けることもなく、従順に社会のシステムに従う。そのような「勝ち組」の方程式が、ガラパゴス化した日本全体のパイが少なくなることによって次第に先細りになっているとは良いながら、依然としてそれなりに機能していることは事実である。

 だからこそ、そのようなシステム内にいる人たちには、驚くほど危機感がない。たとえば、新聞や
テレビなどのマスメディアで報じられる内容は、どちらかと言えばシステムに乗った人たちを「勝ち組」、乗れなかった人を「負け組」とする定型に則ったもので、日本の「今、ここにある危機」に対する感度が鈍い。考えてみれば、マスメディアで働く人たちは、その殆どが「護送船団方式」の日本のシステムに乗ってきてここに至っているから、それ以上期待するのは難しいということなのだろう。

 日本の未来を切り開くためには、組織や肩書きに縛られずに、自分自身の「内在化」された「安全基地」をもとに未知の領域を切り開いていく人たちが出ることが不可欠である。しかし、そのような「脱藩者」たちは、一体どのようにして自分の生活を支えていけば良いのだろうか。

 賞味期限が切れた日本の「システム」に乗ることを潔しとしない人たちが、具体的に、どのようにして「脱藩後の生活」を生きていけばよいのか、そのことについて以下で考えていきたい。脱藩者がちゃんと生きることができる、いわば「脱藩の生態系」が大きくならなければ、脱藩者たちも、日本の未来も報われないだろう。

 2002年に発売されたダニエル・ピンクの『フリー・エージェント・ネーション』では、2500万人以上のアメリカ人が「自分自身のために働く」現状を紹介する。「Fortune 500」にリストされている大企業で働く人は、アメリカ人の10人に1人以下に過ぎない。インターネットに象徴されるアメリカ発の新しい文明の力は、組織や肩書きに頼るのではなく、自分自身で考え、行動し、働く多くのアメリカ人たちによって支えられている。

 以下では、「脱藩後」の生活を支える、次のようなヒントについて検討したい。すなわち、安全基地、ポートフォリオ、ネットワーク利他性、「グーグル時価総額」、瞬間溶解、セレンディピティ、そして「キャピタル」である。

・・・・・・

 「グーグル時価総額」とは、自分自身の存在の、ネット上での価値を高めることである。自己紹介する時に、「名刺」を渡すというのが今までの日本社会のやり方であった。そこで重要になるのは、「組織」や「肩書き」であり、そのことがひとりの人の価値を決めていた。

 これからの時代に求められるのは、特定の組織、一つの肩書きに自分の存在を依拠っせるのではなく、ネットワークの中でのさまざまな結びつきを通して自身の価値を高めようとする人である。

 初対面の時に、連絡先などの自分についての基本的な情報が書かれた名刺を渡す。そこには、たまたま、組織や肩書きが書かれていることはあるだろう。しかし、それ以上は、「グーグルで検索してください」と言えるような人が、これからの時代にふさわしい。その人に関する情報、その人の過去の事蹟、仕事、興味、人間関係に関する情報が、インターネットという「偶有性の海」に遍在している。そのような存在こそが、これからの「脱藩者の時代」では輝きを増すのである。

7月 11, 2010 at 09:48 午前 |

2010/07/10

「藩」の正体は、「脱藩」して初めてわかる。

 坂本龍馬は、満26歳の時に、和霊神社に参拝し、水杯で武運長久を祈り、そして、「脱藩」していった。土佐藩という「組織」から離れてひとりの人間として自由に活動したことが、その後の「海援隊」結成、「薩長同盟」締結、そして「大政奉還」の実現といった偉業を成し遂げる上での基盤となった。

 ここで興味深い事実は、龍馬の生きていた江戸時代には、「藩」という言葉はなかったということである。一部の用例を除いて、「藩」という呼称が使われることはほどんどなかった。明治に入り、いわば旧時代の体制を認識するための概念として「藩」という呼称が使われるようになったのである。

 その藩も、1869年に諸大名が天皇に領地、領民を返還した版籍奉還、さらには「藩」を廃して「府」や「県」とした1871年の「廃藩置県」によって解体され、消滅することとなった。1867年の「大政奉還」からわずか4年。「藩」という呼称が広く使われるようになってから、その実体が消滅するまでの期間は実に短かった。

 「藩」という組織の実体に、それが解体、消滅する間際になって初めて呼称が与えられ、明確に認識されたという事実は興味深い。

 ある制度が存続している間、人々はそれを余りにも「当たり前」のことだと思い、暗黙のうちの前提にしてしまう。それはいわば「空気」のようなもので、名前さえ与えられない。いちばんやっかいなのは、その正体が明確に把握されないままに、人々の行動を支配し、認識を方向付けてしまうような「制度」である。土佐で言えば、山内一豊に始まる代々の山内氏に仕えることがいわば暗黙の前提として、人々の思考をしばっていたのである。

 今日の視点から見れば、それがいかに不条理で、合理的な根拠に欠ける制度でも、存続している間には人々が空気のようにそれを吸い、当たり前の前提として行動、認識する。そのような目に見えない存在からの「脱藩」こそが、私たちには求められている。そうして、そのような「脱藩」をする対象は、実際に「脱藩」をして初めて見きわめられることができる。

 龍馬の生きた幕末の日本から時が流れた、この平成の日本においても、当時の「藩」のように名前が与えられず、空気のような特に意識されず当たり前の仕組みとして私たちの行動をしばってしまっている存在は、きっとある。まさにそれが、現代の日本の「マインドセット」を成している。江戸時代を生きた人間の精神を、当時は名前さえ与えられていなかった「藩」という存在が縛っていたように、平成の日本においても、私たちの認識、行動を、目に見えない「藩」の存在がしばってしまっているのだろう。

 グローバル化の中、すっかり行き詰まってしまっている日本の「オペレーティング・システム」を書きかえるためには、目に見えないままに私たちの認識、行動の自由を束縛しているさまざまな「藩」を同定し、そこから「脱藩」しなければならない。時には、そこから脱すべきものの正体がわからないままに、「偶有性の海」に飛び込まなければならない。坂本龍馬の事蹟から学ぶべきことは、実にその点にある。

 たとえば、「履歴書に穴が開く」ことを極端に恐れる、日本人のマインドセット。「履歴書に穴が開く」という発想そのものが、他の多くの国にはないことを考えれば、これは日本人にとって目に見えない「藩」のようなものを表しているに違いない。大学三年の秋から就職活動が始まり、卒業がまだずっと先なのに内定が出る。そうして、この「新卒一括採用」の機会を逃せば、事実上就職の機会がない。このような、何の経営上の合理性もなく、「人権侵害」の疑いさえもきわめて濃厚な日本の企業の愚かな採用慣行も、何らかの目に見えない「藩」の作用なのだろう。

 赤塚不二夫の名作マンガ『天才バカボン』の中に、こんなエピソードがある。飼い犬が、豪華なエサをもらって、野良犬がそれをうらやましそうに見ている。飼い主がやって来ると、飼い犬は一生懸命じゃれたりする。その様子を見ている野良犬の視線に気付くと、飼い犬は、「この首輪がついているから、飼い主のごきげんをとっているのさ。首輪がとれたら、オレだって、お前のように自由に生きるよ」と言う。

 ところが、何かの拍子に飼い犬の首輪がとれる。すると、飼い犬は、あわてて、自分の首に首輪を付け直すのである。

 日本人は、この飼い犬の姿を笑うことができるのだろうか。誰がどう考えたって、「履歴書に穴が開く」などという発想はばかげている。そのようなナンセンスに社会の多くの人が従い、その発想や行動の前提となり、そして社会に出ていく若い人たちがその不条理に付き合わされている。その間にも、日本という国全体はガラパゴス化していく。この誰も幸せにしない悪循環から逃れるためには、私たちを縛っている目に見えない「首輪」、その存在に気付かない「藩」の正体を、しっかりと見極めることが必要なのだろう。

7月 10, 2010 at 07:23 午前 |

2010/07/09

脳のトリセツ 「ストックホルム症候群」からの脱却

週刊ポスト 2010年7月16日号

脳のトリセツ 第49回 「ストックホルム症候群」からの脱却

受験、就職を経て企業戦士へ……過剰適応する日本人は自ら進んで不条理な社会システムの「人質」になっていないか?

抜粋

 日本人は、本当に我慢強い国民だと思う。
 子どもの頃から、受験勉強に駆り立てられる。大学の勉強が真っ盛りのうちに、就職活動が始まり、会社説明会や面接に追われる。卒業しても、休めるのは、せいぜい2週間くらい。4月1日からは、新入社員として、企業戦士となる。
 満員電車に乗って、毎日「痛勤」する。休みもなかなかとらない。長期バカンスなど、とんでもない。残業も当たり前。家には、眠りに帰るだけ。そうやって一生懸命働いても、なかなか生活が楽にならない。
 日本経済の失速が長期化して、さすがに、多くの人が今までのやり方ではマズイのではないかと感じ始めている。それでも、日本人はあくまでも従順。矛盾だらけの社会システムに、黙々と従っている。一体、どういうことだろう。
 大学の授業で、「君たち、三年の十月から就職活動が始まる日本のシステムは、異常だと思わないか? これだけライフスタイルが多様化しているのに、新卒じゃないと、なかなか就職のチャンスがないのは馬鹿げていると思わないか?」と問いかけても、多くの学生はぽかんとしている。どうやら、現在の日本のシステムが、太陽が東から昇って西に沈むように動かしがたい、宇宙の法則だとでも思っているかのようだ。
 日本人は、どうも、「過剰適応」なのではないかと思う。人間の脳の眼窩前頭皮質は、周囲の状況に応じて自分の働きを調整する機能を持つ。それはそれで良いことだが、行きすぎると問題だ。
 適応しすぎるがゆえに、膠着状態に陥る。なかなか変革が進まない日本の現状を見ていると、日本人は、一種の「ストックホルム症候群」に陥っているのではないかとさえ思えてくる。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100716jp/index.html


イラスト ふなびきかずこ

7月 9, 2010 at 08:12 午前 |

『文明の星時間』 遙かな尾瀬

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第121回  遙かな尾瀬

サンデー毎日 2010年7月18日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 江間章子作詞、中田喜直作曲の『夏の思い出』。福島、新潟、栃木、群馬の4県にまたがる尾瀬の美しさを歌う。「夏がくれば思い出す」で始まるこの名曲は、音楽の教科書の定番であり、日本人の多くが口ずさむことができるスタンダード・ナンバーとなった。
 私も、子どもの頃にこの曲を知り、まだ見ぬ尾瀬にあこがれた。「ミズバショウ」という言葉の響きに、美しい花の姿を想った。いつかは訪れたいと願っているうちに、歳月が過ぎてしまった。
 大学院生の頃は、研究室の先輩が尾瀬に行こうと盛んに言った。「おおぜいで尾瀬に行こうぜ」というその口ぶりを、昨日のことのように思い出すことができる。
 今年、いや来年こそと計画していたが、皆の都合が合わず、流れ流れになって、そのうち私は卒業してしまった。その先輩も、他の就職して遠くに行ってしまった。
 長い間思い焦がれながら行くことを果たせなかった尾瀬。そのきっかけになったのが、一つの曲であるということは、考えてみれば凄いことだと思う。歌には、それだけの力があるのである。
 その尾瀬に、先日、ついに行くことができた。東京電力の方が、お誘い下さったのである。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。


イラスト 谷山彩子

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

など、盛りだくさんの内容です。

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7月 9, 2010 at 08:09 午前 |

「機会損失」は計り知れない。

 日本が現在苦境に陥っている背景には、グローバリズムの流れがある。世界のさまざまな地域が、「単連結」に結ばれた。競争が、地球規模になった。そんな中で、日本の今までの「オペレーティング・システム」が通用しなくなって来ている。日本は何とかして、現在の状況を「脱藩」し、ガラパゴスの状態から解き放たれなければならないのである。

 人生という「ゲームのルール」は、時々変わる。微調整どころか、前のステージの面影を一切残さないくらいにすべてががらりと変貌しまうこともある。ある時代の「ゲームのルール」において輝いていたプレイヤーも、次の時代においてはどうなるかわからない。サイレント映画の時代のスターは、トーキーになったら没落することもある。地上波テレビにおける人気タレントは、インターネットの時代においてもオーラを持ち続けられる保証はない。

 モノ自体としての優秀さ、精緻さを競い合っていた「ものづくり」の時代から、iPhone、iPadに象徴されるように、モノが情報ネットワークと結びついて付加価値を生む「ものづくり2.0」の時代になった時、日本が加工貿易産業の国として生き残れるかどうかわからない。日本人も、日本という国も。私たちは、新しい時代の「ゲームのルール」が何なのか、きちんと見きわめなければならない。そうでなければ、「次の時代」において、日本は輝き続けることができない。

 もっとも、グロバーリズムという時代の流れ自体に抗する考え方もある。グローバリズムの進展によって、文化の「多様性」が失われるという意見である。確かに、グローバリズムの進展は、世界を共通の文化で塗り込め、結果として「多様性」が失われるようにも思える。グローバリズムと多様性の関係は、これからの世界について考える上で極めて重要な論点である。

 日本は、独自の道を行けば良い。 自分たちのやり方を貫けば、かならず良い結果になる。そんな主張もある。江戸時代、ほぼ「鎖国」状態の中で、日本は高度な文化を築き上げた。世界に向って広く開かれた国であることが、文化や文明の発展の必要条件であるとは確かに言えない。歌舞伎は、誰にでも楽しめる「大衆性」と高度の「芸術性」を兼ね備えた一つの「奇跡」である。その歌舞伎が育まれたのは、「鎖国」時代の日本においてであった。

 現在世界において起こっている変化について、その含意をめぐる議論があるのは当然のことである。しかし、いずれにせよ、グローバリズム、すなわち、世界各地がより緊密な相互依存関係で結ばれる傾向は、止められそうもない。何よりも、私たち自身が、インターネットというオープンでダイナミックな「自由」を手にして、その中で呼吸することを学び、もはや元に戻れない状態にある。

 グローバリズムの弊害にどのように対処するか、とりわけ、文化の多様性の維持という課題については、後に改めて検討することとして、ここではまず、私たち日本人がグローバリズムの時代にぜひとも対処しなければならない、その必然的理由を見きわめることとしよう。

 グローバリズムへの対処が必然となっている理由の第一は、「持続可能性」である。確かに、日本という国は住みやすい。日本語は、豊饒であり、奥深い。自然は多様であり、四季の変化にも恵まれている。しかし、そのような日本という存在自体が、グローバリズムの波の中で「持続可能」ではなくなって来ている。私たちがどれほど日本を愛し、その中でゆったりと暮らすことを望んでも、グローバリズムの波の行く末を見きわめ、広い偶有性の海の中に飛び込むことなしでは、そもそも日本自体が持続できない可能性が高いのである。

 第二の理由は、「機会損失」である。日本の中には、まだまだ、すばらしいもの、美しいもの、かけがえのない価値を持つものがたくさんある。それらの「原石」が、日本人が自分たちを世界の中で表現することに消極的であるがゆえに世界に出ていかない。磨かれない。このことによって生じる「機会損失」は計り知れない。

 マンガやアニメは、非言語的な情報が豊かだったがために、世界に出ていくことができた。それに対して、言語や抽象的な思考に依存するような日本文化の真髄が、なかなか世界の中で理解されていない。そのことによって、日本はいかに多くのすばらしい発展の機会を失っていることだろう。

7月 9, 2010 at 07:55 午前 |

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7月 9, 2010 at 07:05 午前 |

2010/07/08

日本語で表現している私たちは、いわば「ローカル・リーグ」の中で闘っているのであって

 日本が「ガラパゴス化」したことの一つの要因は、日本が、それなりに住みやすい国だったということを意味する。国土は南北に長く、多様な自然を誇る。四季は変化に富み、国土はさまざまな産物に恵まれている。人口も多く、それなりに大きな市場がある。このような幸運な状況の下で、日本国内で、日本国内の文脈の下で努力を続けても、それなりに報われることができた。

 「日本語」の恵みも大きい。もともとの「大和言葉」に加えて、中国からの外来文化である「漢語」をたくみに取り入れた、すぐれた言語。もともと文字を持たなかった日本人が、漢字を変形して「ひらがな」や「カタカナ」を作った。明治には、西洋の思想を取り入れて「自由」「哲学」「権利」「科学」などの「和製漢語」をつくった。その結果、自然科学や哲学、経済学、社会学といった近代的学問を、日本語で行うことが可能になった。近年では、英語を中心とする外来語を、カタカナ表記で取り入れることで、変化する時代に対応している。開かれた動的システムとしての日本語は、その中に豊かな表現への可能性を蓄積し、世界でも有数の力のある言語となってきたのである。

 一方で、日本語の宇宙があまりにも強く、そして豊かな可能性を持っていることが、日本人の精神を閉ざすことにもつながった。真剣に外国語を学ばなくても、事足りる。自分たちの感じていること、考えていることを英語を中心とする世界共通語で表現しなくても、国内の市場に向けて書けば、それなりに報われる。このような状況は、日本人の表現を、日本語という宇宙の中にやさしく包み込んできてしまった。

 日本語の表現の宇宙は、日本人、日本列島だけでほぼ閉じている。それでも、日本語の書き手たちがプロ、アマを問わずに継続して登場し、表現の洗練が見られてきたのは、日本語のマーケットがそれなりに大きかったからである。日本語での表現を追求しているだけでも、自分の精神世界を深め、高めることができたのである。

 近年、村上春樹さんや吉本ばななさんを始めとするパイオニアたちの努力により、小説の一部は、英語や他の言語に翻訳されて読まれるようになってきている。また、言語に頼らずに伝達することも可能な漫画やアニメについては、すぐれた作り手による高いレベルの内容が評価されて、世界的な市場を獲得するに至っている。

 しかし、日本文化全体から見ると、これらの動きは、今のところまだ例外的なものに留まっている。とりわけ、国の文化力を考える上で重要な意味を持つ学術、批評、思想系の書物については、日本語圏の中で閉じたマーケットができて、ほぼそれで完結している。韓国語や中国語、タイ語といったアジアの言語に翻訳されるケースはしばしば見られるものの、それ以上にはなかなか進まない。

 日本語でものを書いたら、ほぼ自動的に、読み手は日本人に限られる。このような状況は、いわば、日本人にとって、暗黙の前提となってきた。また、そのことが、ある種の「モラル・ハザード」の原因にもなってきた。

 たとえば、近隣諸国との関係についての評論がそうである。日本人が読むだろうという安心感、油断から、どうしても議論が内輪向きの、閉じたものになってしまう。そこには、国際関係を考える上で必要な、他者への緊張をはらんだ視点がない。結果として、日本の国際的地位を真の意味で向上させることに資することがなかなかできない。

 一般に、言語は、私たちの世界観、感性に大きな影響を及ぼす。日本語が以上のように「閉じた」言語であることは、私たちが日本列島の中で生きていく上での世界観、生活実感を深いところで規定し、特徴付けてきた。

 日本の国内で起こっていることは、あくまでも「ローカル」なことであり、世界の中の趨勢とは関係ない。私たちは、気付かないうちに、そのような感性の中で生きるようになってきた。日本語で表現する者は、もちろん、その内容に心を砕き、考えを深め、次第に高みへと上ろうとするだろう。日本語で表現された思想の中には、世界に誇るべきものももちろん多い。それでもなお、一般的な状況としては、日本語で表現している私たちは、いわば「ローカル・リーグ」の中で闘っているのであって、世界の最良、最先端が集う「グローバル・リーグ」での闘いとは、言語の壁で隔てられている。そんな風に思い込まされてきたのである。

7月 8, 2010 at 06:42 午前 |

2010/07/07

子どもの頃読んだファンタジーとしての「偉人伝」から離れて

 二十代、アメリカやイギリスの書店を訪れることが多くなってしばらくして、日本の本棚と比べて大きく異なる特徴に気付いた。

 それはすなわち、biography(伝記)のコーナーの存在感である。歴史上の有名人物から、現在生きている話題の人まで。実にさまざまな人物の伝記が出版され、大きな棚を占めている。

 一人ひとりの生き方に対する強烈な関心。それを、自らが生きる上での糧としようという志向性。日本の出版会とは異なる傾向がそこには顕れていると思った。

 さまざまな人物の「伝記」を読みたいという欲望は、すなわち、イギリス人やアメリカ人の「マインドセット」に由来しているに違いない。一体、彼らはどうしてこんなにまでして伝記を読みたがるのか。大いに興味を抱いた。しかし、なかなか、その意味を探求できないままでいた。

 この数年、日本の社会の問題点について自らのマインドセットを探る痛みとともに考える中で、「あ
あ、そうか」と気付いたことがある。どうやら、「偉人」というものの捉えられ方が、日本とあちらとでは大分違うらしい。そして、あちらの「偉人」のとらえ方に即してみると、一人ひとりの「偉人」の生き方に、猛烈な関心がかき立てられるものらしい。

 日本では、「伝記」そのものはあまり読まれない。特に、大人の読者はあまり伝記を読まない。日本人にとって、歴史上の有名人物の伝記を読む機会と言えば、子どもの時に読む「偉人伝」のお話や漫画だろう。

 私は1962年生まれ。私が子どもの頃には、図書館や書店にたくさんの偉人伝が並んでいた。「キュリー夫人」、「野口英世」、「エジソン」、「ナポレオン」、「豊臣秀吉」、「福澤諭吉」などの定番ものを、夢中になって読んだ気がする。最近では、そもそも、子ども向けの偉人伝自体の存在感すらも社会の中から低下しているようにも思うが、気のせいだろうか。

 いずれにせよ、子どもの頃夢中に読んだ偉人伝の記憶を、今ひとりの大人として考え感じる偉人たちの生涯の現実と照らし合わせてみると、気付くことがいろいろある。子どもにとっての「偉人伝」と、大人にとての「伝記」には、大いに異なる感触があるような気がする。何が起こるかわからないという人生の「偶有性」の感触が、両者では随分と異なるのだ。

 子どもの頃の「偉人伝」においては、「偉人」は最初から「偉人」としての価値保証されているという安心感がある。途中でどんなに苦労をしても、苦しいことがあっても、偉人には最初から「後光」が差している。ヒーローは最初からヒーローであり、ヒロインはヒロインなのであって、その価値自体は、絶対に揺るがない。子どもの心の発達において、ある種のファンタジー(おとぎ話)は不可欠である。子どもの頃読む「偉人伝」は、安心感のあるおとぎ話の構造をしている。その安心感が、子どもにとっての「安全基地」となる。いわば、「保護者つき」の「偉人伝」なのである。

 一方、大人としての私たちは、人生が思うに任せられないことを知っている。もはや、保護者はいない。「安全基地」は、自ら構築しなければならない。確実なことなど、何もない。努力が報われるという保証もない。「何が起きるかわからない」という人生の「偶有性」は、どんなに注意深く計画を立てたとしても必ずや私たちのもとにやってくる。そのひんやりとした人生のリアリティは、「偉人」たちにとっても同じはずだということを、私たちは知っている。

 偉人というのは、そもそも、カテゴリーとして新しいことをやる人たちのことである。偉人たちは、人類にとってのパイオニアである。今まで他の人がやったことのないことをやろうとしている人たちが、逆風にさらされたり、苦境に立たされたりしないわけがない。そして、まさに逆風の中にいる偉人にとっては、そもそもその人生が「成功」で終わる保証など、何もない。一寸先は闇。それでも、命がけの跳躍を続けなければならないのだ。

 大人になれば、さすがに「おとぎ話」では満足できないはずである。偉人の人生の物語を読む際にも、「未来がどうなるかわからない」というひんやりとしたリアリティなしでは、現実のこととは思えない。大人にとっての偉人の「伝記」は、そのような厳しい世界の感触によって支えられなければならない。

 そんな大人の伝記を読む習慣が日本人にはあまりないということは、つまり、「いかに生きるか」という人生モデルを、子どもの頃の「おとぎ話」から、大人にとってのリアリティのある「現実話」へと進化させることに失敗していることを意味する。別の言い方をすれば、人生論の「ダイナミック・レンジ」が狭すぎる。日本人は、大人になっても、小さなファンタジーの世界の中で生きているのだ。無意識のうちに、「保護者」を求めている。あるいは、いつまでも「保護者」がいると錯覚している。

 「一流大学」に合格しさえすれば、社会の中での評価が確立し、その後の人生も安泰だというのは一つのファンタジーである。大手の会社の「正社員」になれば、よい生活を送ることができるというのも一つのファンタジーである。ガラパゴス化した日本の世界的地位が低下する中で、徐々に「持続可能」ではなくなってきているファンタジー。それでも、そんな保証を与えてくれる「社会」という保護者があると、勘違いしている。

 「誰かが何かを保証してくれる」というバラ色の眼鏡を外して、「偉人」と呼ばれる人たちの人生の実際をじっくりと眺めてみたらどうか。大人の知識と、経験値と、そうして現実感覚をもって「偉人」たちの人生を再検討してみる。そこには、「人々が皆同じ価値観を持つ」という予定調和も、「所属している組織がその人の価値を決める」という封建主義も、「履歴書に穴が開いてはいけない」という偏狭も存在しない。 

 偉人たちは、暗闇の中に命がけの跳躍をしてきた。偶有性の海に飛びこんで、一生懸命泳いできた。偉人たちは、一人残らず、「脱藩」してきた。その生涯の真っ直中において、彼らが結果として「偉人」としての成功を収めるという保証は、何もなかった。

 「護送船団方式」で人生を渡ろうとするあまり、自分の可能性を摘み、人生のダイナミック・レンジを狭め、国をガラパゴス化してしまっている日本人。しかし、私たちにも教養がある。経験がある。何よりも、生きる力がある。子どもの頃読んだファンタジーとしての「偉人伝」から離れて、「偉人」と呼ばれる人たちが実際にどのように生きてきたか、そのひんやりとしたリアリティに接すれば、必ずや意気に感じ、心を動かされ、鼓舞される気概は、私たちの中にあるはずだ。


大人として読む、ダイナミック・レンジの広い「伝記」

7月 7, 2010 at 07:22 午前 |

2010/07/06

坂本龍馬が現代に生きていたら、スティーヴ・ジョブス氏のよき友人となったろう

 グローバリズムの時代となり、インターネットをはじめとする情報ネットワークで世界中が結びつけられ、偶有性が避けられない時代。このような時代に日本が適応し、再び輝きを取り戻すためには、「脱藩」精神を持つことが避けられない。

 日本人が「脱藩」精神を発揮する上で、阻害要因になっていることはいくつかある。実際、日本人の多くは、「脱藩」からほど遠い生活を送ってきたし、今も送っている。

 やっかいなのは、それらのことの多くが、明示的なルールにも、言語にもできないということである。無意識のうちに日本人の多くが従っている暗黙のルールがある。 そして、そのことに、日本人である私たちは、なかなか気付かないのである。

 意思決定のプロセスや、システムの在り方を議論する際に、しばしば「マインドセット」という言葉が使われる。ある組織やグループに属する人々がさまざまなことを評価したり、行動の選択をするにあたって暗黙のうちに援用し、従っているルール、価値観、行動の方法論などを「マインドセット」と呼ぶのである。

 日本人には、暗黙のうちに従っている「マインドセット」がある。たとえば、マスコミで使われる「勝ち組」や「負け組」という言い方。人生を勝ち負けにおいてとらえること自体の是非は置くとして、日本のメディアでは、ある組織やグループに属すること自体が「勝ち」であり、属さないことが「負け」であるといった言い方がなされる。そのような際に、日本独特の「マインドセット」が機能している。報じるメディアの人たちもまたその中にあり、自分たちの言葉使いが特定の価値観を前提としていることに気付かない。

 本来、人生における「成功」のあり方はさまざまなはずだ。アインシュタインは、創造性というものは個人にしか宿らないと言い切った。一人ひとりが、そのユニークな価値観、行動原理で自由に競争することこそが、「成功の方程式」でなければならない。アインシュタインの言うところの個人主義的な「成功の方程式」の中には、当然のことながら、大学を中退して起業し、成功したマイクロソフトのビル・ゲイツ氏やアップルのスティーヴ・ジョブス氏が含まれる。

 一人のビル・ゲイツ氏、一人のスティーヴ・ジョブス氏が誕生するためには、組織に頼らずに、自らの才覚と工夫で人生を切り開こうとしている人々の群れが、何十万、何百万と存在しなければならない。純然たる統計の法則によって、そのような人々の中から成功者が現れる。これらの成功者が、社会を変えてくれる。

 アメリカの社会が、マイクロソフトやアップルの登場によって、雇用や経済の側面でいかに助かっていることか。その背後には、個人の自由な創意工夫をこそ由とするマインドセットがある。国や時代の違いを超えて、坂本龍馬の同類を求めようとすれば、日本よりもビル・ゲイツ氏やスティーヴ・ジョブス氏を生み出したアメリカにこそ多く見いだすことができる。

 スティーヴ・ジョブス氏は、スタンフォード大学の卒業式におけるスピーチで、「ハングリーであり続けよ。愚かであり続けよ。」(Stay hungry, stay foolish)と言った。坂本龍馬が現代に生きていたら、スティーヴ・ジョブス氏のよき友人となったろう。


スタンフォード大学の卒業式で講演するスティーヴ・ジョブス氏。

7月 6, 2010 at 07:04 午前 |

2010/07/05

才能に対する「リスペクト」を欠く阻害要因は、形を変えて存在する。

 階級社会は、人々の間の関係に「安定」をもたらすというメリットがある。一方で、人々がそれぞれの個性や才覚を持って自由に創造し、社会を作っていくダイナミクスを奪ってしまう。

 坂本龍馬は、土佐藩の下級武士である、郷士の家に生まれた。当時、土佐藩においては比較的厳しい階級制度があり、上級武士である上士との間には歴然たる区別があった。そのようなもろもろの「しがらみ」を断ち切らなければ、坂本龍馬の活躍はなかった。「脱藩」という行為はそんな「龍馬の自由」の象徴である。

 それぞれの「分をわきまえる」という美意識は、すでに存在する秩序を安定させるためには有効に働く。しかし、才能を発揮させるという命題においては、「分をわきまえる」ことは阻害要因にしかならない。

 人間の才能は、遺伝子だけで決まるわけではない。たとえ、遺伝的要素がある程度の提供を与えるとしても、ユニークな資質をもった人が生まれる確率は、社会階層のどのレベルにおいてもほぼ均等に存在する。生まれや地位で「できること」が限られてしまう社会は、つまりは才能に対する「リスペクト」を欠いているのである。

 時が流れ、現代の日本では、「士農工商」といった身分制度も、「藩」のような人の動きを縛り付ける仕組みも存在しない。しかし、才能に対する「リスペクト」を欠く阻害要因は、形を変えて存在する。

 たまたまた所属する組織によって、その人の価値が決まったり、できることが左右されたり。あるいは、たかだか18歳の時点での「試験」の結果を反映しているに過ぎない「出身大学」によって人の評価が決まる偽りの「印象批評」。日本人のマインドセットは、すべての制約を超えてギラギラ輝くのが本来の才能に対するリスペクトを、根本的に欠いている。

 福澤諭吉の言う「独立自尊」の精神は、未だ日本に根付いていないのである。

7月 5, 2010 at 07:54 午前 |

タケダさんのぴろぴろ忘れません。

今日は大切な仕事の打ち上げの日だった。

キムラ監督、タケダさん、カモさん、マツオカさん、ニシヤマさん、マキヤマさん、マエダさん、マエダさん、みなさん本当にありがとうございました!!

タケダさんのぴろぴろ忘れません。

7月 5, 2010 at 12:12 午前 |

2010/07/04

初代大統領ジョージ・ワシントンの子孫は、どこで何をしているのか?

 江戸時代には、身分制度が現代よりもきびしい形で存在した。福澤諭吉が、「門閥制度は親の敵でござる」という激しい言葉を残したように、親がどのような身分で、何をする人かということで、本人に何ができるかということもほぼ自動的に決まってしまっていた。

 志があり、学問も熱心に修めたのに、生まれのために取りたてられることのなかった自分の父親を思い、「門閥制度は親の敵でござる」と激した福澤諭吉の真情。咸臨丸に乗ってアメリカに渡った際、福澤諭吉は周囲のアメリカ人に「初代大統領ジョージ・ワシントンの子孫は、どこで何をしているのか?」と聞いた。ところが、誰も知らないし、興味も持っていない。福澤諭吉は、大いに驚いた。

 日本では、初代将軍の徳川家康の子孫がどこで何をしているのか、誰でも知っている。江戸で将軍をやっている。しかし、アメリカでは、初代大統領の子孫に、特別なことは何もないらしい。このエピソードで、福澤は、当時のアメリカが、日本とは全く異なる成り立ちの国であることを悟るのである。

 福澤諭吉は、帰国後、『学問のすゝめ』、『西洋事情』、『文明論之概略』などの多くの啓蒙書を世に出す。一人の人間としてこの世界に立つ「独立自尊」の理想を説く。まさに怒濤のような福澤諭吉の言論活動の背後には、当時の日本社会の後進性の認識と、このままではダメであるという強い危機感があった。

 時が経て、「独立自尊」の理想が日本で行われているかといえば、はなはだ疑わしい。日本は、相変わらず、世界のさまざまな国とは異なる原理で動く、「不思議な社会」となっている。福澤が危機感を持った日本の「後進性」は、依然として残っているのだ。

福澤諭吉

7月 4, 2010 at 07:27 午前 |

2010/07/03

「脱藩」こそが、時を経て、私たちが生きる現代の日本においてかけがえのない精神となる。

 坂本龍馬という名前は、むろん子どもの頃から知っていた。明治維新において大きな仕事をした人であるということもわかっていた。「船中八策」や、「海援隊」、「薩長同盟」、「大政奉還」といったキーワードも知っていた。

 しかし、なかなか、龍馬という人が自分にとって大切な存在にはならなかった。何となく薄ぼんやりとした印象があって、その「霧」の中で、坂本龍馬という人がしっかりとした印象を結ばなかったのである。 

 それが、ある時高地を訪れて変わった。誘われて、高知市の郊外、静かな山里にある社に足を運んだ。

 山路を少し登ったところにある簡素な社が、「和霊神社」。お堂の中から今上がってきた方向を見ると、森の暗がりの一部分がぱっと明るく感じられた。

 上り道の入り口には、「和霊神社」の石碑があった。

 「祭神 宇和島伊達藩家老 山家清兵衞公頼 幕末の志士坂本龍馬4代前の先祖坂本八郎兵衞直益が宝暦十二年宇和島の和霊神社を坂本家の屋敷神として勧請文久二年龍馬脱藩の際水杯で武運長久を祈願したと伝わる昭和六十年から事績を顕彰した龍馬脱藩祭を行っている」

 満26歳の時に、坂本龍馬は土佐を脱藩する。その際に、水杯で武運長久を祈った場所が、この和霊神社。

 大切なことは、たいてい不意打ちで訪れる。「脱藩」という言葉の持つ重大な意味。思い至り、戦慄する。何が起こるかわからない「偶有性」の暗闇。行く末は知れない。それでも、前に進むしかない。ひょっとすれば、命を落とすかもしれない。それでも、赴かなければならない。

 当時の龍馬は、維新の最大のヒーローなどではない。胸に熱いものをたぎらせてはいるが、将来がどうなるかわからない、あくまでも「無名」の存在。その龍馬が、この山里の小さな祠で、水杯を交わし、そして脱藩していった。そう思うと、何とも言えない熱いものが、胸の奥底から込み上げてくるのを抑えられなかった。

 「脱藩」こそが、時を経て、私たちが生きる現代の日本においてかけがえのない精神となる。「脱藩」する勇気と、それに伴うさまざまな企てこそが、私たちにとって何よりも必要なことである。そのような「心の景色」が、一瞬のうちにかいま見え、そうしてものすごい勢いで広がっていくように感じられたのである。


和霊神社入り口の碑

7月 3, 2010 at 06:43 午前 |

2010/07/02

「ぼくは入試の勉強で忙しいから、こういう時にこういう本を読まなければ、精神の平衡が保てないんだ」

 本当の知性というものは、そもそも、点数で測ることができるものではない。

 私の畏友、和仁陽のことを思い出してもそうである。和仁氏は、東京学芸大学附属高校における二年生、三年生の時の私の同級生だった。私たちの年の「共通一次試験」(当時の大学センター試験)の全国一位。1000点満点中、981点だった。

 和仁氏の学科の成績がとてつもなく良かったことは事実だし、そのことは、和仁氏の知性の卓越と、正の相関を持つのだろう。しかし、そこのことは、私が二年間クラスメートとして和仁氏と接して感じた彼のとてつもない才能の、ごく一部分に過ぎない。

 より和仁氏の本質を示すエピソードは、彼が高校の卒業文集で書いた随想のタイトルである。『ラテン民族における栄光の概念について』。他の人が、高校生活の思い出などの普通のテーマについて書いているのに対して、和仁氏が選択したこのテーマの中に、彼の世界観、哲学がいかんなく反映されている。

 あるいは、高校三年の冬の11月、学芸大学の駅のプラットフォームで和仁氏を見いだした時のこと。何か本を読んでいるから、「何を読んでいるの?」と聞いたら、和仁氏は、「ぼくは入試の勉強で忙しいから、こういう時にこういう本を読まなければ、精神の平衡が保てないんだ」と言って、読んでいる本を見せてくれた。英語で書かれた、エリザベスI世の伝記。ずいぶんと分厚い本だった。

 最近、一緒に飲んだ時に、そのことについて聞いたら、和仁氏は、「あれは名著なんだよ」と言って笑っていたが。

 和仁氏のさまざまな分野における素養は凄まじく、高校の時から、カントやヘーゲルの哲学について独自の見解をもっていたことを覚えている。高校二年の時に、学園祭で上演したオペラ『魔弾の射手』の歌詞は、和仁氏がドイツ語から日本語に訳したものだった。しかも、その訳は、頭韻などを駆使して、リズムとして歌えるものでなければならない、と和仁氏は言うのだった。

 人文系の素養だけではない。一度、和仁氏と雑談していて、ねじれの位置にある二つの直線の一方を回転させた時にどのような図形になるかについて、和仁氏が即座に洞察を示したことに驚いたことがある。

 和仁氏の当時の言動を思い出すと、共通一次で981点などということは、本当に取るに足らないことであった。和仁氏は結果として東京大学文科一類に進学したが、そのこと自体も、本当に些細なことだった。そもそも、共通一次試験(センター試験)、あるいは、二次試験でテストできることなど、児戯に等しいと思えた。

 人間の精神性の発展の方向は、無限である。18歳の知性を、大学入試などという「プロクラステスのベッド」で縛ってしまうのは、本当に愚かなことだ。

 和仁氏ほどの知性を持ってしても、日本の大学入試は、それなりに準備をすることを強要する。だから、「ぼくは入試の勉強で忙しいから、こういう時にこういう本を読まなければ、精神の平衡が保てないんだ」というような言葉が出てくる。科挙じゃあるまいし、何と愚かな制度だろう。

 入試の試験問題など標準的なものでとっとと済ませてしまって、あとは、エリザベスI世だろうが、リー代数だろうが、自分の好きな分野においてどんどん能力を伸ばしていけるようにすれば、どんなにか日本の高校生は助かるだろう。大学入試などというつまらないもので窒息させていることは、日本の国家的損失ではないか。

 実際、私たちは、窒息していたと思う。和仁氏が、当時、口癖のように「早く大学に入って、ドイツ語の文献を思う存分読みたい」と言っていたことを覚えている。

 和仁氏は、実際には、それほどまでに準備しなくても、大学入試くらいはやすやすと受かってしまっていたことだろう。しかし、目の前の試験があったら、ベストを尽くしてしまうというのが人間の性ではないか。その結果、もっと自由に、無限の精神の跳躍に使えたはずの時間が奪われてしまう。

 高校までの「標準化された」カリキュラムの中で、人工的な競争をさせることで、若い知性を窒息させる。和仁氏ほどの才能をも、窒息させる。日本の大学入試は、一体何を目指しているのだろうか。

7月 2, 2010 at 07:58 午前 |

2010/07/01

脳のトリセツ 母校での「アジテーション」

週刊ポスト 2010年7月9日号

脳のトリセツ 第48回 母校での「アジテーション」

「なぜ、学生のほとんどが日本人なのか?」ー以前からの疑問を東大生にぶつけたら、〝予想外の反応〟が返ってきた。

抜粋

 なぜ、ほとんど、日本人の学生しかいないのか? グローバリズムの時代。大学の役割は、ネットワークを通して世界のさまざまな人々と結びつく時代にふさわしい、強靱で普遍性を持った「知」をつくり出すことである。
 そのためには、様々な人が行き交わなければならない。現在NHKで放送中(『ハーバード白熱教室』)で、インターネットでも見ることができる、ハーバード大学のサンデル教授の名講義「正義(Justice)」。その画面から読みとれる、さまざまな肌の色や、目の色、ファッション・スタイルの学生たちが教室にあふれるような光景を、どうして、日本では実現できないのか? そんな思いを抱いて、二時限目の授業中、学生たちに問題提起した。 
 「外国の街を歩いていて、見知らぬ通りに来る。そんな時、ふと気付いたら、周囲の建物の窓ガラスが割れていたら、ここはひょっとしたらマズイんじゃないか、という気持ちになってくるね。」
 「さっき、駒場のキャンパスを歩いていて、同じようにマズイという気持ちになりました。なぜ、この大学には、いろいろな国の、さまざまな文化的背景の人たちが来ていないんでしょう? グローバリズムの時代に、これでは、ガラパゴス化すると思わない?」
 「大学というのは、グローバル化する世界において、生き抜く上で必要な普遍的で強靱な知性を磨くところじゃないのかな。ふだん、学問に励む上で、空気のように吸う雰囲気がどのようなものか、重大な影響があるよね。君たちが、4年間キャンパスで知り合い、友だちになる人たちが、ほとんど日本人である。そんなことでいいのだろうか?」
 私のもくろみとしては、別にその場で「革命」が起きなくても、学生たちにそれなりに危機感が伝わり、問題解決へ向けての意欲が高まる、そんなことを期待していたのだった。
 ところが、学生たちの反応は、予想とは異なるものだった。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100709jp/index.html


イラスト ふなびきかずこ

7月 1, 2010 at 06:07 午後 |

『文明の星時間』 恐竜たちの時間

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第120回  恐竜たちの時間

サンデー毎日 2010年7月11日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 恐竜たちの魅力と言えば、何と言ってもその巨大さ。恐竜たちの巨大化の理由については、さまざまな説が唱えられている。現在よりも高かった平均気温が関係しているという説。空気中の酸素濃度との関連を探る説。また、強度の割には比較的軽量だった骨の構造に着目する説。
 恐竜たちは、その巨体を支えるためにたくさんの食糧を必要とした。ある研究者によると、史上存在したと推定される最も大きな草食恐竜は、一頭当たり10キロメートル四方の草地を必要とした。密集して暮らすことができない中で、一体、どのようにオスとメスが出会っていたのか。近親交配も避けねばならない。研究者の間でも意見が分かれる。
 視認できないくらい離ればなれで暮らしていた巨大な恐竜たちは、遠くまで伝わる低い周波数の音でお互いにコミュニケーションしていたのではないかとされる。草食恐竜は、足の関節が曲げられなかったと推定される。メスが卵を産み落とす時に、どうして割れなかったのかという疑問もあるのだという。体が比較的まだ小さな時期に繁殖して、卵を産むのをやめた後でさらに巨大化したのではないか。ある研究者はそのような仮説を話してくれた。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。


イラスト 谷山彩子

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

など、盛りだくさんの内容です。

amazon

7月 1, 2010 at 05:50 午後 |

ステレオタイプの学歴信仰は、根拠がない点において、「血液型人間学」と大して変わりがない。

 ある人が、ある組織に関わっていることが、その人が未踏の境地に挑戦する上での「安全基地」になることは、ある程度はあるかもしれない。しかし、それはあくまでもその人がその組織とつながる人と共同作業をしたり、資金、資源的な支援を受けたり、「のれん」や「ブランド」を用いることができたりといった、具体的な行動と結びつくプロセスを通してでなければならない。

 ある人が、ある組織と関わっていること自体が、その人のプライドになったり、あるいは劣等感につながったりするようなことがあると、それは一つの病理学へとつながる。何よりも、それは、科学的な態度とは言えない。何よりも、そのような態度は、その人の「安全基地」の構築にはつながらないのである。

 日本では、大学がその「偏差値」によって「輪切り」され、そのことによって「序列」があると思い込んでいる人が多い。このことが、いかに非科学的な態度であるかを認識することは、日本人が真の「安全基地」を構築する上で不可欠のことだろう。

 そもそも、試験の点数で人間の能力のすべてが測れるわけではない。仮に、試験の点数を能力の指標として採用したとしても、ある大学の合格者の平均値が、別の大学の合格者の平均値よりも高いということは、それらの二つの大学の間に絶対的な「序列」があることを意味しない。

 二つの大学合格者の点数の分布には、一般に重なりがある。このため、A大学の合格者の平均の点数がB大学よりも高いとしても、それは、任意のA大学の学生と、任意のB大学の学生をサンプリングしてその「点数」を比較した時、必ずA>Bとなるということを意味しない。場合によってはB>Aとなることもある。

 そもそも、入試の点数などは、18歳の周囲の年齢のある時点における「スナップショット」に過ぎない。その後、その人がどのような能力を構築していくかということは、そのスナップショットだけで把握できるわけでは決してない。

 日本の社会がしばしば陥る安易な「学歴信仰」は、その根拠が非科学的であるだけはない。「学歴」にこだわることが、実際に多くの弊害をもたらしている。

 しばしば起こっている現象は、「下位」と認識された大学に進学した学生が、「私はどうせこの程度の大学にしか進めなかった」と劣等感を持つことである。その結果、本来持っている可能性を十分に発揮できない。「どうせ私なんて」と投げやりになってしまう。そのような態度になってしまうことには、日本の社会の学歴信仰のあり方に基づいたそれなりの理由もある。なぜなら、どんなに努力して、実際には実力を付けていたとしても、相変わらず日本の社会がその人を「下位大学」に属する人と見なし続け、そのことによって評価し続けるならば、努力する甲斐がないからだ。

 一方、「上位」大学に合格した人にとっても、モラル・ハザードがある。たったそれだけのことで、自分の卓越性が保証されたと勘違いして、それ以上の努力をすることを本質的な意味で怠ってしまうからだ。

 入試の偏差値などという、限定された意味しかない数値で大学の価値や、そこに関わる人の価値を評価することは、科学的根拠がないということをはっきりと認識すべきだ。

 私は、かなり前から、ある人と会う時に、その人がどの大学を出ているとか、そもそも大学を出ているのかということをほとんど参照しない。言葉を交わし、一緒に仕事をし、お酒を飲む中で、その人の個性を測り、力を受け取り、一緒に何ができるかを探っている。

 ステレオタイプの学歴信仰は、根拠がない点において、「血液型人間学」と大して変わりがない。
 (もっとも、「血液型人間学」には、そもそも統計的な基盤すらないのであるが!)
 根拠のない偏見は、フレキシブルに未知の領域に挑戦することを、妨げている。日本人が、一刻も早く迷信から脱することを望まずにはいられない。

7月 1, 2010 at 08:27 午前 |