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2010/06/28

人々に力を

 インターネットが地球上を覆い、その結果、偶有性が避けられないものとなった。今まで、比較的「固定」された文脈の中でさまざまな営みをしてきた日本も、やり方を変えなければならない。

 このような状況を、私たちはついつい「黒船」到来というメタファーで捉えてしまう。自分たちの意志で呼び込んだ事態ではなく、どちらかと言えば向こうからやってきて、やむを得ずそれに対応している、いわば、「困った事態」だと考えてしまう傾向があるのである。

 しかし、本当は、現状はチャンスでもあるはずだ。一人ひとりが、受け身ではなく、能動的に社会とかかわること。それどころか、社会の行く末に、積極的に影響を与えることができること。「黒船」だと思えば、ついつい受け身になってしまうが、実際には、私たち一人ひとりがやり方を変え、能動的に生きる大いなる機会でもあるはずなのである。

 「人々に力を」(Power to the people)。

 インターネットを通してのグローバライゼーションという大波が押し寄せる今の日本は、かくも長き間「受け身」で「お上任せ」の人生を歩んできた多くの人々にとっての、変化の絶好のチャンスである。

 マスメディアだけに頼っている必要はもはやない。特に、オピニオン形成においては、すでにマスメディアの力は相対的なものになりつつある。とりわけ、時代の流れに敏感で、先端的な人たちの間では、ブログやツイッター、SNSなどのネット上のメディアを通して、お互いの意見を参照することが多くなっている。

 伝統的なメディアは、どうしても、ある視点から編集を加えたり、内容を穏当なものにしてしまったり、「バランス」を図る余りオピニオンの「ダイナミック・レンジ」を狭くしてしまったりする。もちろん、ウェブ上で見られる意見の全てが、正しいわけでも、適切なものであるわけでもない。しかし、もともと「百家争鳴」こそが、議論の本来の姿。極端なものから穏当なものまで、さまざまな論者が並列することが、議論の幅を広げ、奥行きを深くする。ネット上に見られる「エッジの立った」意見が、いわばオピニオンの「生鮮食料品」として、人々の関心を集めつつある。マスメディアの中で表明される見解は、比較すれば鮮度の落ちた、ぼんやりした味のものとの認識が広がりつつあるのではないか。

 誰にでも、意見を表明する自由が与えられている。もちろん、そこには、「ミーム」(社会的遺伝子)に対する猛烈な淘汰圧がかかるわけであるが。

 グローバル化の波を、「黒船」だと思って身をすくめているのでは、つまらない。むしろ、自分たちにとって今まで縁がなかったパワーを、簡単に、しかもコストがほとんどかからない形で手にしているのだと思えば、身が奮い立つ。未来に向って積極的に生きていこうと思うことができるだろう。

6月 28, 2010 at 08:42 午後 |