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2010/06/08

誰もが同じ情報に接していたマスメディアの時代が終焉し、能動性とロングテールが共進化する時代

インターネット上で参照できる情報がテクストを中心に、音声、動画などと増えてきて、メディアに対する接し方も随分と変わってきた。

新聞やテレビなどのマスメディアが支配的だった時代との差として、まず挙げられるのは「能動性」である。

新聞やテレビにおいても、もちろん、どの記事を読むか、どのチャンネルに合わせるかという意味での「能動性」はあった。しかし、それはあくまでも限定的なものだった。

インターネットの時代になり、日々の限られた時間という拘束条件を考えれば、事実上無限のリソースがウェブ上に存在することとなった。その結果、ユーザーが能動的に検索し、参照し、認識できる情報も、多様になった。

このような環境の激変は、中長期的に見れば、一人ひとりのユーザーの能動性をより育む方向に作用するだろう。人々は、情報に受け身で接することよりも、より能動的に情報を検索することの喜びに目覚めつつある。

情報との接し方が能動的になったことから直ちに帰結することは、「ロングテール」の部分の重要性の増大である。能動性は、すなわち多様性を意味する。何十万人、何百万人という人が、一斉に一糸乱れず同じ行動をとることはあり得ない。一人ひとりの志向性の多様性が、そのままウェブ上の情報の多様性に表れる。すなわち、ロングテールは、能動性の直接的帰結である。

能動的な情報検索の時代の到来は、ユーザーに求められる能力もより高度なものとする。リテラシーを決める要素は複数ある。そのうちの幾つかは、特に重要である。たとえば、どのような言語を使いこなすかで、接することのできる情報の量と質は異なるだろう。ネットに関する情報の現状に鑑みれば、現在のリンガ・フランカとしての英語をどれくらい使いこなせるかということが、情報の量と質を事実上決定していると言える。

(リンガ・フランカとしての英語の地位が、世界の情報ネットワークの「単連結化」に伴う歴史的に見て一回性の出来事であり、今後も続く可能性については、当ブログ記事「単連結な世界で、英語はリンガ・フランカであり続けるだろう。」(2010年5月16日) を参照下さい。)

みんな、英語を勉強しようね!

誰もが同じ情報に接していたマスメディアの時代が終焉し、能動性とロングテールが共進化する時代においては、ユーザー間のリテラシーの差が拡大する可能性がある。

幅広い知識を持ち、成熟した世界観を持つ人が参照する情報源は、よりクオリティの高いものである可能性が高い。そのような情報に接することで、その人の世界観はより深まるだろう。一方、「ゆるい」あるいは「偏った」情報源に接している人は、脳の中でそのような認識の回路を自己強化してしまうだろう。

個人のリテラシーの内実を相互参照し、お互いにすぐれた情報リソースを紹介し合い、リテラシーの群としての進化を促す装置としては、現時点ではやはりツイッターが一番有効である。自分自身のリテラシーを劣化させないためにも、自分が良いと思う人がどのような情報源を参照しているかということを、ツイッターの返信やリツィートの機能を通してお互いにコミュニケートし合うことが大切な意味を持つ時代がやってきたと言える。

6月 8, 2010 at 09:45 午後 |