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2010/06/04

赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな

Hill Cityには、夕方戻ってきた。

食事をする前に、Black Hills Instituteのある通りを、ぶらぶらと歩いた。

117 Main Street, Hill City SD.

Tonyが予約してくれた、ステーキ屋の前の椅子にす座ってしばらく佇んでいたら、どうしても通りをふらつきたくなった。

夕刻。良く晴れた暑い日はやがて雲を呼び、遠くからは雷が聞こえ始めた。

ヒル・シティに戻ってくる時に、ピーターは「ここが二年前にトルネードが通ったところだ」と、木がなぎ倒されているエリアを見せてくれたのだった。

考え事をしたい気分は、波のように訪れる。

メイン・ストリートを歩いていると(修辞ではなく、本当に「メイン・ストリート」という名前のストリートなのだ!)、何だか自分がトワイライトの不思議なゾーンに入っていくような気がした。

一つのイメージがフラッシュバックする。映画『アメリカン・グラフィティ』で、若者たちが自動車に乗ってクルーズする、夕暮れの街。

いかにもアメリカ的な余裕と瀟洒の象徴なのだけれども、それでいて、どこかで日暮れているような、一抹の寂しさが宿っているように感じられるのだ。

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おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥せよ
もつぱら正直のところを ・
腹の足しになるところを ・
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え ・
たたかれることによつて弾ねかえる歌を ・
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を ・
それらの歌々を ・
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ ・
それらの歌々を ・
行く行く人びとの胸廓にたたきこめ ・


中野重治詩集より

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思えば、ぼくは、この2、3ヶ月、わが母なる日本が未曾有の危機に陥っていることが、ありありと見えてしまって、そのことから、「赤ままのうたを歌うな」という気分になっていたのだった。

「赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな」

東京の街を忙しく立ち歩きながら、ぼくの脳裏を、何度この中野重治の詩の一節がよぎったことだろう。

ロジックが行動の礎である。感傷は受動の共鳴器である。

組み立てなければならない。つながらなければならない。語らなければならない。

それでも、ふと、夕暮れの空の風情の中に、赤ままの花の愛らしさがよみがえってきたりもするのだ。

今、起こりつつある事態は、結局、心脳問題と同型なのかもしれないと思う。

車の中で、トニーはずっとアンドロイド・フォンの上のzillowというソフトウエアで、自分たちの位置が時々刻々とGPSによってgoogle earth上に表示され、その周辺でどの家がfor saleであるか、ということを指し示すその様子を、見せてくれた。

「ワイオミング州に住みたいんだ。みろよ、こんなにきれいな場所、そんなにないだろう。釣りをしたい。」

かつて海兵隊に所属し、沖縄にも行ったことがあるというトニー。

文明の大波は、わがやさしい日本をも覆い尽くそうとしている。

アンシャン・レジームの中で、自分の既得権を守ろうよ汲々としている人たちも、見方を変えれば中野重治の言うところの「赤ままの花」なのかも知れぬ。

トニーがとってくれた、テーブルが開いたというアナウンスがあった。

椅子から立ち上がる。

ぼくのついたため息は、アメリカン・グラフィティのような夕暮れの空にそっと消えていった。

それでもぼくは、ロジックを組み立て、つながり、語らなければならないだろう。


6月 4, 2010 at 08:57 午後 |