赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
Hill Cityには、夕方戻ってきた。
食事をする前に、Black Hills Instituteのある通りを、ぶらぶらと歩いた。
117 Main Street, Hill City SD.
Tonyが予約してくれた、ステーキ屋の前の椅子にす座ってしばらく佇んでいたら、どうしても通りをふらつきたくなった。
夕刻。良く晴れた暑い日はやがて雲を呼び、遠くからは雷が聞こえ始めた。
ヒル・シティに戻ってくる時に、ピーターは「ここが二年前にトルネードが通ったところだ」と、木がなぎ倒されているエリアを見せてくれたのだった。
考え事をしたい気分は、波のように訪れる。
メイン・ストリートを歩いていると(修辞ではなく、本当に「メイン・ストリート」という名前のストリートなのだ!)、何だか自分がトワイライトの不思議なゾーンに入っていくような気がした。
一つのイメージがフラッシュバックする。映画『アメリカン・グラフィティ』で、若者たちが自動車に乗ってクルーズする、夕暮れの街。
いかにもアメリカ的な余裕と瀟洒の象徴なのだけれども、それでいて、どこかで日暮れているような、一抹の寂しさが宿っているように感じられるのだ。
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おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥せよ
もつぱら正直のところを ・
腹の足しになるところを ・
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え ・
たたかれることによつて弾ねかえる歌を ・
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を ・
それらの歌々を ・
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ ・
それらの歌々を ・
行く行く人びとの胸廓にたたきこめ ・
中野重治詩集より
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思えば、ぼくは、この2、3ヶ月、わが母なる日本が未曾有の危機に陥っていることが、ありありと見えてしまって、そのことから、「赤ままのうたを歌うな」という気分になっていたのだった。
「赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな」
東京の街を忙しく立ち歩きながら、ぼくの脳裏を、何度この中野重治の詩の一節がよぎったことだろう。
ロジックが行動の礎である。感傷は受動の共鳴器である。
組み立てなければならない。つながらなければならない。語らなければならない。
それでも、ふと、夕暮れの空の風情の中に、赤ままの花の愛らしさがよみがえってきたりもするのだ。
今、起こりつつある事態は、結局、心脳問題と同型なのかもしれないと思う。
車の中で、トニーはずっとアンドロイド・フォンの上のzillowというソフトウエアで、自分たちの位置が時々刻々とGPSによってgoogle earth上に表示され、その周辺でどの家がfor saleであるか、ということを指し示すその様子を、見せてくれた。
「ワイオミング州に住みたいんだ。みろよ、こんなにきれいな場所、そんなにないだろう。釣りをしたい。」
かつて海兵隊に所属し、沖縄にも行ったことがあるというトニー。
文明の大波は、わがやさしい日本をも覆い尽くそうとしている。
アンシャン・レジームの中で、自分の既得権を守ろうよ汲々としている人たちも、見方を変えれば中野重治の言うところの「赤ままの花」なのかも知れぬ。
トニーがとってくれた、テーブルが開いたというアナウンスがあった。
椅子から立ち上がる。
ぼくのついたため息は、アメリカン・グラフィティのような夕暮れの空にそっと消えていった。
それでもぼくは、ロジックを組み立て、つながり、語らなければならないだろう。
6月 4, 2010 at 08:57 午後 | Permalink
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