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2010/06/14

サッカーは判断力。

ワールドカップ南アフリカ大会、日本対カメルーン戦が、いよいよ今日午後11時にキックオフする。

日本チームの健闘を祈りたい。

サッカーで勝つためにはどうすればいいか。45分ハーフを走り回る運動量、それを支えるフィジカル、ボールを奪い合ったり、シュートをしたりする際の技術はもちろん大切であるが、注目したいのは個々の状況における「判断力」(judgment )である。

試合の状況は、時々刻々と変わる。ボールを受けた時に、ありとあらゆる選択肢の中でどれを選ぶのか。誰にパスを出すのか、自分でドリブルするのか、あるいはシュートをしてしまうのか。

一般的には、「一つの正解」が存在するわけではない。たとえ存在したとしても、それをあるルールに基づいて導きだせるわけではない。判断に費やすことのできる時間は限られている。ぐずぐずしていれば、相手の選手が来てしまう。選手が動いて、状況が変わってしまう。

サッカーとは、すなわち、凄まじいまでのタイム・プレッシャーの下で、瞬時に判断を積み重ねるスポーツである。その際に重要なのは、結局、選手自身の「直感力」となる。どうしてそのような判断をしているのか、意識的、明示的な理由を挙げられないままに、ある選択をするということが、ゲームを動かし、決定する要素となるのである。

サッカー発祥の地、イギリスで、サッカーやラグビーといったスポーツが、パブリック・スクールなどの伝統校の教育課程で行われてきたことの意味は、「判断力」を醸成するというこれらのスポーツの特性に注目したものと考えられる。サッカーで培った、瞬時に状況を読み取って判断する能力が、実生活一般でも役立つのである。

日本サッカーが強くなるためには、技術やフィジカルはもちろん、判断力の強靱さを高めなければならない。日本代表の選手たちは、サッカー少年たちの夢の象徴。選りすぐりの彼らたちも、また、日本という文化風土の中で育つ。一国のサッカー力は、その国の文化力でもある。

一人ひとりの直観に基づく、瞬時の判断に基づいてダイナミックに社会が動くというよりは、どちらかと言えば「根回し」をしたり、「空気を読んだり」、「段取りを踏んだり」することの多い日本社会。日本代表たちは、自由を縛るマインドセットから離れて、瞬時の判断力を大きく飛翔させることができるか。日本代表のゲーム進行は、そのまま、私たち日本人の精神風土の「自画像」となる。

判断力は一日にしてならず。日本がワールドカップで優勝するまでの道は遠いかもしれないが、今回の南アフリカ大会が重要な一里塚となることを期待したい。

6月 14, 2010 at 06:47 午前 |