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2010/06/26

人はいろいろって、単にさぼるための理屈に過ぎないじゃないか

田森佳秀と、夜、ご飯をたべながら議論した。話が、日本の社会の態度のことになった。

田森佳秀は、独特の「アルゴリズム的な脳」をしていて、いろいろなことを論理を組み立てて考える。

日本の社会の中で、「指示待ち」だったり、「自分でものを考えない」、あるいは「体制迎合的」だったりする傾向を批判すると、「人にはいろいろいる」とか、「人はそれぞれだから」とか、「指示待ちで生きたいという人もいる」などと現状を肯定し、擁護する発言をする人がいる、と田森佳秀。

「人はいろいろだといわれると、確かに、何となく納得してしまうような気がするじゃないか。ところが、アメリカに来て、ふと気付くと、日本で人はいろいろ、と主張している人が想定しているような、自分で考えたり行動したりすることができない人って、殆どいないんだよね。みんな、自分で考えてるし、行動しているよ。人はいろいろって、単にさぼるための理屈に過ぎないじゃないか。」

田森は、カリフォルニアとボストンでそれぞれ1年ずつ研究したことがある。

田森佳秀も、日本の企業の新卒一括採用に反対である。この点についても、アルゴリズム的な視点から面白いことを言っていた。

「企業の社長さんと話すと、以前、大学を出てからギャップがあった人を採用したら、その人に問題があった、だから採らない、なんて言うんだよね。だけどさ、オレに言わせれば、新卒でキャリアにギャップがない人のなかにも、問題な人はいる。つまり、その社長は、統計的に見て、キャリアにギャップがある人と、キャリアにギャップがない人の、どちらに問題の人が多いか、ということを調べて言っているわけではない。最初から、キャリアにギャップがある人は採らない、と決めつけていて、それに合う事例を後からもってきているだけなんだよ。」

トロントの夜。四川料理を食べながらの、田森佳秀の熱弁は続く。

「アメリカ人は違うよ。彼らは、お金もうけのことだけを考えるからさ。その人物を見て、良い人だったら採る、良くなかったら採らない、それだけ。合理的だからね。日本人は違う。人も評価しない、合理的にも考えない。ただ、思い込みや偏見で社会が動いていくだけ。」

いつもぼく自身が言っていることを、田森佳秀独特の、少し異なる表現で語ってもらうと、なんだか斬新でさわやかな気がした。

ウィグをかぶって喜ぶ田森佳秀氏。2009年10月3日

6月 26, 2010 at 09:46 午後 |