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2010/06/02

「ガラパゴス化」を通して地球規模で連帯すること

 自分たちのやっていることが、その地域だけでしか通用しない「ガラパゴス化」の問題は、置かれた文脈に(過剰に)適応する日本人において、特に顕著に見られることかもしれない。日本が地理的に孤立していることや、自分たちだけでも何とか回していけるだけの「市場規模」を持っていることは、日本の「ガラパゴス化」の劇症化に寄与していることだろう。

 一方で、インターネットに象徴される相互依存関係の緊密化に伴い、イノベーションや競争のダイナミクスが世界規模で「単連結化」され、その中でさまざまなデファクト・スタンダードが錬成され、リンガ・フランカとしての英語の力が強まる現在において、「ガラパゴス化」を強いられているのは日本だけの現象ではない。

 たとえば、ドイツの人たちと話していると、組織や肩書きにこだわる傾向が、日本人とは別の意味で見られる。フランス人には、「グランゼコール」など、ある定められた「エリート・コース」を重視する傾向が見られる。グローバル化の「勝者」であるはずのアメリカ合衆国においても、ローカルなコミュニティでの生活に安住している人はたくさんいる。

 日本人にとって、自分たちの組織、商品やサービス、生き方や考え方といったオペレーティング・システムが世界の最先端で通用しないという問題は、切実で緊迫したものだが、一方で、その問題が、世界で自分たちだけを襲っている、特殊なものだと考える必要はない。

 「ガラパゴス化」の問題を普遍化して考えれば、それは、世界の至るところで起こっている。グローバル化によって競争のダイナミクスが世界的に単連結になることによって、今までのやり方では通用しない、あるいは同じような輝きを保てないと感じている人たちはたくさんいる。

 普遍化されたガラパゴス化問題を解決することは、私たち日本人の問題を解消することに寄与するだけでなく、世界各地で同じように自分の存在が辺境化されてしまっている人たちが、未来に向かうことを助けることになるだろう。

 この視点は、進化生物学の文脈とも連結する。独立して進化を遂げてきたポピュレーションが、他のポピュレーションと接してグローバルな淘汰圧の下に置かれた時、どのようにして新たな進化の道筋を見つけることができるか。遺伝子における進化ではなく、むしろ「ミーム」の進化において興味深い視点が存在する。

 また、ここで論じている問題は、公正さや少数派の権利の問題など、さまざまな倫理的視点にも直結する。「ガラパゴス化」は、少し視点を幅広くとって俯瞰すれば、さまざまなアクチュアルな問題群に接続するのである。

 私たち日本人の窮状は、私たちの身体性に根ざしたリアルなものである。私たちはそれから逃げることはできない。一方で、「ガラパゴス化」の問題を普遍化することで、私たちは自分たちの切実な問題を解決すると同時に、地球上の多くの人々に生きる上での指針を提供することができるようになるだろう。

 ドイツの肩書き重視の教授とも、インドの農村の貧しい人とも、ステーキにかぶりつくテキサスの人とも、スペイン語でまくし立てる南米の人とも。グローバリズムへの不適応の問題だった「ガラパゴス化」が、うまくつながれば世界規模の普遍へと変貌する。

 私たちは、「ガラパゴス化」を通して地球規模で連帯することが可能なのだ。

6月 2, 2010 at 07:40 午前 |