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2010/06/30

ピッチの上で、彼らの胸に去来した思い

小学校も中学校の時も、高校の時も、サッカーが大好きだった。

もちろん、うまくはなかったが、一生懸命やった。ボールを追いかけて、相手にタックルしたりした。

今だったら、ソッコーでイエローカードだろう。

大学でも、サッカーの授業をとった。駒場のフィールドを、一生懸命走り回った。

当時のことを思い出すと、サッカーというのがいかに難しいスポーツかわかる。必死で、全速で走り回っても、何ともならないんだよね。

日本代表の選手は、一人ひとり、本当に凄いレベルで、なんであんなことができるのだろうと思う。

もちろん、オレみたいなヘタッピイと比べるのも失礼だと思います。

パラグアイ戦、感動した。45分×2回、延長戦15分を二回、そしてPK戦。

死力を尽くして、走り回って、転んで、それでも立ち上がって、最後に残念ながら負けてしまった。

何も言うことなどありません。
ただ、ありがとう。

これまで、ユースの時から一生懸命練習して、選び抜かれて、日本代表になって。夢の舞台に立った。
ピッチの上で、彼らの胸に去来した思いは、いかばかりのものだったか。

ワールドカップという、すべてのサッカーをやる人にとっての最高の舞台。そこであなたたちが見せてくれた魂が白熱するような時間を、決して忘れません。

6月 30, 2010 at 08:06 午前 |

2010/06/29

日本から世界へ。世界から日本へ。

 東京大学を初めとする日本の大学が、とりわけ学部学生の構成などから見て「ガラパゴス化」している。このような現状では、アメリカのハーバード大学、イェール大学などに留学するのは一つの選択肢である。

 そこでは、現代の世界の「リンガ・フランカ」である英語で教育が行われている。英語で議論し、自分を表現し、世界に関するシステムを構築していくという能力を身につけることができる。大学を修了後、地球を覆う「スモール・ワールド・ネットワーク」の中でコミュニケーションし、活躍することも、おそらくはやりやすいだろう。 

 しかし、ハーバードやイェールに学部の時から留学する高校生が増えれば、それで万々歳というわけでは必ずしもない。高校生が、日本の大学に進学せずに、アメリカの大学を選択するようになることは、いわば「二つの悪」のうちどちらを選ぶか、ということに近い。そもそも、高等教育を、外国に「丸投げ」してしまって、まともに国が運営できるわけもない。近代化から何周か回った地点にある現在の日本にとって、「脱ガラパゴス化」の本当の道は、別のところにあるはずである。

 プロ野球においては、一時期、一流選手の大リーグへの流出が問題になった。その過程で、あたかも、日本のプロ野球がアメリカの大リーグの一段下、その下部リーグと化しているというような間違った評価も目立った。

 その後、大リーグ機構の肝いりで始まった「ワールド・ベースボール・クラシック」において日本が第一回、第二回と続けて優勝したこともあって、日本のプロ野球よりもアメリカの大リーグの方が格が上であるという「誤った劣等感」は、是正されている。今はむしろ、日本のプロ野球はアメリカ大リーグとは異なるスタイルで、野球というスポーツにおける卓越を追求しているというイメージが強くなっているのではないか。

 日本とアメリカの大学も、同じこと。ガチンコで闘えば、案外勝てるかもしれない。問題は、日本の大学が、学部の頃からの優秀な学生集めという点において、そもそも同じ土俵に立っていないこと。受験しやすいように、SAT、TOEFLなどを試験として採用したり、キャンパスにおける言語政策(language policy)の考慮を通して、本気になって世界の優秀な学生を獲得する土俵に立ってみたらどうか。 

 同時に、日本の高校生が、18歳の時点でハーバードやイェールを目指せるように、英語教育を根本的に考え直す。これからの世代の英語力を底上げすることで、日本全体の国際的なコミュニケーション能力が高まっていくはずである。

 日本から世界へ。世界から日本へ。双方向の流れが充実していけば、日本の高等教育機関の筋肉は大いに鍛えられ、日本の国益にも必ず資するだろう。

6月 29, 2010 at 07:03 午前 |

2010/06/28

人々に力を

 インターネットが地球上を覆い、その結果、偶有性が避けられないものとなった。今まで、比較的「固定」された文脈の中でさまざまな営みをしてきた日本も、やり方を変えなければならない。

 このような状況を、私たちはついつい「黒船」到来というメタファーで捉えてしまう。自分たちの意志で呼び込んだ事態ではなく、どちらかと言えば向こうからやってきて、やむを得ずそれに対応している、いわば、「困った事態」だと考えてしまう傾向があるのである。

 しかし、本当は、現状はチャンスでもあるはずだ。一人ひとりが、受け身ではなく、能動的に社会とかかわること。それどころか、社会の行く末に、積極的に影響を与えることができること。「黒船」だと思えば、ついつい受け身になってしまうが、実際には、私たち一人ひとりがやり方を変え、能動的に生きる大いなる機会でもあるはずなのである。

 「人々に力を」(Power to the people)。

 インターネットを通してのグローバライゼーションという大波が押し寄せる今の日本は、かくも長き間「受け身」で「お上任せ」の人生を歩んできた多くの人々にとっての、変化の絶好のチャンスである。

 マスメディアだけに頼っている必要はもはやない。特に、オピニオン形成においては、すでにマスメディアの力は相対的なものになりつつある。とりわけ、時代の流れに敏感で、先端的な人たちの間では、ブログやツイッター、SNSなどのネット上のメディアを通して、お互いの意見を参照することが多くなっている。

 伝統的なメディアは、どうしても、ある視点から編集を加えたり、内容を穏当なものにしてしまったり、「バランス」を図る余りオピニオンの「ダイナミック・レンジ」を狭くしてしまったりする。もちろん、ウェブ上で見られる意見の全てが、正しいわけでも、適切なものであるわけでもない。しかし、もともと「百家争鳴」こそが、議論の本来の姿。極端なものから穏当なものまで、さまざまな論者が並列することが、議論の幅を広げ、奥行きを深くする。ネット上に見られる「エッジの立った」意見が、いわばオピニオンの「生鮮食料品」として、人々の関心を集めつつある。マスメディアの中で表明される見解は、比較すれば鮮度の落ちた、ぼんやりした味のものとの認識が広がりつつあるのではないか。

 誰にでも、意見を表明する自由が与えられている。もちろん、そこには、「ミーム」(社会的遺伝子)に対する猛烈な淘汰圧がかかるわけであるが。

 グローバル化の波を、「黒船」だと思って身をすくめているのでは、つまらない。むしろ、自分たちにとって今まで縁がなかったパワーを、簡単に、しかもコストがほとんどかからない形で手にしているのだと思えば、身が奮い立つ。未来に向って積極的に生きていこうと思うことができるだろう。

6月 28, 2010 at 08:42 午後 |

石川哲朗くん、星野英一くんが立派に発表を済ませました。

石川哲朗くん、星野英一くんが立派に発表を済ませました。


石川哲朗くん


星野英一くん


Ilya Farberと談笑する田森佳秀。


Bradley Richards、箆伊智充、高野委未

6月 28, 2010 at 07:00 午後 |

2010/06/27

箆伊智充くん、高野委未さん、それから田森佳秀の研究室の津田くんが、立派に発表を済ませました。

箆伊智充くん、高野委未さん、それから田森佳秀の研究室の津田くんが、立派に発表を済ませました。



発表する箆伊智充くん


発表する高野委未さん


発表する津田くん。

6月 27, 2010 at 09:00 午後 |

2010/06/26

人はいろいろって、単にさぼるための理屈に過ぎないじゃないか

田森佳秀と、夜、ご飯をたべながら議論した。話が、日本の社会の態度のことになった。

田森佳秀は、独特の「アルゴリズム的な脳」をしていて、いろいろなことを論理を組み立てて考える。

日本の社会の中で、「指示待ち」だったり、「自分でものを考えない」、あるいは「体制迎合的」だったりする傾向を批判すると、「人にはいろいろいる」とか、「人はそれぞれだから」とか、「指示待ちで生きたいという人もいる」などと現状を肯定し、擁護する発言をする人がいる、と田森佳秀。

「人はいろいろだといわれると、確かに、何となく納得してしまうような気がするじゃないか。ところが、アメリカに来て、ふと気付くと、日本で人はいろいろ、と主張している人が想定しているような、自分で考えたり行動したりすることができない人って、殆どいないんだよね。みんな、自分で考えてるし、行動しているよ。人はいろいろって、単にさぼるための理屈に過ぎないじゃないか。」

田森は、カリフォルニアとボストンでそれぞれ1年ずつ研究したことがある。

田森佳秀も、日本の企業の新卒一括採用に反対である。この点についても、アルゴリズム的な視点から面白いことを言っていた。

「企業の社長さんと話すと、以前、大学を出てからギャップがあった人を採用したら、その人に問題があった、だから採らない、なんて言うんだよね。だけどさ、オレに言わせれば、新卒でキャリアにギャップがない人のなかにも、問題な人はいる。つまり、その社長は、統計的に見て、キャリアにギャップがある人と、キャリアにギャップがない人の、どちらに問題の人が多いか、ということを調べて言っているわけではない。最初から、キャリアにギャップがある人は採らない、と決めつけていて、それに合う事例を後からもってきているだけなんだよ。」

トロントの夜。四川料理を食べながらの、田森佳秀の熱弁は続く。

「アメリカ人は違うよ。彼らは、お金もうけのことだけを考えるからさ。その人物を見て、良い人だったら採る、良くなかったら採らない、それだけ。合理的だからね。日本人は違う。人も評価しない、合理的にも考えない。ただ、思い込みや偏見で社会が動いていくだけ。」

いつもぼく自身が言っていることを、田森佳秀独特の、少し異なる表現で語ってもらうと、なんだか斬新でさわやかな気がした。

ウィグをかぶって喜ぶ田森佳秀氏。2009年10月3日

6月 26, 2010 at 09:46 午後 |

2010/06/25

日本の大学入試は「プロクラステスのベッド」である

日本の大学入試問題は、文部科学省の定めた「高校」までのカリキュラムの中で、思考能力を求められる問題が出題される。

そのレベルは、たとえば、アメリカのSAT(Scholastic Aptitude Test)、ACT(American College Testing)などの試験に比べて、格段に高い。

そのことは、たとえば、このSAT practice test

http://www.proprofs.com/sat/exams/practice-tests.shtml# 

と、2010年度前期 東京大学入試問題

http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/recent/tokyo/zenki/index.html 

を比較すれば明かだろう。


このことは、大学入学時点での日本の高校生の学力水準を高めに保つ効果を持つかもしれない。一方で、日本の大学入試は、「プロクラステスのベッド」としても機能し得る。

本来ならば、たとえば科学が好きで、得意な子どもは、高校の数学などとっとと終わらせて、その先にどんどん進んでいけば良い。アメリカのSATのような問題だったら、特に何の準備もしなくても、解答することができるだろう。

ところが、上に挙げた東京大学の入試のように、高校までのカリキュラムに出題範囲を限定した上で、その中で人工的な難しさを追求した出題をしていると、大学入試が終わるまでは、高校生はそのカリキュラムの範囲に足踏みすることになる。

本当は、さっさと量子力学や統計力学、線型代数か解析幾何の進んだ内容を修得すれば良いのに、18歳の段階では、いつまで経っても高校のカリキュラムの範囲であれこれと勉強をしなければならないことになる。

ここに、行きすぎた標準化の弊害を見ることができる。

アメリカの大学入試で課されるpaper testが、SATレベルのものに限られているのは、すべての受験者に共通して求める学力はその程度に抑制して、それ以上にどのような方向に「突出」するかは、各学生にゆだねる、一つの「叡智」だと言っても良い。

学問というものは、ある程度の段階を超えると、標準化をすることが難しくなる。どの方向に伸びていくかは、分野によっても人によっても異なるからだ。

アメリカのSATは簡単だが、同時に、高校生の時から非可換代数や無限集合論に精通した学生をつくるかもしれない。一方、日本の大学入試は、18歳までの学生に人工的に限られた範囲での競争を強いることによって、そのような個性を伸ばす芽を実際上摘む。

学力における個性と、標準化のバランスをどのように見るか。この点においてアメリカと日本の大学入試は、異なる思想に基づいている。

6月 25, 2010 at 09:55 午後 |

2010/06/24

自分のこと「ぽよ」って言うんだね。

田森佳秀が、カリフォルニアに留学した時、愛犬「ぽよ」がスペイン語では「チキン」という意味だと知ったのだという。

ぽよは、小さくてかわいい犬。ぼくも何回かダッコしたことがある。

そもそも、どうして田森がぽよという名前にしたのかは知らない。ひょっとしたら、ぽよぽよってしていたからかな。

田森は、数学に関するホームページをぽよ名義で作っていて、そこにはぽよの写真もある。


田森が、金沢の田森の自宅でのぽよの様子を教えてくれたことがある。

テーブルの上においしいものが乗っていて、食べたくて仕方がない。だけど、怒られるからがまんしている。

それで、一度、田森は、部屋を出て、玄関のドアを思い切りバタンと閉めて、出かけたふりをしてそっと戻ってきたのだという。

そうしたら、ぽよが、テーブルの上に乗って狂喜乱舞していたのだという。

そのぽよを、田森はとても大切にしていて、アリゾナの砂漠地帯とか、ずいぶんいろいろなところを旅したが、ついに死んでしまった。

もう数年になるはずだが、田森は、今でもときどき自分をぽよと名乗ることがある。

昨日もらったメールも、そうだった。

______

To: kenmogi
Subject: ぽよの電話番号と携帯のメアドが変わりました。
Date: Wed, 23 Jun 2010

ぽよです。携帯の番号が

***********

になりました。

携帯のメアドは

***********になりました。

田森

________

自分のこと「ぽよ」って言うんだね。かわいいね、ぽよ。



田森佳秀氏と。エルミタージュ美術館にて。

http://www.his.kanazawa-it.ac.jp/~poyo/ 

今晩トロントに着くとのこと。ぽよに会うのが楽しみ。

6月 24, 2010 at 07:48 午後 |

2010/06/23

ストックホルム症候群

日本人は、日本という社会の文脈に巧みに適応することで生きて来た。

早い場合には、小学校に入る前から始まる「受験戦争」、「有名大学」という限られた「クラブ」に入るための競争、そして、大学三年の秋から始まる就職活動。

生真面目な日本人たちは、与えられた「ゲームのルール」に従って、一生懸命つとめてきたのである。

そのような、精緻に張り巡らされた「文脈」に適応することで、適応してきた日本という「生態系」の大きさが、縮小しつつある。日本人の生真面目な「過剰適応」が、かえって日本人が可能性を延ばすことを妨げていると言える。

ある意味では、日本人は、「根回し」や「段取り」や「空気を読む」といったあまりにも精緻に作り上げられた日本の社会構造に、子どもの頃から「人質」になっているとも言える。それに合わせることは、最初はそれなりに大変なことのはずだった。ところが、社会の中で「訓練」を受けているうちに、いつの間にか、もともとは自分の本性とは無関係だった倫理感、価値観が、内面化され、あたかも自律的にそれを選びとっているかのような錯覚を抱くにいたる。

「ストックホルム症候群」 にもつながる事態が、私たちの足腰を萎えさせているのである。

6月 23, 2010 at 06:20 午前 |

2010/06/22

新潮社イケメン3人組。

昨日の夜、

「新潮社のひとたちと焼き肉を食べているのだ。ぼかあ、もうふらふらになってきたのだ。何しろ、山から下りてきたばかりだからのう。」

「みんなよく飲むし、よく食うよ。キムに、キタモトに、オオクボ。新潮社イケメン3人組。」

とツイートしたら(http://twitter.com/kenichiromogi)「顔が見たい!」というリクエストが複数来たので、ここに「秘蔵写真」を公開します。

なお、すべて主観評価に基づくものであり、「こんなはずじゃなかった」「期待して損した」「私の人生を返せ」といった苦情は、一切受け付けられませんのであしからず。

三人とも、とても優秀で、ハートがあって、信頼できる編集者であることは確かなのです。人生の大切な友人。それが一番重要なことでしょう。

左から新潮社の金寿煥さん、北本壮さん、大久保信久さん

6月 22, 2010 at 06:53 午前 |

2010/06/21

汚れを溜めて、それからキレイになる。

下界に降りてきた。インターネットがつながった。

尾瀬では、東電小屋に御世話になった。ビールを飲んで、気持ちよくなって、「起こしてくださいね」なんていいかげんなことを言って、そのままころんと朝まで眠ってしまった。

もちろん、風呂に入りなどしない。

沼田の近郊まで降りてきて、お風呂に入った。きれいにさっぱり気持ち良い。

思い切り動き回って、汚れを溜めて、それからキレイになる。

その心地良いリズムをひさしぶりに思い出した。

初めて行った尾瀬があまりにも美しく、気持ちの良いところだったので、心の胸騒ぎが収まらない。

6月 21, 2010 at 01:10 午後 |

2010/06/20

白洲信哉曰く「iPhoneとiPadというのは、違うんですか?」

白洲信哉と、銀座で待ち合わせた。

5分前に着いてぼんやりしていると、「あれっ、もう来ているんですか」と声がした。

「明子さんは?」「もう来ているはずです。」「じゃあ、別々に?」「そうそう」

吉井画廊に立ち寄り、それから会食の場所へと歩いた。

白洲信哉のブログが、ここのところ更新されていないなと思っていたので、そのことを聞いた。

「あなたのブログ、ここのところ、更新されていないね。」

「いや、あれは、ぼくがさぼっているんじゃなくて、ちゃんと送っているんだけれども、向こうがさぼっているのです。」

「自分自身で、更新すればいいじゃない。」

「そんなこと、できるんですか。」

「パスワードとか、教えてもらえばできますよ。」

「ほお。でも、何故か、教えてくれないんですよね。」

「きっと、一度内容をチェックしないと、本人が更新できるようにすると危ないと思っているんじゃないですか。」

「そんなこともないでしょう。」

「信哉さんも、ツイッターをやったらいいんじゃないですか?」

「あれは、自分で登録できるんですか?」

「できますよ。簡単だよ。」

「でも、書くには、茂木さんのようにパソコンをいちいち開けなければならないんでしょう。こうやって、銀座を歩いていて、つぶやきたいと思っても、できないんでしょう。」

「そんなことないよ。携帯からも、つぶやけるよ。iPhoneだったら、もっとラクにつぶやけるよ。」

「iPhoneねえ。でも、あれは、A4サイズで、大きいじゃないですか?」

「・・・・?!。ひょっとして、それって、iPadと勘違いしていない?」

「iPhoneとiPadというのは、違うんですか?」

「ぜんぜん違うよ。iPhoneは、普通の携帯電話の大きさだよ。」

「そうですか、それで、あのiPadというのは、どうやってつなぐんですか?」

「普通に、無線LANや、携帯電話回線でつながるよ。」

「そうなんですか、こちとらね、線でつながっていないと、何となく安心できないんでねえ。」

「・・・・」

唐津とか、伊万里とか、井戸茶碗とか、骨董のことはわかる男が、なぜiPhoneとiPadの区別がつかないのか。

人間の脳というのは、実に深遠である。

店に着く。

白洲信哉、白洲信哉のご母堂の白洲明子さん(小林秀雄の娘さん)、それに吉井画廊の吉井長三さん。

吉井さんに、画家のこと、パリのこと、絵の具のことをうかがう。

白洲明子さんは、いつもニコニコ笑って黙っている。その静かなたたずまいが、ただものではないと感じさせる。いろいろ、お考えになったり、感じられたりすることもあろうに。

私と信哉は、もっぱらワールドカップの話題である。
前半0対0。優勝候補のオランダに対して、なかなかがんばっている。とこが、信哉は、「格上なんだから、きっと、後半崩れて0−3で負けるよ」と言う。

信哉の言動をツイッター(@kenichiromogi)でつぶやいたら、「信哉さんの口を封じておいてください」と懇願されたので、とりあえずお酒を飲ませた。

口封じもむなしく、日本は0−1で惜敗した。

一夜明けて、iPhoneとiPadの区別がつかない男の予言通りになったのが、悔しい。

そういえば、信哉は高校時代は野球部だったのだそうである。


白洲信哉氏 2009年 ロンドンにて。

6月 20, 2010 at 06:17 午前 |

2010/06/19

ツイッター私塾

ツイッター私塾

インターネットの発達により、学術情報自体は、ネット上にふんだんに存在する時代になった。誰でも無料で多くの情報に接することができる。そのような時代には、「大学」の役割は変化する。情報そのものではなく、「人」が重要な資源となる。

人の知性の総合性は、アルゴリズム・ベースの人工知能で書くことができない。それは、生身の人間がその肉体の中に持つ体系性の中に提示されるしかない。大学の役割は、すぐれた教員、すぐれた友人との出会いだろう。

生の有機的体系性の重要さを一歩進めると、「私塾」の思想となる。大学とは、私塾の集まりであると言ってもよい。幕末、多くの私塾が有為の人材を輩出した。松下村塾、適塾など。

しばらく前に、「私塾」をやりたいなと思った。しかし、時間的にも、場所的にも、なかなか難しいものがあった。一番の困難の一つは、どのようにして人を「セレクト」するかである。誰でも入れるオープンなシステムを保ちながら、同時に、高度な部分で切磋琢磨できるようにする。そのような組織作りは、とても難しいということが経験でわかっていた。

数日前、セレンディピティが訪れた。ツイッターでさまざまな質問が寄せられる。私のアカウント(@kenichiromogi)に、質問がくる。今までは、「こんな質問、答えられるかよ!」とスルーすることが多かったが、たとえ、あまり「分かっていない」あるいは「趣味の悪い」質問でも、工夫すれば、そこに学びの可能性があることに気付いた。

また、ツイッターには「劇場効果」がある。私と質問者のやりとりを横から見ていることで、多くの人が何かを感じ、学ぶことができる。そのフィードバックを通して、私自身も学ぶことができる。

全ての質問に答えることは、必ずしもできない。自然に、質問にも、「淘汰圧」がかかることになる。

140字だから、忙しい仕事や、スケジュールの合間をぬって、こまめに返答することができる。140字でも、「指し示し」や「志向性」は伝えることができる。短く端的に表現するのは、お互い良い訓練になる。

「ツイッター私塾」の試みを、しばらく続けてみようと思う。

6月 19, 2010 at 07:15 午前 |

2010/06/18

この子が五歳の頃に。

 仕事で北陸に来た。
 
 一日のスケジュールを終えて、仕事仲間たちと温泉に投宿した。

 お肌がすべすべになる、とても良い温泉。

 食事の時に話が弾んで、カラオケに行こうということになった。幸い、ホテルの中に、カラオケを歌えるところがあった。

 入ってみたら、広い空間にソファがたくさん置いてあって、カラオケの機械が端にある。

 先に、数名のおじさんたちの団体が来ていた。何人か、お店の女の人たちが一緒に座っていた。

 ぼくたちが曲を入れる前に、そのおじさんたちの曲がかかった。すべて、昔懐かしい演歌だった。

 演歌がかかると、おじさんたちは二つのことをした。一つは、もちろん、モニタの前に立って歌うこと。そうして、もう一つは、おじさんたちが、お店の女の人たちと一緒に、曲に合わせてダンスを踊ること。

 「あれ、これ、チークの曲だったっけ?」とカモさんが言った。「スローな曲だったら、何でもいいんじゃないんでしょうか」と僕は言った。

 とにかく、そのようにして、おじさんたちはお店の女の人たちと曲がかかるたびに踊った。おじさんたちはにやけていた。それに対して、お店の女の人たちの振るまいには、研ぎ澄まされた間合いと正確さがあった。

 「こんな光景を見るのは、ひさしぶりだな」とカモさんが言った。ぼくも、何だか、込み上げるものがあった。

 お店の女の人の中に、30歳くらいだろうか。少し大柄の女の人がいた。その人は、おじさんと演歌でデュエットをしたり、スローなダンスを踊ったり、淡々と仕事をこなしていた。

 白と黒のギンガム・チェックのドレス。その女の人は、ゆったりと、ゆっくりと、フロアの上を移動していた。

 この子が五歳の頃に。

 かわいい、小さな女の子だったろう。おかっぱで、目を輝かせて、お人形さんごっごが好きで。どんな夢を抱いていたのかな。お菓子やさんになりたいと言ってお母さんを笑わせたり、私、素敵なお嫁さんになる、と言って、お父さんがにこにこしたり。

 時は流れた。

 突然、マツオカが立ち上がって、自分で自分の肩に手を伸ばして、ゆったりと踊り始めた。

 ずいぶんビールやウィスキーを飲んで酔っぱらっていたマツオカ。

 きっと、何かを感じて、いたたまれなくなったのだろう。マツオカは立ち上がって、自分で自分を抱きしめながら、踊り続けた。

 ダンス、ダンス、ダンス。

 マツオカは、踊りながら、店の女の人と、ゆったりと踊っているおじさんたちに、近づいていく。近づき過ぎる、とうくらいに近づいていく。

 この子が五歳の頃に。

 夢見た物語の中には、そのカラオケスナックの光景はなかったかもしれない。スローな曲がかかる度に、自分の手をとり、フロアへと誘うおじさんたちの姿もなかったかもしれない。

 しかし、自分の肩に両手を伸ばし、自分を抱きしめて踊っているマツオカの姿は、どこかぎりぎりのところで、この子が五歳の頃の夢の続きを見させてくれているのかもしれなかった。

 ぼくは、クソウと思い、ついつい尾崎豊の『十五の夜』を入れてしまった。

6月 18, 2010 at 05:38 午前 |

2010/06/17

母校での授業で、思い切り噴火してみた。しかし、空噴火に終わった。訪れた認識。すべての問題は、個人的な問題である。

ある出来事についてのすべての記述、評価は原理的に主観的なものだから、昨日こんなことが起こったという私のこれからの記述も、あくまでも私の眼から見て、そのようなことがあったように感じた、ということかもしれぬ。

年に一回の母校での授業。畏友にしてソウルメイト、池上高志がこのところずっと招いてくれている。

前日、池上がtwitter上でメッセージをくれた。

@kenichiromogi you know Japanese is strictly prohibited in the lecture. Use other languages.

それで、ぼくは、どうかなあ、と思ったけれども、池上に次のように返事した。

good. i will use maths, baby talk, general nonsense, and jabberwocky. @alltbl Japanese is strictly prohibited. Use other languages.

ぼくは、日本語での議論については、こんな風に思っている。もし、そこで用いられている概念について、常に、英語ではどのような概念であるかということが意識されているならば、実質上それほどの違いはないのではないか。

だから、日本語で授業をやっても良いと思っていたけれども、せっかく池上がこのように言うのだから、英語でやってみようと思った。

授業開始から、偶有性やネットワークのこと、そのインスタンスとしてのベイツ型擬態や、ミュラー型擬態、国境紛争のこと、バブル経済の発生と崩壊、脳内におけるone-shot learningなどの話を英語で話し続けた。

最初のつまづきの石は、質問を受けた時に、ぼくが「日本語でもいいよ」と言ったこともあって、学生が日本語で発言したことである。その質問の内容は的確で素晴らしいもので、それまでぼくが英語で話していたことを、完全に理解していたと推定されるものだった。

だから、そのこと自体は良かったのだけれども、ぼくも日本語で答える流れの中で、そのやりとりを通して、何だか「魔法」が解けてしまった。

ここは、イギリスでもアメリカでもなくて、日本の東京だという現実が、一気に押し寄せてきて、ぼくは覚めた。ぼくは英語で授業をすることをやめてしまったのである。

休み時間になって、ぼくは、駒場キャンパスの中を池上高志や、ありがたいことにぼくの授業を聴きに来て下さった早稲田大学の三輪敬之さんと歩いた。三輪さんは、来週、同じ認知オムニバス授業で話されるのである。三輪さんが最近やっていらっしゃることについてうかがい、「キャッチアップ」できたのは、うれしいことだった。

それから、池上高志の熱力学の授業があるというので、なつかしい7号館の726号教室で、外の廊下に立ってしばらく聞いた。ルジャンドル変換や、準静的過程について、池上が熱弁を振るうのをとてもうれしく思った。

自分の授業が始まるので、教室に戻ろうと思った。駒場キャンパスを歩きながら、このところ何回も脳裏をよぎっている疑問が、ぼくの心をとらえた。

なぜ、東大には、基本的に日本人しかいないのだろう。

駒場は一二年生が中心だから、とりわけそのように思ったのかもしれぬ。

とにかく、そのように疑問を抱きながら授業に入り、自己の社会的構築と、倫理的判断についての講義を始めようとした。その前に、軽い「ジャブ」のつもりで、東京大学に象徴される日本の問題点、というようなことを話し始めたら、それが導火線に火をつける結果になってしまった。

もっとも、後に明らかになるように、それは、あくまでも私の心の導火線に過ぎなかったのかもしれぬ。

学生諸君との真剣なる対話をしているうちに、いつの間にか池上が熱力学の授業を終えて帰ってきて、そうして、はっと気付いたら、もう90分間経っていた。

結局、一コマの授業のあいだずっと、東大と日本の未来について話し合う結果となってしまったのである。

それはそれで良かったのであるが、私は、心理的に大いなる挫折を経験したように思った。池上高志とファカルティ・クラブに歩きながら、ぼくは、「ああ、失敗した、ダメだった」と嘆息した。

これはあくまでのぼくの主観的な印象に過ぎないのかもしれない。とにかく、学生たちの心に火をつけることに失敗したように思った。

このままではいけない、というような沸き立つような感覚、そうだ、ここでないどこかに行こうといういてもたってもいられない気持ち。そのようなことに、学生たちを駆り立てることはできなかったように思った。

また、こうも思った。ある組織が現に存在し、その中で学び、その中で生きることに充足感を抱いている人たちに対して、外からあれこれ言うのは、所詮、心に届かない、余計な御世話だという意味で、無駄なことなのかもしれないと。

たとえば、日本企業による新卒一括採用が、いかに経済合理性を欠き、大学の教育を妨げ、多様な人材の集結によるロバストな組織運営という視点から見て阻害的であるかをいくら説いても、今の採用システムで「何の問題もなく」組織を運営している会社の人たちから見れば、余計な御世話なのかも知れぬ。

池上高志と、ファカルティ・クラブでビールを飲みながらいろいろなことを話した。他に、ぼくの学生たちと、池上の学生たちがいた。明るかった世界が、次第に暗くなって、やがてとっぷりと闇に包まれていった。

ぼくは、池上に言った。「今日の授業は、オレにとって、大きな転機になるかもしれぬ。」

池上は言った。「お前が、この前、山口のMTMの時に来てくれて、本当に助かったよ。」

ぼくはつぶやいた。「すべての問題は、個人的な問題である。」(Every problem is a personal problem)。


ぼくが、大学や企業などの日本の組織の在り方に問題を感じ、このままでは国が沈むと思い、オペレーティング・システムの書き換えが必要だと切迫感を抱いているのは、あくまでもぼく個人の問題であり、日本の問題ではないのかもしれぬ。

ぼくは、ぼく一人のパラメータで何とかなることについて、心を砕くべきなのかもしれぬ。心脳問題を考え、論文を書き、Richard DawkinsやCharles Darwinのような本を(むろん英語で)世に問い、ぼく自身の切実な問題について、真にグローバルな文脈で表現し、議論していくこと。それ以外にぼくがやるべきこと、というか、ぼくができることはないのかもしれない。

授業中、「怒っているのはわかったけれども、何も変わっていないじゃないか、それはあなたの責任ではないのか」という趣旨のことを学生言われて、ぼくは、「I am making some noise!」と答えた。

声を上げてはいるんだよ。

しかし、ノイズは所詮ノイズに過ぎないのかもしれぬ。

母校での授業で、思い切り噴火してみた。しかし、この噴火は、空振りに終わったという意味において、空噴火だった。

空噴火をした火山は、休火山になるしかないかもしれぬ。

すべての問題は、個人的な問題である。

きっと、そうなんだね。

6月 17, 2010 at 05:59 午前 |

2010/06/16

椎名のアニキ、有吉が、ホームレスだって言ってやがりますぜ!

有吉弘行さんに、「かしこいホームレス」というあだ名をつけられたということをツイッター上でつぶやいたら、私にとっては今までで見たことがない、空前の返信、リツイート数となった。


改めて有吉さんの人気ぶりを感じた。

有吉さんは、最初、「茂木さんみたいな、しらがの混じった、もじゃもじゃの髪の毛のような人」と言っていて、その後で「かしこいホームレス」と言われたのである。

さすが的確だな、と思った。

私は、時折、椎名誠さんに似ていると言われることがある。10年前も、道を歩いていて、前からくるおじさんに、「あんな、椎名誠によく似ているな」といきなり言われて、その後で、「もっとも、あんたはちょっと肥えとるけど」と付け加えられた。

「男は一日一回床と勝負しろ」という椎名さんの教えをちゃんと守れば、身体が締まって、もっと似るであろう。(椎名誠さんも、髪の毛は自分で切っているのだそうである。)

その椎名さんは、よくホームレスの人に間違えられるのだそうである。

駅や空港で、誰かを迎えに行ってぼんやりと座っていると、警備の人に注意されたりするのだそうだ。

だから、椎名さんに似ているぼくが、ホームレスの人に似ているというのは自然なことで、それをあだ名にした有吉弘行さんはさすがだと思う。

「かしこいホームレス」というあだ名、つつしんでいただきます。ありがとうございました!



「椎名のアニキ、有吉が、ホームレスだって言ってやがりますぜ!」

6月 16, 2010 at 05:24 午前 |

2010/06/15

すべての英語学習者に、言語のオープンエンド性に身をさらすことをお薦めする

言葉の組み合わせが実質上無限にあることを考慮すれば、日常会話において、話者が耳にする特定の文の単語は、生涯で初めて聞くものである可能性が高い。それでも、話者はその内容を理解することができる。

初めて耳にする単語でも、前後の文脈からその意味を推定できることも多い。脳の言葉の意味の認識の回路は、オープンエンドな言語の構造に最初から適応しているのである。

子どもが言語を獲得する時、その前で話をする両親及び他の親は、お互いの会話において、特に語彙数を制限することはない。もちろん、子どもに直接話しかける場合には、ある程度のボキャブラリの制約をかける場合もあるが、子どもは、基本的にオープン・エンドな言語の構造にさらされ続けることによって、言語を獲得していく。

文部科学省の中学校学習指導要領 第9節 外国語に書かれていることは、一つひとつの項目をとれば、それほど悪いことではない。
しかし、全体的な精神として、言語学習を「標準化」「内容のコントロール」という視点から構築している点において、根本的に言語のオープンエンド性に反している。

とりわけ、修得すべき単語数の目安として、900語程度を挙げているのは、中学校で実質的に取得される単語の目標として、控え目であり過ぎるだけでなく、もし、この指針が、中学生が接する英文テクストが900語程度の単語数で構成されるということを意味するのであれば(そして、実際中学生が読む英文はその程度のものである場合が多いが)、そのような教育方針は、言語の「オープンエンド性」 に対する脳の回路を育むという視点から見て、根本的に間違っている。

吉田秀和さんは、旧制高校時代の自分のドイツ語学習を振り返り、「いやあね、初日にABC(アーベーツェー)の文法をやって、二日目にはニーチェのショーペンハウエル論を読まされました。昔は野蛮でしたよ。」と言われる。

ニーチェのショーペンハウエル論が、900単語で構成されているはずもない。

言語はオープンエンドである。一方、学ぶべき内容を制約し、標準化しようとすることは、基本的に学習者の脳を「窒息」させる。

私は、すべての英語学習者に、言語のオープンエンド性に身をさらすことをお薦めするものである。

(詳しくは、外国語教育メディア学会(LET)50周年記念全国研究大会予稿、Ken Mogi Towards a more open-ended English educationをご参照下さい。)

6月 15, 2010 at 07:47 午前 |

2010/06/14

サッカーは判断力。

ワールドカップ南アフリカ大会、日本対カメルーン戦が、いよいよ今日午後11時にキックオフする。

日本チームの健闘を祈りたい。

サッカーで勝つためにはどうすればいいか。45分ハーフを走り回る運動量、それを支えるフィジカル、ボールを奪い合ったり、シュートをしたりする際の技術はもちろん大切であるが、注目したいのは個々の状況における「判断力」(judgment )である。

試合の状況は、時々刻々と変わる。ボールを受けた時に、ありとあらゆる選択肢の中でどれを選ぶのか。誰にパスを出すのか、自分でドリブルするのか、あるいはシュートをしてしまうのか。

一般的には、「一つの正解」が存在するわけではない。たとえ存在したとしても、それをあるルールに基づいて導きだせるわけではない。判断に費やすことのできる時間は限られている。ぐずぐずしていれば、相手の選手が来てしまう。選手が動いて、状況が変わってしまう。

サッカーとは、すなわち、凄まじいまでのタイム・プレッシャーの下で、瞬時に判断を積み重ねるスポーツである。その際に重要なのは、結局、選手自身の「直感力」となる。どうしてそのような判断をしているのか、意識的、明示的な理由を挙げられないままに、ある選択をするということが、ゲームを動かし、決定する要素となるのである。

サッカー発祥の地、イギリスで、サッカーやラグビーといったスポーツが、パブリック・スクールなどの伝統校の教育課程で行われてきたことの意味は、「判断力」を醸成するというこれらのスポーツの特性に注目したものと考えられる。サッカーで培った、瞬時に状況を読み取って判断する能力が、実生活一般でも役立つのである。

日本サッカーが強くなるためには、技術やフィジカルはもちろん、判断力の強靱さを高めなければならない。日本代表の選手たちは、サッカー少年たちの夢の象徴。選りすぐりの彼らたちも、また、日本という文化風土の中で育つ。一国のサッカー力は、その国の文化力でもある。

一人ひとりの直観に基づく、瞬時の判断に基づいてダイナミックに社会が動くというよりは、どちらかと言えば「根回し」をしたり、「空気を読んだり」、「段取りを踏んだり」することの多い日本社会。日本代表たちは、自由を縛るマインドセットから離れて、瞬時の判断力を大きく飛翔させることができるか。日本代表のゲーム進行は、そのまま、私たち日本人の精神風土の「自画像」となる。

判断力は一日にしてならず。日本がワールドカップで優勝するまでの道は遠いかもしれないが、今回の南アフリカ大会が重要な一里塚となることを期待したい。

6月 14, 2010 at 06:47 午前 |

2010/06/13

連結した多様性のクラスター

グローバリズムの進行によって、世界が「単連結」になっていくことは、必ずしもさまざまなものが均質化することを意味するのではない。

むしろ、世界中が一つに結ばれつつも、その内部で多様性が保たれるための方法論があるはずである。

世界中の人たちと向き合い、交流することで、「均質化」だけでなく、「多様化」のダイナミクスもまた、作用し得るはずだ。

一つのひな型が、脳である。脳の中の神経細胞のネットワークは、疑いなく「単連結」である。(そもそも、そうでなければ、一人の「人物」として、無意識のプロセスと意識のプロセスにまたがる統合された「人格」が形成されない。

その脳内の神経細胞の活動によって生み出される私たちの「心」の中に、さまざまなクオリアが生まれる。また、無限といってよいほどの観念が存在する。
脳の生み出す心の、そのような有り様を観察すれば、単連結になったがゆえに、むしろ多様性が育まれる、そんなメカニズムがあるはずだと思えてくる。

もう一つのひな型は進化である。世界が結ばれ、共通の淘汰圧がかかることで、種が単一化するのではなく、むしろ多様化する。そんな道筋があるはずだ。それは、もう、始まっているのではないか。マスメディアから、多様なロングテールメディアへの移行の中に。

私たち一人ひとりの心づもりとしては、だから、思い切り個性的になり、異彩を放っていいのだと覚悟することだろう。皆が、アメリカ人のようになる必要はない。むしろ、エキゾティックでも良い。その方が、グローバリズムによって開かれる組み合わせのダイナミクスにおいて、多様性を醸成することにつながる。

実際に多様性の増大に帰結するためには、異なる生態学的ニッチが、相互作用空間の中に用意されなければならないだろう。

そうして、多様性がただそれぞれ孤独のうちに存在するのではなく、実質的に相互作用し、お互いに向き合うためには、何らかの共通の基盤が必要である。相互作用のための共通の基盤を持つことは、多様性の低下への道筋ではなく、むしろ、連結した多様性のクラスターが生み出されるための必要条件である。日本人にとっての英語習得の意義は、結局そこにあると言えるだろう。

6月 13, 2010 at 08:27 午前 |

2010/06/12

リリーさん、これからも、一緒に闘おう。

リリー・フランキーさんの『東京タワー』が、今度新潮文庫になる。

渋谷で対談して、それから中目黒で飲んだ。

ぼくは思った。ぼくはさあ、最近、日本のことをいろいろ心配して、このブログでも、提案していたりするけどさ。

皆がみな、一人残らず、そういうことに心をかけなければならない、と思っているわけではもちろんないんだ。

『東京タワー』に出てくる、リリー・フランキーさんのお母さんに、ぼくの母親はとても似ている。その年老いた母親に、グローバリズムとか、偶有性だとか、つべこべ言うつもりはないよ。

でもさ、誰かが、国の代表として頑張らなければ、ぼくの母親のささやかな人生も、守れないんじゃないかな。

だから、皆、それぞれの現場でがんばろうよ。

しかるべく場所にいる人には、しかるべく、自分のありったけの力を持って、がんばってもらいたい。

そうでなければ、小さきものたちも守れないんだから。

リリーさん、これからも、一緒に闘おう。


6月 12, 2010 at 02:55 午前 |

2010/06/11

細田美和子さんの送別会

細田美和子さんの送別会

プロフェッショナル日記

2010年6月11日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/

6月 11, 2010 at 08:31 午前 |

新しいカレッジ

日本の代表的な大学の一つ、東京大学のことを書く。

東京大学の学部入試が、現状のままでは、事実上日本語を母語とする人が殆どとなり、大学が国際化を図る上での損失が大きい。

単に、学問上の問題だけではない。これからのグローバル化の時代に、多くの異なる文化背景からなる人たちが集まり、共に学習することでお互いに知り合いとなり、人脈を作る。そのような体制を作ることが、10年、20年後になると決定的に効いてくる。

東京に、(おそらくは)アジアを中心に有為の人材が集まり、4年間学び、そうしてまた各地に散っていく。そのようなシステムを作れば、日本の地位の向上、国際化の進展にじわりじわりと効いてくるだろう。

そのために、理科I類からIII類、文化I類からIII類の現行の入試体制を変えることが難しいのであれば、それらとは別に、少人数のリベラル・アーツ・カレッジを東京大学内に設けることを提案する。

一学年の人数は、100人程度の少ない数字から始める。そうして、4年間、英語で徹底した教育を行う。スタッフは、東京大学のファカルティから英語の教育ができる人を集めれば、まかなえるのではないか。

入試は、TOEFLとSATに準拠し、そうして、入試のインタビューは、世界各地にいる東京大学のOBの中から、一定のqualificationを充たした人が担当して大学当局にレビューを送り、それに基づいて判定するという、ハーバードやイェールなどのアメリカの大学が採用している方式をとる。

そうして、従来の入試で入ってくる日本語を母国語とする人を中心とする学生たちとの交流が自然に図られるようなシステムをつくる。

そのような新しいカレッジを、東京大学内に作るのは、日本の現状を打破する上で一つの有効な手段であると愚考する。

6月 11, 2010 at 07:45 午前 |

2010/06/10

どうして、勉強すると、ふにゃふにゃになるのか。

子ども 「先生、この前、勉強することの意味は、ふにゃふにゃになることだと言っていましたよね。」

先生 「ああ、そうだったね。」

子ども 「今日は、それがどういうことか、教えてくださいませんか? どうして、勉強すると、ふにゃふにゃになるのか。」

先生 「ああ、いいよ。もちろんだとも! 君は、スパゲティは好きかい?」

子ども 「ええ。ミートソースとか、ナポリタンとか。カルボナーラも好き。」

先生 「スパゲティの一番おいしい茹で方は、どういうのか知っているかい?」

子ども「知りません。」

先生 「アルデンテと言ってね、芯が少し硬くて、中が柔らかいのがいちばん美味しいゆで方なんだ。」

子ども「ふうん。」

先生 「勉強することは、つまり、アルデンテになることなのさ。」

子ども 「えっ、スパゲティと同じなんですか?!」

先生 「そう、おいしいスパゲティと同じ。君には、まだわからないかもしれないけれども、人生ってさ、どんなに勉強しても、結局わからないことばかりなんだよね。」

子ども 「えっ、そうなんですか。ぼく、先生ならば、何でも知っているんだと思っていました。」

先生 「ところが、そうでもないのさ。どんなに勉強しても、結局未来がどうなるかわからない。自分一人の人生はもちろん、世界についてもどうなるかわからない。だから、結局、出たとこ勝負で生きるしかないんだけどさ。」

子ども 「出たとこ勝負!?」

先生 「そう、出たとこ勝負。その、出たとこ勝負においては、ふにゃふにゃにやわらかいことが肝心だ。何しろ、何が起こるかわからないのだから、どんなことが起こっても、ちゃんと対応できなければならない。ふにゃふにゃに、柔軟に適応できなければならない。そのために、勉強が必要なのさ。」

子ども 「親戚のおじさんが、学校に行って勉強ばかりしていると、頭が硬くなるぞ、と言っていました。あの時、おじさん、お酒を飲んで酔っていたけれど。。。勉強をすると、ふにゃふにゃになって、どんなことが起こっても大丈夫になるのですか?」

先生 「大丈夫、という保証はもちろんない。だけど、大切なことを勉強して、自分の中に揺れ動くことのない硬い芯、難しいことばで言えば<プリンシプル>ができればできるほど、外側はやわらかく対応できる。これが、スパゲティで言えば、アルデンテな人間さ。ところが、ろくに勉強しないで、自分の中に確固たる芯がない人ほど、頑なになる。どうしてかわかるかい?」

子ども 「どうしてでしょう。」

先生 「自分の芯がぐずぐずに柔らかいことを知っているから、何が起こるかわからない世界がこわくなって、外側の殻をがちがちに硬く固めてしまうのさ。そういう人は、ある特定の価値観にこだわったり、それを人に押しつけたりする。一方、芯がしっかりとして、少々の強い風が吹いても折れないと自信がある人は、平気で自分を世界にさらすことができる。だから、アルデンテ。」

子ども 「ふうん。じゃあ、先生も、アルデンテ?」

先生 「まあ、なかなか理想の通りには行かないけれども、芯がしっかりしていて、外はやわらかい、というのが理想だな。」

子ども 「ぼくも、アルデンテになりたい!」

先生 「まあ、とにかく、いろいろと大いに勉強して、少しずつ勉強することの意味を理解していくといいね。ある意味では、勉強することの意味を知るために、勉強しているとも言える。どうだい、難しい話ばかりして、お腹が空かないかい? スパゲティでも食べに行こうか。」

子ども 「うん! おいしいスパゲティを食べて、アルデンテの研究をする!」

先生 「こいつめ、現金なやつだ。」

子ども 「へへへ。」

6月 10, 2010 at 06:07 午後 |

2010/06/09

ずんぐりむっくり

 アメリカ最後の朝。滞在しているAnn Arborのホテルは、三面鏡に加えて、ドアのところにも鏡がついている。それで、洗面台で顔を洗っていると、自分の姿が自然に目に入ってくる。

 それで、「ずんぐりむっくり」だな、と改めて思ってしまった。
 後ろから見ると、何かの動物のようだ。髪の毛も爆発していて、何だかヘンだし。

 松浦雅也さんのところで働いていたオガワさんが、七音社を訪問した時に、ぼくの姿を見て、初対面で、いきなり「わー。かわいい! クマのプーさんみたい!!!」と叫んだことが忘れられぬ。

 そういう時、ぼくは「ヘヘヘ」と笑っているけれども、別に好きでずんぐりむっくりな体型になっているんじゃないんだよ!

 お仕事で、小栗旬さんとご一緒したことがあるが、まるでベルサイユのばらのようだった。

 ぼくはずんぐりむっくり。まあ、仕方ないやね。

 今日も、ずんぐりむっくりと生きていくよ。

6月 9, 2010 at 08:37 午後 |

けんもぎTV

けんもぎTV(kenmogitv) 第1回〜第16回配信中。

http://www.ustream.tv/channel/kenmogitv 

6月 9, 2010 at 12:45 午前 |

2010/06/08

誰もが同じ情報に接していたマスメディアの時代が終焉し、能動性とロングテールが共進化する時代

インターネット上で参照できる情報がテクストを中心に、音声、動画などと増えてきて、メディアに対する接し方も随分と変わってきた。

新聞やテレビなどのマスメディアが支配的だった時代との差として、まず挙げられるのは「能動性」である。

新聞やテレビにおいても、もちろん、どの記事を読むか、どのチャンネルに合わせるかという意味での「能動性」はあった。しかし、それはあくまでも限定的なものだった。

インターネットの時代になり、日々の限られた時間という拘束条件を考えれば、事実上無限のリソースがウェブ上に存在することとなった。その結果、ユーザーが能動的に検索し、参照し、認識できる情報も、多様になった。

このような環境の激変は、中長期的に見れば、一人ひとりのユーザーの能動性をより育む方向に作用するだろう。人々は、情報に受け身で接することよりも、より能動的に情報を検索することの喜びに目覚めつつある。

情報との接し方が能動的になったことから直ちに帰結することは、「ロングテール」の部分の重要性の増大である。能動性は、すなわち多様性を意味する。何十万人、何百万人という人が、一斉に一糸乱れず同じ行動をとることはあり得ない。一人ひとりの志向性の多様性が、そのままウェブ上の情報の多様性に表れる。すなわち、ロングテールは、能動性の直接的帰結である。

能動的な情報検索の時代の到来は、ユーザーに求められる能力もより高度なものとする。リテラシーを決める要素は複数ある。そのうちの幾つかは、特に重要である。たとえば、どのような言語を使いこなすかで、接することのできる情報の量と質は異なるだろう。ネットに関する情報の現状に鑑みれば、現在のリンガ・フランカとしての英語をどれくらい使いこなせるかということが、情報の量と質を事実上決定していると言える。

(リンガ・フランカとしての英語の地位が、世界の情報ネットワークの「単連結化」に伴う歴史的に見て一回性の出来事であり、今後も続く可能性については、当ブログ記事「単連結な世界で、英語はリンガ・フランカであり続けるだろう。」(2010年5月16日) を参照下さい。)

みんな、英語を勉強しようね!

誰もが同じ情報に接していたマスメディアの時代が終焉し、能動性とロングテールが共進化する時代においては、ユーザー間のリテラシーの差が拡大する可能性がある。

幅広い知識を持ち、成熟した世界観を持つ人が参照する情報源は、よりクオリティの高いものである可能性が高い。そのような情報に接することで、その人の世界観はより深まるだろう。一方、「ゆるい」あるいは「偏った」情報源に接している人は、脳の中でそのような認識の回路を自己強化してしまうだろう。

個人のリテラシーの内実を相互参照し、お互いにすぐれた情報リソースを紹介し合い、リテラシーの群としての進化を促す装置としては、現時点ではやはりツイッターが一番有効である。自分自身のリテラシーを劣化させないためにも、自分が良いと思う人がどのような情報源を参照しているかということを、ツイッターの返信やリツィートの機能を通してお互いにコミュニケートし合うことが大切な意味を持つ時代がやってきたと言える。

6月 8, 2010 at 09:45 午後 |

2010/06/07

大型の動物は、それだけ多くの土地を必要とする。

ある動物のサイズと、それが住む土地の間には相関がある。

大型の動物は、それだけ多くの土地を必要とする。たとえば、歴史上存在したと考えれる最大の恐竜(草食)は、おそらく10キロメートル四方の土地を必要としたのではないかとケン・カーペンター博士は言う。  

逆に、土地があまりない小さな島では、身体が小型化する傾向が見られる。

サイズと生態学的な空間の間の相関は、肉体的なものだけでなく、精神的な領域においてもあるのではないか。

ある土地サイズに固有な振るまい方、マインドセットのようなものがある。アメリカを移動しながら、そんなことを考える。

イギリス人たちは、日本人のように繊細で、先例を重んじ、社会的な秩序に敏感な人たちである。彼らの一部がアメリカに渡り、広大な生態学的空間を獲得することで、カジュアルで、新しいものを好み、拡大的なマインドセットを手に入れた。

中国人のマインドセットは、もともとは広大な大陸で育まれたから、香港やシンガポールといった限られた空間の中にいても、アメリカ人と同じスケール感でふるまう傾向がある。

日本人は、長らく、限られた生態学的空間の中でふるまうことに慣らされてきた。現在、日本の発展(ないしは持続可能性自体を)阻害しているかに見えるマインドセットは、ある意味では、環境に対する一つの見事な適応であるということもできる。

問題は、ここからどこに行くか。一つの鍵となるのは、インターネットのような情報空間の活用だと思う。日本の土地は相変わらず限定されているが、インターネットは世界中につながっている。いかにネットのグローバル性を活かした生き方、考え方ができるか。ここに、日本人のマインドセットを書きかえる重要なきっかけがある。

6月 7, 2010 at 07:50 午後 |

2010/06/06

ものづくり2.0

日本の進むべき方向として、「ものづくり」ということがしばしば言われる。

さまざまな創意工夫を凝らし、品質を向上させる。「職人」の魂で、良いものをつくる。

そのような「ものづくり」が戦後の日本の復興を支え、日本人の誇りとなってきたことは事実である。

時代が変わり、「ものづくり」に必要なことが変化してきた。
日本人のアイデンティティとしての「ものづくり」もまた、進化し、前に進まなければならない。

iPadやAmazon Kindleのような、昨今革新的と見なされる製品は、ハードとしてすぐれているだけでなく、アプリをネット経由でダウンロードしたり、コンテンツを簡単に買うことができたりといった、情報ネットワークとの結合で付加価値が生まれている。

そして、グローバリズムの時代において、情報ネットワークとは、すなわち、日本だけではなく世界規模のものとならざるを得ない。

すぐれた品質のものをつくる日本の能力は、素晴らしいもので、これからも育んでいくべきであるが、そのものづくりが、情報ネットワーク構築の卓越と結びついて、いわば「ものづくり2.0」にならなければ、日本経済は輝き続けることができない。

そうして、日本人のマインドセットにとって、どううやらグローバルな情報ネットワーク構築のような課題が苦手らしい、ということが明らかになりつつある。

ネットワークに必然的に伴う偶有性への適応度を上げることなしに、日本のものづくりが輝くことは難しい。グローバルなネットワーク性への感度を上げることなく、今までのような「ものづくり」精神を強調し続けることは、日本にとって大きなリスクとなる。

もちろん、現場で創意工夫をし、技術を高めていく「ものづくり」の精神はこれからも大切である。
その一方で、自らグローバルなネットワークという偶有性の大海に乗り出していこうという人が現れてこそ初めて、日本の「ものづくり」の卓越性を保つことができる。

6月 6, 2010 at 09:14 午後 |

2010/06/05

 ぼくは、この人たちに向って日本を売り込まなければならない。

 アメリカに最初に来たのは、15歳の時、カナダのヴァンクーヴァーに行く途中にトランジットで立ち寄った時だった。

 ロサンジェルスの空港で、アフリカ系のとても身体が大きい人が、荷物を押している光景が衝撃的だった。

 何度か訪問の機会があったが、本格的にアメリカを訪れたのは22歳の日米学生会議の時で、一ヶ月間アメリカ各地を転々としながら、アメリカの参加者たちと議論したり、話をしたりした。

 その後も、会議などで毎年のように訪問しているけれども、今回の訪問においては、何故か底にある緊張感が異なる。

 日本という文明が、もはや維持可能なものではないかもしれないとう危機感から、自分自身が何よりもトランスフォームしなければならないという切迫感と、街を歩いていて出会うアメリカ人に対しても、「ぼくは、この人たちに向って日本を売り込まなければならないんだ」「ぼくの書くものを、この人たちによって受け入れてもらわなければならないのだ」という課題設定が切実に感じられるのである。

 もはや、日本国内でお互いの揚げ足取りをしたり、枝葉末節にこだわっている場合ではないと思う。

 鍵になるのは、英語力だけではなくて、文脈の設定や行動の指針における偶有性の構造そのものであって、日本人たちが教育や社会制度、さまざまな考え方によってお互いに強め合ってきた偶有性に対する態度が、もはやどうにも使い勝手が悪くなってしまっているのだ。

 ここからどこに行くか。

 ぼくの人生は、プラトーに達したり、収束する方向に向かうというよりは、むしろティーンエイジャーのようなチャレンジの方に向かうのだろう。

6月 5, 2010 at 10:00 午後 |

2010/06/04

語り合おうよ

週刊ポスト 2010年4月9日号

茂木健一郎 連載 脳のトリセツ 第36回
語り合おうよ


 和歌山県太地町で行われているイルカ漁の様子を隠し撮りしたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』が、第82回アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞を受けた。
 受賞まで、日本ではほとんど見聞きする機会もなかったが、海外では大きな話題になっていると、複数の友人が教えてくれた。年明けの時点では、日本では一般に向けた公開のメドが立っていなかった。ぜひ見るべき作品だと感じたので、イギリスから輸入した。
 見終わって、とても、重苦しい感じになった。動物愛護など、ついつい感情が絡み、対立がエスカレートしがちな問題について、バックグランドの異なる人と人が関わりを持ち、理解し合うことの難しさが胸に迫ってきたのである。
 『ザ・コーヴ』という映画を撮った側の理屈は、イルカは知能が高く、かわいい動物なのに、なぜ殺すのかというものだろう。そのような感情が由来するところは、ある程度理解することができる。
 一方、太地町の人々にしてみれば、自分たちが長年伝統としてやってきたイルカ漁に、いきなりよそ者が土足で入ってきて一方的に文句を付けられたという思いだろう。映画の編集のやり方も、太地町の方々がまるで悪者のように扱われている。怒るのも無理はない。
 イルカ漁の問題だけではない。周知のように、南洋における調査捕鯨をめぐっても、日本とオーストラリアをはじめとする反捕鯨国の間で、根深い対立がある。環境保護団体シーシェパードは、調査捕鯨船に対する妨害行為を繰り返す。もともと存在する見解の相違に加えて、「環境テロ」とでも言うべき過激な行為が、関係者の間の感情的対立をあおっているのは、本当に残念なことである。
 イルカ漁や、捕鯨に対してどのような意見を持つかは別として、一つだけはっきりしていることがある。『ザ・コーヴ』の制作者にしても、シーシェパードの活動家にしても、相手と理を尽くして話し合うという態度に欠けているということである。 
 そもそも、人間が他の生命の犠牲の上に存在しているということについて、どのように考えるか? イルカや鯨と、牛や豚といった家畜はどのように違うのか? イルカや鯨が、家畜に比べて知性が高いというのは、本当か? 生命の尊重と、固有の文化の関係を、どう考えるか? そんなことについて、太地町の人たちと膝詰めで語り合うという姿勢が、『ザ・コーヴ』という映画からは感じられなかった。
 イルカ漁が行われている入り江に至る道は、立ち入り禁止の札が立ち閉鎖されている。なぜそのような措置を取っているのか、地元の人に尋ねて、対話をする。それが、人間を相手にした場合にとるべき態度ではないか。まるで、地元の漁師さんたちが「敵」でもあるかのように、その意志を無視してかいくぐり、盗撮する。そこには、相手を人間として尊重し対話をする態度が認められない。
 シーシェパードの人たちもそうである。捕鯨に反対するというのは良い。それならば、なぜ、理を尽くして語り、対論し、説得しようとしないのか。調査捕鯨船に向って物理的な妨害行動をとり続けるということは、すなわち、捕鯨船に乗っている人たちを、条理を尽くせばわかってもらえる人間として扱っていないということである。話が通じないと思うから、物理的に妨害しようとする。随分失礼な話ではないか。
 『ザ・コーヴ』の制作者が、太地町の漁師さんたちと酒でも酌み交わして語り合えば、彼らがいかに気のいい、家族を愛するごく普通の人間であるかということがわかったはずである。人間同士の信頼感が築き上げられたはずである。その上で、イルカの命を奪うという漁の意味について、思う存分語り合えばよかったのではないか。
 感情の対立というのは、自分自身の経験に基づいているからそれを客観視するのが難しい。私自身、学生の頃、ほんの2、3年上の先輩に、「鯨をとるのは贅沢だ」と議論してこっぴどく叱られたことがある。
 「何を言うんだ、日本には、肉は鯨しかなかったんだぞ」というのである。今でこそ、牛や豚、鶏などの家畜で肉をまかなえるのだから、鯨を捕る必要はないという議論も成り立つかもしれないが、戦後の日本の食料難の中、肉といえば鯨しかなかった時代が長かったというのである。
 同じ「鯨肉」と言っても、飽食の中で珍味、美味として消費されるものとして見るか、あるいは食料難の中で命をつないでくれる貴重なタンパク質源として見るかで全く評価は違ってくる。 
 それぞれの人が、経験に基づいてイメージを抱いている。根深い感情的相違を乗り越えるには、「スパイ大作戦」ばりの潜入劇や、環境テロをいくら繰り返しても無駄である。
 「語り合おうよ」。
 立場の違いを超えて、膝詰めで話すことの大切さを、今こそ関係者に訴えたいのである。

(全文)

6月 4, 2010 at 09:44 午後 |

赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな

Hill Cityには、夕方戻ってきた。

食事をする前に、Black Hills Instituteのある通りを、ぶらぶらと歩いた。

117 Main Street, Hill City SD.

Tonyが予約してくれた、ステーキ屋の前の椅子にす座ってしばらく佇んでいたら、どうしても通りをふらつきたくなった。

夕刻。良く晴れた暑い日はやがて雲を呼び、遠くからは雷が聞こえ始めた。

ヒル・シティに戻ってくる時に、ピーターは「ここが二年前にトルネードが通ったところだ」と、木がなぎ倒されているエリアを見せてくれたのだった。

考え事をしたい気分は、波のように訪れる。

メイン・ストリートを歩いていると(修辞ではなく、本当に「メイン・ストリート」という名前のストリートなのだ!)、何だか自分がトワイライトの不思議なゾーンに入っていくような気がした。

一つのイメージがフラッシュバックする。映画『アメリカン・グラフィティ』で、若者たちが自動車に乗ってクルーズする、夕暮れの街。

いかにもアメリカ的な余裕と瀟洒の象徴なのだけれども、それでいて、どこかで日暮れているような、一抹の寂しさが宿っているように感じられるのだ。

________
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥せよ
もつぱら正直のところを ・
腹の足しになるところを ・
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え ・
たたかれることによつて弾ねかえる歌を ・
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を ・
それらの歌々を ・
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ ・
それらの歌々を ・
行く行く人びとの胸廓にたたきこめ ・


中野重治詩集より

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思えば、ぼくは、この2、3ヶ月、わが母なる日本が未曾有の危機に陥っていることが、ありありと見えてしまって、そのことから、「赤ままのうたを歌うな」という気分になっていたのだった。

「赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな」

東京の街を忙しく立ち歩きながら、ぼくの脳裏を、何度この中野重治の詩の一節がよぎったことだろう。

ロジックが行動の礎である。感傷は受動の共鳴器である。

組み立てなければならない。つながらなければならない。語らなければならない。

それでも、ふと、夕暮れの空の風情の中に、赤ままの花の愛らしさがよみがえってきたりもするのだ。

今、起こりつつある事態は、結局、心脳問題と同型なのかもしれないと思う。

車の中で、トニーはずっとアンドロイド・フォンの上のzillowというソフトウエアで、自分たちの位置が時々刻々とGPSによってgoogle earth上に表示され、その周辺でどの家がfor saleであるか、ということを指し示すその様子を、見せてくれた。

「ワイオミング州に住みたいんだ。みろよ、こんなにきれいな場所、そんなにないだろう。釣りをしたい。」

かつて海兵隊に所属し、沖縄にも行ったことがあるというトニー。

文明の大波は、わがやさしい日本をも覆い尽くそうとしている。

アンシャン・レジームの中で、自分の既得権を守ろうよ汲々としている人たちも、見方を変えれば中野重治の言うところの「赤ままの花」なのかも知れぬ。

トニーがとってくれた、テーブルが開いたというアナウンスがあった。

椅子から立ち上がる。

ぼくのついたため息は、アメリカン・グラフィティのような夕暮れの空にそっと消えていった。

それでもぼくは、ロジックを組み立て、つながり、語らなければならないだろう。


6月 4, 2010 at 08:57 午後 |

2010/06/03

愛国心について

子ども 「先生、愛国心について、どう思いますか? 先日、学校の先生が教えてくれたのですが。」

先生 「自分の生まれた国を、愛するということだ、って習っだろう?」

子ども 「ええ。先生には、愛国心はありますか?」

先生 「それは、あるよ。自分の生まれた国を愛するのは、人間として自然な気持ちだからね。」

子ども 「それじゃあ、愛国心って、いいものなんですね?」

先生 「そりゃあ、そうさ。一方で、イギリスの文学者、サミュエル・ジョンソンの、『愛国心とは、ならず者の最後の砦である』(Patriotism is the last resort of a scoundrel)という言葉もある。」

子ども 「ならず者!」

先生 「サミュエル・ジョンソンは、とても頭の良い人で、愛国心が、間違った使われ方をすると、とんでもないことになると警告したんだね。」

子ども 「ふうん。愛国心って、難しいんですね。」

先生 「そうだよ。大人にとっても、とても難しい。いくら議論しても、議論したりないくらいだ。」

子ども 「じゃあ、ぼくがわからなくても、仕方がないですね。」

先生 「そうだねえ。でも、とりあえず、『うちの父ちゃん日本一』とでも思っておけばいいんじゃないかな。」

子ども 「うちの父ちゃん日本一!?」

先生 「そう。君は、自分の父親は好きかい?

子ども 「それは、もちろん。尊敬しています。」

先生 「いいお父さんで良かったね! 場合によっては、あまりお父さんが尊敬できないと思ったり、好きじゃないと思う場合もあるかもしれないけれども、いずれにせよ、父親というのは一人しかいないわけだから、自分にとって特別な存在であることは確かだよね。」

子ども 「それは、そうです。」

先生 「愛国心も同じさ。自分の生まれた国なんだから、自分にとって、特別な存在であることは、当然のことだ。しかし一方で、『うちの父ちゃん日本一』というのは、あくまでも、君にとってのことで、他の人から見たら、君のお父さんは、社会の中にたくさんいるおじさんの、一人に過ぎないだろう? どんなにすぐれた、すばらしい人だとしても。」

子ども 「ああ、なるほど。」

先生 「愛国心というのは、つまり、『うちの父ちゃん日本一』のようなもの。そんな、自分の父親を一番だと思う人たちが集まって、社会ができているのと同じように、自分の国が一番大切だと思う人たちが集まって、地球ができている。そこのところを、とくと考えなければならない。」

子ども 「何となくわかってきました。」

先生 「二つの道があるんじゃないかな。一つは、『うちの父ちゃん日本一』と思う自分の気持ちはそのまま大切にして、相手の立場を思いやる、そんな気持ちを持ってこれからの地球社会を生きること。なにしろ、あっちはあっちで、『うちの父ちゃん日本一』と思っていて、どちらが偉い、ということはないわけだから。そういう気持ちでいれば、自然と、自分の国にとらわれない、人類普遍な価値を生み出すことができる。」

子ども (目を輝かせて)「そうか!」

先生 「もう一つは、それでも、『うちの父ちゃん日本一』ということにこだわってしまう人がいたら、そういう人の生き方の必然性も、また理解するということかな。アインシュタインが言っているけれども、どんな人でも、その行動には必然性があるんだ。」

子ども 「先生が、このような考え方を持つようになったことも・・・」

先生 「もちろん、そこには、必然性があったのだと思う。一人ひとりの人生に、それぞれの必然性があるんだね。それを、お互いに尊重しなければ。」

6月 3, 2010 at 08:41 午後 |

勉強することの意味

子ども 「先生、なぜ勉強しなければならないのですか?」

先生 「うん、いい質問だね。君は、どうしてだと思う?」

子ども 「いい学校に入るためかなあ。ママはそう言っています(笑)」

先生 「なぜ、いい学校に入る必要がある?」

子ども 「そうすると、良い仕事に就けるから? ママはそう言っています(笑)」

先生 「うん、そうだねえ。それも一つの考え方だね。君のママは、きっと、君のことをよく考えてくれているのだと思う。親の言うことは、とりあえずは素直に聞くものだよ。」

子ども 「それじゃあ、先生も、ママと同じ考えなの?」

先生 「うーん。ちょっと違うかな。」

子ども 「それでは、先生は、何のために勉強すると考えているのですか?」

先生 「それはね、やわらかくなるためだと思う。」

子ども 「やわらかく?」

先生 「やわらかい人になるために、勉強するんだと思う。」

子ども 「それって、どういうことですか?」

先生 「そうだよね。不思議に思うよね。普通は、君みたいに、小さな子どもでいる時が、いちばんやわらかいと思う。そうして、勉強して色々な知識を詰め込むと、だんだん硬い人になってしまう。そう思うかもしれないけれども、実は、勉強をすればするほど、やわらなくなる方法があるのです。名付けて、忍法、ふにゃふにゃの術。エヘン。」

子ども(目を輝かせて) 「へーえ!」

先生 「君も、たくさん勉強して、ふにゃふにゃになる方法を知りたいだろう。」

子ども 「知りた〜い!」

先生 「そうだねえ。その前に、なぜ、勉強するとやわらかくなることができるのか、そのことについて、ちょっと考えてみようか。」

子ども 「うん。」

先生 「ちょっと待った! そう簡単に、先生に答えを聞いてはいけないよ。まずは、君が、どうしてなのか考えてみて下さい!」

子ども 「えーっ!」

先生 「それはそうさ。とにかく、ちゃんと考えないと、勉強してもふにゃふにゃになれないゾ!」

子ども 「ちぇっ、わかりました。どうして、勉強すると、ふにゃふにゃにやわらかくなるのか、かあ。」

6月 3, 2010 at 03:26 午前 |

2010/06/02

「ガラパゴス化」を通して地球規模で連帯すること

 自分たちのやっていることが、その地域だけでしか通用しない「ガラパゴス化」の問題は、置かれた文脈に(過剰に)適応する日本人において、特に顕著に見られることかもしれない。日本が地理的に孤立していることや、自分たちだけでも何とか回していけるだけの「市場規模」を持っていることは、日本の「ガラパゴス化」の劇症化に寄与していることだろう。

 一方で、インターネットに象徴される相互依存関係の緊密化に伴い、イノベーションや競争のダイナミクスが世界規模で「単連結化」され、その中でさまざまなデファクト・スタンダードが錬成され、リンガ・フランカとしての英語の力が強まる現在において、「ガラパゴス化」を強いられているのは日本だけの現象ではない。

 たとえば、ドイツの人たちと話していると、組織や肩書きにこだわる傾向が、日本人とは別の意味で見られる。フランス人には、「グランゼコール」など、ある定められた「エリート・コース」を重視する傾向が見られる。グローバル化の「勝者」であるはずのアメリカ合衆国においても、ローカルなコミュニティでの生活に安住している人はたくさんいる。

 日本人にとって、自分たちの組織、商品やサービス、生き方や考え方といったオペレーティング・システムが世界の最先端で通用しないという問題は、切実で緊迫したものだが、一方で、その問題が、世界で自分たちだけを襲っている、特殊なものだと考える必要はない。

 「ガラパゴス化」の問題を普遍化して考えれば、それは、世界の至るところで起こっている。グローバル化によって競争のダイナミクスが世界的に単連結になることによって、今までのやり方では通用しない、あるいは同じような輝きを保てないと感じている人たちはたくさんいる。

 普遍化されたガラパゴス化問題を解決することは、私たち日本人の問題を解消することに寄与するだけでなく、世界各地で同じように自分の存在が辺境化されてしまっている人たちが、未来に向かうことを助けることになるだろう。

 この視点は、進化生物学の文脈とも連結する。独立して進化を遂げてきたポピュレーションが、他のポピュレーションと接してグローバルな淘汰圧の下に置かれた時、どのようにして新たな進化の道筋を見つけることができるか。遺伝子における進化ではなく、むしろ「ミーム」の進化において興味深い視点が存在する。

 また、ここで論じている問題は、公正さや少数派の権利の問題など、さまざまな倫理的視点にも直結する。「ガラパゴス化」は、少し視点を幅広くとって俯瞰すれば、さまざまなアクチュアルな問題群に接続するのである。

 私たち日本人の窮状は、私たちの身体性に根ざしたリアルなものである。私たちはそれから逃げることはできない。一方で、「ガラパゴス化」の問題を普遍化することで、私たちは自分たちの切実な問題を解決すると同時に、地球上の多くの人々に生きる上での指針を提供することができるようになるだろう。

 ドイツの肩書き重視の教授とも、インドの農村の貧しい人とも、ステーキにかぶりつくテキサスの人とも、スペイン語でまくし立てる南米の人とも。グローバリズムへの不適応の問題だった「ガラパゴス化」が、うまくつながれば世界規模の普遍へと変貌する。

 私たちは、「ガラパゴス化」を通して地球規模で連帯することが可能なのだ。

6月 2, 2010 at 07:40 午前 |

2010/06/01

螢の光の筋は、まるで、抑えていたものが心の奥底からあふれ出た、涙のようにすーっと流れて、そうして消えた。

6月になった。

あれは6歳くらいの頃だったか、「螢を見に行くよ」と親に連れられて、車で走った。

現地に向かう車中で、私は半信半疑だった。本当に、この世界に、「螢」という生きものがいるのだろうか。

ゲンジボタルや、ヘイケボタルという昆虫の種について、知識としては知っていた。しかし、この地上にそのような昆虫がいるということが、どうしても感覚として信じることができなかったのである。

私は、ものごころついた頃から家の周囲の雑木林で昆虫ばかり追いかけていた。だから、大抵の虫は見慣れているはずだった。
 
私が蝶を追いかけていた森は、畑に囲まれた乾いた土地で、螢の棲息には適していなかったのだろう。

虫取りに夢中になって、いつの間にか周囲が暗くなってくるということはよくあった。もし螢がいるのならば、とっくに出会っていたはずだった。

螢というのは、お話には出てくるし、図鑑にも載っているけれども、本当にこの世界の中にいるのだろうか。

わざわざ出かけていっても、螢いるのかな。

私は、なぜかちょっとふて腐れたような気持ちで、後部座席に隠れるように座っていた。


30分くらい走ったろうか。

たどり着いたその場所は、水田地帯の真ん中のようだった。車のランプが消え、エンジン音が止まると、やさしい暗がりの静寂が訪れた。

こんな所に来て、螢、本当にいるのかな。

私は、やさしい暗がりに包まれながら、子どもらしい頑固な疑いの念をまだ持っていた。

「こっちの方だよ。」

父の手に引かれて、私は歩いた。二つ下の妹も、私たちの後を追った。

暗がりの中、草むらが私のふくらはぎを刺激した。静寂の底から、カエルの声が聞こえ始めた。
蚊に刺されたと言って、妹が騒ぎ始めた。

その時。

一つの光の筋がすっと前を通り過ぎた。

まるであっさりと、夏の日に氷の中にうかぶ色つきそうめんの優美な曲線のように、暗闇の中を光の粒がすーっと流れて、そうして消えた。

「いたよ!」

妹が、そう叫んだ。

螢は、本当にいた。私の小さな魂は、その時、心の底から震撼したに違いない。

知識が、経験になること。
長くたくらみ、予想し、思い描いていたことが、目の前に表れること。

螢の光の筋は、まるで、抑えていたものが心の奥底からあふれ出た、涙のようにすーっと流れて、そうして消えた。

あのような時に、人は、どんなに苦しくても、辛くても、この世界は生きている価値があると学ぶのではないか。

幼い日に出会った一匹の螢が、その後の生きる力を与えてくれるということはあるのではないか。

気付いてみれば、螢は、あちらにもこちらにもいた。すーっと飛んで、そして消える。

そのリズムを追いかけることに、幼い私はいつの間にか夢中になっていた。

走って。息を弾ませて。窺って。そっと近づいて。

そうして、私は今、ここにいる。

6月 1, 2010 at 06:57 午前 |