日本の大学のガラパゴス化
最近、さまざまな大学では、「就職」への対応を売り物にしているのだという。大学三年の秋から就職活動が始まるという日本の企業の「慣行」に合わせて、一年生の時からキャリア教育をするのだという。
このような風潮は、二重三重に間違っていて、最終的には日本の国益を損すると私は考える。
日本の大学が、日本の企業の予備校化するということは、日本の大学のガラパゴス化をますます加速化させる。現状でも、日本の大学は、日本で生まれ、日本語を母国語とする学生しかほとんど志望しない「日本でしか通用しない商品」となっている。日本の企業への就職の予備校となることは、つまりは、日本の大学が日本の企業に就職することに興味がある人以外には、進学することを検討するに価しない存在になることを意味する。
日本の大学で学ぶ学生たちにとっても、就職予備校化は長い目で見れば致命的な欠陥となりうる。なぜならば、大学で身につけるスキルが日本の企業のニーズに特化したものとなり、学生たち自身のガラパゴス化につながることになるからである。
もともと、大学で本格的に学問をやることの意味は、そのことによって世界のどこでも通用する普遍的な知性を獲得することである。グローバル化した世界において、世界のさまざまな場所の相互依存関係が密になりつつある今、大学という高等教育機関の使命は、それ以外にあるはずがない。
ところが、日本の大学は、自らガラパゴス化し、また学生にもガラパゴス化を押しつけることによって、普遍的な知性の醸成という使命を放棄してしまっている。このことは、長い目で見て、日本人の能力の劣化をもたらし、深刻な打撃を日本という国家に与えることだろう。
もともと、日本の教育課程は徹底した「ガラパゴス化」のモチーフによって貫かれている。高校三年生の段階で、日本人のほとんどは日本の大学に進学する学力しか持たない。ハーバードやイェールなど、海外の有名大学に進学するのに必要な、論理的に自分の意見を表明し、立場の異なる人と議論する能力を持たない。だから、日本の大学に進学するしかない。
見方を変えれば、文部科学省と大学が結託して、日本の高校生が日本の大学以外には進学しないように利益共同体をつくっていると言えないこともない。もし、日本の高校生のうち、最優秀の層が海外の大学に進学するといった現象が顕著なものになれば、東京大学を筆頭として、日本の大学は深い打撃を受けるだろう。
悲劇的なのは、それぞれの利害関係者が自分たちの利益を守るために「部分最適」を図ることが、日本の国全体としては「全体最適」につながっていないということである。誰だって、日本が良くならないよりは、良くなった方が好ましいに決まっている。ところが、高校が日本の大学の進学予備校化し、大学が日本の企業の就職予備校化し、世界の潮流と無関係になることで、それぞれの部分最適は図られているのかもしれぬが、日本全体としての適応度は明らかに劣化している。
このグローバル化の時代に、ハーバード大学への日本人留学生は減っている 事態は深刻である。日本の週刊誌は、あいからず「東京大学高校別合格者一覧」などという意味のない記事を載せているが、日本の「エリートコース」に乗ろうと努力することが、かえって自身の「ガラパゴス化」のリスクを助長しかねない時代となっているのだ。
5月 26, 2010 at 07:25 午前 | Permalink
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