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2010/05/16

単連結な世界で、英語はリンガ・フランカであり続けるだろう。

TEDx Tokyo  は楽しかった。ぼくは、The blessings of scienceというタイトルで話した。


(講演中の私の写真。TEDx Tokyoのホームページより)

池上高志と、「楽しかったね」と言いながら帰ってきた。英語がベースになると、文脈が変わる。やはり、その言語が育まれてきた関係性の蓄積が違うからではないか。

「この前、トリニティでホラス・バーローと話した時、お兄さんがルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインと知り合いで、ロンドンで開いていた研究会には、アラン・チューリングが来たと言っていたからなあ」と言うと、池上は、「それを言ったら、オレたちは絶対負けということになるじゃないか」と叫んだ。

まあ、実際のところ、科学や哲学については、そうかもしれぬ。

英語には英語の文脈があり、日本語には日本語の文脈がある。本来、どちらにも優劣はない。すべての言語には、その言語にユニークな文脈が付随する。それぞれに、弱さもあり、強さもある。

ただ、一つ状況が違うのは、英語が今日の世界におけるlingua francaになっているということである。

数日前に、英語の方の日記、The Qualia Journalに書いた、 The "operating system" of Japan is most probably out of date.という記事に対して、モントリオール在住のKarl Dubostが興味深いコメントを寄せてくれた。

Thoughtful article. I can understand your frustration. It is always more dynamic to have a multicultural university environment. 



Though I have the feeling that comparing Japan to USA is not fair. USA is an English speaking country, in the current state of the world, they do not have to make efforts to open to the world because… well most people learn English languages for communicating (as we both do right now you Japanese, me French).



It would be more interesting to look at 1) entrance exams and 2) diversity of student population in countries having a minority language (not English, Spanish, French, Arabic, Chinese).



That would give a fair image of the situation for Japan. That said opening is indeed good.

ありがとう、カール!

確かに、日本語だけの問題ではない。もはや、英語以外の言語は、ドイツ語でも、フランス語でも、イタリア語でも、どれもグローバルな文脈を引き受けられないマイノリティ言語である。数多くの話者がいる中国語でもそうである。

ぼくは、ケンブリッジに留学している時、となりの研究室のイギリス人が英語の優位性を鼻にかけていて腹が立ったので、「そのうち、英語よりも中国語の方が重要になるさ!」と言ってやった。彼はしゅんとしていたが、あの時私は冷静ではなかった。

今から考えてみても、今の英語のリンガ・フランカの地位を、中国語に奪われるとは思えない。(そもそも、中国語は多くの人にとって難しすぎる!)

歴史上、リンガ・フランカの地位を占めた言語は変わってきたではないか、という議論があるかもしれない。ギリシャ語、ラテン語、中国語。世界のさまざまな地域で、時代によって、さまざまな言語がリンガ・フランカとなってきた。

そのような歴史を振り返れば、英語もまた、いつかリンガ・フランカの地位からすべり落ちる。そのように考える人もいるかもしれない。しかし、過去の言語の栄枯盛衰と現在の状況は、決定的に異なる。

今は、グローバル化の時代で、世界の文化が、情報的に「単連結」(simply connected)になっている。とりわけインターネットの登場が大きい。世界の文化状況を示す「グラフ」構造が、あらゆるローカル文化を包含する「単連結」なものになるという変化は、世界の歴史上たった一回しか起きない。そして、そのたった一回は起きてしまった。

単連結な世界で、英語はリンガ・フランカであり続けるだろう。世界のさまざまなローカル文化を資本主義そのもののごとく貪欲に吸収しながら。この状況は、異星人でも来て、これまで地球と単連結ではなかった文化との交流が始まらなければ、変わることがないだろう。

だからこそ、私たちは英語に関する言語政策(language policy)の覚悟を決めなければならないのである。

5月 16, 2010 at 09:05 午前 |