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2010/05/02

ケンブリッジのトリニティ・カレッジでホラス・バーローと会う。

ケンブリッジに着いた。

ホラス・バーローが「この時間から家にいる」という時刻にはまだ間があったので、しばらく散策した。

一番最初にケンブリッジに来た時に大好きになった、ジーザス・グリーンの中に立つ巨木の列。

その下に座って、過ぎし日のことを考えた。

時間になったので、電話した。なつかしい、ホラスの声がした。

「やあ、ケン。」

「こんにちは、ホラス。」

「今、どこにいるんだい?」

「もうケンブリッジに着いています。」

「それじゃあ、今から30分後に、トリニティのグレート・ゲートの前で待ち合わせようか?」

ゆっくりと歩いて、トリニティ・カレッジの前まで来た。


トリニティ・カレッジの前のニュートンのりんご


トリニティ・カレッジの門

ニュートンのりんごを見ながら、ぼんやりしていると、門の向こうからホラスが歩いてくるのが見えた。

「ハロー。」

はにかむような、ホラスの笑顔。それを見ると、何とも言えない気持ちになる。
元気そうなので、それだけで安心した。

ホラスは、杖を使っていた。

「だいじょうぶですか?」

「私のひざなんだよ。1947年に、怪我をして医者に診てもらった時、『歩けるようにはしてあげるけど、50歳になるまでは、君の足は立たなくなるよ、と言われたんだけれど』」

「それでは、医者の予言は、すくなくとも40歳くらい間違っていたのですね!」

「ははは。そういうことになるね。」

ホラス・バーローは、1921年生まれ。800の伝統を誇るケンブリッジ大学を構成するさまざまなカレッジの中でも、アイザック・ニュートンや、バートランド・ラッセル、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインなど、きら星のような知性を育んだ名門。ノーベル賞受賞者を30名以上出している。

ホラスはチャールズ・ダーウィンのひ孫であり、ウェッジウッド家にもつながる。

グレート・ゲートから入ったところにあるトリニティ・カレッジの中庭は美しい。ため息をつきたくなるほど、繊細で奥深い美に満ちている。

ドアを開けると、ホラスは、「ここに君のバッグを置くといい」と言って、自分自身は杖を置くと、すたすたと階段を登っていってしまった。

トリニティ・カレッジのダイニング・ホール。学生たちが食事をとるテーブルの列があり、フェローとその客たちが食事をとる「ハイ・テーブル」がそれに直交するように置かれている。

「さて、今日は何があるのかな。」

ホラスは、ハイ・テーブルに招いてくれた時は、いつもそうするのだったと思い出した。

「さて、今日は何があるのかな。」

まるで、子どものように、掲示されたメニューを楽しそうに見る。

「トマト・スープ、ミートボール、アスパラガスのオムレツ、それに、幾つかのプディング。君は、ヴェジタリアンですか?」

「いいえ。私は、私の信仰を変えてはいません!」

ハイ・テーブルの横にあるコーナーに歩いていく。
 
ホラスが、トマト・スープを入れた容器の前で止まった。「どうだい。トマト・スープは好きかい?」「ええ、いいですね。」ホラスが、お皿にトマト・スープを入れる。「さあ、どうぞ。」「あなたは飲まないのですか?」「いや、ぼくはいい。」「それでは、ぼくのために。本当にありがとう。」

足が悪いと杖をついていた、今年89歳になる老大家にスープを注いでもらって、心から恐縮する。本当は、私の方が、ホラスにいろいろとしてあげたいのに。

もう十数年前のことになるが、ホラス・バーローが日本に来た時、東京の下宿に泊まってくれたことがあった。部屋が狭くて、ホラスはベッドの上に座った。暑い夏の日で、ホラスは、家に着くなり、「ビールを飲もうか」と言った。

今から思うと、ケンブリッジの環境との余りの違いに、恥ずかしくなる。

それでも、ホラスは、後で、「日本の今の若者がどんな風に生活しているかわかって良かった」と言ってくれたのだった。

テーブルに戻る。

ぼくの前にはスープがある。ホラスの前には、スターターを何もとらないので、パンしかない。「りんごジュースが飲みたいかい?」とホラスが聞く。

「コックスというのは、りんごの品種ですね。」と私が言う。「その通り! ところで、最近面白いことを見つけたんだけど、話そうか。」「ええ、ぜひ!」

「シンプル・セルから、コンプレックス・セルに行くには、階層的ステップをとる、ということは今までもずっと言われていたけれども、その時の、相関関数の取り方には・・・」

ホラスは、ポルトガルに住むイギリス出身の共同研究者と最近やったという視覚心理実験の説明を始めた。

ホラスと食事をする時は、いつもそうである。最初にほんの少しだけ世間話があって、それからいきなり本題に入る。

ホラスは、ランダム・ドット・キネマトグラムを使って、視覚系における階層的計算において、どのような相関関数が使われているかということを明らかにしようとしていた。

それから私たちは、いろいろなことを話した。偶有性のこと、ボディ・イメージ、ラバー・ハンド・イリュージョン、ミラーニューロン、意識とコミュニケーション。

「ホラス、あなたは、常に、意識というものは自分の知識や経験を共有するためにあるのだと主張していて、ニーチェの言葉も引用していますね。」

「そうそう。ニーチェの、ツイッターのような言葉だろう。」

「ツイッター?」

私は、隣りに座ってニコニコしている老大家の口から、いきなりその言葉が出たことに驚いて、思わず聞き直した。

「そう、ツイッター。140文字だっけ? 当時はそんなものがあったわけではないけれども、ニーチェは、ツイッターのような簡潔な言葉で、意識と社会性について話している・・・」

ホラスは、いつもそうだった。年をとっても、全く好奇心を失わないで、コンピュータなども、自分で全部やってしまう。

今、トリニティ・カレッジのウェブページでは、ホラスの論文をpdfで読むことができるが、それも自分で載せたのだという。当然、誰かに手伝ってやってもらったのだろうと思ったら、そんなことまで自分でやってしまう。だから、今年89歳になるというのに、脳が若々しいままに保たれているのだろう。

「ホラス、あなたは、ツイッターをするのですか?!」

「いいや、しないよ。」

ホラスが微笑む。

「ニーチェは、こう言っている。意識というものは、コミュニケーションのネットワークとして進化した。猛獣のように孤独に生きる人間は、意識を必要としなかったろう、と。」

「その言葉は、ヴィットゲンシュタインの私的言語の議論を思い出させますね。」

「ああ、なるほど。」

ホラスが、しばらく黙った。

周囲では、フェローたちが、あるいは一人で、あるいは会話をしながら昼食をとっている。

トリニティ・カレッジの食事はおいしい。しかし、料理がどのようなものであれ、あたかもここに心あらずというような表情で食事を続けることこそが、ここでの流儀である。

「ホラス、あなたは、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインを知っていたのですか?」

「いいや。しかし、私の兄は知っていた。」

「本当に!」

「バーミンガムの病院にいた時に、ヴィトゲンシュタインを知っていた。ヴィトゲンシュタインは、あまり社交的な性格ではなかったから、兄がいろいろと、人々の前に引きだそうとしたらしい。みんな、あなたの哲学的見解について聞きたい、と思っていますよ、と。」

「それで、どうなりましたか?」

「うん、つまり、ヴィトゲンシュタインの答えはこうだった。人と人とが話す時には、独白をするのではなく、どのようなことが知りたいか、ということをあらかじめ知った上で言葉を発するのであると。だから、聴衆が何を考えているか知らないのに、勝手に自分で話すことなどできない、だから断るとね!」

「バートランド・ラッセルも、このカレッジのフェローでしたね。」

「そう、そかし、ラッセルは、平和運動をして、カレッジから追放されてしまった。フェローたちの多くは、その処置は不当だと考えていた。後に、カレッジは、ラッセルをフェローに戻したよ。」

メイン、デザートと食事は進んでいく。

「ここに来るたびに、素晴らしい環境だと思います。ホラス、あなたにとっては、日常なのだろうけれども。あなたは、週にどれくらい来るのですか?」

「ほとんど毎日だよ。」

「本当に?」

「だって、これは、無料の昼食だからね!」

隣りの部屋で、コーヒーを飲むことにした。

椅子に座って、話を続ける。話題は、ダーウィンのこととなった。

「ダーウィンのさまざまな書類を、ちゃんと保管できるようにしたのは私の母なんだよ。」

「本当に?」

「彼女は、ダーウィンのひ孫だったからね。でも、当時は、科学者の書類など、保管する意味があるのか、と言われたそうだよ。それに、関係する親戚がたくさんいるので、いろいろと大変だったらしい。」

「チャールズ・ダーウィンのおじいさんのエラスムス・ダーウィンですが、ルーナー・ソサエティというをしていたでしょう。満月の夜に会って、話すというもの。」

「そう、その通り。それは、大変よい考えだった。私も、ロンドンで、一月に一回くらい認識と情報について、話し合う会に出ていたものだよ。一度、アラン・チューリングも来た。」

「川を散歩しよう」とホラスが言った。立ち上がり、トリニティ・カレッジの中庭を歩く。

ホラスが、芝生の上をすたすたと歩いていく。私も歩く。フェロー、ないしはフェローのゲストだけが歩くことができる、とても美しい芝生。

チャペルに入る。ニュートンの像の前で、ホラスに「あなたの写真を撮っても良いか」と聞いたら、ホラスは微笑んで「ああ」と言った。

ホラスが鍵を開けて、「ボウリング・グリーン」に案内してくれた。

「ここで、ボウリングをするんだよ。」とホラス。ここでも、一枚写真を撮った。

二人で並んで、ケム川の流れを見つめた。

元気なホラスだけれども、人間の寿命には限りがある。
いつまでも、健康でいてほしい。
祈るような気持ちになる。


トリニティ・カレッジのチェペル、ニュートンの像の前のホラス・バーロー。


トリニティ・カレッジのボウリング・グリーンの上のホラス・バーロー。

トリニティ・カレッジの裏に停めてあるホラスの車まで送った。

「会えて良かったです。」

握手をして別れた。手を上げて、ホラスは走っていく。

その残像が流れてしまわないうちにと、私は急ぎ再び美しい中庭を通り、街の雑踏の中へと歩いていった。

5月 2, 2010 at 03:03 午後 |