« (本日) 下関 講演会  | トップページ | 直接性の原理 »

2010/05/30

諸君、今日もまた、その奇跡へのトライアルが始まったね。

絵画を見たり、映画を観たり、小説を読んだりした時の感動は、無意識から意識にわたる「共鳴」によって支えられている。

その「共鳴」の構造の中には、意識の中で把握される「クオリア」が含まれると同時に、意識化、言語化できない情動や志向性のダイナミクスも存在する。

すばらしい芸術を受動する時には、どれくらい共鳴できるかが勝負となる。石のように微動だにせずに作品に接しても、仕方がない。自分という「楽器」をどれくらい鳴らすことができるか、震撼することができるかということが大切な命題となる。

それは、別の言い方をすれば、脳に「傷をつける」ということでもある。すぐれた芸術作品に出会った人は、脳を傷つけられる。その傷が癒えていく過程において、人は、さまざまな変容を経験し、その間に何ものかを生み出しさえするのだ。

だから、諸君、大いに傷つけられたまえ!

一方、手を動かして、何かものをつくる時の経験は、よほど変わっている。そこにあるのは、どちらかと言えば価値中立的で、乾いた身体運動である。ただ、共鳴しているだけではものはつくれない。

とにかく、やってみること。試みること。経験値も、ロジックも、職人魂も必要になる。受容における共鳴の美とは異なる、実際的な配慮が必要になる。

麗しい共鳴の大海と、機能的運動の論理の間にいかにループをつくるか。諸君、今日もまた、その奇跡へのトライアルが始まったね。

5月 30, 2010 at 07:42 午前 |