「ああ、転んじまった!」
先週、イギリスから帰って来た翌日、築地の朝日新聞社二階の「アラスカ」にて、本についての打ち合わせをしていた。
途中でトイレに行こうと思って、アラスカを出た。携帯電話をいじりながら、通路をちょこまか走っていた。
携帯を見ながら走っていたのが悪かったのだろう。ちょっとしたことでバランスを崩した。そうして、前のめりに倒れてしまった。
あのような時には、時間の経過がゆっくりになる。おそらく、危機に対応しようとして、脳回路が「分解能」を上げるのだろう。そのようなことを示唆する研究もある(Stetson et al. 2007, Does Time Really Slow Down during a Frightening Event?)。
いずれにせよ、「あっ!」と思った時にはもう遅く、床にバン! と膝と手をついた。
携帯電話が勢いよく前方に飛んでいった。
「ああ、転んじまった!」
思わず声が出た。すぐに大勢を立て直して、携帯を拾った。電源が落ちている。少し、接続部分が曲がっているようだ。でも、電源を入れたら、もとに戻った。携帯は、今でも使えている。
どうやら、右膝を一番強く打ったらしく、膝をついたりすると、ある部分が特に痛い。皮膚の下で、何起こっているらしい。
その日の夕方の慶應の授業で、サインを頼まれて膝をついた時思わず「イタイ!」と言ってしまって、学生がぎょっとしていたが、それはこの時の転倒が理由である。
いずれにせよ、勢いよく転んだ割には、大したことはなくて、普通にスタスタ歩いている。「受け身」がうまくできたのだろう。
不思議に思うのは、周囲の人が何のリアクションもなく「シーン」としているのが、居たたまれなく感じることである。あの時、二階通路には十人くらいの人がいた。なぜ、あのような時に、しらーっとされていると恥ずかしいのだろう。
自分自身でも、転んでしまったことが恥ずかしくて、一刻も早くその場を立ち去りたくなる。そんなことはないのに、なぜか、転んでしまったその前の自分は「調子こいて」いたように感じてしまう。
自分の存在というものを、深く反省させられるのである。
猫は、獲物をとろうとして失敗すると恥ずかしいのか、「最初からそんな気持ちはなかったよ」とばかりごまかさそうとするような仕草をする。
ぼくもまた、朝日新聞二階の通路で、猫になった。
5月 9, 2010 at 08:04 午前 | Permalink
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