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2010/05/13

野生の英語

内田樹さんが、ブログで、英語について興味深いことを書かれている。

http://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php

言語がすぐれて政治的なものであるという認識こそ、日本の英語学習に必要な視点の一つではないだろうか?

「政治的」ということを言い換えれば、自分の人生に英語がどのようにかかわるかを、他者との交渉において設計していくということだろう。

私が日本人の英語学習について提案したいことは、一言、「野生の英語」をやろうぜ、ということに尽きる。

 私は学校英語は得意で、いわゆる「英語学習」も好きだった。英検1級や、国連英検特A級などをとった。TOEFLというのも受けたことがある。

しかし、そのあたりで、いわゆる「検定英語」のような世界から急速に離れてしまった。

今は、TOEICというのが流行りらしい。問題文を見る限り、あまり興味を持てそうもない。

 なぜ、検定英語に興味がないかと言えば、そこで扱われている英語の世界が面白くないからである。

 二十代の前半くらいから、英語というのは、つまり自分の好きなことについて読んだり、考えたりするための道具に過ぎないのであって、それ自体を目的にするものではないと思うようになった。

 だから、Bertrand Russellの思想に興味があれば、その本を読むというだけの話であり、それがたまたま英語で書かれているというだけに過ぎない。

 もともと、ぼくは高校の時にAnne of Green Gables シリーズや、TalkienのThe Lord of the Ringsシリーズを読んで英語力が一気に増したが、これらの本も、英語を学ぶ、というよりはその内容に興味があって読んだのである。

大学に入って頃読んだ、Milton FriedmanのFree to chooseも面白かったな。その思想に全面的に共鳴するかどうかは別として、読んでいてわくわくした。
 
 世の中にある「英語学習教材」が、「英語のための英語」を標榜するがゆえに、その内容が陳腐で無味乾燥なものになっていることを憂える。あれじゃあ、まともな感性をした人は心を惹かれるはずがない。

 音楽評論家の吉田秀和さんが、「いやあ、茂木さん、私が旧制高校でドイツ語をやったときは、初日にABC(アーベーツェー)の文法をやって、その次の日にはニーチェのショーペンハウエル論を読まされたんですよ。野蛮な時代でした」と言われていた。そのような野蛮さこそが今は求められている。

 自分が興味を持ったことに全身でぶつかっていく、野生の英語。

 日本人の英語を、人工的な受験英語、検定英語の世界から解きはなったら、本当に面白いことになるだろう。

5月 13, 2010 at 08:21 午前 |