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2010/05/15

アメリカの大学の入試制度について

 このところ、アメリカの大学の入試制度について、いろいろ面白いことというか、知らなかったことを知るに至った。

 TEDx TokyoをオーガナイズしているPartick Newellから聞いた話は、Harvard大学の入試について。

 東京に住むパトリックの友人は、日本の高校生の志願者をいろいろとインタビューし、ハーバードに合格させる権限を持っているのだという。

 その彼が、残念ながら日本の高校生にはハーバードが求めるような(英語で)自分の考えを述べて、議論できるような人がいなくて、ごく少数しか合格させられないのだと嘆いているのだという。

 そして昨日。TEDx Tokyoの会場で、Azby Brownに会った。金沢工業大学で、田森佳秀の同僚だという。

 AzbyはYale大学の卒業生で、Azbyもまた、日本の志願者をインタビューし、Yaleにレポートを送って合格させる仕事をしている。

 そのAzbyが、日本の高校生の向学心のなさを嘆いていた。

 そもそも、大きな世界を見ようという気概がない。Azbyによると、昨年、中国からは400人がYaleに志願して、200人が合格した。韓国からも200人が志願して、100人が合格した。それに対して、日本からは、そもそも志願者が十数人しかいない状況なのだという。

 Harvard, Yaleは、Times Higer Educationの2009年度大学ランキングで、それぞれ1位と3位の大学である。東京大学は22位。

 私は、Azbyの話を聞いて、「それは、まるで大学2.0みたいだね」と言ったら、「ああ、そうだね」とAzbyは笑った。

 卒業生にインタビューさせるというのは、日本人がたたき込まれている「常識」からすると、心許ない制度のように思われるかもしれない。

 面接者の主観が入ってしまうかもしれない。友人の師弟などの評価に、手心を加えるかもしれない。いろいろなことが「心配」になるだろう。だから、「公正」な入試をするには、日本のように、教室にいっせいに詰め込んでペーパーテストをするのがいいんだ、という考えがあるかもしれない。

 しかし、世界中から優秀な学生を集めるということを実際的な意味で考えれば、TOEFL (Test Of English as a Foreign Language)やScholastic Aptitude Test(Scholastic Aptitude Test)のスコアを参照しつつ、各地にいる卒業生の力を用いる、というのはいかにも賢いやり方である。

 Harvard, Yaleが求める学生像について、卒業生は自分の体験に基づくあるイメージを持っている。愛校心もあるから、ふさわしい人を合格させようと努力するだろう。

 一方、日本の大学、たとえば東京大学は、特に学部学生の入試について、そのやり方を頑なに変えようとしない。

 その結果、入試を通して入ってくる学生は、事実上日本語を母国語とする人に限られる。

 毎年その時期になると、各週刊誌は「東京大学合格者高校別一覧」という記事で賑わう。そのような記事が書かれる前提になっていることは、つまり東大に(学部から)入る学生は、日本人だけだという世界観である。

「東京大学合格者各国別一覧」とか、「今年は中国が台頭、韓国も合格者を大幅に増やす」「まだまだ、負けない英国やアメリカなどの強豪国」などという記事は寡聞にして知らない。

 日本とアメリカの大学の入試制度の違い。ここにも、日本がなぜ「ガラパゴス化」するのか、その理由が見えてくる。日本人は、非常に巧みな「洗脳」によって、自分たちのやり方が唯一の当たり前の方法だと思い込み、思い込まされてきたのだ。

 そろそろ、窓を開けて、さわやかな外の空気を吸うべき時期が来ている。

5月 15, 2010 at 09:27 午前 |