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2010/04/24

○○は脳に良いですか?

いろいろな方とお話していて、良く聞かれるのが、「○○は脳に良いですか?」という質問である。

○○を食べるのは脳に良いですか?

朝○○をするのは脳に良いですか?

 メディアの中で、「○○は脳に良い」という言い方がしばしば見受けられるので、一つの思考の型として流布しているのだろうと思われる。しかし、科学的には、「○○は脳に良い」という言明には、あまり意味があるとは言えない。

 だから、私は、このような質問をされると、一瞬絶句して、それからどのように答えようかと、一生懸命言葉を探す。

なぜ、科学的には、「○○は脳に良い」という言い方をしないのか。きちんと説明をする必要があるように思う。

 「○○が脳に良い」という言い方の背景にある考え方は、科学的な言葉におきかえれば、脳の状態について、ある評価関数があって、○○によってその「数値」が上がるということを意味する。

 たとえば、「朝チョコレートを食べるのが脳に良い」という言明が成り立つには、朝チョコレートを食べることによって、何らかの評価関数の数値が上がるということになる。
 確かに、チョコレートを食べることによって、脳の状態の変化はあるだろう。だとえば、前頭葉に向って放出されるドーパミンの量は増えるだろう。しかし、そのことが「脳に良い」と単純化するには、脳は余りにも複雑過ぎる。

 そもそも何が最終的に「脳に良い」のか、単一の評価関数で決められるわけではない。朝チョコレートを食べるかどうかということは、単なる趣味の問題である。チョコレートを食べれば、ある評価関数は上がるかもしれない。しかし、別の数値は下がるかもしれない。チョコレートを食べずに空腹に耐えてがんばることが、ある視点から見れば脳に良いのかもしれない。

 取材などを受けていて、「朝チョコレートを食べて、コーヒーを飲む」と言うと、すかさず、「それは脳に良いですか?」と聞かれる。「そんなに単純ではありません」と言っても、なかなか納得してもらえない。

 繰り返し言うが、単なる趣味の問題である。もし、本当に朝チョコレートを食べるのが脳に良いのならば、毎日欠かさず食べれば良かろう。私は、家にいる時はチョコを食べることが多いが、食べるのを忘れることもある。今日は旅先だが、そもそも部屋にチョコレートがないので、食べようと思っても食べられぬ。

 むしろ、発想を変えて、「脳に悪い」ことは何かと考えるくらいでバランスがとれると思う。たとえば、すぐれた芸術作品に接することは、脳に傷がつくようなものである(拙著『脳と仮想』参照)。カフカの『審判』や『城』を読んだ時、私は「やられた」と思った。人間という存在の根源的なやっかいさ、怖ろしさを見せつけられたように思ったからである。

 カフカなど読まずに、お花畑の中で生きている方が「脳に良い」と言えないこともない。ある評価関数を設定すればそうなるだろう。しかし、私は、やはりカフカを読んだ方が良かったと思う。ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことも良かったと思う。

 さすがに、『罪と罰』を読むと脳に良いですか、というような質問をする人はいないだろう。朝チョコレートを食べると脳に良いですか、という質問をすることは、『罪と罰』は脳に良いですか、と聞くことと結局は同じようなものである。

 脳のような非線型素子がたくさんつながった複雑なシステムについて、単純な評価関数など設定できない。設定できないからこそ、人生は時に「負」が「正」に転ずる、興味深い体験となる。オセロゲームにように、何か一つの要素が置かれることで、黒(負)が白(正)になることもある。

「○○は脳に良いですか」という質問には、あまり意味がないのである。

4月 24, 2010 at 06:35 午前 |