« ミュンヘン。ボビーに首ったけ。 | トップページ | I don't know what happened to the serious man. »

2010/04/21

戦争に比べれば

いよいよ日本に帰れそうだ、ということになった時に、「いや、まだ油断はできない」「まだ早いぞ」と思いながらも、この数日の出来事を振り返っていた。

二つのことが思い浮かぶ。一つは、偶有性である。このようになる、と思っていても、明示的ないしは暗示的に仮定されている前提が崩れて、計画を練り直さなければならない。その度に、違った角度からものを見なければならない。瞬発的に判断し、行動しながら考えなければならない。

つまり、偶有性というものは、客観的な性質ではなく、認識において、あるいは行動において能動的に獲得され、経験されるものである。理論的には以前から考えていたことが、この数日間で身にしみた。

ここ数日は、すなわち、行動における偶有性のレッスンだったような気がする。

もう一つは、「文脈の強制」である。

もう開き直って、楽しんだら、と言うひともいた。確かに、そのような考え方もあったろう。しかし、火山の影響がいつまで続くか、たくさんの在留の人が果たして皆すぐに帰れるのか、という不確定要素の中で、どうしても、多くの時間を情報の収集や判断、手立てを打つことに費やさざるを得なかった。

日本においていくつかの、重要な仕事があり、特に、私がもしその場にいないと、関係者に甚大な御迷惑をおかけする案件もあって、どうしても帰らなければならなかったのである。

この数日間は、火山が噴火して飛行機が止まるという中でどのようにして帰れるか、ということに精神活動のかなりの部分を割かざるを得なかった。つまりは、そのような文脈を「強制」された。

どうなるかわからないという「偶有性」と、「強制された文脈」。それが激しいかたちで起こるのが、「戦争」である。

戦争は、勝つか負けるか、あるいはどのように生きのびるかという文脈を強制する。そして、情勢が時々刻々と変わる、という意味において、偶有性に満ちている。

この数日は大変だったが、戦争に比べればましである。

昔の人は、つくづく偉かったと思う。

4月 21, 2010 at 10:34 午前 |