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2010/04/06

波動関数の収縮

金沢の街を走りながら田森と話していたら、田森が、量子力学の波動関数の収縮についてのペンローズの話をした。

斎藤環さんとの往復書簡の私の二番目の返信の中で、触れているポイントである。

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 とりわけ、ロジャー・ペンローズが量子力学に対して立てている「フレーム問題」は、潜在的には深刻なものであると考えます。量子力学においては、波動関数を記述する基底ベクトルがとられ、ある状態の波動関数は、それらの基底ベクトルの(複素数を係数とした)線型和として与えられます。そうして、観測をすることによって、系の状態が基底ベクトルで記述される状態のひとつに「縮退」し、観測されると考えるのです。
 ペンローズがていした疑問とは、こうです。そもそも、基底ベクトルの取り方は任意のはずだ。三次元空間を記述するのに、(x、y、z)という座標系をとっても、それを回転させた(x'、y'、z')という座標系をとってもどちらでもかまわないように、本来は、ある特定の基底ベクトルのセットが特別な意味を持たなければならない理由はない。
 たとえば、有名な「シュレディンガーの猫」の実験にしても、同位元素が崩壊し、毒薬の入ったガラス瓶が割れて、箱のなかの猫が「死んでいる」状態と、崩壊がまだ起こらず、猫が「生きている」状態それぞれが、波動関数が収縮する先の「基底ベクトル」にならなくてはならない理由は、量子力学の数学的形式自体からは与えられない。猫が「生きている」状態と、「死んでいる」状態が複素数で結びつけられた、混合状態が複数あり、それらが基底ベクトルのセットになったとしても、等価なはずだ。それなのに、波動関数の収縮の先は、猫が「生きている」、あるいは「死んでいる」状態になる理由はなぜなのか? その理由は、「コペンハーゲン解釈」のような標準的な量子力学の体系の「外」から与えられなければならないはずです。
 それでは、その「外」とはいったいなんなのか? ここに、量子力学が現状で抱えているもっとも深刻な脆弱性があるように私は考えます。そして、それと同型な脆弱性が、(数学的なものを含めて)およそ言語で世界を記述する立場に、普遍的に付随しているように思います。

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「あれは、本当に不思議なんだよな。」と田森が言った。

「おお! ちょうど、そのことについて、斎藤環さんとの往復書簡の中で書いたんだ!」

不思議なことを、不思議だと共有できる関係は、うるわしいものである。

泥の中で、同じ星を見上げているのだろう。

4月 6, 2010 at 05:59 午前 |