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2010/04/30

マーマイト

朝食の時、エドと一緒になった。ドキュメンタリーにおける、カメラのフレームを揺らす手法など、さまざまな話題について議論しているうちに、「マーマイト」に話が及んだ。

「あれ、ダメなんだよなあ」と言うと、エドが、「ぼくは好きだよ。日本に一年間いた頃は、イギリスから取り寄せていたなあ。」と言う。

「そんなになつかしかったの?」

もし試すのならば、今だ! と思った。

20年前にイギリスに初めて来た時に食べて、もういやだ、と思ったマーマイト。しかし、イギリス人が、外国にいる時に一番「なつかしい」と思う食糧だというマーマイト。それを再び試すのならば、今である。

フルーツを取りに行くふりをして、マーマイトを持ってきた。

「えへへ。もって来ちゃったよ。」とエドに言う。

「どうやって食べるんだっけ?」

「トーストにつけるんだよ。」

蓋をあける。とろーっと黒い液体が見える。ナイフに乗せる。なんだか粘っこい。トーストにつけると、ねばねば抵抗感がある。

うっ。と思ったが、エドが見ている。思い切って、口に運んだ。

「・・・・・。うーむ。・・・・。そんなに、悪くないよ。」

実際、そんなに悪くなかった。イーストの独特の香りがあり、しょっぱい。酸味のようなものもある。しかし、全体として、そんなに悪くない。

「マーマイトは、徐々に好きになるものなんだよ。」とエド。

「しょっぱいな」と私。「子どもの頃から食べてたの?」

「うん。でも、うちの父親が、ある時、マーマイトは塩分が多いという記事を読んで、それからは私たちに食べさせたがらなかった。うちの父親は、そういう人だったんだ。記事を読むと、それを真面目にとってしまう・・・。」

エドの話に肯きながら、私はマーマイトをもう一つけ、もう二つけと食べた。

「これ、案外ビールと合うかもね・・・。」

二十年ぶりに、今度はなんとか好きになれそうなマーマイト。小分けになった容れ物は、ハートの形をしていた。

4月 30, 2010 at 05:14 午後 |

After four essays and a prawn, I arrived in U.K.

After four essays and a prawn, I arrived in U.K.

四つの随筆と一つの海老の後で、英国に到着せし事。

The Qualia Journal

30th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 30, 2010 at 03:14 午後 |

ロンドン到着

ロンドンに到着して、売店でPOLOとDaily Telegraphを買った。

そうしたら、朝倉千代子さんが写真をとって、iPhone から送ってくれた。


4月 30, 2010 at 02:41 午後 |

脳のトリセツ 鳩山首相と女子高生

週刊ポスト 2010年5月7日・14日号

脳のトリセツ 第40回

鳩山首相と女子高生

お金持ちが高級シャンパン選びに迷うのと、貧しい若者が発泡酒選びで悩むのは、脳科学の視点から見れば等価である。

抜粋

先日、評論家の東浩紀さんと対談していて、「鳩山首相」と「女子高生」の間に本質的な違いはあるか、という議論になった。もちろん、国の政治における権限とか、交友範囲の広さにおいては差があるだろう。しかし、一人の人間として向き合う「偶有性」の量と質に、果たしてそんなに差はあるのだろうか?
 鳩山首相と女子高生は、極言すればもはや同じなのだろう、というのが私たちの結論だった。誰もが、一人ひとりの与えられた環境の中でさまざまな情報を得て、認識し、判断し、分析している。首相といえども、すべてを見通しているわけではない。女子高生と同じくらい、限られた世界で生きている。首相と女子高生と、偶有性の総量に差があるわけではない。ただ、その成り立ちの要素が違うだけの話である。
 世界が実はフラットだと気付いてしまうこと。それは、「格差」という幻想をなくし、上昇志向を奪うことで、社会の活力を奪うという側面は確かにあるかもしれない。その一方で、根源的に「元気」になる道も開いてくれる。
 たとえば、この情報化社会で「生きる力」という視点からは、「一流大学」卒とそれ以外の人、大卒とそれ以外の人の間に「格差」などもはやない。それぞれの人が、それぞれの現場で、直面する「偶有性」から学べば良いだけのこと。「格差」という幻想をあおり立ててもむなしい。
 この世界がフラットだと認めてしまうこと。鳩山首相と女子高生は同じだと思うこと。その勇気だけが、私たち日本人が本当に元気になるための「神風」を運んできてくれるだろう。

全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100514jp/index.html


鳩山首相と女子高生。 イラスト ふなびきかずこ

4月 30, 2010 at 02:31 午後 |

『文明の星時間』 鎖国は続いている

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第112回  鎖国は続いている

サンデー毎日 2010年5月9日、16日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 イギリスのタイムズ誌高等教育版(Times Higher Education)は、毎年、世界の大学ランキングを発表することで有名である。
 2009年のランキングでは、日本国内では東京大学が世界で22位でトップ。続いて、京都大学が25位、大阪大学が43位、東京工業大学が55位と続いている。
 国内一位の東京大学を見ると、研究レベルや論文引用数では世界のトップ・レベルと並んでいるのに、学生や教員の「国際化」指数において大きく見劣りする。
 世界ランキング上位の米国のハーバード大学(1位)やイエール大学(3位)、英国のケンブリッジ大学(2位)に比べると、さまざまな国出身の人が学び、教え、研究するという国際化という視点において、東京大学は他の世界の一流大学に比べて著しく遅れをとっているのである。
 逆に言えば、国際化さえ成し遂げれば、東京大学のランキングはぐんと上昇することになる。もちろん、大学ランキングの順位が全てではない。むしろ、このような指標は、自らの状況を映す一つの「鏡」として使うべきだろう。
 東京大学の先生とお目にかかった時、たまたま、大学ランキングが話題になることがある。その際に、しばしば見られる反応がこの所気になっている。
 「東大は、日本の中の一番の大学でいいんですよ。」
 「グローバル・スタンダードに必ずしも合わせる必要はないんじゃないですか。」
 知性も人格もすぐれた先生方の、おそらくは「本音」と思われるそのような考えを聞いていると、日本はひょっとしたら精神的にはまだ「鎖国」をしているのではないか、そんな風にも思えてくる。
 大学だけではない。産業界では、「ガラパゴス化」が憂慮されている。チャールズ・ダーウィンがビーグル号に乗って訪れ、その独自に進化した生物相に接して『進化論』を構想したガラパゴス諸島のように、他では通用しない孤立した状況に陥る現象である。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

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4月 30, 2010 at 02:22 午後 |

2010/04/29

偶有性の海に飛び込め!

池上高志と意見が一致していることは、後に大成するやつは、若い時に生意気だということである。

向こう見ず。授業や講演会の時には、真っ先に手を上げ、立ち上がって質問する。そういうやつだからといって、後に輝くとは限らない。しかし、スタートラインに立たなければ、どうしょうもない。

所眞理雄さんのお誘いを受けて、慶應大学の矢上キャンパスで授業をした。日吉から、谷を越えて、えっちらほっちら行った。

教室に入ったら、皆の目が輝いていた。そうして、ぼくは授業をした。一生懸命に話した。

そうして、たくさんの学生たちが、立ち上がって質問してくれた。いきいきと、活発な議論が起こった。

ぼくは悟った。ぼくは、もっともっと、こういうやつらのために頑張らなければならない。一緒に努力を続けなければならない。

「ぼくは、これから、日本がなぜ「終わって」しまっているのか、脳科学の立場から説明したいと思います。新卒一括採用、正社員と非正規雇用の差別、有名大学への合格者高校別一覧を載せる週刊誌、外国人留学生やフリーランスの人に対して差別をする不動産賃貸の慣行、履歴書に「穴が開く」ことを社会的タブーとする風土、これらの賞味期限切れのマインドセットゆえに日本は終わってしまっているわけですが、それが脳科学的に見ればどのような理屈においてダメな行動と言えるのか、そのことを説明したいと思います。」

最後に、「偶有性の海に飛び込め!」「根拠なき自信を持て」と書いて授業を終えた。

ぼくのツイッターに返信してくれた君たち、ありがとう。

ぼくも、ぼくにとっての偶有性の海に飛び込んでがんばって泳ぐから、君たちもがんばろう。

人生の果実は、勇気の量に比例するんだよ。

KoheiYamamoto
@kenichiromogi茂木先生、今日慶應で講義受けた山元です。最後の方に「いざ鎌倉」の質問した者です。いつもブログ拝見してます。今日は素晴らしいお話ありがとうございました!!
約10時間前 webから kenichiromogi宛

Y0osuke
@kenichiromogi 授業ありがとうございました。「偶有性の海に飛び込め」というメッセージを頂きましたが、そのためにも圧倒的実力と根拠のない自信を持とうと思います。もはや教育を変えるとかいう議論をしている場合ではなく、誰かがまずbenchmarkを示さねばならぬ悲惨な状態
約11時間前 webから kenichiromogi宛

kissytossy
@kenichiromogi 本日の授業ありがとうございました.僕はこれまで標準の中の標準を意識して生きてきました. たった今から根拠のない自信をもって偶有性の海に飛び込んできます.もちろん努力を怠らずに.
約11時間前 webから kenichiromogi宛

kaitafj
@kenichiromogi 今日の講演は聞いていてワクワクしてくるような講演でした。まずは必死になって自分のsecure baseをつくりあげるために頑張ります!
約11時間前 Echofonから

johnnywarhawker

@kenichiromogi 今授業聞いていますなう
約11時間前 Keitai Webから kenichiromogi宛

4月 29, 2010 at 05:13 午前 |

2010/04/28

日本の新聞

 近頃の学生は、新聞をとらなくなったという。

 確かに、私の周囲でも、新聞の宅配をとっていないという学生が多い。

 インターネットで十分だという人もいる。しかし、私は、新聞の将来を必ずしも悲観していない。

 ネット上のニュースにおいては、クリック数を稼ごうと好奇心をそそる見出しをつけることも多い。その際のクリック数と、ニュース本来の意義の重さは必ずしも一致しない。
 新聞においては、一面のトップに何を持ってくるか、社会面をどのようにレイアウトするかといった紙面つくり自体に「情報」がある。ニュース・ヴァリューに関するこのような情報性は、ネット上のニュースサイトではなかなか得られない。

一方、日本の新聞の現状に問題がないかと言えば、うそになる。

 以前から不思議だと思っているのは、記事を書くのが事実上「社員」の「記者」に限られていることである。だからこそ、記事に「署名」がなくても用が足りると考える。しかし、それが唯一の「常識」ではない。

 暗黙知というのは難しいもので、ある時英字新聞を読んでいて「はっ」と気付いた。むこうの新聞社にもむろん「スタッフ・ライター」はいるだろうが、記事を書くのは「社員」だけではない。新聞は、いわば「場所」なのである。一つの「オープン・システム」。いろいろな人が出入りして、記事を書く。だからこそ、当然、署名がなければならない。

 記事を書く人が社員に限られないことのメリットは、質をめぐる「自由競争」がより広い範囲で行われることである。社員だけでやっていると、どうしても発想の幅が狭くなる。一方、外部に広く人材を求めれば、その中にはアーネスト・ヘミングウェイのような人もいる。

 日本の新聞は、いわば「暗黙知」として社員のみに記事を書かせることを前提にしている。日本ではあまりにも「当たり前」のことなので、それが唯一の考え方ではなく、むしろ世界の「コモン・センス」に照らせば「異常」であることに気付きにくい。このマインドセットは、「正社員」と「非正規雇用」の間の差別や、いわゆる「記者クラブ」の問題など、日本を停滞させていると見なされているいくつかの慣習と連動している。

 閉鎖的風土を改善すれば、日本の新聞はもっとよくなるだろう。

4月 28, 2010 at 08:31 午前 |

2010/04/27

Relative positions.

Relative positions.

相対的位置

The Qualia Journal

27th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 27, 2010 at 08:00 午前 |

トキの教え

 佐渡島で野外のトキが抱卵している。孵化するかどうかは予断を許さないが、もし繁殖が実現すれば画期的なことである。

 トキの放鳥は、私たちに多くのことを教えてくれた。放されたトキの一部は、海を渡って本土側に来てしまった。私たち人間のつくるものは、すべてある閉ざされた空間を前提にしている。しかし、自然は開かれている。

 人間の方の都合で、ある一定の領域だけにとどまっていて欲しいと思っても、自然はそうはいかない。すべての生きものは拡散しようとする。

 「自然にとっては全宇宙でさえ十分ではないのですが、人工的なものは閉ざされた空間を必要とするのです。」(ゲーテ『ファウスト』)

 トキが野外で棲み、繁殖できるような環境をつくる。この佐渡の取り組みは、画期的なものだろう。人々の価値観は変化しており、トキが飛ぶことができるような里山の景観自体に、かけがえのない意義を見いだす人が増えている。

 究極的には、トキが野生に根付くための環境つくりは、佐渡という「点」から日本全体という「面」に広がらざるを得ない。トキたちは自由に移動する。日本のどこに移動しても、それなりに棲むことのできる環境が整備されて、トキの再生計画は初めて成功する。

 かつては、日本中の空を舞っていたトキ。佐渡から始まるトキの再野生化の試み。私たちが考えるべきことはきわめて多い。

4月 27, 2010 at 07:57 午前 |

2010/04/26

Great book of the world.

Great book of the world.

世界の偉大な本

The Qualia Journal

26th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 26, 2010 at 07:50 午前 |

高貴なる野蛮

白洲信哉、鈴木理策さん、家庭画報の秋山和輝編集長、押鐘裕子さんと会食。

直前のトークショーで、私は白洲信哉のことを「高貴なる野蛮」と褒めたが、「酒を持ってこい」「くちこどんぶりで持ってこい」「スッポンの卵持ってこい」という余りの傍若無人ぶりに、ついには「高貴」を剥奪することに衆議一決、単なる「野蛮」になってしまった。

「惜しいな。高貴と野蛮のコントラストにこそ、妙味があったのにな。アイスクリームの冷たさと珈琲の熱さの対照が良いと言ったのは寺田寅彦です。」

和気藹々、楽しい会食でした。

4月 26, 2010 at 07:27 午前 |

2010/04/25

○○は脳に良いですか?(その2)

 ある程度の蓋然性を持って、脳がより高い働きを果たすことが期待されることが皆無だというわけではない。

 たとえば「新しい」経験をすること。周知のように、人間には新奇選好(neophilia)があり、新しい体験を通して、さまざまなことを学ぶ。

 あるいは、体験の「多様性」を増大させること。ある一つの体験が、たとえ脳にとってどれほど効果的であったとしても、それだけに偏るのは危険である。性質の異なる、さまざまな体験を蓄積することが、頑強(ロバスト)な脳をつくることに資する。

 また、自分の中の確かな知識、経験の基盤を持って、不確実な状況に対すること。つまりは、確実性と不確実性の混ざった「偶有性」(contingency)に向き合うこと。偶有性に能動的にかかわることは、脳の学習を実質的な意味で進めることになる。

 新しい体験をすること。多様性を増大させること。偶有性と向き合うこと。これらの処方箋に共通なのは、それが個々の具体的な事項を越えたいわば「メタ」な概念であるということであり、また、一人ひとりの現状に依存して、その実質が異なるということである。

 「新しい」体験とは何かということは、人にとって異なる。ある人にとっては周知の出来事でも、別の人にとっては新しい体験かもしれない。何が新しいかは、本人にしかわからない。だから、新しい体験が脳に良いと言っても、それは、本人が能動的に探し求めなければならない。

 「多様性」という観点から、今何が欠けているかという判断も、人によって異なる。英語を母国語とする人にとっては、日本語を勉強することが多様性に資するだろう。一方、日本語を母国語とする話者にとっては、英語の習得が多様性に資する。いつも対人コミュニケーションを仕事としている人は、一人静かに本を読むことが多様性に寄与する。一方、デスクワークの多い人は、誰かとおしゃべりすることが多様性を増大させる。

 「偶有性」において、不確実な要素が何かといううことは、その人によって異なる。また、確実なことと不確実なことのバランスも、個人の資質と現在の状態に依存する。偶有性の処方箋は、各人に対して、それぞれの状況において書かれなければならない。

 このように、かなりの蓋然性をもって「脳に良い」と考えられることは、個々の具体的な事例を越えた「メタ性」と、一人ひとりの状況に依存した「個別性」を兼ね備えており、だからこそ、脳についてさまざまな文脈において措定される「評価関数」においても、頑強(ロバスト)なふるまいが期待される。

 世間で良く言われる「脳に良い」という言明は、上のようなメタな概念ではなく、個々の具体的な事例(たとえば、「朝チョコレートを食べると脳に良い」というように)に依存していて、だからこそ有効なものとはなっていない。
 
 「脳に良い」という概念の捉えられ方をより「メタ」で「個別的」なものにすることができれば、脳科学から社会に対する発信は、より実質的に意味があるものになるだろう。

4月 25, 2010 at 09:31 午前 |

2010/04/24

Companies to my sweet sleep

Companies to my sweet sleep

私の甘き夢の友人たち

The Qualia Journal

24th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 24, 2010 at 06:52 午前 |

○○は脳に良いですか?

いろいろな方とお話していて、良く聞かれるのが、「○○は脳に良いですか?」という質問である。

○○を食べるのは脳に良いですか?

朝○○をするのは脳に良いですか?

 メディアの中で、「○○は脳に良い」という言い方がしばしば見受けられるので、一つの思考の型として流布しているのだろうと思われる。しかし、科学的には、「○○は脳に良い」という言明には、あまり意味があるとは言えない。

 だから、私は、このような質問をされると、一瞬絶句して、それからどのように答えようかと、一生懸命言葉を探す。

なぜ、科学的には、「○○は脳に良い」という言い方をしないのか。きちんと説明をする必要があるように思う。

 「○○が脳に良い」という言い方の背景にある考え方は、科学的な言葉におきかえれば、脳の状態について、ある評価関数があって、○○によってその「数値」が上がるということを意味する。

 たとえば、「朝チョコレートを食べるのが脳に良い」という言明が成り立つには、朝チョコレートを食べることによって、何らかの評価関数の数値が上がるということになる。
 確かに、チョコレートを食べることによって、脳の状態の変化はあるだろう。だとえば、前頭葉に向って放出されるドーパミンの量は増えるだろう。しかし、そのことが「脳に良い」と単純化するには、脳は余りにも複雑過ぎる。

 そもそも何が最終的に「脳に良い」のか、単一の評価関数で決められるわけではない。朝チョコレートを食べるかどうかということは、単なる趣味の問題である。チョコレートを食べれば、ある評価関数は上がるかもしれない。しかし、別の数値は下がるかもしれない。チョコレートを食べずに空腹に耐えてがんばることが、ある視点から見れば脳に良いのかもしれない。

 取材などを受けていて、「朝チョコレートを食べて、コーヒーを飲む」と言うと、すかさず、「それは脳に良いですか?」と聞かれる。「そんなに単純ではありません」と言っても、なかなか納得してもらえない。

 繰り返し言うが、単なる趣味の問題である。もし、本当に朝チョコレートを食べるのが脳に良いのならば、毎日欠かさず食べれば良かろう。私は、家にいる時はチョコを食べることが多いが、食べるのを忘れることもある。今日は旅先だが、そもそも部屋にチョコレートがないので、食べようと思っても食べられぬ。

 むしろ、発想を変えて、「脳に悪い」ことは何かと考えるくらいでバランスがとれると思う。たとえば、すぐれた芸術作品に接することは、脳に傷がつくようなものである(拙著『脳と仮想』参照)。カフカの『審判』や『城』を読んだ時、私は「やられた」と思った。人間という存在の根源的なやっかいさ、怖ろしさを見せつけられたように思ったからである。

 カフカなど読まずに、お花畑の中で生きている方が「脳に良い」と言えないこともない。ある評価関数を設定すればそうなるだろう。しかし、私は、やはりカフカを読んだ方が良かったと思う。ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことも良かったと思う。

 さすがに、『罪と罰』を読むと脳に良いですか、というような質問をする人はいないだろう。朝チョコレートを食べると脳に良いですか、という質問をすることは、『罪と罰』は脳に良いですか、と聞くことと結局は同じようなものである。

 脳のような非線型素子がたくさんつながった複雑なシステムについて、単純な評価関数など設定できない。設定できないからこそ、人生は時に「負」が「正」に転ずる、興味深い体験となる。オセロゲームにように、何か一つの要素が置かれることで、黒(負)が白(正)になることもある。

「○○は脳に良いですか」という質問には、あまり意味がないのである。

4月 24, 2010 at 06:35 午前 |

2010/04/23

日光での対談 酒井雄哉さんと (明日)

比叡山千日回峰行を二回達成した大阿闍梨、酒井雄哉さんとの対談がいよいよ明日行われます!

朝日新書『幸せはすべて脳の中にある』発刊記念

対談「命を尊ぶ心の大祭」

2010年4月24日(土) 13時〜
日光山輪王寺隣接 「日光総合会館」

酒井雄哉大阿闍梨 茂木健一郎

CNプレイガイド

http://www.rinnoji.or.jp/gyouji/inochi/inochi.html


4月 23, 2010 at 07:50 午前 |

Sentimental value.

Sentimental value.

センチメンタル・ヴァリュー

The Qualia Journal

23rd April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 23, 2010 at 07:46 午前 |

英国のオバマ

英国の総選挙が面白い。

先週、英国の憲政史上初の主要政党による討論会が行われ、自由民主党のニック・クレッグ党首が、その清新な印象で一気に支持を広げた。

ニック・クレッグは英国のオバマである、という論調も出ている。長らく続いてきた労働党と保守党の二大政党制に風穴を開けた。

私が英国民だったら、ニック・クレッグが首相になることを望むだろう。また、一人の英国びいきとしても、ニック・クレッグが首相になった英国を見てみたい。

http://www.youtube.com/watch?v=rk5HvJmy_yg
4月15日に行われた第一回討論会(youtube)

しかし、ニック・クレッグには一つアキレス腱がある。

それは、第一回の討論会を見た時から気になっていたが、昨夜行われた第二回の討論会で、どうやら顕在化してきたらしい。

ニック・クレッグは、英国の核ミサイル「トリデント」の配備の更新について、冷戦時代の産物であり、もはや多額の税金を注ぎ込むことを正当化できないと主張している。このことが、おそらくは一番の弱点になるだろうと思っていた。

ニック・クレッグの言うことは、論理としてはおそらく正しい。「仮想敵国の主要都市を攻撃することを想定した核ミサイル」はもはや必要ないというのは、一つの理想論としても、また現実認識としても妥当だろう。

問題は、国家というものが持っている本来的な攻撃性である。「今は必要ないように思えても、もし状況が変わったらどうするんだ」「国家の安全が損なわれる」という「恐怖のキャンペーン」に対して、「太陽政策」を唱える者は守勢に立たされやすい。

不確実性に関する推測は、肥大化しやすい。特に、それが他者の攻撃性に対する恐怖である場合、野放図にふくらむ傾向がある。国防に関して、北風と太陽の勝負は最初から付いている。英国も、一つの普通の国家に過ぎない。

私は、一人の清新な理想主義者としてのニック・クレッグを支持する。その一方で、ニック・クレッグの主張が、戦争の世紀から10年を経たとは言え、主権国家の本来的暴力性の記憶がまだ色濃く残り、また自身も植民地支配という形でその暴力性の果実の享受者だった英国で、どれくらい受け入れられるか、大いに懸念する。

英国人は現実主義者であり、二十一世紀になっても、その現実の中には攻撃性の恐怖が含まれている。結局は、保守党のデービッド・キャメロン党首が勝利する結果になるのではないかと懸念する。「英国のオバマ」が勝利するための道のりは険しい。

「トライデント」の一点がアキレス腱となり、ニック・クレッグが勝利できないとすれば、もったいないことだと思う。しかし、選挙戦の途中で「トライデント」について政策変更をすることのリスクも大きい。リスクは大きいが、この点について少なくとも表現を変えることが、勝利への唯一の道であるようにも思う。


「英国のオバマ」ニック・クレッグ自由民主党党首

4月 23, 2010 at 07:28 午前 |

2010/04/22

脳のトリセツ 「脱藩後」をどう生きるか

週刊ポスト 2010年4月30日号

脳のトリセツ 第39回

「脱藩後」をどう生きるか

組織の一員として働くのは喜ぶべきことである反面、その人の限界にもなる…必要なのは、組織ではなく安全基地である。

抜粋

 実は、この三月末で、知り合いの編集者が5人もいっせいに出版社を辞めてフリーになってしまった。「これからはフリーランスの時代だ」と常々言っている人間としては、友人として喜ばなければならない。しかし、現実になってみると、なかなか難しいものだなと思う。
 組織に頼らずに、いかに生きていくか。一人ひとりが、その方法論を普段から構築しておくべき時代が来たのだろう。
 今年は大河ドラマの影響もあって、坂本龍馬ブームである。龍馬の人生において重要な意味を持ったのは、何よりも数えで28歳、満26歳の時に「脱藩」したことだろう。
 土佐藩という組織に縛られていては、自由な活躍ができない。その後の龍馬の縦横無尽な活躍は、この時の脱藩があってのことだった。
 龍馬が脱藩前に参拝した高知市郊外の「和霊神社」を訪れて以来、「脱藩」の二文字が私の頭から離れない。現代の日本人には、もっと「脱藩精神」が必要だと確信している。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100430jp/index.html

4月 22, 2010 at 09:29 午前 |

文明の星時間  御柱の静謐

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第111回  御柱の静謐

サンデー毎日 2010年5月2日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 祭の潮が引き始めた夕暮れに、諏訪大社の本宮を訪れた。前回の祭で立てられた御柱は、静謐な荘厳さをたたえて、境内に鎮座していた。次第に濃くなっていく暗闇の中、御柱は訝しいほど白く浮かび上がっていた。
 人生は、いろいろある。坂道を転げ落ちることもあるし、激流にもまれることもある。多くの人に助けられて引かれていくこともある。だとしたら、御柱とは、つまりは私たちそのものではないか。
 神は古来、人間にとっての理想の姿であった。
 年を経るとともに、人は神に近づく。ようやくのことすべてが終わった後の、御柱の静謐。見上げる魂の、深いところが癒される。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

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4月 22, 2010 at 09:22 午前 |

When and if Mount Fuji erupts.

When and if Mount Fuji erupts.

もし富士山が噴火したら

The Qualia Journal

22nd April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 22, 2010 at 08:38 午前 |

ユダヤの創造性

近現代の人類史における一つの顕著な現象は、ユダヤ系の人たちの創造性だろう。

アインシュタイン、フロイト、マルクス、カフカ。きらぼしのような天才たち。

以前計算したことがあるが、もし日本人がユダヤ系の人たちと同じ率でノーベル賞を受けていたとしたら、数百人の受賞者が出ていなければならない。

ユダヤ系の人たちの創造性の秘密は何か? 以前読んだ説の中で今でも印象に残っているのは、社会からの独立と自由がその鍵だという論である。

イスラエルの建国まで、ユダヤ人たちは、自分たちのいる社会との予定調和を仮定することができなかった。だから、自分たちの才覚だけで生きていくしかなかった。

社会との微温的な相互依存を仮定できないということは、場合によっては大きな障害になるだろうが、ユダヤ人たちは、それを大いなる創造性の溶鉱炉に変えた。

ふりかえって日本の現状を見れば、微温的な相互依存が創造性発揮の妨げになっていることは明かであろう。

4月 22, 2010 at 08:02 午前 |

2010/04/21

I don't know what happened to the serious man.

I don't know what happened to the serious man.

真面目な男に何が起こったのかは知らない

The Qualia Journal

21st April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 21, 2010 at 10:57 午前 |

戦争に比べれば

いよいよ日本に帰れそうだ、ということになった時に、「いや、まだ油断はできない」「まだ早いぞ」と思いながらも、この数日の出来事を振り返っていた。

二つのことが思い浮かぶ。一つは、偶有性である。このようになる、と思っていても、明示的ないしは暗示的に仮定されている前提が崩れて、計画を練り直さなければならない。その度に、違った角度からものを見なければならない。瞬発的に判断し、行動しながら考えなければならない。

つまり、偶有性というものは、客観的な性質ではなく、認識において、あるいは行動において能動的に獲得され、経験されるものである。理論的には以前から考えていたことが、この数日間で身にしみた。

ここ数日は、すなわち、行動における偶有性のレッスンだったような気がする。

もう一つは、「文脈の強制」である。

もう開き直って、楽しんだら、と言うひともいた。確かに、そのような考え方もあったろう。しかし、火山の影響がいつまで続くか、たくさんの在留の人が果たして皆すぐに帰れるのか、という不確定要素の中で、どうしても、多くの時間を情報の収集や判断、手立てを打つことに費やさざるを得なかった。

日本においていくつかの、重要な仕事があり、特に、私がもしその場にいないと、関係者に甚大な御迷惑をおかけする案件もあって、どうしても帰らなければならなかったのである。

この数日間は、火山が噴火して飛行機が止まるという中でどのようにして帰れるか、ということに精神活動のかなりの部分を割かざるを得なかった。つまりは、そのような文脈を「強制」された。

どうなるかわからないという「偶有性」と、「強制された文脈」。それが激しいかたちで起こるのが、「戦争」である。

戦争は、勝つか負けるか、あるいはどのように生きのびるかという文脈を強制する。そして、情勢が時々刻々と変わる、という意味において、偶有性に満ちている。

この数日は大変だったが、戦争に比べればましである。

昔の人は、つくづく偉かったと思う。

4月 21, 2010 at 10:34 午前 |

2010/04/20

ミュンヘン。ボビーに首ったけ。

夜の時点でも、翌日のルフトハンザミュンヘン発成田便がキャンセルされていないというここ数日では初めての事態に、ほのかな希望が灯った。

明日、帰れるかもしれない。

そう思ったら、急に、ミュンヘン中央駅の風情がいろいろ愛おしくなって、何度も御世話になったコインで入るトイレに改めて行ってみたり、ホームのあたりをうろうろしてみたり。

駅の中にあるカフェはすっかりおなじみだ。何杯ビールを飲んだことだろう。

最後の記念。夕飯をそこで食べようと入ったら、小太りのおじさんがちょこまか店の中を走り回っていた。

ビールをえいやっと持ってきたり、注文を聞いたり、料理を運んだり、精算したり。

ものすごく働きもの。そして、いつも笑顔を絶やさない。ぼくにも、「シュメックト・グート?」(おいしいかい?)とにこにこしながら聞いてくれる。

メタボなのだけれども、動作がきびきびしていて、見ていて実に気持ちがいい。

ちょっと、塩谷賢のことを思い出す。もっとも、塩谷のお腹は、さらに出ているけれども。0.12トンの塩谷。こちらのおじさんは、さすがに0.1トンには行っていないのではないか。

バイエルンでよく見る革製のズボンをはいたおじさん。名札を見ると、Bobbyと書いてある。

 ボビーに首ったけ。

 ぼくはすっかりファンになってしまって、ビールを飲み、ヴィーナーシュニッツェルを食べながら、おじさんの写真をたくさん撮った。

 そして翌朝。
 
 ぼくは今、出るかも知れない飛行機の搭乗券を握りしめ、ミュンヘンにいる。すべては火山灰の気まぐれ次第。もし無事乗れて、飛べて、なつかしい東京に帰れるとしたら。

 そうしたら、「ボビーに首ったけ」な気持ちでちょこまか走るおじさんを眺めて過ごしたミュンヘンの夜は、最高の思い出となるだろう。


4月 20, 2010 at 07:10 午後 |

ドイツ、空の表情(あるいはエイヤフィヤットラヨークトル火山の啓示)

今回の事態で思ったことは、ぼくたちは随分長い間空のことを忘れて、ないがしろにしていたのではないかなあ、ということ。

 飛行機のメドが立たず、もう打つ手もなくなって、あきらめて荷物を降ろし、ふらふらと歩いた。森の中で空を見上げていたら、その表情が刻々と変化することに改めて感嘆した。

 ぼくたちの上にある大いなる広がり。そして、地上の小さきものたちとの関係。忙しくちょこまか歩き回っていて、まともに見上げることも忘れてしまっているぼくたち。

 そんなぼくたちの在り方を反省するきっかけになったとしたら、エイヤフィヤットラヨークトル火山の呪いを、エイヤフィヤットラヨークトル火山の啓示へと変えることができるのだろう。

 ドイツの空は、あくまでも青かった。


4月 20, 2010 at 06:48 午後 |

A silver lining

A silver lining

シルバー・ライニング

The Qualia Journal

20th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 20, 2010 at 04:35 午後 |

お手上げくん

火山の噴火で飛行機が飛べず、ミュンヘンに停留して5日目の朝が来た。

昨日、トイレに入ったら、個室の中のコートかけが「お手上げくん」だった。両眼が×になっていて、手を上げている。

「おお神よ!」

「もう、どうすることもできません。」

と言っているかのよう。

シンパシーを感じて、思わず写真を撮った。

火山で飛行機が飛ばず、ぼくはまさにお手上げくんだった。

そしたら、トイレの中に、お手上げくんがいたのである。

やあ、君、こんにちは。ここにいたんだね。


「お手上げくん」 ドイツのトイレで発見!

4月 20, 2010 at 03:30 午後 |

2010/04/19

ミュンヘン、宿泊代金の乱高下

ミュンヘンのホテルは、仕方がないので、一日ずつ宿泊を延長している。

昨日の夜の時点で今日のフライトがないことが確定していたので、「一泊のばせるか?」と聞いたら、「明日11時に聞いてくれ」と言われた。午前11時というのはチェックアウトタイムである。

朝起きて仕事をしたり、情報を探索しているうちに10時40分くらいになった。どちらになっても良いように、荷物をまとめて、そのままにして部屋を出た。

10時58分。フロントの女の子に、「もう一泊できるか?」と聞いたら、「ええ、でも、部屋代が***になります」と今までより70%くらい高い値段を言った。

泊まっているのは、中央駅の近くの、ごく普通のホテルである。

唖然としていると、となりからいかにも「やり手」という感じのマネジャーがあわててNicht mehr! (Not any more!)と叫んだ。それからごにょごにょ女の子にささやいた。

Nicht mehr!?

部屋がもうないのかと思って、私も叫んだ。そうしたら、女の子がにこっと笑って、値段が変わって***ユーロになったのですと言った。

最初に泊まった値段の、約10%増しである。

それくらいならいい。お願いしますと言った。

部屋は移動しなくてはならなかった。まだ準備が出来ていないので、荷物をいったん預けたらどうかと言われた。ぼくは、自分の部屋に階段を一段抜かしで上がって、荷物を持って降りた。

そうしたら、フロントの女の子が、「今部屋が欲しいのならば、庭に面しているのが空いている」と言う。

鍵をもらう。新しい部屋に荷物を置くと、とりあえずはほっとした。

マネジャーの目配せや、Nicht mehr!の一言で、宿泊代金が乱高下する。

ミュンヘンで、ホテル代の偶有性に直面している。

4月 19, 2010 at 06:47 午後 |

「偶有性」について

今回の事態で、改めて「偶有性」について、現場における身体感覚を通して考えている。

以下、「偶有性」について、斎藤環さんとの往復書簡における、私の二番目の返信より。

(全文は、

http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/ 

をご参照ください。)


 以上、Merriam-Webster's Online dictionaryにおいて与えられている定義に沿って、contingencyという概念が、今日の認知神経科学においてどのような意義を持っているかを記述しました。このような意味におけるcontingencyは、日本語でいえば「不確実な相関」あるいは、「半ば確実であり、半ば不確実である」というような意義にとらえられるでありましょうが、そのようなニュアンスをすべて要約して、私は「偶有性」という言葉をもちいています。
 もちろん、このような意味におけるcontingencyの用法は、認知神経科学という文脈に限られるわけではありません。災害時や緊急時にどのような対応を取るかという計画を立てることを、contingency planといいます。テロや地震、ハリケーンなどの人為的、あるいは自然の災害に対応するうえでは、完全には予測できない不確定要素を考慮することが不可欠です。しかし、不確定要素があるからといって、まったく予想ができないというわけではありません。
 たとえば、どれくらいの規模の地震が、いつどこで起こるかは、完全に予想できることではありません。しかし、だからといって、地震災害に向けた対策をあきらめるということはできません。地震の発生場所、日時、規模を完全に予想することはたとえできないにしても、ありえる事態を想定して、水、食糧などの備蓄計画を立てたり、人や物資の輸送計画を考える。一方で、その計画では予想できない事態が生じえることも、あらかじめ織りこんでおく。contingency planにおいては、「半ば予想され、半ば予想できない」事態に対する備えが本質的となります。
 アメリカ合衆国の政府機関であるNational Institute of Standards and Technologyは、2002年にContingency Planning Guide for Information Technology Systemsを公表しました。著者は、Marianne Swanson, Amy Wohl, Lucinda Pope, Tim Grance, Joan Hash, Ray Thomasです。インターネットが現代の私たちの生活にとって欠かすことのできない道具、メディアに成長するにつれて、災害やテロ、妨害行為などに対してどのような備えをするかということは、きわめて重要な政策課題になりつつあるといえましょう。

4月 19, 2010 at 03:52 午後 |

10セント硬貨が8枚たまった!

ミュンヘン中央駅で買いものをしたり、ビールの料金を払ったりしていたら、10セント硬貨が8枚たまった!

やった! これで、入り口のバーの横にある投入口に入れて、トイレに一回行けるのだ。

ミュンヘン中央駅のトイレは有料。階段を下りて、清潔で明るいその場所に虫が灯火に惹きつけられるようにふらふらと歩いていく。。。


4月 19, 2010 at 03:06 午後 |

ミュンヘンの自画像

アイスランド火山噴火の影響により、依然としてミュンヘンに足止め中。

思えば、ポーランドの旧都クラクフで朝ご飯をとり、部屋に戻ってきてミュンヘンへの飛行機のキャンセルを知って以来、ずっと対応策に走り回ってきた日々だった。

火曜日のローマへの列車の足を確保し、ミュンヘンからのルフトハンザがその時まで飛ばなかった場合の対応策もできた。

それで、少しはほっとしようと、旧市街のバイエルン州立歌劇場の横にあるレジデンツを訪れた。

フラッシュを焚かなければ、撮影可。

ふと思いついて、いろいろな場所にある鏡に自分を映して遊んだ。

それでも、疲労が溜まっていたのであろう。夜は、「堕落」して、日本料理店に行ってしまった。

握りのセット、枝豆、味噌汁、キムチ、それに日本酒。

店を出て歩く。ミュンヘンの街に、ほんの少し血気が差したように見えた。



4月 19, 2010 at 02:49 午後 |

2010/04/18

Operating through the ashes

Operating through the ashes

灰をかきわけて

The Qualia Journal

18th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 18, 2010 at 04:57 午後 |

オールナイトニッポンサンデー

オールナイトニッポンサンデー

アイスランドの火山噴火の影響でドイツに停留中の私ではありますが、本日(日本時間2010年4月18日 18時30分から20時まで)、ニッポン放送、オールナイトニッポンサンデーやります!

ゲストはAKB48の方々です。

どうぞお聞きください!

4月 18, 2010 at 03:22 午後 |

ミュンヘンで足止め

ミュンヘンで足止め中。いつ飛行機が運行されるかわからない。

目は瞬く。

心臓は動く。

酸素が二酸化炭素に変わる。

緑が次々と赤となる。

泡が静かに消えていく。

そして、時間という不思議なものが刻々と経過していく。


4月 18, 2010 at 03:17 午後 |

2010/04/17

さようなら、チェコおじさん。

思えば、すべては午前2時30分に目が覚めてしまった、その時に始まった。

ウェブを立ち上げてニュースを見ると、アイスランドの火山Eyjafjallajokullの噴火でイギリスなどヨーロッパ北方のフライトが影響を受けているという。

幸い、私が乗る予定のポーランドのクラクフからミュンヘン、ミュンヘンから東京のフライトは予定通りとある。

安心して、また眠った。

再び目が覚めて、すぐに急ぎの仕事をした。終わらせて送らないと、原稿が「落ちて」しまう。

お腹が空いていたが、必死になって書き上げた。

ほっとして、ホテルのレストランで朝食をとる。

部屋に帰ってきてウェブを立ち上げる。「念のため」と思い、クラクフ空港のサイトを見る。

Cancelled

 画面から文字が飛び込んできた。乗る予定だったミュンヘンへのフライトがキャンセルになっている。一方、ミュンヘンから成田のルフトハンザのフライトは飛ぶと表示されている。

まずい! 

電気ショックが走ったように感じた。

急いでシャワーを浴び、荷物をまとめる。13時の飛行機だから、ゆったりと古都クラクフでも見物しようと思っていた。そんな観光気分が一瞬にして吹っ飛んだ。

下着や本、コード類をバッグに放り込みながら、考える。

とりあえず空港まで行って、ルフトハンザの係員にかけあってrerouteを探ろう。

幸い、前日にアウシュヴィッツまで運転して下さったロマンさんが来てくれるという。

クラクフ市内から空港までは15分ほど。

空港に着く。ロマンさんに車の中で待っていただいて、ルフトハンザのチェックインカウンターに直行する。「このフライトに乗るはずだったのですが」とe-ticketを出すと、「あちらで変更してください」と言われる。指された方を見ると、数十人の列が出来ていた。

ただでさえやっかいなrerouteのネゴシエーション。これでは、どれくらい時間がかかるかわからない。その瞬間、他の方法を考えなければならないと直覚した。

出発案内の電光掲示板を見ると、ライアン・エアーがミラノに飛ぶと出ている。

そのフライトを予約しようかと思ったが、ライアン・エアーの前にも長蛇の列が出来ており、断念した。(後に、ライアンエアーは当日から週末にかけてすべてのフライトをキャンセルしたことを知る。並ばなくて良かった。)

この空港でできることは、もう何もない。

そう思って、ロマンさんの車に戻る。

飛行機が当てにならなければ、陸路で移動するしかない。

ミュンヘンまでは遠すぎるが、ドレスデンに出て、列車で移動すれば良いだろう。

そう思って、ロマンさんに、「すまないがドレスデンまで行ってくれないか」と頼むと、「いいよ」と親切に言ってくれた。

クラクフからドレスデンまでどれくらいの距離で、時間はどれくらいかかるのか。ドレスデンからミュンヘンには列車がどれくらい頻繁に出ていて、所要時間はどれくらいか。何もわからないまま、車はドレスデンに向かう。

コンピュータのウェブはつなげられないから、唯一の頼りは携帯電話である。

いろいろ調べているうちに、次第に電源が切れてきた。ガスを入れるために停車した時、トランクのバッグからノートブックパソコンのUSBから電源を取ることのできるコードを取り出す。

パソコン自体の電源が低下するのを気にしながら、携帯電話をつなぐ。まさに命綱。いろいろと探る。車は猛スピードで走り続ける。
 
そのうち、トラベル・エージェントから連絡が入った。プラハからチューリッヒに飛び、それから香港を経由して帰る便ならば予約ができそうだという。

急いで地図を見る。クラクフから見て、ドレスデンとプラハは途中までほぼ同じ方向。情報が入ったのは、まさにその分岐点の直前だった。

「ごめん、プラハに行ってください!」とロマンさんに頼む。

プラハへの道は、それまでの高速道路から一転しての田舎道。しかも、至るところで工事をしていてのろのろである。

このようなところも、もっと心に余裕がある時に通ったら素敵だったろうにと、思いながら手元でいろいろと調べる。

どうしても、日本に帰らなければならぬ用事があった。ベスト・エフォートを尽くさなければ、自分の気持ちが晴れない。

工事の片側通行で時折車が停まる。窓を開ける。鳥がさえずっている。緑が広がる。のどかな光景の中に、身体の芯があせっている自分がいる。なんだか、不思議な状況である。

プラハに向かっている間に状況が変わって、チューリッヒへの飛行機がキャンセルになった。結局、ミュンヘンに行くのが一番良いだろうと思った。たとえ今日のフライトに間に合わなくても、明日何とかなるかもしれぬ。

プラハからミュンヘンには列車がある。そこで、ロマンに、プラハ空港ではなく、中央駅に向ってくれないかと頼んだ。

プラハ市街に入ると、急に車が増えてきた。道路が渋滞している。ミュンヘンへの列車は、17時4分発。刻々と時間が迫ってくる。列車の名前は、アルベルト・アインシュタイン号というのだという。縁がある名前。果たしてアインシュタインは待っていてくれるか?

ところが、ロマンが迷っている。「プラハには駅が10個あるんだ」と言う。道行く青年に聞く。「そこを曲がってトンネルをくぐったところだ」と言う。妙な地下の工事中のスペースに入り、それからトンネルをぐるぐる回る。いつまで螺旋が続くのだろうと不安になった頃に、中央駅に着いた。

時刻はちょうど発車時間の頃である。ロマンにありがとうとお礼を述べて、ホームに走る。ひょっとしたら、列車が少し遅れているかもしれぬ。

しかし、それらしき姿は止まっていない。掲示板を見ても、ミュンヘンの文字はない。どうやら、アインシュタインは時刻通り行ってしまったらしい。

改めて見たプラハ中央駅の様子に、不安の影がよぎる。クラシックな、風雅なたたずまい。大いに心を惹かれるが、一方で、今私に必要な、クレジットカードで現金をおろせるキャッシュ・ディスペンサーや、チケットの自動販売機などはありそうにない。

地下に降りていくと、やっと現代的なスペースが現れた。券売場を見てぞっとした。国内、国際とも、百人近くの人が並んでいる。これでは、ぎりぎりに飛び込んだとしても、列車には乗れなかったろう。

銀行の両替場を探し当てた。これからのことを考えて、持っていた日本円をユーロとチェコのお金に替える。円をユーロに替えるのは、円からチェコ、チェコからユーロと二度コミッションをとられるのだという。何でも良いから替えて欲しいと頼んで、その成果を手に駅前のタクシー乗り場に急いだ。

一番前に停まっているタクシーの運転手さんを見ると、やさしい顔をした初老の男である。「窓を開けてもらい、その枠にすがって、「一つ聞きたいことがあるんだけれども」と切り出した。「ここから、ミュンヘンまで行ってくれないだろうか?」

「ミュンヘン!」と明かに驚いた顔をしている。

断られるかな、と一瞬思ったが、「OK?」と聞くと、肯いた。つかの間の小春日和に包まれる。

ほとんど英語が通じない。封筒に、Munchen ? Euroと書いたら、どこかに電話している。「400キロメーター!」とそれだけは英語で言う。「ハウマッチ?」と封筒を指すと、数字を書いた。

さっき銀行で替えたお金で間に合う。「サンキュー」と言うと、気が変わらないうちにと、さっさと荷物を詰め込んでしまった。

プラハは美しい街である。しかし、渋滞を抜けるとほっとした。

途中でガスを入れる。ガス代を出そう、と言うと、「いらないいらない」と手をふる。フリスクはどうか、と差し出したら、手を開いた。運転しながら、口に放り込んでいる。
ミランという名前だと後で知った、チェコおじさん。
何やらぶつぶつ言いながら車を走らせる。その様子が、年経た樫の大木が風につぶやいているようで、かわいらしい。

初めて走るチェコからドイツへの道。ミュンヘンは遠い。おじさんが何となく心配なので、起きていようと一生懸命になる。やがて日が地平線に落ちていく。もう、今日は終わろうとしている。

ミュンヘンに近づいた時には、もうすっかり暗くなっていた。アウトバーンで、チェコおじさんが時折スピードを落として看板を一生懸命見ている。おじさんの心細さが感染する。「リンクス!」「レヒツ!」と後ろから声を出す。

そうこうする中で、美しい青い建物の横を通った。まるで、美しい幻のようだったな。

とうとう道に迷ってしまった。通行人が、黄色いタクシーの車から顔を出したチェコおじさんに、たどたどしいドイツ語で「中央駅はどこ?」と聞かれる。なぜ、タクシーの運転手が駅を知らないんだ? 不思議な顔をして、それでも親切に教えてくれる。おじさんは、その度に、ごにょごにょとチェコ語で何かをつぶやいて、また車を走らせる。

ごにょごにょごにょ。
ごにょごにょごにょ。

まるで、春風のように。

おじさんのチェコ語の響きをもっと聞いていたいと思っていた頃に、慣れ親しんだ中央駅に着いた。

ほっとするとともに、名残惜しい。おじさんと握手をする。

何だか心配だ。だいじょうぶかな、おじさん。ちゃんとチェコまで帰れるかな?

おじさんの乗った黄色いタクシーがミュンヘンの闇の中に消えていくのを見送る。長い一日が、ようやくのこと一つの安堵に達する。

車に乗る前に、チェコおじさんは名刺をくれた。Milan Prochazkaさんと名前があった。きっと、素敵な家族がいて、いいおじいちゃんなのだろう。

チェコという国が、ぐっと身近になる。

思えば、チェコおじさんとぼくは、きっと一期一会だったのだ。

混乱の一日の中で、忘れられない出会いがあった。

ありがとう、チェコおじさん。さようなら、チェコおじさん。あなたのことは、きっと、ずっと覚えていることでしょう。


4月 17, 2010 at 08:46 午後 |

Lost in Munich

Lost in Munich

ロスト・イン・ミュニッヒ

17th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 17, 2010 at 06:50 午後 |

4月18日の益川先生との対談について

2010年4月18日に朝日カルチャーセンター名古屋で予定されておりました益川敏英先生と茂木健一郎の対談は、茂木がアイスランドの火山の噴火による影響によりヨーロッパから帰国できず、中止となりました。

楽しみにしてくださっていた方々、本当にもうしわけありません。

益川先生を始め、関係者の方に御迷惑をおかけしたことを心からおわびもうしあげます。

詳細につきましては、朝日カルチャーセンター名古屋のホームページをご参照ください。

http://www.acc-n.com/

茂木健一郎

4月 17, 2010 at 05:55 午後 |

望郷の思いやまず

本日は日本に帰れないことが確定いたしました。

4月 17, 2010 at 05:49 午後 |

激動の一日

激動の一日。
ポーランドのクラクフからドイツのミュンヘンまで車を乗り継ぎ移動しながら、飛行機を探し続けた。

事の発端から、ミュンヘンにたどり着くまで、twitterの全記録。(一番下からお読みください)

http://www.twitter.com/kenichiromogi 


やっとホテルに着いた。ポーランドのクラクフからドイツのミュンへンまで12時間のタクシーの旅。その間、ずっと飛行機を探していて。さすがに疲れた。明日は明日の風が吹く。とにかく眠ります。コメントや情報を下さった方、ありがとう。おやすみなさい。

@suzupeng 入ってるのみやつこ。

@melonsode 関東は『春の雪』か。

ミュンヘン中央駅のまわりは酔っ払いがいっぱい。ぐわあー!

@NaotakaFujii ありがとー(涙)

ホワイトアスパラガスうまい! ヴィーナーシュニッツェルうまい! 明日飛行機飛ぶかな。

携帯からトウィートしたのは今日が初めてだったよ。ねえ、ビール君!

ビールうまい! ヴァイタートリンケン!

うぐうぐ。ぷふぁー! 極楽! 今日はここまで長かったなあ。チェコの運転手さん、心細かったなあ。最後は、タクシーなのに、駅はどこか、って聞いてるんだもん。怪しまれるよ、そりゃあ。

大好きなアウグスティナーに到着。やっと夕食。ビール来た!

中央駅に着いた!

地下鉄の標識あらわる! シュタットミッテの文字。

運転手さんがたどたどしいドイツ語で二度めの道を聞き、戻ってきてファイヴキロメーター!と英語で言った。

@ryseto 確かにそんな地名がありました。

ミュンヘンチェントルムリンクス! と一生懸命運転手さんに言った。

チェコの運転手さんがちょっと手前で降りてしまったらしく小さな村をうろうろ中。

すっかり暗くなって。空には細い三日月が。

レーゲンスブルク通過中!

@motrocco ちゃんと曲がりました! ありがとうございます。ミュンヘンまて156キロ。

思えば朝、ポーランドの古都クラクフのホテルでミュンヘンへの飛行機がキャンセルされたことを知り、大移動が始まったのだった。もう遠い昔のよう。

ついに日が沈む! 遠くの丘に真っ赤に染まって。なんだかキュンとくるなあ。

まずはニュルンベルクに着かなくては。それからミュンヘン。

ただ今チェコとドイツの国境を通過! おじさんが前を指してなんとかかんとかドイチュラントと言った。

@rkmt 疲れていて変換ミス。 暦本さんありがとうございます。

@rkmt 歴本さんありがとうございます。

朝からずっと車で移動したのでさすがにへとへと。お昼も食べられなかった。今はただビールが恋しい。まさかミュンヘンまで車で行くとは思わなかった。

ミュンヘンのホテルは確保できた!

今日中にミュンヘンに着くことは確定したので、あとは明日空港が開くか、飛行機が飛ぶか、座席があるかです。

太陽が傾いてきました。チェコのおじさんがハンドル握ってパンかじっています。

ガソリンスタンドに寄った。ガスまんたん。トイレで○○空っぽ。ゴー!

みなさまいろいろ情報ありがとうございます。ご親切が身にしみます。

タクシーに交渉してミュンヘンまでいくことに。英語通じず。筆談。

チケット売り場に長蛇の列。プラハでスタック。

ここまで乗せてきてくださった運転手さんが、プラハには十個駅がある。どれだろうと言っています。

プラハ渋滞。電車間に合わないかも。

プラハ中心という看板あらわる。

ふと外を見ると美しい田園。また来ることがあるかな。

プラハから飛ぶことをあきらめてプラハ駅から鉄道でミュンヘンに向かうことにする。

チェコに入った。初めて。文字が変わった。飛行機まだメドつかず。

車で移動しながら可能性を模索中。きれいな田園なのですが。

プラハからの便キャンセルされたとの情報。振り出しにもどる。

陸路プラハへ。偶有性の嵐の真っ只中。

電池なくなって来たので携帯いったん切ります。

プラハチューリッヒ香港経由は予約できたとのこと。日曜早朝着。果たしてチューリッヒから飛ぶか心配。

吉村さんごめんなさい。土曜日には着けそうもありません。

空路を諦めて車でドレスデンに移動中。

帰国してすぐに3つの仕事があり、翌日の日曜には益川先生との対談が名古屋であるので、何とかして日本に着かなければ。

現地時間は朝8時40分。13時発の予定だったので、余裕のはずでしたが、これから急遽空港に向かって、他のルートがないかルフトハンザの人に相談します。

クラカウ空港のホームページに、ミュンヘンへのフライトがキャンセルされたと表示。予定通り日本に帰れるかわからない状況になりました。

終わったのみやつこ。これから朝ご飯をたべるのみやつこ。

お腹が空きましてござる。しかし、この仕事が終わるまでは。。。ポーランドの古都クラカウで格闘中。

ミュンヘン経由なのですが、今のところ大丈夫なようです。でも、風向きなどによって、どうなることか。。。。@E_Yoshimura

4月 17, 2010 at 08:18 午前 |

2010/04/16

アウシュヴィッツ

アウシュヴィッツは、ポーランドの古都クラクフから車で1時間30分くらい走ったところにあった。

雨が降っていた。

見学者たちは、みな、一様に押し黙って、しずかに巡りめぐっていた。

歩き回った私の靴は、いつの間にか泥だらけになった。


4月 16, 2010 at 12:32 午後 |

2010/04/15

A night at the Semperoper.

A night at the Semperoper.

ゼンパーオペラの夜

15th April 2010

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4月 15, 2010 at 12:28 午後 |

エルベ川沿いの緑地

ドレスデン郊外のエルベ川沿いには、思いもかけず広々とした緑地があって。

時々氾濫するエルベ川。人間にとっては迷惑でもあるそのリズムが、美しい景観を作っている。

エルベ川沿いの緑地と、その森を歩く。


4月 15, 2010 at 10:55 午前 |

2010/04/14

The Dresden angel.

The Dresden angel.

ドレスデン・エンジェル

The Qualia Journal

14th April 2010

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4月 14, 2010 at 01:25 午後 |

聖母教会のモザイク

ドレスデン旧市街の象徴である聖母教会は、1945年2月13日から二日間にわたったドレスデン空爆によって瓦礫と化した。

人々によって瓦礫が集められ、分類され、粘り強い努力によって2005年、聖母教会はついに再建された。

今日、聖母教会の前に立つと、古い石と新しい石をはっきりと見分けることができる。

「聖母教会のモザイク」は、時の流れの象徴であり、また、ドレスデンの人たちの継続する意志の証人である。

だからこそ美しい。


4月 14, 2010 at 01:05 午後 |

2010/04/13

High school dreams.

High school dreams.

ハイ・スクール・ドリームズ

13th April 2010

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4月 13, 2010 at 02:37 午後 |

ゼンパー・オペラ

ドレスデンの街を、エルベ川が流れる。

エルベ川沿いを歩いていると、遠くに特徴のある建物が見えた。

地図を改めて確認しなくても、それがゼンパー・オペラだということはわかった。

バイロイトの祝祭劇場にそっくりだったからである。

外国の街を歩いていると、日常のさまざまからの距離が開いて、かえって自分自身のことを振りかえる気持ちになる。

ずっと考えていたのは、オレはこれから何ができるのか、ということだった。


4月 13, 2010 at 02:06 午後 |

2010/04/12

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アヴァター

11th April 2010

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4月 12, 2010 at 03:18 午後 |

ドレスデン

ドレスデンに来た。

第二次大戦中、空爆で市の中心街のほとんどが破壊され、その後、息の長い復興への努力が続いている。

空港から街に向かう道沿いには、DDR時代の建物がところどころあって、デザインですぐにそれとわかる。


4月 12, 2010 at 03:08 午後 |

2010/04/11

フランクフルト空港

でトランジット中です。

深澤直人さんがいらして、びっくりした。

ミラノでお仕事のようです。

4月 11, 2010 at 09:28 午後 |

バラ色の朝日に似て

綱渡りの一週間だった。

朝4時くらいに起きて、仕事をする。そんな日が続いた。

あまり睡眠を削るのはどうかと思うけれども、朝早く起きて出かける前に充実した時間を持つのも楽しい。

身体を覚ますために、外に出てしばらく歩く。

この季節は、あちらこちらに桜が咲いていて、やわらかな空気の中に佇んでいる。

子どもの頃から、朝が好きだった。

これから、いろいろなことが起こるぞ、と身体が身構える、あの心地良い緊張感を友にしていた。

もう少し眠りたいな、と思っている身体の芯で火が灯り始めて、やがてのびのびとした活動に移行していく。

あの時間が好きだ。雪山の斜面に映えるバラ色の朝日に似て。

4月 11, 2010 at 07:09 午前 |

2010/04/10

The bearable lightness of being

The bearable lightness of being

存在の耐えられる軽さ

10th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 10, 2010 at 08:29 午前 |

ピアノとボンゴ

山下洋輔さんとの対談中、ピアノとボンゴで即興セッションをした。

楽しかった!


山下洋輔さんとジャムセッション。撮影 佐々木厚

4月 10, 2010 at 08:19 午前 |

2010/04/09

The octopus lady.

The octopus lady.

オクトパス・レディー

9th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 9, 2010 at 06:44 午前 |

平川克美さん

内田樹さんの御盟友、平川克美さんにお目にかかる。

とてもシャープで、楽しい方だった。またお話したい。

カフェ・ヒラカワ店主軽薄


平川克美さんと

4月 9, 2010 at 06:20 午前 |

「脱藩」した鈴木芳雄さん

ブログ「フクヘン」
でも著名な鈴木芳雄さんが、このほどマガジンハウス社を退職された。

ブルータスの美術特集などの編集は、引き続きされるとのこと。

「脱藩」した鈴木芳雄さんにお目にかかった。

どこか、坂本龍馬に似ていた。


元「フクヘン」、引き続きブログは「フクヘン」。
鈴木芳雄さん。

4月 9, 2010 at 06:14 午前 |

個室に立て籠もって

仕事から仕事へ。移動の際にも仕事をする。

論文を一つ修正して投稿しなければならないのと、原稿の締めきりが一つあった。

朝日広告賞の授賞式に出席。審査員のひとりとして、賞をプレゼンテーションした。

式の前の15分くらいと、式が終わってからレセプションまでの10分くらいで、原稿を一本書いた。

ホールの中だと、いろいろ知り合いがいたり、声をかけられて会話が始まってしまうので、それではせっぱつまった状況が超えられない。

困ってしまって、えいやっとトイレの個室の一つに入った。

幸い、個室はたくさんあって空いており、私が立て籠もっていても、外で人が待つということはない。

個室に立て籠もって猛然とタイプする。近くを通った人は、いったい何をしているのか、訝しがったかもしれない。

そうやって書いた原稿を文藝春秋の梅崎涼子さんに送った。

梅崎さんが、さっそくお返事を下さった。

______

From: "Umezaki"
To: "Ken Mogi"
Subject: Re: クレア梅崎/6月号お原稿のお願いと、その他のご連絡
Date: Thu, 8 Apr 2010

茂木様

お原稿ありがとうございました!!
ものすごく楽しい内容で、一気に読みました!!
タイトルもいいですね。
「不意打ち」の練習は、「不意打ち」を受けたときの対処ではなく、「不意打ち」を仕掛ける訓練をするということですね!
わくわくするポジティブさです。
そして、私も『存在と時間』を読まねば……。
今回は、麻生さんのイラストもすごく楽しみです。

梅崎拝

─────────── from*─────
 文藝春秋 「CREA」編集部
→クレア局出版部 ☆異動しました☆
 
 梅崎涼子 

_______

梅崎さん、ごめんなさい!
実は個室で書きました。

驚かないでくださいね。

弘法筆を選ばずと言いますが、私は少なくとも場所は選ばないのです。そうしないと、毎日の綱渡りがうまくできません。

4月 9, 2010 at 05:51 午前 |

いよいよ本日! 山下洋輔 茂木健一郎 対談 即興狂詩曲 生演奏あり!

山下洋輔さんとの対談が、いよいよ本日となりました!

山下さんによる、ピアノの生演奏もあります!

朝日カルチャーセンター 
山下洋輔 茂木健一郎 対談 即興狂詩曲

これは凄まじく面白くエキサイティングな対談になりそうです。

今からぼくも楽しみで、わくわくしております。

みなさま、ぜひおいでください。

住友ホール 2010年4月9日(金)
18時30分〜20時30分

詳細


4月 9, 2010 at 05:38 午前 |

2010/04/08

The small restaurant in St. David.

The small restaurant in St. David.

セント・デイヴィッドの小さなレストラン

8th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 8, 2010 at 06:49 午前 |

聖なる集中

インターネットの普及によって、人々は、「拡散的思考」には慣れているように思う。

あるキーワードで検索すると、あるものが引っかかってきて、その連想で、次から次へとリンクを辿っていく。

あるいは、twitterのタイムラインをチェックしてみる。携帯のメールを見る。

そのような拡散的なモードは大事だけれども、一方である一つのことに深く集中し、沈潜していくモードも大切である。

深く集中する時には、思い切ってリンクを切って、孤立しなければならない。孤立と拡散のコントラストこそが、ダイナミクスのバランスを回復する。

4月 8, 2010 at 06:36 午前 |

イギリス総選挙

イギリスで、総選挙が始まった。

「子どもを公立学校に送れない」とブラウン首相に抗議をしている親の映像。

日本に比べて、有権者と政治家の距離が近いように思われる。日本ではこのような光景はあまり見られないのではないか。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/election_2010/8608479.stm

4月 8, 2010 at 06:31 午前 |

2010/04/07

脳のトリセツ 足を引っ張り合う日本人

週刊ポスト 2010年4月16日号

脳のトリセツ 第37回

足を引っ張り合う日本人

停滞するだけの理由があるのに、それを修正する能力がない……日本は今、〝鄧小平以前〟の中国のようだ。

抜粋

 「失われた10年」が「失われた20年」になろうとしている日本。実質経済成長率こそ、何とかプラスを確保しても、名目値が減少する「デフレ」が続いている。中国経済に勢いがあることは慶賀すべき事として、日本経済がもう少し元気だったら、世界第二位の経済大国の地位をこんなに簡単に明け渡すこともなかったろう。
 ひょっとしたら、日本は今、鄧小平氏が「改革開放路線」を実施する前の中国のように、自らの内側に発展を阻害するさまざまな要因を抱えてしまっているのではないか。このところ、そんなことを考える。
 少子化が進む日本にとって、優秀な外国人の活力を生かし、外国からの投資を促すことは不可欠である。果たして、日本は外国から見て魅力的な国に映っているか? 異なる文化の人たちを受け入れる開放性があるか?
 国内の、新しいベンチャーを興そうという人たちに、十分な支援があるか? 若者たちが、大きな組織に頼ることなく、自ら起業しようという気概を持っているか? そのような新しい試みを歓迎するような風潮が社会の中にあるか?
 新しい動きをもたらす人は、最初は摩擦を起こすかもしれない。異色の存在を許容するだけの大らかさが日本にあるか?
 外国の見るべき人が見れば、今の日本は、鄧小平以前の中国のようなものかもしれない。調子が悪いのに、お互いに足を引っ張りあって、ますます症状が悪化している。今の日本に必要なのは、「改革開放路線」のような思い切った転換である。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100416jp/index.html

4月 7, 2010 at 08:44 午前 |

文明の星時間  ゴジラの恐怖

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第109回  ゴジラの恐怖

サンデー毎日 2010年4月18日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 怪物を前に感じていた無力感。その頃の私は、ゴジラという怪物が制作されたきっかけが、米国のビキニ環礁における核実験で被爆した「第五福竜丸」事件であるということを知らなかった。核の恐怖がゴジラを生み出したことを後で知り、私は、幼い心の中に植え付けられた無力感の正体をようやくのこと知るに至った。
 エンタティンメントは時に何と深いことだろう。子どもが無邪気に見ている映画の中に、時代の人類にとっての最も深い恐怖が忍び込む。それでいて、エンタティンメントの制作者は、その正体を簡単には悟らせはしない。
 私が生まれたのは1962年10月20日。世界は未曾有の危機の中にあった。アメリカと当時のソ連の間の「冷戦」が深刻化する中、ソ連がキューバ内にアメリカ本土を標的とする核ミサイルを設置。10月14日に、アメリカの偵察機がその存在を察知した。
 アメリカのケネディ大統領は、10月18日にグロムイコ大使をホワイトハウスに呼び、懸念を表明。私が生まれて二日後の10月22日には、全米に向けて演説し、キューバにミサイルが持ちこまれている事実を公表した。
 私がこの世に生を受けてからの数日間、世界は全面核戦争の危機の中にあった。もちろん、その当時の私は、まだ無明の中にあったから、そんなことを知るわけもない。ずっと後になって、「キューバ危機」について聞かされて初めてそれと悟ったのである。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

など、盛りだくさんの内容です。

amazon

4月 7, 2010 at 08:37 午前 |

Encapsulated

Encapsulated

閉じ込められて

The Qualia Journal

7th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 7, 2010 at 08:31 午前 |

チューリップ

チューリップ

この宇宙は、因果的法則で進行している。生命が誕生する以前から、物質は法則に従って時間発展してきた。

法則の作用は、創造と破壊を同時に行う。惑星に隕石が衝突する。超新星爆発が起こる。その時、局所的平穏さを尊重し、保護するという思想は法則にはない。

この世界の有りさまに対する感情の本来は、そのような宇宙のありかたに対する「恐怖」なのではないか。すべての感情は、その超克として生まれてくるような気がする。

金沢から東京に戻り、モノレールに乗りながら窓の景色を見た。水際に多くの高層建築が立ち、桜の並木が見える。鳥たちが空をいく。

この平穏が破壊されたら、私たちは嘆き、悲しむだろう。しかし、宇宙は悲嘆と平穏を区別しない。

つくしの穂も、私たちの身体も、冬の嵐の中に突然現れた日だまりのような奇跡。

ただ在るだけで。

本にサインを求められて、そんな文字を添えたチューリップを描くことが時々ある。

4月 7, 2010 at 08:09 午前 |

2010/04/06

打てば響く

斎藤環さんとの往復書簡の私の二番目の返信の中で、「逆転クオリア」の論を参照しつつ、脳活動とクオリアの対応関係が偶有的である可能性に触れている。

夕食をとりながら、その話を田森佳秀にしたら、しばらく考えた後で、田森は、
「そうだなあ。でも、時間が経過しても、同じ主体については、クオリアが同一であることを考えると、やはり偶有的ではないのではないか」
と言った。

打てば響くというのはこういうことで、田森は即座に問題の本質を理解して、議論が深まる返答をしてくれる。

そこから、なぜ、記憶の中において、クオリアが同一であるとわかるのか、という論点へと移っていった。

4月 6, 2010 at 07:04 午前 |

More cows than humans

More cows than humans

人よりも多くの牛


The Qualia Journal

6th April 2010

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4月 6, 2010 at 06:13 午前 |

波動関数の収縮

金沢の街を走りながら田森と話していたら、田森が、量子力学の波動関数の収縮についてのペンローズの話をした。

斎藤環さんとの往復書簡の私の二番目の返信の中で、触れているポイントである。

_____

 とりわけ、ロジャー・ペンローズが量子力学に対して立てている「フレーム問題」は、潜在的には深刻なものであると考えます。量子力学においては、波動関数を記述する基底ベクトルがとられ、ある状態の波動関数は、それらの基底ベクトルの(複素数を係数とした)線型和として与えられます。そうして、観測をすることによって、系の状態が基底ベクトルで記述される状態のひとつに「縮退」し、観測されると考えるのです。
 ペンローズがていした疑問とは、こうです。そもそも、基底ベクトルの取り方は任意のはずだ。三次元空間を記述するのに、(x、y、z)という座標系をとっても、それを回転させた(x'、y'、z')という座標系をとってもどちらでもかまわないように、本来は、ある特定の基底ベクトルのセットが特別な意味を持たなければならない理由はない。
 たとえば、有名な「シュレディンガーの猫」の実験にしても、同位元素が崩壊し、毒薬の入ったガラス瓶が割れて、箱のなかの猫が「死んでいる」状態と、崩壊がまだ起こらず、猫が「生きている」状態それぞれが、波動関数が収縮する先の「基底ベクトル」にならなくてはならない理由は、量子力学の数学的形式自体からは与えられない。猫が「生きている」状態と、「死んでいる」状態が複素数で結びつけられた、混合状態が複数あり、それらが基底ベクトルのセットになったとしても、等価なはずだ。それなのに、波動関数の収縮の先は、猫が「生きている」、あるいは「死んでいる」状態になる理由はなぜなのか? その理由は、「コペンハーゲン解釈」のような標準的な量子力学の体系の「外」から与えられなければならないはずです。
 それでは、その「外」とはいったいなんなのか? ここに、量子力学が現状で抱えているもっとも深刻な脆弱性があるように私は考えます。そして、それと同型な脆弱性が、(数学的なものを含めて)およそ言語で世界を記述する立場に、普遍的に付随しているように思います。

________


「あれは、本当に不思議なんだよな。」と田森が言った。

「おお! ちょうど、そのことについて、斎藤環さんとの往復書簡の中で書いたんだ!」

不思議なことを、不思議だと共有できる関係は、うるわしいものである。

泥の中で、同じ星を見上げているのだろう。

4月 6, 2010 at 05:59 午前 |

2010/04/05

往復書簡 返信 「因果性と自由」

斎藤環さんとの往復書簡の返信
「因果性と自由」が公開されました。

http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/ 

4月 5, 2010 at 11:04 午前 |

Essay contests

Essay contests

エッセイ・コンテスト


The Qualia Journal

5th April 2010

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4月 5, 2010 at 10:37 午前 |

田森のシンデレラ

金沢に来た。田森佳秀に会った。

田森は、私の理化学研究所時代からの親友である。

田森佳秀が、いかに面白い男か、ということは、「クオリア日記 田森佳秀」で検索していただければ、いくつかひっかかってくるものと思う。

夕食をとりながら、田森の面白話をふたたび聞いた。

「北海道は、だいたい、仮装行列をやるんだけどさ」と田森。

田森のふるさとは、「人の数より牛の数の方が多い」豊頃町である。

「どんな仮装をしたの?」

「うーん。さいしょは、ロボットだったかな。あれは、あまり出来がよくなかった。小学校4年生の時だったかな。なにしろ、うちのおやじが仮装行列を実行する側で、お前やれ、って言われて、仕方がなくやったんだ。」

「なるほど、それから?」

「一番よくできたのは、シンデレラだったかな。自分は、シンデレラのスカートのところにいて。だから、すごく背の高いシンデレラなのさ。」

「ほうほう。」

「首とか手は上に乗っていて、棒で動かすんだけど。あのときは失敗したなあ。どうせ手で持っているから、っていうんで、短い長さの棒にしちゃったんだよ。」

「持っているうちに、疲れちゃったのか?」

「そうなんだよ。二時間もあったから。あの時は、きつかったなあ。本当に苦しかった。思ったより重くってさ。」

「でも、最後までやったんかい?」

「うん。苦しかった。でも、後で聞いたら、一番評判は良かったらしい。」

「賞とか出るんかい?」

「出るけど、何しろオヤジがやっているから、ぼくが賞をもらっちゃまずいっていうんで、もらわなかった。」

「惜しいね。それから、何をやった?」

「近所の子どもたちを動員して、タバコっていうのもやったな。」

「何、それ?」

「タバコの箱と、比率がちょうど同じ箱があったんだよ。それで、わざわざパンタグラフを作って、本物のタバコの箱そっくりの模様を描いたんだ。倍率は、30倍だったかな。」

「どんな銘柄?」

「セブンスターかな。」

「あれ、星のマークがたくさんあって、大変じゃないか?」

「そうなんだよ。それと、ハイライトか。」

「ハイライトは何とかなりそうだな。」

「とにかくさ、近所の子どもたちをそのタバコの箱の中に入れて、行進させるのさ。」

「それは、いつくらいのこと?」

「子どもたちに命令するようになっているんだから、あれは最後の方じゃないかな。中学生くらいだと思うよ。それから、高校は帯広に出てしまったから。」

私が田森の「おもしろ話」を愛するのは、そこに、「自分で何でもやってみる」という精神があるからである。身体をはって何でもやってみる。面白い話の核には、本当は深い教訓があるのだろう。だからこそ、面白いのだろう。特に、田森に関する限り。


田森佳秀氏。 2009年7月。

4月 5, 2010 at 10:35 午前 |

2010/04/04

白洲信哉、「裏返し」の流儀

「お風呂」、「ソフトクリーム」とご紹介してきましたが、今回の御柱祭旅行で見聞した「白洲信哉」の流儀、いよいよ完結編です。

お風呂の話をしたいたら、となりにいた佐々木厚さんが、「茂木さんはねえ、旅行で、朝、下着がないことに気付くと、その場で洗うんですよ」と暴露した。「そうして、しぼって、濡れたまま履いてしまうんですよ。」

実際そうである。ぼくは、下着にせよ、靴下にせよ、前の日に着たのをそのまま履くよりは、せっけんでごしごし洗ってしまって、しぼって、そのまま履いてしまうことを好む。

ズボンや靴が少々濡れるが、歩き回っているうちにかわいてくる。そういうと人に驚かれるが、そっちの方が気持ちがいいのである。

そうしたら、白洲信哉の目が光った。

「なんでそんなことするんですか?」と信哉が言う。

「次の朝、履く下着がなかったら、裏返せばいいじゃないですか?」

「ん?!」

ぼくは、相手から思いもかけない言葉がでてきて、絶句した。

「裏返すって・・・それじゃあ、今度は表がキタナイじゃないか。それが、ズボンにとかに移ったりするじゃないか。」

「普通に履いていれば、そんなに汚くないですよ。」

どうも、白洲信哉は、「昨日おふろに入ったから、今日はおふろに入る日じゃない」と言ったり、自分のからだが基本的にきれいなもんだと思っている節がある。

「そうか、裏返すのか。それじゃあ、また次の日下着がなかったら、どうするの?」

「そんなもん、簡単ですよ。また裏返して履けばいいんじゃないですか。」

「でも、そうすると、もとに戻っちゃうよね。」

信哉は黙っている。

私はおかしくなってしまった。ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」で、帽子屋がお茶会をしていて、「汚れたらどうするんだ」とアリスが聞いて、「隣りの席に移る」と帽子屋が言い、「それじゃあ、一周して元の席に戻ったらどうするのか?」とアリスが聞くと、帽子屋が「話題を変えようか」とごまかす。

あのユーモアある会話を思い出した。
 
そういえば、白洲信哉は、アリスが探検する「不思議の国」にいてもおかしくない雰囲気を漂わせているゾ。

ぼくはどうしても確認したくなって、改めて聞いた。

「靴下も同じ?」

「当たり前じゃないですか。裏返して履けばいんですよ。」

うーん。論理明快。しかし、なんだかヘンダ。

白洲信哉の「裏返し」の流儀。

世界は深い。私たちが思っているよりも、ずっとずっと深い。


「裏返す」男。白洲信哉氏(2008年12月)

4月 4, 2010 at 02:11 午後 |

The enigma of Japanese intellectuals.

The enigma of Japanese intellectuals.

日本の知識人の謎

The Qualia Journal

4th April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 4, 2010 at 10:53 午前 |

御柱

「木落し」の興奮。

「川越し」の熱狂。

やがて、御柱は諏訪大社に安置される。

立てられた御柱は、すべてがそぎ落とされた静謐なたたずまいを見せる。

諏訪の人たちは、木が山を下りて神になるという。

その曳航に多くの人がかかわり、思いが流れ込むからこそ、御柱には神が宿るに至るのだ。


木落し。斜面を落ちる直前の御柱。


川越し。冷たい水の中で懸命に御柱を引く人たち。


川越し。メドでこで気勢を上げる氏子たち。



全てが終わった後に訪れる静謐。
前回の祭で、諏訪大社上社本宮に立てられた御柱。

4月 4, 2010 at 09:57 午前 |

熊澤祥吉さん

白洲信哉に誘われて、御柱を見に行って本当によかった。

岡谷で「ライフプラザ マリオ」などを経営されている熊澤祥吉さんには、切符や宿の手配から、食事など、一方ならぬ御世話になりました。

熊澤さんが、「御柱祭」のことを誇りに思っていらっしゃることが、言葉の端々から伝わってきました。

ありがとうございました。



白洲信哉と談笑する熊澤祥吉さん。御柱祭、上社木落しの観覧席にて。

4月 4, 2010 at 09:41 午前 |

白洲信哉、ソフトクリームの流儀

白洲信哉の流儀には、まだ先がある。

酒を飲みながら「やせがまん」について話していた。

「じれっていなあ。そばなんてものは、そうやって、汁にグズグズつけて喰うもんじゃねえ。こうやって、ちょこっと汁につけて、ザザザザザって喰っちまうんだ」と言っていた江戸っ子が、死の床に就いて、「何か思い残すことはないか」と聞かれて、「一度でいいから、そばを汁にたっぷりつけて食べてみたかった」という。

そんな落語みたいな「やせがまん」はないか、と白洲信哉と話していたのである。

こんなバカ話をしている時が、酒を飲む際一番楽しい。

となりでは、佐々木厚さんがにこにこしながら聞いていて、時折口を挟む。

ぼくは、信哉に、「やせがまん」をしていることを、いくつか話してみた。

たとえば、本当は、少女漫画をマンガ喫茶にでも行って思う存分読んで見たい。「ガラスの仮面」というのが面白いとは前から聞いているけれども、読む機会がない。マンガ喫茶に行って、珈琲でも飲みながら、1時間でも2時間でもかけて、一気に読んでみたい。

そんな風に言ったら、「なんですか、それは?」と白洲信哉は理解したがい、という顔をした。

そもそも、「マンガキッサ」というものが何なのか、信哉は知らないのだろう。ぼくも、実際にはしりあがり寿さんと取材で一回行ったことがあるだけなんだが。

「それからねえ、ソフトクリームも、本当は食べたいのに、がまんしているんだよ。というのも、食べているうちに垂れてくるのがイヤだから。コーンのよこを、ツーとクリームが流れていくのが、とてもイヤだ。だから、ソフトクリームを本当は食べたいのに食べない。」

私がそういうと、信哉は「バカだなあ」という。

「ソフトクリームなんていうのはね、最初が一番うまいんだよ。手に取って、上の方をぺろりと舐めるのが、一番うまいんだよ。」

「そんなことはわかっているよ。そのあと、クリームが垂れてくるから、いやになっちゃうんだよ。」

「だから、ソフトクリームを二三口なめたら、ハイ、ってとなりにいるやつにあげればいいじゃないか。そんな簡単なこともわからないのか!」

私は絶句した。

白洲信哉の流儀。ソフトクリームは、最初の二三口に限る。そのあとは、となりの人に「ハイ!」ってあげてしまいなさい。

これまで生きてきて、そんな手があるとは、思いもつかなかった。

白洲信哉、ソフトクリームの流儀。

たいへん素晴らしい生き方のヒントを教えてもらった。
しかし、残念なことに、私には実行できそうにもない。


愛車のアルファ・ロメオを運転中の白洲信哉氏(2009年5月)

4月 4, 2010 at 09:04 午前 |

2010/04/03

A train journey

A train journey

汽車の旅

The Qualia Journal

3rd April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 3, 2010 at 08:03 午前 |

白洲信哉の流儀

諏訪大社の「御柱」を見に来た。白洲信哉が誘ってくれたのである。

新宿駅からあずさに乗った。電通の佐々木厚さんも同行。

眠っている間に、いつの間にか諏訪湖の横を通っている。そうこうしているうちに岡谷に着いた。

結婚式場の「マリオ」の社長さんにとても御世話になる。

宿について、酒を飲み出したら、「しらふしんや」が「しらすしんや」になってだんだん面白くなってきた。

「茂木さんたちはお風呂入ればいいでしょ。ぼくは昨日入ったから。今日はいいから。」

「でも、ここ温泉だよ。」

「温泉でも何でも、面倒臭いのは入りたくない。なんですか。服をわざわざ脱いで。それで入って、また着て。面倒臭い。このまま入って、出て、濡れたまま服を着ていていいんだったら、入るけれども。」

「じゃあ、入ってくるかな。」

「なんですか。酒を飲んでいる間に、入るんですか。」

「ざぶんとつかって、出てくるだけだから、すぐ戻るよ。」

「お風呂入って、洗わないんですか? じゃあ、なんのために入るんですか?」

「温まるためだけに入る、ということはないんですか?」

「なんですか? 何のために、そんなことをするんですか? わけわからない。なんで洗わないんですか?」

「髪の毛を、夜洗うと、翌朝突っ立っちゃうから、朝しか洗わないんだよ。」

「だったら、朝だけ入ればいいじゃないですか。」

「だから、今は、温泉で温まってくるだけだから。」

「なんですか、それ? わけがわからない。」

わけがわからない、と言いながらラフロイグを飲んでいる白洲信哉を置いて、私はさっと温泉に入って戻ってきた。

信哉がさっそく絡んでくる。

「なんですか? もう入ってきたんですか?」

「だから、速いっていったじゃないか。お風呂の中で、考えたんだけれどもねえ、江戸っ子が、死ぬときに、一度でいいからつゆにたっぷりつけてそばを食べてみたかった、という落語があるでしょう。信哉のも、本当はゆったりお風呂に入りたいけど、やせがまんをしているんじゃないの?」

「そうじゃありませんよ。私は、お風呂に、意味もなくただ入るというのが、わけがわからない、と言っているんです。」

「そうだねえ。ビール飲んでいいかな。のどかわいちゃった。すみません、ビールください。」

「なんですか、ウィスキー飲んでいる途中に、ビールを飲むんですか?」

「だから、これはチェイサーなのだ。」

「わけがわからない。ウィスキー飲むんだったら、飲むんで、徹底的に飲んだらいいじゃないですか」

モーツアルトのような顔をした男が、しきりに「わけがわからない」と言っている。ぼくや、いよいよ面白くなってきた。

「白洲信哉の流儀」をめぐる会話はさらに続く。
夜は更けていく。

4月 3, 2010 at 08:03 午前 |

2010/04/02

山下洋輔さんの生演奏あり!

下記対談が迫ってきましたが、なんと、ピアノを持ち込み、山下洋輔さんの生演奏があることになりました!

山下さんの演奏の素晴らしいパッションと音楽性を知るものにとって、これ以上のよろこびはありません。

朝日カルチャーセンター 
山下洋輔 茂木健一郎 対談 即興狂詩曲

これは凄まじく面白くエキサイティングな対談になりそうです。

今からぼくも楽しみで、わくわくしております。

みなさま、ぜひおいでください。

住友ホール 2010年4月9日(金)
18時30分〜20時30分

詳細



4月 2, 2010 at 09:05 午前 |

ツイッター

ツイッター。
英語と日本語でつぶやいています。

英語の人格

http://twitter.com/kenmogi 

最新のつぶやき

Fellow citizens. Now it's time for getting smarter competition, rather than getting dumber competition.

日本語の人格

http://twitter.com/kenichiromogi 

最新のつぶやき

斎藤環さんへの往復書簡のお返事を編集の谷川さんにお送りした。引用を含めて58枚くらいになりました。

4月 2, 2010 at 09:01 午前 |

One and the same, continuous story

One and the same, continuous story

一つの同じ、連続した物語

The Qualia Journal

2nd April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 2, 2010 at 06:03 午前 |

エイプリル・フール

エイプリル・フールというのは、小学生の時から知っていて、その頃ぼくたちがやっていたのは、「今日はうそをついてもいい日なんだよ」と言って、友人や親に他愛もないうそをつくということだった。

イギリスに留学した時、現地の新聞やテレビが、毎年4月1日になると真剣に「エイプリル・フール」をやっていることを知って、実に良いものだと思った。

4月1日になると、新聞を買いにいって、どれがエイプリル・フールの記事なのか、推測したりした。(日本でエイプリル・フールをやる時には、「これはエイプリル・フールです」という断りがあることが多いが、イギリスの新聞や、BBCでは、普通の記事やニュースの合間に、「真顔」をして入り込んでいる)

今年も、英語圏を中心に、たくさんのエイプリル・フールが誕生した。ネット上でいくつかをクリッピングする。

Google changes name? Don't be fooled

Flying mechanics lead April Fool gags in UK press

このブログの長年の読者はよくご存じのように、毎年4月1日の日記は「エイプリル・フール」にするというのが私の習慣である。

『やわらか脳』や、『笑う脳』には、何年か分の「作品」が掲載されている。

楽しみにしてくださっている方も多く、今年も、読売新聞の二居隆司さんや、静岡の河村隆夫さんが事前にメールを下さった。

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From: 二居隆司
To: "Ken Mogi
Subject: 4月1日の件で、読売・二居です
Date: Wed, 31 Mar 2010 14:06:30

茂木さま

先だってはありがとうございました。

あすの4月1日のブログ、楽しみにしております。例年、あやうくかつがれそうになっていたのですが、今年は大丈夫です。事前に気がつきましたので。

よろしくお願い申し上げます。

二居 隆司
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From: "Kawamura"
To: "'Ken Mogi'"
Subject: 明日はエイプリルフールですね。静岡の河村です。
Date: Wed, 31 Mar 2010

茂木先生

ご無沙汰しております。

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ところで、
厚かましいお願いですが、
明日のエイプリルフール作品を
もしもできましたら
ほんのすこしでも
クオリア日記で紹介していただけませんでしょうか?

ご迷惑でなければ
よろしくお願い申し上げます。

またお会いできる日を楽しみにしております。

河村隆夫拝
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掲載後、幻冬舎の大島加奈子さんもメールを下さった。

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From: KANAKO OSHIMA
To: Ken Mogi

茂木さま


あと四月一日、ということで、クオリア日記を心待ちに
してました。実は私も昨夜寝ながら、茂木さんに対抗して何か考えようと
試みましたが、いつのまにか眠ってました。
コードネーム「弁慶」「下克上」……よかったです。

大島加奈子
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 コードネーム「弁慶」「下克上」とあるのは、英語のブログThe Qualia Journalの方の記事Away Nation: a secret government plan to revive Japanのこと。大島さんは帰国子女で、バイリンガルである。
 
 毎年、4月1日、朝起きてコンピュータに向かう時に、即興で考える。

 「クオリア日記」は、今年は、少しリアルな設定の「エイプリル・フール」となった。それだけ、日本の現状を心配している。

 英語のブログThe Qualia Journalの方は、英語圏のApril fool prankの文法に則ったものになっている。細かい表現に工夫をしているので、まだお読みになっていない方は、ぜひご覧ください。 
 
エイプリル・フール愛好者のみなさま、また来年の4月1日にお会いしましょう!

4月 2, 2010 at 05:03 午前 |

2010/04/01

Away Nation: a secret government plan to revive Japan.

Away Nation: a secret government plan to revive Japan.

アウェー国家:日本再生のための秘密計画

The Qualia Journal

1st April 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

4月 1, 2010 at 07:41 午前 |

ギャップ・イヤー

 東京の某所のカフェで、仕事をしていた。たくさんやらなくてはならないことがあって、ちょっとあせっていた。

 ふと顔を上げると、ヨーロッパから来たらしい青年が、前のテーブルに座っていた。バックパックを背負い、真剣な顔をして本を読んでいる。その本が、Roger PenroseのEmperor's New Mindだったので、思わずはっとした。

 ちょっと背伸びをするふりをして、テーブルを立って、滅多にそんなことはしないのだけれども、声をかけてみた。

 「こんにちは、失礼ですが。ペンローズを読んでいるんですね?」

 「ああ、はい。」

 「学生さんですか?」

 「いや、そうではありません?」

 「旅行中?」

 「はい。去年、大学を卒業ました。」

 「どこの大学を出たのですか?」

 「ケンブリッジ大学です。」

 「ああ、ぼくもケンブリッジに留学していました! 何を専攻していたんですか?」

 「物理学です。」

 「じゃあ、ぼくと同じだ! 今は、何をしているんですか?」

 「さあ。世界中を旅して、ボランティアをやったり、言葉を勉強したり。」

 ぼくの中で、ひらめいたものがあった。

 「あなたはギャップ・イヤーをとっているんですね!」

  「そうです!」

 「ギャップ・イヤーが終わったら、どうするんですか?」

 「さあ。大学院に行こうと思っていたけれども、今は、働こうかなと思っています。イギリスに帰ったら、探しますよ。」

 「大学に入る前にギャップ・イヤーをとる人が多いと聞いていたけれども、大学を終えてからとる人もいるんだね。」

 「人によると思います。人生で何を求めているか、それと、経済的に可能かどうか?」

 「大学を出てすぐに仕事につかないと、なかなか仕事が見つからないということはないですか?」

 「いいえ。なぜそんなことがあり得るのですか?」

 「いや、履歴書に穴が開く、とか、そういうことは言われない。」

 「穴? どういう意味ですか? ギャップ・イヤーの間に、いろいろ経験を積むことが穴? だとしたら、その穴は、とても生産的な穴でしょう。」

 ちょうどその時、カフェの横を、リクルートスーツを着た女の子が三人で通っていった。

 「日本ではね・・・」

 「日本では?」

 彼が、真剣な顔をして聞いている。

 日本では、大学の三年から就職活動をして、それで就職できないと企業がとってくれない。「新卒」で就職するために、わざわざ留年する人もいる。そもそも、女子学生で、就職活動をしている人はすぐにわかるんだよ。みな同じ格好をしているから。別に、法律で決まっているわけではない。なぜか、すべての企業が同じふるまいをしているんだ。日本人は、みな一斉に事をやるのが好きなんでね。それで、学生がそれに合わせる。もっとも、そんな画一主義はイヤだ、とドロップアウトするやつもいるけど。個人的には、そういうやつにこそ、新しい日本を作ってもらいたいと思う。ところが、マスコミがまたクズで、あたかも、新卒でいっせいに企業に就職することが、当然だ、というような報じ方をするし。それが、偽りの社会的プレッシャーとなって・・・

 そんなことを説明しようと思ったけれども、自分の愛する国の恥を、この真剣な顔をした青年にさらすのは、はばかられた。

 「狂っているよね。」(Mad, isn't it?)

 思わず、口から出た言葉。異国の青年が、いぶかしげに見ている。

 「狂っている?」(Mad?)

 自分が、失言をしたことに気付いて、顔が赤くなった。

 青年が、ぼくを見ている。「狂っている」と聞いて、何が狂っているか、と素朴な疑問を持つのは当然である。まさか、「日本が狂っている」と本当のことを言うわけにもいかない。

 とっさのひらめきで、話題を変えた。

 「ロジャー・ペンローズ。彼は狂っているよね。」
 
 「つまり、それは、面白い意味で狂っているということ?」

 「そう。あなたは、Emperor's New Mindをどう読みましたか?」

 「量子力学の観測問題のところなのですが・・・」

 それから、私と彼は10分くらいペンローズの話をした。
 彼の名前はティム。これから、フィリピンやタイを回って、7月頃にイギリスに帰るという。

 仕事をするにしても、これからのグローバル社会、多様な経験がビジネスに役に立つだろう。ティムのような若者が、新しい世界をきずいていく。

 ティムに別れを告げて、私は東京の街を歩き出した。桜があちらこちらに咲いている。たおやかで、優美なものを愛する日本。ティムにも、すばらしいものをたくさん見ていって欲しいと思う。

 日本は素晴らしい国だと思う一方で、「自分がもし今学生で、就職を考えていたら」と考えると、深い絶望にとらわれる。

 赤塚不二夫のマンガで、飼い犬が野良犬に、「こんな首輪がなければもっと自由に歩きたいんだ」と言うのがあった。ところが、飼い犬は、首輪がとれてしまうと、慌てて自分でもとに戻すのである。

 日本人は、いつから、自分たちをこんなに不自由にしてしまったのだろう。
 法律で決まっているわけでもないし、誰もそうしろなんて言っていないのに。

 インターネットに象徴される情報革命で、「ゲームのルール」が変わった。組織に「所属」する個人ではなく、クリエイティヴな個人がダイナミックに合従連衡することで、イノベーションが起こる。

 そんな新しい時代に、日本の社会は適応できていない。失われた10年が、20年になろうとしているのも当然であろう。デフレは、日本の社会のインテリジェンスの欠如の表れである。

 スズメが飛んでいた。一羽が、桜の枝に止まった。
 彼らは、好きなところに飛んでいく。野生というものはそういうものだろう。

 日本人は、いつから野生を失ったのか。
 ぼくは、果たして野生を持っているのか?

 日本にも、ギャップ・イヤーを導入することはできるだろう。それは、助けになるだろう。しかし、そのようなことが、外国から輸入される国と、自分たちの中で、内発的に、ごく当たり前のこととして出てくる国は、何かが根本的に違う。

 日本人は、これからの世界に向けて一体何を、内発的に生み出すことができるのだろうか。

 桜の花は、暖かい陽光の下で、満開を迎えていた。

4月 1, 2010 at 05:36 午前 |

脳のトリセツ 語り合おうよ

週刊ポスト 2010年4月9日号

脳のトリセツ 第36回

語り合おうよ

『ザ・コーヴ』やシー・シェパードの過激な行為に共通するのは、相手と条理を尽くして話し合おうという態度の欠如だ。

抜粋

 イルカ漁や、捕鯨に対してどのような意見を持つかは別として、一つだけはっきりしていることがある。『ザ・コーヴ』の制作者にしても、シーシェパードの活動家にしても、相手と理を尽くして話し合うという態度に欠けているということである。 
 そもそも、人間が他の生命の犠牲の上に存在しているということについて、どのように考えるか? イルカや鯨と、牛や豚といった家畜はどのように違うのか? イルカや鯨が、家畜に比べて知性が高いというのは、本当か? 生命の尊重と、固有の文化の関係を、どう考えるか? そんなことについて、太地町の人たちと膝詰めで語り合うという姿勢が、『ザ・コーヴ』という映画からは感じられなかった。
 イルカ漁が行われている入り江に至る道は、立ち入り禁止の札が立ち閉鎖されている。なぜそのような措置を取っているのか、地元の人に尋ねて、対話をする。それが、人間を相手にした場合にとるべき態度ではないか。まるで、地元の漁師さんたちが「敵」でもあるかのように、その意志を無視してかいくぐり、盗撮する。そこには、相手を人間として尊重し対話をする態度が認められない。
 シーシェパードの人たちもそうである。捕鯨に反対するというのは良い。それならば、なぜ、理を尽くして語り、対論し、説得しようとしないのか。調査捕鯨船に向って物理的な妨害行動をとり続けるということは、すなわち、捕鯨船に乗っている人たちを、条理を尽くせばわかってもらえる人間として扱っていないということである。話が通じないと思うから、物理的に妨害しようとする。随分失礼な話ではないか。
 『ザ・コーヴ』の制作者が、太地町の漁師さんたちと酒でも酌み交わして語り合えば、彼らがいかに気のいい、家族を愛するごく普通の人間であるかということがわかったはずである。人間同士の信頼感が築き上げられたはずである。その上で、イルカの命を奪うという漁の意味について、思う存分語り合えばよかったのではないか。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100409jp/index.html

4月 1, 2010 at 05:01 午前 |

文明の星時間  英語は二十歳を過ぎてから

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第108回  英語は二十歳を過ぎてから

サンデー毎日 2010年4月11日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 一つの考え方が、ひとを解放するためにも、不自由にするためにも使われることがある。
 例えば、脳を育むには、環境が大切である、という考え方もそうである。一方ではそれは、人間は環境によって決定されるという運命論につながる。他方では、環境さえ変えれば、いくらでも伸びるという積極論にもなる。
 私は、一貫して、脳科学に基づいて伝えるべきメッセージは、積極論でなければならぬと考えてきた。「こういう理由でできない」と否定的に決めつけるのではなく、「こういうわけだから、可能性がある」と背中を押すような議論をしたいと思ってきたのである。
(中略)
 日本では、外国語を習得するのは何歳からがいいのか、というような議論がある。しかし、何歳から始めようと、やり方によってはいくらでも伸ばすことができるのだという事実は、往々にして忘れ去られてしまう。日本人が外国語習得について宿命論を好むのは、怠惰の言い訳に過ぎないのではないかとさえ思う。
 コンラッドは、二十歳を過ぎて英語という新しい言語に出会った。船で働き続ける中で、次第に文学を興味を惹かれながら、英語に習熟していった。その結果、苦労なく英語を使えるようになっただけではない。三十代も半ばを過ぎてからは英語で小説を書くようになった。やがて、コンラッドは、イギリスの文学史上、忘れることのできない大家の一人と評価されるまでになったのである。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

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4月 1, 2010 at 05:00 午前 |