思えば、すべては午前2時30分に目が覚めてしまった、その時に始まった。
ウェブを立ち上げてニュースを見ると、アイスランドの火山Eyjafjallajokullの噴火でイギリスなどヨーロッパ北方のフライトが影響を受けているという。
幸い、私が乗る予定のポーランドのクラクフからミュンヘン、ミュンヘンから東京のフライトは予定通りとある。
安心して、また眠った。
再び目が覚めて、すぐに急ぎの仕事をした。終わらせて送らないと、原稿が「落ちて」しまう。
お腹が空いていたが、必死になって書き上げた。
ほっとして、ホテルのレストランで朝食をとる。
部屋に帰ってきてウェブを立ち上げる。「念のため」と思い、クラクフ空港のサイトを見る。
Cancelled
画面から文字が飛び込んできた。乗る予定だったミュンヘンへのフライトがキャンセルになっている。一方、ミュンヘンから成田のルフトハンザのフライトは飛ぶと表示されている。
まずい!
電気ショックが走ったように感じた。
急いでシャワーを浴び、荷物をまとめる。13時の飛行機だから、ゆったりと古都クラクフでも見物しようと思っていた。そんな観光気分が一瞬にして吹っ飛んだ。
下着や本、コード類をバッグに放り込みながら、考える。
とりあえず空港まで行って、ルフトハンザの係員にかけあってrerouteを探ろう。
幸い、前日にアウシュヴィッツまで運転して下さったロマンさんが来てくれるという。
クラクフ市内から空港までは15分ほど。
空港に着く。ロマンさんに車の中で待っていただいて、ルフトハンザのチェックインカウンターに直行する。「このフライトに乗るはずだったのですが」とe-ticketを出すと、「あちらで変更してください」と言われる。指された方を見ると、数十人の列が出来ていた。
ただでさえやっかいなrerouteのネゴシエーション。これでは、どれくらい時間がかかるかわからない。その瞬間、他の方法を考えなければならないと直覚した。
出発案内の電光掲示板を見ると、ライアン・エアーがミラノに飛ぶと出ている。
そのフライトを予約しようかと思ったが、ライアン・エアーの前にも長蛇の列が出来ており、断念した。(後に、ライアンエアーは当日から週末にかけてすべてのフライトをキャンセルしたことを知る。並ばなくて良かった。)
この空港でできることは、もう何もない。
そう思って、ロマンさんの車に戻る。
飛行機が当てにならなければ、陸路で移動するしかない。
ミュンヘンまでは遠すぎるが、ドレスデンに出て、列車で移動すれば良いだろう。
そう思って、ロマンさんに、「すまないがドレスデンまで行ってくれないか」と頼むと、「いいよ」と親切に言ってくれた。
クラクフからドレスデンまでどれくらいの距離で、時間はどれくらいかかるのか。ドレスデンからミュンヘンには列車がどれくらい頻繁に出ていて、所要時間はどれくらいか。何もわからないまま、車はドレスデンに向かう。
コンピュータのウェブはつなげられないから、唯一の頼りは携帯電話である。
いろいろ調べているうちに、次第に電源が切れてきた。ガスを入れるために停車した時、トランクのバッグからノートブックパソコンのUSBから電源を取ることのできるコードを取り出す。
パソコン自体の電源が低下するのを気にしながら、携帯電話をつなぐ。まさに命綱。いろいろと探る。車は猛スピードで走り続ける。
そのうち、トラベル・エージェントから連絡が入った。プラハからチューリッヒに飛び、それから香港を経由して帰る便ならば予約ができそうだという。
急いで地図を見る。クラクフから見て、ドレスデンとプラハは途中までほぼ同じ方向。情報が入ったのは、まさにその分岐点の直前だった。
「ごめん、プラハに行ってください!」とロマンさんに頼む。
プラハへの道は、それまでの高速道路から一転しての田舎道。しかも、至るところで工事をしていてのろのろである。
このようなところも、もっと心に余裕がある時に通ったら素敵だったろうにと、思いながら手元でいろいろと調べる。
どうしても、日本に帰らなければならぬ用事があった。ベスト・エフォートを尽くさなければ、自分の気持ちが晴れない。
工事の片側通行で時折車が停まる。窓を開ける。鳥がさえずっている。緑が広がる。のどかな光景の中に、身体の芯があせっている自分がいる。なんだか、不思議な状況である。
プラハに向かっている間に状況が変わって、チューリッヒへの飛行機がキャンセルになった。結局、ミュンヘンに行くのが一番良いだろうと思った。たとえ今日のフライトに間に合わなくても、明日何とかなるかもしれぬ。
プラハからミュンヘンには列車がある。そこで、ロマンに、プラハ空港ではなく、中央駅に向ってくれないかと頼んだ。
プラハ市街に入ると、急に車が増えてきた。道路が渋滞している。ミュンヘンへの列車は、17時4分発。刻々と時間が迫ってくる。列車の名前は、アルベルト・アインシュタイン号というのだという。縁がある名前。果たしてアインシュタインは待っていてくれるか?
ところが、ロマンが迷っている。「プラハには駅が10個あるんだ」と言う。道行く青年に聞く。「そこを曲がってトンネルをくぐったところだ」と言う。妙な地下の工事中のスペースに入り、それからトンネルをぐるぐる回る。いつまで螺旋が続くのだろうと不安になった頃に、中央駅に着いた。
時刻はちょうど発車時間の頃である。ロマンにありがとうとお礼を述べて、ホームに走る。ひょっとしたら、列車が少し遅れているかもしれぬ。
しかし、それらしき姿は止まっていない。掲示板を見ても、ミュンヘンの文字はない。どうやら、アインシュタインは時刻通り行ってしまったらしい。

改めて見たプラハ中央駅の様子に、不安の影がよぎる。クラシックな、風雅なたたずまい。大いに心を惹かれるが、一方で、今私に必要な、クレジットカードで現金をおろせるキャッシュ・ディスペンサーや、チケットの自動販売機などはありそうにない。
地下に降りていくと、やっと現代的なスペースが現れた。券売場を見てぞっとした。国内、国際とも、百人近くの人が並んでいる。これでは、ぎりぎりに飛び込んだとしても、列車には乗れなかったろう。
銀行の両替場を探し当てた。これからのことを考えて、持っていた日本円をユーロとチェコのお金に替える。円をユーロに替えるのは、円からチェコ、チェコからユーロと二度コミッションをとられるのだという。何でも良いから替えて欲しいと頼んで、その成果を手に駅前のタクシー乗り場に急いだ。
一番前に停まっているタクシーの運転手さんを見ると、やさしい顔をした初老の男である。「窓を開けてもらい、その枠にすがって、「一つ聞きたいことがあるんだけれども」と切り出した。「ここから、ミュンヘンまで行ってくれないだろうか?」
「ミュンヘン!」と明かに驚いた顔をしている。
断られるかな、と一瞬思ったが、「OK?」と聞くと、肯いた。つかの間の小春日和に包まれる。
ほとんど英語が通じない。封筒に、Munchen ? Euroと書いたら、どこかに電話している。「400キロメーター!」とそれだけは英語で言う。「ハウマッチ?」と封筒を指すと、数字を書いた。
さっき銀行で替えたお金で間に合う。「サンキュー」と言うと、気が変わらないうちにと、さっさと荷物を詰め込んでしまった。
プラハは美しい街である。しかし、渋滞を抜けるとほっとした。
途中でガスを入れる。ガス代を出そう、と言うと、「いらないいらない」と手をふる。フリスクはどうか、と差し出したら、手を開いた。運転しながら、口に放り込んでいる。
ミランという名前だと後で知った、チェコおじさん。
何やらぶつぶつ言いながら車を走らせる。その様子が、年経た樫の大木が風につぶやいているようで、かわいらしい。
初めて走るチェコからドイツへの道。ミュンヘンは遠い。おじさんが何となく心配なので、起きていようと一生懸命になる。やがて日が地平線に落ちていく。もう、今日は終わろうとしている。



ミュンヘンに近づいた時には、もうすっかり暗くなっていた。アウトバーンで、チェコおじさんが時折スピードを落として看板を一生懸命見ている。おじさんの心細さが感染する。「リンクス!」「レヒツ!」と後ろから声を出す。
そうこうする中で、美しい青い建物の横を通った。まるで、美しい幻のようだったな。

とうとう道に迷ってしまった。通行人が、黄色いタクシーの車から顔を出したチェコおじさんに、たどたどしいドイツ語で「中央駅はどこ?」と聞かれる。なぜ、タクシーの運転手が駅を知らないんだ? 不思議な顔をして、それでも親切に教えてくれる。おじさんは、その度に、ごにょごにょとチェコ語で何かをつぶやいて、また車を走らせる。
ごにょごにょごにょ。
ごにょごにょごにょ。
まるで、春風のように。
おじさんのチェコ語の響きをもっと聞いていたいと思っていた頃に、慣れ親しんだ中央駅に着いた。
ほっとするとともに、名残惜しい。おじさんと握手をする。
何だか心配だ。だいじょうぶかな、おじさん。ちゃんとチェコまで帰れるかな?
おじさんの乗った黄色いタクシーがミュンヘンの闇の中に消えていくのを見送る。長い一日が、ようやくのこと一つの安堵に達する。
車に乗る前に、チェコおじさんは名刺をくれた。Milan Prochazkaさんと名前があった。きっと、素敵な家族がいて、いいおじいちゃんなのだろう。
チェコという国が、ぐっと身近になる。
思えば、チェコおじさんとぼくは、きっと一期一会だったのだ。
混乱の一日の中で、忘れられない出会いがあった。
ありがとう、チェコおじさん。さようなら、チェコおじさん。あなたのことは、きっと、ずっと覚えていることでしょう。


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