ぼくが18歳だったら
小田原高校の岩本明子先生が呼んでくださり、黛まどかさんと俳句の話をした。
黛さんはまじめに俳句の話をしていたが、ぼくはついつい不規則発言をしてしまって、高校二年生に向って、「ごめんね、18歳の君たちにとって、大学という選択しかないのだろうけれども、その日本の大学はすっかり体たらくで、本当にごめんね」と謝ってしまった。
大学が復活して、本気で学問をやろうという気合いの入った志の共同体にならなければ、18歳は浮かばれないだろうし、その後の「企業」も、大学3年の12月から就職活動を一斉にやるような「世界の非常識」の群れなんだから、ぼくが18歳だったら、かなりイヤになるだろうと思う。
週刊誌は、相変わらず大学合格ランキングなどという意味のないニュースを載せている。日本の中でしか通用しない大学名などに、何の意味があるんだろう。
テンションが低すぎるんだよね。
結局、そんな日本社会のあり方に関係なく、自分のやっていることの実質をがんばるしかない、ということになるだろう。
志を持っている者どうしが、組織に関係なく共同体をつくるシステムを真剣に考えなければ日本はますます沈む。
3月 18, 2010 at 07:40 午前 | Permalink
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