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2010/03/22

猛獣使いと猛獣

山口の山口情報芸術センター(YCAM)で開催されているDesire of Codes(欲望のコード)展に、親友の池上高志がMind Time Machineを出品しているので、そのオープニングのアーティスト・トークに出かけた。

http://www.ycam.jp/art/2010/03/mtm-mind-time-machine-desire-o.html

まずは、YCAMというすばらしいアートセンターを運営している山口市に敬意を表したい。また、今回、三上晴子さんと、池上高志というきわめて興味深い組み合わせでの展覧会を企画されたキュレーターの阿部一直さんの慧眼と熱意に、池上高志の友人としての感謝と、一美術愛好者としての賞賛を表明したい。

三上晴子さんの作品Desire of Codesは、コンセプト、完成度ともに素晴らしいもので、この作品を見に、遠方から山口まで来る価値が十分にあるものと思います。みなさま、ぜひいらしてください。

池上高志の作品は、大海悠太や渋谷慶一郎、新津保建秀が参加して成っており、ベンジャミン・リベットが明かにした「意識の時間」の構造をビデオ・フィードバックなどを伴うインスタレーションとして提示しようとした、野心的な試みである。

アーティスト・トークで、池上は「爆弾」を投げた。自分が提示したかったのは、この色をどうしようとか、ここは三角形にしようとか、そのような「見え方」の作り込みではなくて、むしろ一つのシステムそのものだったのだと。

アーティストは、細部の作り込みにこそ命をかける。しかし、それとは違う道もある、ということを池上は言った。

思うに、アートの表現形態にはいろいろある。その中には、数学や物理のように、論理を持って辛抱強く追わなければ享受できぬ芸術性もある。そのようなことが、現代においてあまりにもないがしろにされていることは事実だろう。

プラトンは、芸術そのものに対して否定的だった。表面的な美が、かえって奥にある真実に到達することを妨げる、と考えたのである。アーティストとは、猛獣のようなものだろう。一方の科学は、「神」という猛獣使いを理神化することに起源した。

池上は、猛獣使いであると同時に、猛獣でありたいと言う。わが友の挑戦に、ぼくは震撼し、そして賞賛する。

池上と魂の会話を交わしたおかげで、ぼく自身がこれからどう生きるべきか、はっきりと見えたように思う。

池上高志よ、ありがとう。君と君の素晴らしい作品に会うために、山口まで行って本当によかった。

そうして朝、池上高志からメールが届いていた。

From: takashi ikegami
To: Ken Mogi

 茂木に言われて、脳の中でどこかが光った気がした。
このMTMをつくるために、何かを犠牲にし消耗したが、
それはそれで良かったと思っている。考えも進んだよ。

それにしても場が、ググっ、と変わった。
さすがだね。本当にありがとう。
持つべきは友ということか。

ではまた東京で。

池上高志

3月 22, 2010 at 07:57 午前 |